2人の殿下
握られた手が震えている。
マーガレット王女は言葉を紡いだあと、俯きかげんになりながら瞳を閉じた。
柔らかい風が辺りに吹き、花の香りがふわりと香る。
アレクシス殿下は私達二人をそっと見守り、私の返答を待っているようだ。
── 迷いはない
「私で良ければ喜んで。マーガレット王女様」
微笑みながら視線を無理矢理合わせると、マーガレット王女は花開く笑顔で微笑んだ。それはそれは嬉しそうに。
「……ありがとう……アタナシア様」
すると城のレンガに幾重にも絡まっていた蔦がスルスルと成長していき、花壇に咲いていた花々は一層の美しさを放ち、蕾のままであったものもパッと花開く。
「これは……」
一瞬にして辺りの景色が変わってしまったことに驚きで目を見張ると、マーガレット王女は熟れた林檎のように真っ赤になった。
「えっと……私は植物を成長させる植物魔法も使えるのだけど……感情が溢れると魔法の制御が出来なくなって……周りの植物が成長しちゃうの」
はにかみながら答えるマーガレット王女が手を振りかざすと、辺りは元通りになる。
「あのっアタナシア様のことターシャって呼んでいいかしら? それと私のことはマーレと呼んでくれると嬉しいわ」
唐突に尋ねられ、一瞬言葉に詰まる。
嫌だからではない。困惑からだ。
ギルバート殿下や家族からはシアと呼ばれているが、ターシャはアタナシアの愛称としてよく用いられる。マーガレット王女が私をターシャと呼ぶのは構わない。でも、マーガレット王女は私より身分が上。
流石に私が愛称で呼ぶのは……。
「ターシャに関しては構いませんが、マーガレット王女を愛称呼びするのは……」
お断りしようとすると横からアレクシス殿下が私の言葉を遮る。
「アタナシア嬢、私からもマーガレットをマーレと呼んで欲しい。昔から妹は愛称呼びが出来るくらいの友人を欲していたんでね」
「おっお兄様! それは……!」
「ね? マーガレットは欲していたよね?」
「それは……そうですけど……無理強いは出来ませんわ」
しょんぼりとしてしまったのを見て、良心の呵責に悩んでしまう。
(マーガレット王女が呼んで欲しいと言ってくださるのなら呼んだ方がいいかしら……?)
「分かりました。ではマーレ様と呼ばせていただきます」
「本当?! でも、様はいらないわよ」
弾けるような笑顔を私に向け、すぐに咎めるように眉を寄せた。
「それは……では、周りに人がいない時はマーレと呼ばせていただきます」
「うん! よろしくねターシャ」
「よろしくお願い致しますマーレ」
屈託のない笑顔で笑うマーガレット王女につられて私も笑顔を浮かべる。
「そろそろ父上達の話も終わっている頃だろうし、一旦戻ろうか」
アレクシス殿下も嬉しそうにしながら、謁見の間に戻ることを提案した。
「そうね! ほら、ターシャ戻りましょうっ!」
「待っ待ってください」
駆け出すマーガレット王女に置いてかれないように私も小走りになる。
そして再び謁見の間に着く頃には息も絶え絶えになってしまった。
(本当に……マーガレット王女は……体力があるの……ね……)
「ターシャ大丈夫?」
先程と同様、息一つ乱れていない王女様はほのかに花の香りがするハンカチを取り出して広げると、パタパタと私を扇いでくれた。
「だっ大丈夫です。ほら!」
無理矢理息を整えて大丈夫だとアピールすると、アレクシス殿下は可笑しそうに口元を手で隠しながら笑った。
それがギルバート殿下の笑い方と重なった。彼もこんな風に断罪される前までは私をからかったり、なにかしたりしたら笑っていたのだ。それを思い出してしまい、少しだけ心が痛む。
「それならよかったわ。じゃあ中に………」
マーガレット王女が扉を開けるために手をかけると、中から扉がゆっくりと開いた。
「おや、帰ってきたのかい?」
中から出てきたのはグランツ陛下。
「お父様! ラスター公爵との話は終わりました?」
「終わったよ。私は執務があるからここらで失礼する。アタナシア嬢、マーガレットを宜しくね」
アレクシス殿下と同じ黄金の瞳が私を見つめる。その瞳は優しさで溢れているが、威厳を持ち、王として、そしてマーガレット王女とアレクシス殿下の父として、私が二人に危害を与える人物なのか判断しているのだろう。
「勿論です。グランツ陛下」
「それは良かった。アルメリア魔法学校は明後日からだからアレクシス、マーガレット、明日は王都を案内して上げなさい。それでは失礼するよ」
グランツ陛下はふっと笑うとマーガレット王女の頭を優しく撫でて、廊下から姿を消された。
その様子を見て、一つの考察が頭に浮かぶ。もしかしてグランツ陛下も感情魔法か、また違う特殊魔法が使えるのかということだ。
マーガレット王女の頭を撫でた仕草から陛下は庭園での会話を知っているような気がするし、マーガレット王女様達が使えるのならば、その父であられる陛下も使えておかしくない。
「アレクシス殿下、グランツ陛下もお二人のように感情の色が見えますか?」
「……んー少し違うかな。言えることは、同じような特殊魔法を持っているということ」
「そうなのですね」
困ったように答えてくれたアレクシス殿下に申し訳なくなる。普通に尋ねてしまったが、基本的に王族が何の魔法が使えるかなんて、一介の令嬢が知れることでは無いのだ。
「そ・れ・よ・り・も、ターシャはアルメリアの料理を食べたことある?」
重たくなってしまった場の雰囲気を壊すように、マーガレット王女はぎゅっと私の腕に自分の腕を絡ませ、見上げるように私に視線を向ける。
「残念ながら、そのような機会はなかったので……」
「そうなの? だったら、私とっても美味しい料理屋さんを知っているの! 明日、連れて行ってあげるわ!」
「それは楽しみですわ。ですが、殿下達はよく王都に行かれるのですか?」
王族は普通街に出向かない。それは警備上のハードルが高いからだ。ギルバート殿下は無力化魔法が使えたので一人で歩いていたけど、アレクシス殿下達は無力化魔法を使えないはずなので、街を歩くのは厳しいはずだ。
「そうだね。民の暮らしを見るのもこの国を統治するためには必要だから。護衛は見えないところでついているから大丈夫なんだ。君の婚約者のギルバート殿下は街を歩かないのかい?」
私の疑問が何なのか気付いた殿下は、私の疑問に対する答えを教えてくださった。
「ギルバート殿下は色んな所を……歩きますわね。いつも……民の暮らしに目を向けていますから」
だから殿下はローズと出会ったのだ。市井の視察でお忍びで訪れたお店で。私はそこから疎まれ……最後は冷たい牢屋に一人っきりで人生終了だった。
「……聞いてはいけないことだっかな? そうだったらすまない」
「大丈夫ですよ」
申し訳なさげに謝罪してこられたアレクシス殿下に苦笑すると、マーガレット王女が先程よりも強く私に抱きついた。
「……でも、とても悲しい色が見えるわ。何があったのかは分からないけどターシャはそれでとても傷付いてる」
その言葉にビクリとしてしまう。そうだ。二人は感情の色が見える。私が自分自身で誤魔化そうとしても、彼らが魔法を使えば、本当の私の感情を読み取られてしまうのだ。
「そうですね……その時は悲しく、傷つきましたけど、過去のことですので……」
バレてしまうと分かっていても、作り笑いを浮かべた。
「重くなってしまいましたね。話を変えましょう? 私、お父様から今日は王宮に泊まると聞いているのですが」
「君は友好国の王太子の婚約者だからね。王宮に泊まってもらうのが警備上でも一番いいから。よかったら今から私達が案内するよ。ラスター公爵も今日は王宮に宿泊するよう父上から言われていると思うから、明日別れの挨拶をするといい」
無理矢理話を変えると私の意思をくみ取ったようで、話を合わせてくれる。
「お気遣いありがとうございます。ですが、そこまでアレクシス殿下とマーレのお手を煩わせるのは……」
「気にしないで。と言ってもアタナシア嬢は気にするのかな? では、その分を学校で返してもらうよ」
「ターシャ、お兄様は魔法に関しては厳しいわ……覚悟しておいた方が良くってよ」
憐れむような視線を私に向けるマーガレット王女と、何かを企むように笑うアレクシス殿下にやらかしてしまったかもしれない……と思いつつ私は双子の兄妹殿下に案内してもらうのだった。