小説人工知能を将棋人工知能から考える
私の小説は、まだ人工知能の書く小説より面白い。それが体感である。人生をかけて掌編小説を書いている私は、まだ人工知能より面白い小説を書く。人類対小説執筆人工知能の決戦はいつになるのだろうか。
ちなみに、chatGPTに小説を書かせた場合の話である。
私の執筆速度は、四年で十万文字である。それよりちょっと速い。
人工知能は確かにニ十分で十万文字を書くかもしれない。人工知能の小説は、とても長い相づちなのである。読みますかね、十万文字の相づちを。私にはわからない。人工知能の小説に独創性を発見したことがあったか記憶にない。
人工知能が活躍した業界では、将棋がある。将棋はネット対局の頃からよく将棋人工知能を見ていた。将棋の電脳戦もずっと見ていた。得をするのは、人工知能側だ。プログラマーも、WEB管理者も、圧倒的に、人工知能ユーザーを応援していた。小説を書くのにパソコンが必須なので、これから人力の小説書きは苦戦が予想される。
私は、苦労気質で、人力が好きなんだが、時代の流れかねえ。人力の小説集と、AIを使った掌編小説集を併設するべきか悩んでいる。その二つがどう変わっていくのか、この時代を記録する意味があるのかもしれない。まだしたことはないが、いずれ、AIとの壁打ちをして小説執筆することを試さなければならないのかもしれない。
chatGPTは、まだ壁打ちする気にならない。私より考えていない、あるいは、面白いネタをユーザーに教える気がない、という姿勢が伝わってくる。
ネット将棋には、ソフト指しは大量にいた。ソフト指しには二種類いる。プログラマー、あるいは将棋人工知能作成者と、努力せずに勝ちたい遊び人だ。ソフト指しは、ソフト指しっぽいといわれていても、確実な証拠がないことを突いて、三年間以上、ソフト指しではないとしらばっくれつづけ、開き直り威張る。
ネット将棋ではソフト指しは強かった。ネット将棋におけるソフト指しは、不健康な域に達していた。ネット小説書きでそれをくり返すのだろうか。
私は、ネット将棋を最後まで人力で指していたが、最後には(電脳戦の頃)、ネット将棋の8割がおそらくソフト指しだった。どこの業界も8割はライトユーザーだ。小説書きも、8割は人工知能に頼り、ライトユーザーが勝利するだろう。
逆の動きをたどった業界もある。投資人工知能だ。すべての投資人工知能が負けた。ネット小説で、すべての人工知能小説書きが負ける可能性もある。
将棋は完全情報ゲームだが、小説は不完全情報ゲームだ。将棋ソフトは、人類史上最強といわれていた某永世七冠の神手を全試合毎手打てるくらいの性能になっていた。小説人工知能はそこまでではない。
私は、小説を書くのに人工知能を利用するべきかどうか、悩んでいるのである。まだ使う決心はつかない。ネット将棋において、ずっと人力で指して生贄となった私が、またネット小説でも同じことをくり返すのかという怖れはある。しかし、もう歳だし、人力の小説書きを通してみるのも価値があるかもしれないと思っている。
ちなみに、私は、将棋は、ボナンザクラシックに勝ったことがあるくらいには強い。三十回戦ったら、本当に一回は勝てた。




