選挙の問題
今回は、ちょっと難しい話である。選挙には、さまざまな問題がある。
「ひとつ、権力の腐敗を防ぐこと」。選挙は、権力者の腐敗を抑制に効果がある。司令官が交替できる民主主義は戦争に強い。
「ふたつ、遺伝の要素と環境の要素を見抜くこと」。血統で権力を得た者を最高権力者として仕えるのはやる気が起きない。しかし、人の能力を作るには、遺伝と環境の二要素が必要である。遺伝の側面から見た人事、環境の側面から見た人事が必要だろう。選挙も同じである。遺伝の側面から見た選挙、環境の側面から見た選挙が必要だ。
遺伝で選ぶということは、血統で選ぶということでもある。優秀な血統がどの血統なのかはまだはっきり判明していない。王家の血統が必ずしも優秀なわけではない。我が国の政治家に世襲議員がいなくならない原因は、遺伝を重視しているからなのかもしれない。この辺り、単純に民主主義を推進すればよいというわけではない難しさがある。
我が国の領土を我が国の民族が支配するためということもあるかもしれないが、その辺り、謎にされたまま、決して公開されない。
「みっつ、権力闘争と仕事の優秀さのちがいを見抜くこと」。実力競争によって必然的に優秀な人物が選ばれるという意見もあるだろうが、実力競争とは権力闘争のことなのか、仕事の優秀さのことなのか、区別しなければならない。仕事の優秀さと権力闘争の優秀さは異なるのである。権力闘争の勝者が権力を握る。人生において、仕事のがんばりと、権力闘争のがんばりの配分をどのくらいにするのかは難しい。権力闘争に極振りするというのも、あまり優秀な人物といえたものではない。ある程度、仕事ができた実績がなければ、権力闘争を勝ち残ることもできない。
権力闘争の勝者は、自分の部下には、仕事の得意なものを欲しがる。この辺り、民主主義とは異なる原理で人物が選ばれる。
「よっつ、大衆が理解できない人物を推挙すること」。選挙は、大衆に人気があることが当選の条件であり、そのためには、仕事をする人は大衆受けしやすい人物である必要がある。大衆が理解できない天才は選挙では当選しない。大衆受けしない人物でも、優秀なものは選挙に当選するようにしなければならない。
おそらく、最も難易度の高い職業は政治家であり、優秀でありながら、大衆受けするという人格の組み合わせを作るのは非常に難しいと思われる。
「いつつ、選挙管理の問題」。そして、選挙の信頼性の問題は常に考えなければならない。我が国が選挙の集計能力が充分に高くなったのは2015年頃であり、ごく最近のことである。それまでは、国民全員の投票を集計する能力は政府にはなかった。
みなさんは、選挙の集計が誠実に行われていることをどうやって確認するだろうか。選挙を盲信するのはよいことではない。それは権力者の腐敗を防ぐことにはならない。一億人の投票を数えているのである。それをどのように確認するのかは、とても難しい問題である。
選挙の広場を作って、一億個の積み木を積んでいった方がまだ信用できるのではないかと考えることもある。しかし、一億個の積み木を積むのは、それはそれでものすごく難しいことだろうと予想する。風で積み木が崩れたら誰が積み直すのか。政治家ごとの積み木を積む場所への案内もたいへんである。道に迷う人が出てくるだろう。選挙の広場への交通整理もたいへんだ。選挙のたびに大混雑するだろう。実験都市では、地方選挙の「選挙の広場」を作ってみるのも面白い社会実験かもしれない。選挙の広場を一望できる展望台も必要だ。
盗賊の妨害は選挙のたびに発生していて、選挙のたびに戦争が起きていると考えてもかまわない。公務員は選挙の全体像を理解していないし、知らされていない。公務員が不必要に選挙に不信感を持つこともある。外国の工作員は、選挙結果を捏造しようと妨害しようとしてくる。国会選挙なら予算120兆円、県議会選挙なら予算5兆円、市議会選挙なら予算2000億円くらいの金額が動く。それだけの厖大な金額をめぐる金額収奪のための謀略が発生して、選挙のたびに盗賊が動く。
人数を増やせば、予算を増やせば、守れるものではない。担当者の義務感の審査が重要である。義務感の強いものを選び出し、仕事にあたらせる必要がある。我が国の国民の義務感はたいして高くなく、犯罪をしてでも一攫千金を夢見る銀行員や公務員は後を絶たない。
この危機的状況の中で選挙を守らなければならない。電子投票は、アメリカ合衆国が行なっているが、おそろしく危険な社会実験である。電子投票など信用できるものだとは思えない。
中には、人工知能に任せれば選挙が守れると主張するものがいるが、これはとても愚かなことである。人工知能に任せて犯罪が取り締まれるほど、犯罪者の知能は低くない。まして、選挙のたびに、数千億円から数百兆円が動く仕事なのである。それを襲う盗賊の意欲は高く、盗賊から選挙を守るには賢い仕組みが必要である。
「むっつ、公約を非公開にするべき動き」。2001年の小泉純一郎総理大臣の選挙の頃から、我が国ではマニフェスト選挙が普及して、政権公約を選挙で提示するようになった。しかし、2024年頃から、政権公約を選挙のたびに公開されると、戦略的な政府の仕事がしにくいので、やめようということになった。政府の新しい仕事を公開するとそれを邪魔されるというのである。だから、これからはまた再び、政権公約が非公開にされた選挙を行うことになる。政権公約が非公開では、政治家を選びようがない。私はずっと選挙のたびに政権公約が報道される時代をそれを当然だと思って生きてきたので、それが変わると、どう選挙をしていいのかわからなくなる。私は、これからの選挙で政治家を選べる自信がない。
選挙には、このような問題があり、必ずしも万能ではない。選挙を上手に行うことは毎回、難しい仕事である。権力者の腐敗を抑制するのに選挙は大きな効果がある。選挙を私は支持する。しかし、どのような選挙が良い選挙なのかは難しい問題であり、よりよい選挙をみんなで考えるべきである。




