法定貨幣説は輸出入で崩壊する
貨幣論には、主に商品貨幣説と法定貨幣説がある。商品貨幣説は、商品が貨幣になったのであり、貨幣は商品としての価値しかもたないという説である。法定貨幣説は、貨幣は法律によって価値を定められているものであり、政府の定めた通りの価値を持つという説である。
ほとんどの経済学者は商品貨幣説をとる。私も商品貨幣説を支持している。経済の歴史を見ると、貨幣が商品から発生した様子が浮かび上がってくる。
しかし、法定貨幣説を主張するものも多い。政府が持ちこたえている限り、貨幣の価値を政府が保証してくれると考えているものたちだ。
私が大学時代には、まだ金兌換貨幣の影響が大きく、貨幣は金と交換することができるから価値を持つという意見が多かった。私はこれに納得がいかず、金兌換貨幣制と戦った。変動相場制に納得がいかず、金兌換性に戻そうとする人たちは大勢いたのである。彼らを論破しなければならなかった。私の主張は、金には工業的価値しかないというものだった。金に工業的価値以上の価値を見い出すのは、歴史から来る先入観だと私は主張して、人生の中で長いこと金兌換性と戦っていた。貨幣は、多様な商品の価値を反映したものであり、金という単一の金属塊に価値を拘束されない。それは確かだと思う。
金兌換性を倒したと思ったら、次にやってきたのが法定貨幣説である。貨幣の価値は政府が決めることができるので、政府がいくらでも貨幣を発行すればよいというものたちだ。しかし、この法定貨幣説は簡単に破綻する。輸出入である。
外国の貨幣で取引をしている人たちは、我が国で取引をする時に、我が国の法定貨幣の価値には縛られない。外国の貨幣で取引している人たちは、我が国で取引をする時に、我が国の商品の価値を基準に支払う労働と財貨を決めるのである。輸出入で基準となるのは商品貨幣説である。貿易相手は、我が国の法定貨幣を受け取れるからといって、自分の商品を差し出さない。また、貿易相手の貨幣の価値を決めるのは、我が国の商品である。輸出入において、価格は商品の価値をもとに貨幣の価値が決まる。そうでなければ、どちらかの貨幣の価値が暴落するか、暴騰するか、するのである。
輸出入において、貨幣の法定貨幣説が通用することがあるとしたら、それは、労働の価値の計量が難しいからである。労働の価値の計量の下手な国は、輸出入で自国の労働を安く買いたたかれる。労働者が搾取される原因にもなる。
貨幣論では重要なことだと思うが、今のところ、このことを書き記した経済学書は見つからないため、ここに書いておこうと思う。




