EV車を生産すべきか
最近、EV車(電気自動車)が注目され、盛り上がっている。2023年のEV車の世界生産台数は1380万台になり、世界の自動車生産台数9272万台の14%に達した。私は、EV車など普及するのはまだ当分、先だろうと思っていたので、たいして考えることもなくすごしていたのであるが、EV車はちょっと重要な社会問題になってきているので、それについて述べようと思う。
まず、EV車の世界生産台数1380万台のうち、1000万台を作っているのは中国であり、EV車は中国がひとりで盛り上がっているというのが現状だと思う。
我が国では、EV車の年間売上は2023年でも8万8535台であり、自動車の年間生産およそ500万台の2.2%でしかない。
経済は、かつての国際貿易を歓迎する経済思想から、内需を重視する国内生産を歓迎する経済思想に展開しつつある。国際貿易を歓迎する人たちが考えているのは、自国以外の国家の単純生産体制であり、つまりは、外国をプランテーションにしようという考えである。国際貿易を支配しようとする帝国主義国家は、我が国を自動車のプランテーション国家にしようとしている。それを受け入れてはいけない。
国際貿易を歓迎する人たちは、自国だけを応用力の高い経済にして、外国のすべてを自国に仕える従属経済にしようとしている。それは糾弾されなければならない。すべての国が多様な生産体制を持つ経済を目指すべきである。人類は、国家を単位として集団を作っている。国家が集まり、国際協調している。我が国も、自動車だけを作る国にされてはならない。多様な生産体制を持つ経済を目指さなければ、自分のための商品作りという視点、また、安全保障という視点で、不利な立場に置かれてしまう。どんな国だって、自分の国で作った商品はいちばん良いものは自分の国で売り、買い、使う。良い商品を手に入れるためには、自分の国で作らなければならない。
国際貿易を重視する時代は終わったのだ。国際貿易で相互に経済を依存することは、戦争を防ぐ効果がある。だから、国際貿易は国際貿易で安全保障に効果はある。しかし、自給率を高めることは、国家の経済を優れたものにする。
自動車は、一般市民にとって、家屋の次に高額な買い物である。自動車はそれだけ重要な商品である。我が国は二十世紀の経済競争において、自動車の覇権を勝ち取った。これは我が国の誇るべき勝利である。これを欧米、さらには中国は快く思っていない。欧米、中国は、我が国に自動車生産で勝とうと勝負を挑んできている。ガソリン自動車の開発競争に負けてしまったヨーロッパの自動車業界の我が国の自働車生産を切り崩す戦略がEV車で勝とうというものだった。これはEV車の開発の本質である。EV車は環境に優しいという利点を武器に、ヨーロッパは百年間かけて開発してきた我が国のガソリン自動車の生産技術に勝負を挑んでいるのである。
環境問題であるが、大量生産、大量廃棄の経済体制は、考え直すべきだと私は思う。しかし、地球温暖化はそれほど早急に問題にする必要はなく、問題になっているのは地球温暖化ではなく、ヒートアイランド現象である。つまり、都市部の温度の上昇であり、これは、地球温暖化とは別の環境問題である。当然、解決の方法も異なってくる。
我が国は百年間かけて優れたガソリン車の生産手段を構築してきたのだ。それを切り崩すために、ヨーロッパだけでなく、中国は大喜びでEV車を生産している。ガソリン車とEV車では、生産手段がまったく異なるのだ。ガソリン車をやめてEV車にするというのは、百年間かけて築き上げた我が国のガソリン車生産ノウハウを捨ててしまうことを意味するのだ。
走行性、安全性、耐久性、さまざまな問題について百年間かけて築き上げてきたガソリン車の生産ノウハウを本当に捨てて、これからまた百年間かけてEV車の生産ノウハウを積み重ねていくのだろうか。EV車が好きな人たちはどれだけムダな苦労が好きなんだ。
EV車の基本方針にあるのは、我が国のガソリン車生産ノウハウに対するヨーロッパと中国の対抗戦略なのである。環境問題は口実にすぎない。ガソリン車の開発は本当に練りに練り上げられた難しいもので、同じようなEV車を製造するには、また百年間かけてさまざまな研究をしなければならない。そんな苦労を本当にするべきなんだろうか。
今や、中国は年間で自動車を3500万台作り、2686万台買っている。世界最大の自働車生産国は、我が国から中国に移行した。中国の経済の急成長が自動車を必要としたのである。中国でたくさん作って売っていれば、中国がそのうち、我が国より高性能な自動車を製造するようになるかもしれない。ガソリン車をどの程度作り、EV車をどの程度作るかというのは、我が国の経済の将来を動かす重要な問題である。
私はガソリン車生産の重視に賛成である。政治経済や安全保障に興味のある人たちには、ぜひ、EV車論を考えてもらいたいものだと思う。




