分業と貨幣の需要
分業と貨幣の需要について、私は考えた。貨幣が「労働交換の媒介物」であるなら、分業が増えれば増えるほど、貨幣の需要は増える。
産業革命は、西暦1800年の蒸気機関の改良において始まった。分業は、産業革命が起こった時から急速に増えたので、貨幣の需要はここ200年間で急速に増えたのではないか。私が推測するに、産業革命以前は、現代ほど貨幣の需要は大きくはなかったのではないか。
産業革命以前に比べて、200年間で分業が増えた。工場で作られる衣服、工場で作られる電化製品、自動車など、たくさんの商品を分業して作り、それを貨幣で交換するようになった。
経済を論じている人たちを見ると、貨幣が万能であると考えている人たちが大勢いるが、それは分業が発達したここ200年間においての限定された経済事情にとらわれた認識だと私は考える。
分業の発達をそれぞれの産業の業種の種類を数えあげて検討すれば、さらに現代がどれだけ貨幣の需要の大きな社会であるかが明らかになるだろう。統計の取り方が難しく、また、資料を探す能力が私にはないため、私にはそれを計算することはできないが。
未来を予測することは難しいが、分業が増えつづけると決まっているわけではない。例えば、子供でも作れる汎用ロボットが発明されたとする。そして、子供でも作れる汎用ロボットは人類の必要とすることがほとんど何でもできるとする。すると、その汎用ロボットの生産にすべての産業が統合され集約されるようになるかもしれない。
そうなったら、貨幣はどうなるか。みんなが汎用ロボットの生産という同じ仕事に従事するようになる。すると、分業が減る。分業が減ると、貨幣の需要が下がるはずだ。汎用ロボット以外の商品の需要が大きく下がり、貨幣で交換する必要を感じなくなるからである。
みんなが必要とする商品は汎用ロボットだけであり、作りかけの汎用ロボットしか持っていない人も、欲しいのは貨幣ではなく、完成した汎用ロボットである。完成した汎用ロボットとの交換でなければ、自分の持っている財を手放さない。そうなったら、金貨への兌換貨幣だろうと、法定貨幣だろうと、誰も欲しがらなくなる可能性はある。子供でも作れる汎用ロボットという商品だけを人々が欲しがり、貨幣で商品を売る人がいなくなるかもしれない。そうなったら、子供でも作れる汎用ロボットという商品が商品貨幣として機能することはあっても、法定貨幣を求める人はほとんどいなくなるだろう。
貨幣が万能であるというのは、このように疑わしい経済思想である。このように、分業によって貨幣の需要が増えている。




