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どんな場合に積極財政が効果的か

 国家がどの程度、積極財政をとるべきかについて、その経済的意味を書いてみたい。

 財政政策とは、民間の取り分と政府の取り分の分配を変えているだけである。政府の取り分を増やしただけでは、経済は発展しない。

 それでは、どのような場合に積極財政が有効になるのか。それは、政府の投資審査が民間に任せるより賢明である場合においてである。政府が国民に借金をして積極財政を行うことは、政府が市場原理よりも優れた投資先の判断ができている場合に限り、経済をよくする効果がある。

 政府の投資審査が、民間の銀行や企業や個人の投資より、それほど賢くなるのだろうか。賢明に行うのであれば、同じくらいになる可能性はある。しかし、一枚でも賢く選択した結果は、五年後、十年後に大きなちがいとなって変わってくる。政府と民間のどちらが賢いのか。

 そして、積極財政には政府の暴走という危険が常につきまとう。積極財政の肯定は、いきすぎると、政府が自分たちの能力を過信する危険性がある。日本政府が民間企業の仕事をすべて理解できているのかという心配もある。

 政府が最も賢いと考える国家は、課税が暴走して破綻する。賢い人材はどこにいるのかはっきりしないため、政府が最も賢いと考えるのは危険である。


 いくつかの経済学の本を読み、おれはようやく気付いた。

 経済は、市場原理に任せることにより効果的に機能することがあるが、その経済圏の人たちが決める経済倫理によっても経済の効率は変わる。

 倫理とは、仲間との理という意味である。経済学のなかった古代中世の倫理は現代ではあまり通用しないだろうが、現代人の行動判断に経済学は影響を持つとおれは考える。積極財政でいくべきか、緊縮財政でいくべきか、どちらが良い経済倫理なのか、それを見極めるのはとても難しい。

 無政府主義は、市場原理こそが最良の経済倫理であるという経済思想である。しかし、現代では、無政府主義より、中央集権政府の練りに練った経済判断を行った方が市場原理より賢い経済判断だと考えられている。このように経済倫理は構築されていく。

 経済学は市場原理の賢さを発見することを成果としたところがおれには印象深いが、人類による経済倫理の構築も重要な経済活動である。経済倫理は、確かに、経済活動を変化させている。

 積極財政は、市場原理よりも賢い投資審査ができる場合に限り有効なのである。それは、政府の知性の実力が試されるところである。


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