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これだという哲学書はいまだ存在しない

 おれは409冊の思想哲学の本を読んでいます。しかし、常識的に受容されるであろう存在論、認識論はいまだ一冊も読んだことがありません。

 かつて、「法句経」(ダンマパダ。中村元訳「ブッダ真理のことば・感興のことば」)が真理だとされた時代がありました。仏教の時代です。

 かつて、「聖書」が真理だとされた時代がありました。「聖書」にはすべての真実が書いてある、と真面目にキリスト教会は主張していました。

 プラトンの「パルメニデス」を世界の真実だと考えていた人々もいたのでしょう。

 それではいけないと、数々の哲学者たちが、本当の真理を探究して哲学書を書いてきました。例えば、カントの「純粋理性批判」、ヘーゲルの「精神現象学」、ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」、フッサール「純粋現象学及現象学的哲学考案」、ハイデガーの「存在と時間」。また、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」。そして、サルトルの「存在と無」、デリダの「声と現象」。

 いずれも、難解な書物たちです。おれはそのすべてを読んだわけではないのですが、フッサール「純粋現象学及現象学的哲学考案」下巻、サルトル「存在と無」第二巻、第三巻を除いては読んでいます。

 そこで、これだけ哲学書を読んだ結論として、人類はいまだこれだという存在論、認識論を記述した哲学書を一冊も持ちません。東洋思想を読んで、現代人にはおかしな考え方をするところが気になってしまうことは多いです。しかし、西洋哲学ならよいかというと、そういうわけでもなく、西洋哲学もかなりおかしな考え方を真面目に主張しています。

 プラトンの「パルメニデス」は、イデアなどという証明不可能なものを存在の根拠だと主張するので、素直にそれを認めるわけにはいかないと考える哲学者は多いでしょう。

 カント「純粋理性批判」は、思考の帰結はアプリオリ(先験的)でなければならないとしているので、ここにおれは強く疑問を持ちます。世界の真理は先験的に感受されるものではなく、熟慮のすえに理解するべきものだとおれは考えます。だから、カントの「純粋理性批判」はこれだという哲学書にはなりません。

 ヘーゲル「精神現象学」、ショーペンハウエル「意志と表象としての世界」、フッサール「純粋現象学及現象学的哲学考案」、ハイデガー「存在と時間」は、カントの誤謬を修正できなかったドイツの哲学者たちの探究の痕跡です。どれも、カントの誤謬を集成できなかった哲学書たちであり、これだという哲学書ではありません。

 これに対して、イギリス、アメリカはウィトゲンシュタインの「哲学探究」を代表作として、分析哲学を中心に研究を行いました。おれは分析哲学がどういうものなのか、いまいちわからないのですが、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」は、主観と主観の間における言語ゲームについて論じた哲学書であり、物自体は認識できないとしたカント哲学から、一歩踏み込んだ認識論となっています。しかし、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」は、主観と主観の間の関係を解き明かすことにはまったく成功していないと考えていいでしょう。ウィトゲンシュタインの「哲学探究」も、これだという哲学書ではないのです。

 さらに、フランスで本格派の哲学を書いた人物が現れました。サルトルです。サルトルの「存在と無」は、主観と客観の関係をものすごく詳細に論じた哲学書であり、ありえないほどに難解です。サルトルの「存在と無」は、おれは全三巻のうち一巻しか読んでないですが、素晴らしい哲学書です。しかし、サルトルが論じる主観と客観は、一対一であり、主観と主観の共通理解についてまで手が届いていません。

 デリダの「声と現象」は、正統派な哲学というより、変格派な哲学であり、奇をてらった娯楽的哲学書です。だから、フランスのサルトルとデリダも、これだという哲学書は書くことに成功してはいないといわざるをえません。

 つまり、西洋哲学においても、存在論と認識論を述べたこれだという哲学書はいまだ一冊も存在しないのです。ひとつもまちがえることなく、存在することがどういうことなのかを論じることは、そこまで難しいことなのです。

 だからこそ、強く指摘したい。現在、人の認識や、物質の存在の仕組みについて、どんどん解明されていっています。今こそ、人類は、これだという哲学書の一冊を書く時が来たのではないか。できれば、200ページから300ページくらいの短さでまとまったものがよいです。誰か、これだという存在論や認識論を述べた哲学書を今こそ書くべきではないのか。

 そのような哲学書をとても期待しています。


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