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5(肉)

 ペンギン。


 ペンギンの赤ちゃん。


〝ザ・フライ〟と云う映画があった。


 天ぷら職人が単身渡米し、経営をジャマするチャニーズマフィア相手にカンフーとニンジャで戦う話でない。

 ハエ男の恐怖で、後に男を殺して逃避行したり、殺し屋だったのに記憶喪失で女教師になったりするジーナ・ディビスがウジ虫を産む悪夢にさいなまれるSFだ。


 保健体育と生物は苦手でない。

 むしろ得意科目だ。


 子供はキャベツ畑で拾われることはないし、コウノトリだって飛んでこない。

 詳細は〝フルメタルジャケット〟でハートマン軍曹が唄にして教えてくれた。

 そして自分が耳年増なのも理解してる。


 だけど、母のお腹にペンギン。


 昨日の夢が現実になった。


 それとも現実が夢なのか。


 その境はたぶんうたかた、シャボン玉のような薄い膜。

 ちょんっと突けばパンッと割れてあっちとこっちが入れ替わる。


 帰宅したペンギンを囲んで、いつも以上に楽しげな夕食が私には堪えた。

 だから食後のお皿洗いをちゃっちゃか終えて、さっさかお風呂も済ませ、とっとと自室に篭った。


 明日の準備もする気になれず、私は九時前だと云うのにベッドに潜りこんで、電気を消した。

 天井を見上げながらまんじりとせず、ごろりと身体を横にした。


 目覚まし時計の文字盤の蓄光がぼんより光っている。

 ふと思い立って窓を開けると、今日もシンナーのにおいがした。


 何を作っているんだろう。

 ザクかなジムかなアッガイかな。

 それともいよいよ本腰入れてデンドロビウムか。


 なんで花なんか欲しがったのかと私が誤解していたそれをさんざん母にねだって、やっと買えるとなったとき、父と一緒にヨドバシカメラへお買い物に行った。


 なんでも昨今、プラモデルの品揃えは家電量販店が一番らしい。

 ポイントも付く。


 私はその蘭の名を冠したロボットプラモデルの箱のデカさに驚いた。


 肩に担ぐにしても、どうなんだろうと云うくらい。


 なんでも組み上げると一メートル近くにもなるらしい。


 そりゃ、母もなかなかゴーサインを出しづらかったろう、年頃の娘の手前となれば尚更だ。


 デパートみたいな量販店の階を下りながら、ふと父は時計コーナーで、ついでみたいで悪いけど、と前置きして、高校の入学祝いだ、好きな腕時計を買ってあげようと云った。


 私は殆ど迷うことなく、ごついカシオのGショックを選んだ。

 紺とも青とも云い難い色。一目ぼれだった。

 父は笑った。


「頼子の腕は母さん似で細いから、逆にこれは映えるぞ」


 父はGショックがデジタル時計として如何に優れているかを語り、そして私の見識眼と審美眼を褒めてくれた。

 軍隊でも人気だと云う話は訊くだけでワクワクした。

 ネイビーブルーって色の名前もその時、知った。

 さっとレジで支払う父が恰好良かった。

 その場で早速、腕に巻いた。


 確かにそれは、いささか私の腕には太く大きかったけれども、別段変でもなかった。

 むしろ父の言葉通りに、自分でも似合っていると思った。


 帰りの道々、父はすごく嬉しそうに、それはそれは大事大事にプラモデルの箱を抱えていた。

 そんな父を見て私もなんだか嬉しくなった。


 子供みたいな目をした父が微笑ましくてそして愛おしく思った。

 電車の中、横で父はそのプラモデルがどれだけメーカーの意欲的な挑戦だったかを熱っぽく語ってくれた。


 半分も理解できなかったけれども、私は腕にした買って貰ったばかりのGショックを触りながら父の話を訊いていた。

 なんだか楽しくて嬉しい時間が私たちを包んでいた。


 それがわずかひと月前の話。


 突然、私は理解した。


 私は、父のことが好きだった。

 大好きだった。


 私は父のことが大好きだったのだ。


   ※


「お父さん」私は昨日に続いて、けれども今度は意図的に遅刻した。「一緒に行こうよ」


 するとペンギンは両手をパタパタさせて、そうかそうかと嬉しそうに、ネクタイを締めていた母もそうねそうねと嬉しそうに。

 私も笑顔でそれに返した。


 昨日と違って混雑こそはしてなかったけれども、駅にはたくさんの動物たちがいた。


 程なくして白線の内側へ下がるようにとアナウンス。

 列車がやってきた。


 ぞろぞろ動物たちが列車の中に吸い込まれていく。

 ペンギンは、さぁ行こうかと云わんばかりに振り返り、それから動物たちの列に加わった。


 今だ。


 私は足を持ち上げると、スニーカーのソールで力いっぱいペンギンの背中を蹴り飛ばした。

 つんのめってペンギンは列車の中へ転げ込んだ。


 それから父の部屋から持ち出したプラモデル用のシンナーのボトルを、空になるまで列車の中に振りまいた。


 ものすごいにおい。


 次いでアセトン、エタノール。ベンジン、最後にヒシコート。


 ありとあらゆる揮発性の、私が知るかぎり揮発性の家にあったそれを車内に振りまいた。


 ひとつ。殺人の殆どは近親者の手による。


 ひとつ。放火は火災原因の上位である。


 マッチを擦った。


 燐の匂いを漂わせて火が着く。


 それを放ると、あとは一瞬の出来事だった。


 列車は炎に包まれた。


 窓を割って火だるまになった鳥が飛び出す。


 私は笑った。


 そうだペンギンは空を飛べないんだ。


 私は自分の手の火傷にも、制服が、髪が、眉が焦げることにも気付かなかった。


 燃え盛る車内、動物たちの鳴き声そして焼ける肉の匂いに私は酔った。


   ─了─


ペンギンは空を飛ばない。

作成日2013/06/16 23:38:15

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