表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

4(ニオイ)

   ※


 翌朝、目覚まし時計をかけ忘れて遅刻確定となった。


 入学してひと月。

 さよなら私の皆勤賞。


「よし」まだ出勤してなかったペンギンが云った。「私も今日は遅刻しよう」


 キリッと宣言した。


 なに? どうして?


「いいの?」


「たまにはいいんじゃないかな」


 そんなものか。


 だからか、私はなんだか別に急がなくてもいいやだなんて思ってしまった。

 ペンギンごときに懐柔された。


 駅は混雑していた。


 電光掲示板を見れば、路線違いの近くの駅で事故。

 それで人が流れ込んで来たらしい。


 動物になった勤労者もたくさんいた。

 もしかして人類の方が少ないかもしれない。

 ひどい有り様。


 程なくして電車が来た。


 混雑は車両も一緒で、いつもは割合的に制服生徒の方が多い印象だけれども、この時間帯はどうにも勤労者が多いらしい。


 ペンギンと並んで乗り込んだ。


 車内はまるで動物園さながらだった。


 キツイにおいが篭っている。

 動物たちも事故による意図しない朝に苛立っているかのようで、それが余計に鼻に付いた。


 カタンカタンと列車は揺れる。

 ウシがヤギがヒツジが揺れる。

 吊り革にはコウモリがぶら下がり、タカはハトを狙っていた。

 ネコは網棚の上を陣取り、欠伸する。


 そこはジャンプ、サンデー、マガジンの交換場所だ。

 勝手に寝るな。


 ネクタイ姿はペンギンだけなかった。

 我が民族は驚くほど柔軟性に富んでいながら、同じくらいに頑固で堅固だ。


「大丈夫か、頼子」


 ペンギンがつま先立って、小さな声で云った。


 私は頷いてみせたけど、変な汗が吹き出ていた。


 ニオイ、ニオイ、ニオイ。


「なんかだか、まだお前が小さい頃のことを思い出すな」ペンギンは云った。「一度だけ動物園に行っただろう」あの時は大変だった。「でも、頼子は水族館の方が好きだったんだよな」ハハッと父は笑った。


 フラッシュバック。

 父の肩車。


 高い位置から見る動物たちはものすごく間近で瞳の形まではっきりくっきり見えた。

 人間のそれとは違う形と虹彩。


 そしてやはり人のものとは違うなにかをその向こうに認めた。


 それは昏々として、祖母の家にあった、決して近づくなと云われながらもこっそり覗き込んだ深い深い井戸を思わせた。


 うっ、と声が漏れるより先に私は朝ご飯をペンギンの上に戻してしまった。


   ※


「ヨリヨリどったの?」一時間目が終わった直後の休み時間に教室へ滑りこみ、そのまま机に突っ伏していた私のところへ夏美がやって来た。「顔、真っ青だよ?」


「……うん」


 電車のことは忘れよう。

 しかし動物たちのにおいは鼻の粘膜に絡みついて離れない。

 そう思った瞬間、ぐっと胃がひっくり返るのを感じた。


 私は口を押さえて立ち上がると、トイレに駆け込んで個室の鍵もそこそこに吐いた。


 もう吐けるものはなかったけれども、胃液が唾液が糸を引いて、便器の中に落ちていく。


 動物。

 動物園。

 動物のニオイ。


 げぇっと嘔吐く。


 咽喉の奥が痛くなるまで私は個室の中で屈みこんで、鐘が鳴っても吐き続けた。


   ※


 最低の一日は最低の出来事で締めくくられる。


 ろくすっぽ授業を訊かず、お昼もちっとも食欲なく、ぼんより一日を過ごし、重たい足取りでてれてれと帰宅した。


 ふと、腕のGショックに目をやって、あ、と思った。


 今日は毎週楽しみにしているアニメの放送日だ。


 私は存外単純軽薄らしい。

 てけてけ歩いて帰宅した。


 冷たいウーロン茶とおせんべいと一緒になってテレビの前を陣取っていると、母がやって来た。


「あのね、ヨリちゃん」


「んー?」私はおせんべいをくわえたまま生返事をした。いま良いところなのよ、夕方アニメ。


「……たの」


「は?」


 なんか違和感ありまくりな単語を訊いた気がして、私は振り返り母を見た。


「だからね、赤ちゃんができたの」


 おせんべいがフローリングに落下するときの加速度は凡そ九・八メートル毎秒毎秒。

 ただし空気抵抗はないものとする。


「お母さん、幾つだっけ」


「やだ」そう云うと、母は頬を赤くした。「まだ大丈夫よ、十五年前と比べて医療も随分発達してるし、心配しないで。そりゃマル高がついちゃうけど初産じゃないし、ヨリちゃんの時だってつるっと出たし──」


「ちょ、ちょっと待って」話をやめそうもない母を制して私は云った。「誰の子?」


 突き飛ばされた。


「いったぁ……」


「なんてこと云うのよ」ぷりぷりする母。「お父さん以外、知らないわよ」


 そんな情報、いらんわ。


「最初で、最後のひと」


 ふふっと母は笑って、しかし私の顔を見ると、表情が曇った。「……いやなの?」


 悲しげな母の顔。

 どこか恥じらっている部分が見え隠れし、それが余計に苛立たせられる。


 父は、ペンギンだ。

 ペンギンの子だ。


「そんなことないよ」私は微笑みさえしてみせた。「おめでとう」


 母の顔がぱぁっと晴れた。私の胸はちくりと痛んだ。


「さ、お夕食の準備しないと」

 そう云うと母はお台所へ向かった。「テレビ終わったら手伝ってね」


 もう、画面の中で主人公がピンチでヒロインがさらわれて、強化パーツお披露目なのに、エンディング曲も予告もうっちゃってテレビを消した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ