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3(あの手)

 お昼休みが終わって午後イチの地理の授業、私は睡魔に誘われ、ろくすっぽ抵抗もせず一緒にチークを踊った。


 幸か不幸か、ハズレクジを引いて未だ人類の姿形をした定年間近というより再雇用されたかむしろ再利用か、それにしても幾つなんだと云った風情のだいぶっちゃんこと、大佛先生の声が、だんだんだんだん遠くなって、まるで水に溶いた片栗粉みたいにとろりと消えた。


 夢だとはハナから理解していた。


 お母さんがいた。両腕で大切そうに抱きかかえているそれは、考えるまでもなく──赤ちゃんだ、と知っていた。


「ヨリちゃん」


 嬉しそうにお母さんは云った。「あなた、お姉さんになったのよ」


 そして腕の中のお包みを向けてきた。「ほら、お姉さんですよー」


 弟か妹か、母の腕の中でそれは身じろぎし、にゅっと真っ黒い顔を向けてきた。

 ペンギンだった。


 それはにやぁっと笑って云った。「お姉ちゃん」


   ※


 ガタッと乱暴な音で私は目覚めた。


 ハッと顔を上げたその拍子につるっと涎が落ちて、その瞬間をクラス中の好奇の視線の前に晒してしまった。


 だいぶっちゃんはチットモ気付いた様子もなく、等高線について判読不能な板書をしながら、あーとかうーとかいつも通りの授業をしていた。


 顔から火が出る思いで、私は落とした教科書を拾った。


 掃除当番でないのを幸いに、授業が終わってHRも済んだ瞬間に私はダッシュで帰宅した。

 NHK教育で、海外シットコムの再放送を見ていると、母から夕食を手伝うよう言付かる。


 お台所に母と並んで立つのと同時に気がついた。

 程なくしてペンギンになった父が帰宅する。


 その事実に思い当って私は暗澹たる気持ちにさせられた。

 けれども嬉しそうに肉ジャガを作っている母を見ていると、なんだか今朝方の現実がまるで悪い夢だったと云う気もしてきた。


 いや、夢だ。

 夢なのだ。


 ペンギンですぞ。

 理解しろってのが難しい。


 コウテイペンギンじゃなくて、なんかざくざくした頭はイワトビペンギンっぽい。


 まさか温泉ペンギンとかそんなことはなろうに。


 アニメじゃない。

 アニメじゃないんだ。


   ※


 お鍋の中でごろっとしたジャガイモが、美味しそうなお醤油色になってたので、菜箸で突き刺し、ぽいっと口に放り込んだ。


 はふっはふっ。


 熱いけど美味しい。


「もぅっ」と母。「お行儀悪い」


 相すいませんね。

 美味しい肉ジャガの所為です、母。


 なんてことは黙っている。


 母の肉ジャガは大好きだ。

 父を落とした一品と云うベタな話なんだけど、らしいと云えばらしい。


 程なくしてペンギンが帰宅した。

 私は未だ夢の中にいるらしい。


 会社での父は、それなりの地位にいると訊いている。

 部下もいると云う。


 私立に進学となったとき、父は別段何も云わなかった。


 裕福な家庭とは特に考えたこともなかった。


 けれどもそんな家庭を維持している父はやっぱり相応に優秀なんだろうと思っている。


 ペンギンは肉ジャガを食べナメコのおみそ汁を飲み、「母さんの肉ジャガは三国一だなぁ」なんて云いながら二度お代わりをしてホウレンソウの胡麻和えと五穀米をもぐもぐ食べる。


 魚料理でなくていいんだろうか。

 お刺し身のほうが喜びそうなのに。


   ※


 夕食の後片づけは私がする。


 お皿を洗って水切りに並べると、リビングでくつろいでいる母に膝枕をしてもらっているペンギンを尻目に私は一番風呂経由で自室に篭った。


 ペンギンがリビングにいる。


 その思いは頭からなかなか離れなかった。

 今日の復習も明日の予習も、机の上に教科書とノートを広げたもののちっとも集中できず、だから早々に切り上げた。


 どうにも気持ちがささくれ立っているのを感じる。


 何が気に入らないんだろう、私は。


 父は父だ。


 ペンギンになっても父は父だ。


 父がペンギンで、ペンギンが父で、何も違わないでしょう?

 ねぇ、違う?


 私は問答する。


 違わないけど違う。

 違うけど違わない。


 イヤだ。こんがらがってきた。


 窓を開け、部屋のドアを開け、夜風を通した。

 思いの外、涼しい風だった。

 トゲの生えた気持ちが和らぐようだった。


 ふと、風の中に薄いながらも刺激臭を感じた。


 シンナー。

 プラモデルだ。


 父の唯一の趣味。


 ペンギンになっても、父は趣味を続けているのだ。

 いつもは週末だけなのに、なんで平日の夜に。


 ペンギンがガンダムを作っている姿を思って変な気分になった。


 あの手でニッパーとかピンセットとか使うんだろうか。

 あの手でロボットの顔とか塗るんだろうか。

 あの手でビームライフルを改造したりあの手でシールを貼ったりあの手でニードルを使ったりあの手で紙ヤスリを使ったりあの手でドライバーとかドリルとか使ったり。


 あの手。

 あの手で。


 不意に私は泣きたくなった。


 あの手。あんな手。


 私は窓を閉めてベッドに潜り込んだ。


 今日は色々ありすぎた。

 もう何も考えたくない。


 けれども睡魔はダンスに誘ってくれなかった。

 珍走団の走り去る爆音が神経に障った。

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