1(ペンギン)
ペンギンは空を飛ばない。
朝起きたら、父がペンギンになっていた。
顔も洗わないままでリビングに降りていくと、すでにペンギンは食卓に座って新聞を読んでいた。
まだ九割夢の中の私は、寝ぼけ眼でパジャマの裾から手を入れておっぱいの下をボリボリ掻いて。
そんな私に呆れてか、おみそ汁をよそっていた母がぐるりと目玉を廻してみせた。
器用です。
一方、椅子に座っていた父は、読みさしの新聞を丁寧に折るとテーブルの端に置いて云った。
「頼子、お前は毎日見てるだろうし自分のだからと油断してると思うが、それは場合によっては児童ポルノになる」
両肩掴んで投げ飛ばした。
ペンギンはリビングの壁にべちゃっと当たってそのまま漫画みたいにずるずるとフローリングの上に落ちた。
あ、そっか。
ペンギンは空を飛ばないんだ。
母に怒られた。
※
〝紅の豚〟と云うアニメ映画がある。
マッカーシー旋風の吹き荒れてた五〇年代に作られたプロパガンダ映画ではない。ロリコンアニメで世界的にメジャーなスタジオの作品だ。
知らない人を探す方が難しいくらいな映画だと思うけれども、素材からすると他の作品よりは観るひとを選ぶ嫌いは無きにしもあらずだと思う。
映画を簡単に説明するなら、飛行艇と豚と海賊だ。
なんで豚が飛行艇に乗っているのかだとか牛じゃどーしてモーダメなのだニワトリのほうが絵的にケッコーいいんじゃないかとか、そう考えるのは無粋だ。
豚が飛ぶ。
つまり、そーゆー映画なのだ。
そして映画の余韻に浸りながら、加藤登紀子のステキなエンディング曲を聴くのが、この映画の正しい観賞法だと私は信じている。
でだ。
父は豚でなくペンギンになった。
なんで。
映画なら別にいいけど、リビングで平べったい翼の先で器用にお箸を使ってご飯を食べておみそ汁を飲んで、塩鮭を食べるとか。くちばしでタクアン食べられるんだ。
今後、我が家の食卓に鳥肉が並ぶことはないのだろうと云うことに思い当たって私はいたく落胆した。
〝アニマルプラネット〟で仕入れた知識だと、ある種の猿は別種の猿を殺して食べることはあるようだけれも、両手にフライドチキンを持つペンギンの姿を想像し、その姿にいささか不憫なモノを感じたのは事実だ。
さよなら、サンダース大佐。
あなたのお店の和風カツサンドとペッパーマヨ味のツイスター、大好きでした。
あのカリッとしたクリスピーも。
あ、でも、フライドポテトはもうちょっと細くして欲しかったです。
今の半分くらいの太さとか。のどにつかえる。
ところで私は、いつも父より先に家を出て、学校へ行く。
フリスクをポケットに入れ、ネイビーブルーのGショックを腕にし、学生鞄を持つ。
指定の革靴が好きになれないので、ABCマートで買って貰ったピューマのスニーカーに足を突っ込み「いってきます」と声をかけつつ家の中を見れば、ちょうど父は、母にネクタイを締めてもらっていた。
いつも通りだ。
毎朝母は父のネクタイを締める。
くるくると。器用に。
今朝はちょっと強くしたら別な意味でシメることになるんだろうなぁ。
中学の時、田中くんの制服のネクタイを締めてあげたことがある。
何度説明されてもうまくできず、それどころか変に結んでしまい、しわくちゃにしてしまった。
田中くんは笑っていたけれども不器用な子だと思われたのは想像に難くない。
ロマンチックも台無しだ。
いやそのなんだ。このことは本筋とは関係ないので忘れてください。
結婚して十何年、たぶんわたしの年齢にプラス二、三年、その合間、ずっと毎朝、母はこうして父のネクタイを締めていて、そして今朝も変わらずネクタイを締めていて。
ちょっと待てよ。
ペンギンになった父は、とどのつまり今は裸だ裸体。
裸にネクタイはポルノじゃなくても、何かしらの変態行為に抵触しないだろうか。
いわゆる、お縄。
自宅で裸族ごっこをしていた男性がコーヒーを飲んでいると、それを勝手に覗き見た女が通報した事例があった。ダメリカらしい事件だ。
しかしどうしてだろう、裸エプロンはちょっとエッチで、でもかわいいのに、裸ネクタイは変態だ。
母も疑問を持とうよ。相手はペンギンですぞ。
そして今更ながらに気が付いた。
父を投げたのは、初めてだ。
たぶん最初で最後だろう。
だからと云って特に貴重な経験とかそんなことは思わない。
むしろ、そんなことはない方がいいに決まっている。
わたしだって父に投げられたことはないし、父娘で投げ合う家族だなんてどんだけバイオレンスで殺伐家庭だ。柔道一家ならいざ知らず。
ついに我が家にも起きてしまったか。
人間だった頃の父の顔を思い出せない自分に驚いた。




