クスノキの見守るもの
ある高校の名物的存在であるクスノキの下。そこに少年と少女とが一人ずつ座っている。
先ほどまで二人で昼食を取っていたのか二人の膝の上にはそれぞれ空っぽの弁当箱が置かれている。
その空っぽの弁当箱にはどちらとも少女の手作りの料理が入っていた。
その二人はクスノキと同様にこの高校の名物的な存在であった。
本人たちには自覚はないのだが他人から見れば、どこにでもいる恋人たちよりも恋人たちらしく見えていた。
ほら、今だって少女は少年の肩に頭を預けて眠っている。少年の方はそんな少女の頭を穏やかな表情を浮かべて優しく撫でてあげている。
少女の方はすやすやと寝息を立てている。その表情は本当に安心しきったもので少年のことを本当に信頼しきっているような様子だった。
二人は、小さい頃からずっと一緒にいた。二人が今よりももう少し子供だった時、二人は一緒にいることをからかわれたりもしたけど今はそんなことはない。それに、その時だって二人は離れたりしなかった。
そう、二人でいることが当たり前。そして、周りの人たちもそれを見続けたことによって、そのことが当たり前となり、心が大人に近づいたことによってそれは祝福すべきことだと気がついた。
と、不意に強い風が吹いてきた。その風が少女の長い髪をなびかせる。その毛先が少年と少女自身の頬を撫でた。
「んぅ……」
少女はそんな声を口から漏らして目をうっすらと開ける。
「あ、おはよう」
少年は少女の頭を撫でる手を止めてそう、声をかける。
「うん、おはよぉ」
間延びしたような声で返事を返す。それから、両手をあげて欠伸とともに大きな伸びをする。そして、はむ、と言って口を閉じた。目のあたりには少しだけ涙が滲んでいる。
そのことに気がついたのか、ぐしぐし、と目の周りをこする。
「あんまり目の周りは手でこすらない方がいいよ。はい、ハンカチ貸してあげるから」
少年は少女の方へとハンカチを差し出す。少女は、ありがとー、と言ってハンカチを受け取り、再度、目元を拭う。
それから、ハンカチを少年へと返す。
「そういえば―――」
少女はそう言って少年の方を向き、
「―――わたしの作ったお弁当美味しかった?」
と、少年の膝の上に置かれた弁当箱を指さしながら聞く
「うん、いつもどおり、すごくおいしかったよ」
対して少年は何の迷いもなくそう答える。少女の方もずっと一緒にいたからそれがお世辞でなはなく心の底から思っていることだとわかっているのか、「えへへへ〜」、と嬉しそうに笑っている。
「最初はからっきし料理、下手だったのにね。ここまで上手になってくれると教えた側の僕も嬉しいよ」
少年も嬉しそうな笑顔を浮かべる。
少女に料理を教えたのは他でもない、いつも一緒にいる少年だったのだ。
最初の頃は少年が二人分の弁当を作ってきていたのだが、あるとき少女も作りたい、と言い始めたのだ。
最初は少年の言ったとおり散々だったのだが、今では一日交代で二人分の弁当を作れるようになるまで少女は料理がうまくなったのだ。
「むぅ〜、昔のことは言ったらダメ〜」
少女は少年の言葉に子供のように頬を膨らませた。昔のことは触れられたくないようだ。
少年はそんな少女の様子を見て面白そうに笑う。少女は更に不満さをあらわにした表情を浮かべる。
けど、嫌がっている様子はない。少女はこの雰囲気を楽しんでいるようだ。少年もまた同様に楽しんでいる。
「あはは、ごめん、ごめん。そんなに怒らないでよ」
そう言いながら少女の頭を撫でる。
「うぅ〜」
呻き声のようなものをあげる。撫でて宥めようとしているのが気に入らないらしい。
だけど、そんな不満もすぐに消えてなくなる。いつの間にか、気持ち良さそうに目を閉じていた。なんだか子猫のようだ。
そして、そのまま先ほどと同じように少年の肩に頭を預ける。
「……って、そろそろ休み時間終わるんだから寝たらだめだよ。ほらほら、起きて起きて」
頭を撫でるのをやめて、少女の肩を揺する。
「ん〜……」
寝ぼけたような呻き声を出す。それから、頭を肩から離す。
だけど、目はしっかりと開かれていなくて起きているんだか眠っているんだかよくわからない。
そんな少女の様子に少年は苦笑を漏らすことしかできない。
と、そこで、休憩の終わりを告げるチャイムが鳴り始めた。
「あ、ほら、チャイム鳴ったよ」
そう言って少女を立ち上がらせようとするが、少女は「んん〜」と小さく呻くだけで立ち上がろうとしない。
「……置いてくよ」
小さく呟くようにそう言った。けど、その言葉は少女の意識を覚醒させるのに十分だった。
「やだ!置いてかないで!」
泣き出す寸前くらいの声を上げながら立ち上がる。そして、置いて行かれまいとする子供のように少年の制服の裾を掴んだ。
そう、少女にとって少年から離れる、というのは耐え難いことだった。少年もそれをよく知っている。
本当は、ああいうふうに言うのは嫌いなのだが、こう言わないと言うことを聞かないことが多いのだ。
幼いころから二人はこうなのだ。少女は少年に頼りきりで、少年は少女の保護者の役をしている。
少年はそのことを苦痛に思わなかったし、少女はそれを疑問に思わなかった。
それだから、二人はいつまでも一緒にいるのだ。頼って頼られて、二人ともバランスのとれた関係を取っている。
そしてほら、今も少年は少女の手を引いて歩いていて少女はそんな少年を信頼しきっている。
それは、どこの誰よりも恋人同士らしい光景。
けど、二人はそう思っていない。それが当たり前で、それが日常だから。
でも、いつだって、二人の心の中には小さな感情が揺れている。
それがどんな感情なのか、二人は気がつかない。それでも、その小さな感情は二人に心地よい何かを与えていた。
二人はいつしかその感情に気がつくのだろうか。
そして、気がついた時、二人はどんな反応を見せるのか。
それを知る者は誰もいない。だけど、どんなことがあっても幸せな未来が続いているのだと感じさせる何かが二人にはある。
だって、二人はあんなにも幸せそうだ。終わりを感じさせないその何かを二人は持っている。
でも、やっぱり二人の未来を知る人はいないのだ。
ただただクスノキはその身を揺らして二人が行く先を見守っているだけだった。
長編を書いている間に書いた息抜きその2です。
いかがでしたでしょうか。
今まで書いてきたものの中では一番ほのぼのとした感じの小説に仕上がったかな、と思っています。
感想、意見などがありましたらよろしくお願いします。