【0】災厄は突然に
――『魔術』
そんな御伽噺の中だけにしか存在していない単語。それが突如として現実の世界に舞い降りたのは21世紀初頭になってから事だ。
科学の反存在ともいえる魔術という存在。その出所は現在をもって不明だが「魔術」という未知の力に対する知識的欲求、そして僅かばかりの憧れを抱いた人類は急速に魔術の研究を行っていった。突如として現れ、広まっていった魔術。特にその力に興味を示し研究に力を入れていたのは各国の軍隊だ。魔術の軍事利用、様々な国が魔術を直接的な武力へと利用し、他国とのパワーバランスを大きく変えようとした。各国は莫大な資産を投入し魔術の研究機関や教育機関を建設、魔術の扱える魔術士の育成に力を入れたのだ。
しかし、その魔術ブームという動きもここ数年である程度の落ち着きを見せていた。なぜならば一人の優秀な魔術士の育成よりも軍人の育成の方が遥かに楽だったからだ。知識と才能というある種で選ばれたものしか扱えない魔術師よりも、訓練しだいで誰でもなることが可能な軍人を育成するのは当たり前の流れといえた。
生活用品や個人の魔法使い、一部の組織などに深く根付き一般人にも身近な存在となった魔術だが、世界のパワーバランスを変える存在にはならなかったのだ。
現在魔術士という存在は世間に認知され羨望の眼差しを向けられる存在ではあるものの、それを武力や軍事力の一つと結びつけるものは一部の軍事機関を除いて存在していなかった。
教会の中に2人の男女が睨み合う形で立っていた。本来であれば信者や教会関係者で溢れているのであろう巨大で立派な教会。しかし今はこの2人を除いて誰も姿を見せることは無かった。
それもその筈だ。現在この教会は戦場と化していたのだから。
壁は所々崩れ、床のタイルは捲れ上がり地面を露出させて部分さえある。本来であれば教会のシンボルであるはずの十字架を模した石像は真っ二つに両断されており、教会に陽の光を入れていたのであろうステンドグラスは粉々に砕け散っていた。
「――やはり貴方の存在は害悪です」
明らかな戦闘と暴虐の傷跡。その暴虐の中心に居る2人の内の一人、少女のほうが口を開いた。
その言葉には目の前にいる男への明らかな敵意が込められている。少女の表情は冷たく僅かな敵意以外の感情を浮かべてはいない。
年齢はまだ10代後半といったところだろう。初雪のように白い肌と腰の辺りまで伸びた銀髪、彫刻のように整った美しい顔立ちと透き通った青い瞳。そのある種の神聖性は仮に少女が身に纏っている装飾の付いた修道服が無くても失われることはないだろう。
一見すると教会関係者のように見える少女の手には明らかに使用者に似合わないものが握られていた。
巨大な十字架だ。少女の身長と比べても頭一つ分ほど大きい十字架。純白の表面に薔薇の蔦のような彫刻が取り付けられた十字架、それを少女は十字架の下部に手を掛けて易々と持ち上げていた。また少女の着ている青い修道服は本来の修道服とは大きく異なり、肩部分には鎧のような白銀の細工が取り付けられスカート部分にはスリットが入っている。
「この場で貴方を断罪させていただきます」
「――クククッ、凡才如きが俺を倒そうなどとは大きく出たものだ」
十字架を構えた少女――”アリア”に目の前の男が答えた。
黒コートを身に付け、至る所に付けられている鎖の装飾と明らかに必要の無い部分にまで付いたベルト。黒髪に黒眼に全身を覆う黒い衣装が合わせられているのだろう。一見すると自分に酔いしれているかのようなファッションに見えるが、男の顔の造形の良さと自信に満ち溢れているその表情が不思議とマッチしており、違和感を全くといっていいほどに感じさせていない。
「全く、この俺と手合わせをしたいなら素直にそう言えば良い。俺のファンであれば謙虚さが必要だぞ。ん?」
「……やはり貴方には神罰を下す必要があるようですね」
「ククッ、人間様が神の代理人を気取るとは新手のジョークか?」
男にアリアへの悪意は無い。
純粋な自分の力への圧倒的なまでの自信と自負からの発言。アリアのこめかみがピクピクと震え十字架をきつく握り締めた事にも気が付いていない。
「悉く人を苛立たせるのがお得意ですね。……今度こそ神に代わって貴方を裁かせて頂きます」
「な、何かお前、神とかを暴力の便利な言い訳に使ってないか?」
「…………あーめん」
「それでいのか修道女」
完璧なまでの余裕をもっていた男の表情が一瞬苦笑を浮べるのを無視して、アリアが何かを呟く。するとに少女の手の甲に刻まれたタトゥーのような模様が輝きを放ち、同時に十字架の先端に幾何学模様で構成された光の円が浮かび上がった。
魔術士であれば誰もが知っている、魔術が発動する前の予備動作。体のどこかに刻まれたタトゥー、「魔導書」と呼ばれる紋様にアクセスし「体内の霊脈を活性化させ星霊気を放出。その星霊気をイメージを維持したまま自身の魔術理論と技術をもって魔術へと再構築する」という魔術の基本中の基本。
それをこの一瞬で発動させるという事はそれだけでこのアリアという少女が凄まじく高い技量を持った魔術師だということを示していた。
しかし、明らかに自身を狙っている攻撃魔術を見ても男の余裕は崩れなかった。
「やれやれ、こまった聖職者サマだな」
演技過剰気味に首を振ると男は右手を上げる。その右手の甲には少女と同じ「魔導書」と呼ばれるタトゥーが存在していた。突き出される腕と同時に空中に黒い幾何学模様が浮かび上がる。少女の魔術に対応するように発動させる高速魔術。それは彼ががアリアと同等、もしくはそれ以上の魔術士という事を示していた。
先手を取ったのは先に魔術の構築を始めていたアリアだ。十字架の先端部分から光が溢れ収縮するとそれは人間サイズの光球となって男へと襲い掛かった。破壊という力全てを凝縮された光の球。その威力は人間はおろかコンクリートブロックでさえも簡単に削り取る威力を秘めていた。
高位の魔術である光球が地面を抉り取り、砂埃を巻き上げながら眼前に迫ってきても男の表情から余裕の笑みが消えることは無かった。
「ほう、凡才にしては良い威力だな」
男が光に向かって突き出した手で指を鳴らすとそれに呼応するように魔法陣が光を放出し始める。
発動される術は防御魔術でも迎撃魔術でも回避魔術でも無い。”侵食”魔術だ。
相手の術に自身の星霊気をぶつけて内部からそのコントロールを奪うという、彼の最も得意とする高等魔術。
彼の魔法陣から黒い霧のような物質が放出されると、その霧は主人を襲う光の球の支配権を奪おうとと獲物に向かっていった。
そして黒い霧は光球を一瞬で飲み込むと、支配権を奪われた光の球は方向を変えアリアへと襲い掛かる――――はずだった。
男の想像を遥かに超える出来事が3つ起きたのだ。
1つ。
光球と黒い霧の激突で生じた風がアリアの修道服のスカート部分を思い切り捲り上げた。
2つ。
目の前にいた男はアリアのスカートの奥、純白の下着が眼に入り慌てた様子で顔を背けた。
3つ。
男の反応で何が起きたか察したアリアは顔を朱に染め上げ甲高い悲鳴と共にスカートを押さえ込んだ。
――その結果、『魔術の暴走』が引き起こされた。
魔術とは理論はあるものの基本的にはイメージの具現化であり、その発動には精神が大きく関与してくる。「魔術が完全に消滅するまでは精神を乱してはならない」というのは魔術関係の教育機関で一番初めに学ぶほど重要なことなのだ。
それほどまでにイメージの失敗によって引き起こされる”魔術の暴走”は何が起きるかわからない不確定で危険なものだった。
羞恥で頬を染め、男をキッと睨んでいた少女の顔に困惑と焦燥の色が浮んだ。
それは男の方も同様だった。先ほどまで自信満々で口元に笑みを浮かべていた表情も今はぽかんと口を開けている。
「「――え?」」
呆けた二人の声が重なった。
視線を逸らしたことにより黒い霧は暴走、光球も術者のあまりもの羞恥によって暴走し、お互いに混ざり合うと不思議な色の光を放ち始めた。
男もアリアという最高位の術者が生み出した魔術の暴走。破壊という最悪のイメージが2人の頭の中を過ぎる。
「も、もしかしなくても、これ……暴走してませんか?」
「ク、クククッ。て、天才がそんなミスするわけ無いだろう。」
光は徐々に強くなっていく。そしてその光はもはや目の前にいる男の身体を覆い隠すほどに成長している。
明らかな暴走。
“このまま光に飲まれてはマズい”
男は慌ててコントロールを取り戻そうと交じり合う光に手を翳した。
――しかしそれよりも一瞬だけ早く魔術の暴走は最終フェーズへと達してしまった。
暴走した魔術は圧倒的な光で完全に男の体を飲み込むと、まるで中に居る男を咀嚼しているかのような動きを見せ始めた。
光量のせいでアリアからは光の中の男がどうなっているのか確認することは出来ない。
光は数秒脈動のような動きをすると、徐々に収縮していきその――まま消滅した。
「……っ…」
アリアはゆっくりと目を開け、息を飲んだ。
「……嘘…っ」
その場には先ほどまでの暴走の痕跡も、飲み込まれた男も存在していない。
ただボロボロになった教会の中、一人呆然と立ち尽くす少女が居るのみだった。
この日を境に世界最高峰の魔術師である”七賢人”の一人であり、”侵食”の二つ名を持つ『黒崎 鎌』は世間から姿を消した。
初投稿です。よろしくお願いします。
こんなタイトルですが作者はそれはもう犬好きです、はい。