【3】 邂逅
「どれだけ広いのよ、この城……」
正門に到着したセリアは肩を落として嘆息した。棺のあった部屋から正門まで移動するのに階段を数往復し、先の見えないような長さの廊下も歩かされた。はじめは「どれだけ部屋があるのかしら」、「まるで映画魔法学園みたいね」などと目を輝かせて見学していたセリアだが、正門に付くころには瞳の輝きは失われ始終無言で歩くのみとなっていた。
また、この鮮血城は吸血鬼であるセリアを第一に考えて作られているようで、日光の進入を阻害するため窓というものは存在していなかった。その閉塞感が体力的には人間を大きく越えている体にも疲労を与えている。
「転移魔法を使えばよろしいのに」
ぼそりと背後からフローラが呟くのが聞こえた。疲労という概念の存在しない魔道人形であるフローラはいたって平静だ。
「じ、自分の居城だもの。この目で直に見ておきたかったのよ」
明らかに動揺した声でセリアが答えた。
転移魔法とは敵の存在していないエリアで任意の場所に移動できる魔法だ。その移動距離はレベルにより比例し、セリアのレベルであれば3回ほどの魔法使用で正門まで到着できただろう。
(使える魔法は理解できる、だけど使用タイミングを判断する私が使いこなせないんじ ゃしょうがないよね。……っていうかフローラは知っていたなら教えてよっ!)
セリアのキャラを維持するために強がりをしてしまう自分を呪いながらそんなことを考える。そもそもフローラには素の自分を見られているのだ、”セリア”を演じる必要は無いのだがロールプレイヤーとしての誇りがそれを許さない。……というより、人前でキャラの切り替えをできるほど自分は器用な人間ではない。
セリアは僅かに落ち込んだ気持ちを切り替える。
念願のファンタジー(と思われる)世界へ旅立てるのだ。嬉しくないはずがない。ここが危険な世界かもしれないなどという不安は考えないことにする。
(ふふふっ、ドラゴンとかユニコーンとか見てみたいっ。あと宝探しとかもしてみたいし、飛行艇とかにも乗ってみたい、他にも―…)
「セリア様、にやけたお顔が大変見苦しいです」
「ふふふ、そうかしらー?」
「……。」
フローラの毒舌も自分を待っているであろう冒険の数々の前には霞む。
「さぁ、冒険へ出発しま――痛いッ!?」
鮮血城と外界をつなぐ扉。所謂正門のノブに触れた瞬間、セリアの手のひらに僅かな痛みが走った。何かが弾けとんだような静電気に近い痛みだ。せっかくの冒険の門出なのに最初から上手く決まらなかった。セリアは小さく舌打ちをすると先ほどよりも乱暴な手つきで正門を開けた。
――同時刻。
鬱蒼と茂る森の中、ぽつりと建つ城が存在していた。その城――鮮血城の前には数十人の武装した兵士たちが隊列を組んで待機している。僅かに木々の開けた正門前に佇む兵士の集団。その正体は先頭に立つガイウスを筆頭とした連合国の近衛騎士団たちだ。兵士達の目は一様に緊張感を孕んでおり、その誰しもが城の正門を睨みつけていた。
あまりにも巨大な城だ。建てられてから長い年月は感じるものの、その古さは一種の荘厳さを生み出していた。城の外壁はその名が示すように赤い材質の煉瓦で構成されている。また古びた彫刻や正門の重厚さは一国の王が所持する城と言われても違和感は無いほどだ。森の中に佇むその城は異様なことに窓と言う窓が数えられるほどしか存在していなかった。高く茂った木々が光を遮り、城の下部は昼間だというのに殆ど光が当たっていない。また城の周囲と正門付近は整地され立派な舗装された道が引かれているが、それも森に差し掛かる部分でそれは途切れている。神官達の巡回用に作られた獣道のような道が僅かにあるのみだ。
ここまで巨大な建造物の存在を知らなかった。いや、もしかしたら王にさえその存在は隠されていたのかもしれない。そうまでして隠されなくてはならない城だったのではないか。そんな不安感がガイウスの胸中に生じた。
「……ここで間違いないのか?」
「はい、間違いありませんフルハイム様。」
ガイウスは連れてきた神官の返答を聞くと一層緊張感に包まれる。
魔物が城を所持する事例など一握りの伝説級モンスターだけだ。これだけの城に住んでいる魔物が弱いなどと言うことがあるだろうか。
…大丈夫だ、連れてきた兵士の腕は良い。それに不安げな様子を部下に見せるわけにはいかない。必死に自分にそう言い聞かせる。
「ふ、フルハイム様ッ!!」
悲鳴にも似た叫びがガイウスの思考を中断させた。内に秘めた恐怖を悟られないように声の主に視線を向けると、先ほどの神官の一人真っ青な顔でこちらを見ている。よく見れば頬を汗が伝い体も小刻みに震えていた。
「……申せ」
「た、たった今城にかけられている最後の封印が破壊されましたッ!」
最悪の状況だ。ガイウスは崩れ落ちそうになる身体を必死に維持してその場に踏みとどまった。魔法に永続効果を持つものはほとんど存在しない。封印の一つだって例外に漏れず時間によって劣化する。だから今回もそれが原因だろうと考えたのだ。しかし二つの封印がほぼ同時に破損するなどあるだろうか。
その報告を聞いた兵士たちが武器を一斉に構えて隊列を組み直しはじめる。表情は優れず淡々と仕事をこなすことで不安感に目を向けないようにしているのだろう。鮮血城の周囲で言葉を発する者はおらず、ただガチャガチャと鎧の擦れ合う音だけが響いていた。
――ギイィィィッ
正門から音がした。
長年開かれることが無かった門。さび付いた鉄の擦れる音が城主と登場を歓迎するように響く。
ガイウスは全身に水を浴びさせられたような恐怖に支配された。苦悶の悲鳴のような音を上げた門に対してではない、僅かに開いた門から漂う圧倒的強者の気配にだ。恐怖に支配された集団は。誰も動くことが出来なかった。戦闘も魔法も得意ではないガイウスにすら伝わるほどの濃厚な気配なのだ、戦場の気配に慣れた兵士たちの動揺はそれ以上だった。
「ほ、本物だ……」
兵士の誰かがそう呟いた。戦闘慣れした精鋭兵すらをも硬直させる気配、最強の魔物の一つである吸血鬼ですらそんなことは可能だろうか。思い出されるのは出発前に冗談交じりに説明を受けた”始祖”という言葉。
兵士たちを押しつぶすような感覚、圧力の中やがて門の開く音が止まる。
城の中から現れた二人の人物を目撃し二度目の硬直が兵士たちを襲った。――あまりにも美しい。現れたのは銀髪のドレスに身を包んだ少女とメイド服を纏う女性だ。上流階級の女性を見ることの多い近衛兵にすら目の前の女性達の美しさからは目を離せない。神の創造した完成された美がそこには存在していた。
あまりにも美しい存在、人間離れしたそれがゆっくりとではあるがガイウスの頭を冷静にさせた。霞に包まれたような感覚にガイウスは頭を振る。
(間違いない、あの銀髪の少女がこの城の”主”だ。)
吸い込まれそうになるのを必死に堪えながらガイウスは少女を観察する。少女の顔に浮かぶのは僅かな苛立ちだ。
(当たり前か、武装した人間が自分の縄張りに侵入したのだからな…)
少女の瞳がこちらを捉えた。
少女の表情から苛立ちが消え真っ赤な口が弧を描く。その口元から少女が人間では無い事を証明する長い犬歯が除いた。超越者が見せるこちらの存在すら否定し馬鹿にするような笑み。
(――嗤った)
ガイウスは少女がゆっくりと右手を上げるのを目撃した。
(ま、魔法だ!)
それにいち早く気が付き硬直からガイウスが逃れられたのは勇気ではない。この国を治める王の一人としての責任だ。
兵士達の装備は教会の洗礼を受けた最高級装備だ。あの吸血鬼にも先手をとって攻撃をすればそれなりの傷を負わせることができるずはずだろう。
「攻撃命令!目標は銀髪の少女、弓兵構え――撃てッ!!」
(えっ、え、何で!?何でっ!?)
セリアは絶賛混乱中だった。
冒険のファーストコンタクトが人間、これは情報収集のチャンスとばかりに近寄ろうとしたところ弓矢を放たれた。
(うぅ…笑顔で手を振って良い人アピールまでしたのに…)
「きっとセリア様のお顔が見るに耐え――失礼、セリア様が怖いお顔をなさってい たからではないでしょうか。」
「……な、泣いてしまいそうだわ」
矢が迫りながらもそんな会話が出来るのはセリアにとって矢は脅威になり得ないからだ。矢の威力自体はどれほどのものかは分からないが速度は見切れるレベルだ。飛来する矢の芯を片手で払うだけで良い。セリアが叩き落した矢が地面に突き刺さるも、セリアとフローラに矢の雨が傷をつけることは無かった。
また、セリアの種族である吸血鬼種は陽の光によって弱体化する。最初の吸血鬼では陽の下でステータスがマイナス30パーセントされる。種族が進化していくたびにこの数値は比例して大きくなり、始祖にいたっては通常時の50パーセントのマイナスを受けるはずなのだ。陽の出ている今、この状態でも回避できる攻撃を最初に受けては緊張感も緩んでしまうというものだ。
自分の背後でフローラがステップを踏んで矢を回避しているのが見える。その動きはまるでプロのダンサーの動きのようだ。得意げな表情でこちらを見ているのはきのせいだろうか。
(……か、カッコいい。よし、私も…)
自分の進化した身体能力にものをいわせステップを踏もうとしていたセリアだったが突如矢の雨が止んだ。兵士達に視線を向けると矢による攻撃は無駄と悟ったのか腰に下げた剣を抜いていた。フローラのほうが目立ってしまったという事実に心折れそうになりながらも"セリア"としての仮面は揺らがない。
「あらあら、それくらいで終わりなのかしら?」
セリアのキャラクターが相手に与えるプレッシャーなど理解できるはずもない。ノリノリでロールプレイを続けるセリアに完全に怯える兵士たち。その様子を冷静に見ていたのはフローラのみだった。恐怖に支配された兵士数人が命令を待たずにこちらに突貫してきた。
「貴方たちだけ武器なんてずるいわね。ふふ、『武装想起:死鎌サタナエル』」
闇の霞が集まり大鎌を形成した。
セリアがセフィロトで選択していた職業は【ソウルイーター】とよばれる職業だ。ソウルイーターは魔法戦士型の職業で、闇を操り特定の武器などを生み出す魔法を得意とした職業だ。しかしこのソウルイーター、セフィロト内では不人気職の筆頭であった。魔法も武器も扱えるという強みはその中途半端さによって打ち消されていたかれである。物理では戦士系職に劣り魔法は魔法使い系職に劣る。パーティーでの戦闘を基本としたセフィロトでは中途半端な職業よりも、自分の出来ることに特化した職業のほうが強いからだ。
セリアも効率より吸血鬼のロールプレイを目指すためにこの職業を選んだに過ぎない。しかしパーティーもおらず何がおきるか分からない異世界という状況。万能型職業の強みは活かせるだろうという確信を持つ。
「ふふ、遊んであげるわボウヤ達」
(やっぱりやっぱり戦闘といえば武器のぶつかり合いだよねっ)
時代劇のような刀のぶつかり合いを妄想しならがら自身に剣を振りかぶろうとする兵士に視線を向ける。狂乱しているのかその目は血走り奇声を上げていた。狙い澄ました一撃ではなく恐怖に支配された剣。セリアからすればあまりにも遅い一撃。仕方無いとばかりにセリアは兵士の剣を目掛けて大鎌を横に一閃した。
鎌が剣に触れた瞬間、剣が折れた。ミスリルを材料とした最高級装備の剣がいともたやすく両断される。剣を折った程度では鎌の速度は落ちることは無かった、そのまま兵士の鎧、最も装甲の厚い胸部の部分に触れた。神官達の魔法が込められた鎧、その鎧が鎌の一撃を受けると音も無く切断されていく。それでもセリアの鎌は止まらない。鎧を切断した一撃はそのまま中身である兵士を切断したのだ。
悲鳴を上げることも出来ずに兵士は己の視界が歪むのを感じた気がした。あまりにもあっけない死の到来。鎌を一閃され腹部から上を失った兵士は血飛沫を上げて倒れこんだ。
その光景を見ていた兵士たちは無意識のうちに悲鳴を上げた。最高クラスの戦士でも魔法で強化された鎧を人間ごと両断できるはずが無い。勝ち目の無い相手に剣を向けてしまった恐怖と自国を守るという矜持の均衡がなんとか逃走せずにその場に踏みとどまさせていた。
実はこの場で驚いているものは兵士だけではなかった。
鎌を振るったセリア本人だ。
(あ、あれ?…あれっ?)
人を殺してしまった罪悪感にではない。むしろ今や異種族となった人間に対する殺人の忌避感はほとんど無くなっていた。セリアの体に内面が引き摺られたのか、自分でもおかしいとは思いつつもそこは納得している。
問題はあまりにも人間が弱過ぎるのだ。自身の鎌で兵士の鎧に触れてもバターをナイフで切断するような感覚が腕を通して送られてきただけだ。昼間の自分ですらこれなのだ。
(もしかしてこの人間が特別弱いのかな…?)
自分でも信じられないような考えを浮かべながら、仲間の死に震える兵士の腕を掴む。完全に戦意を喪失しているようだが実験はしなくてはならない。
「た、助けてく――「ふふ、駄目に決まっているでしょう」――」
懇願する兵士へ今度は鎌で斜め袈裟切りする。悲鳴を上げることすら敵わずに両断される兵士の身体を眺めながらセリアは考える。
「やっぱり弱過ぎる…。それともサタナエルが強過ぎるのかしら…?」
二人目の死亡に我を忘れて突貫した兵士たちにも冷静さが戻ってきたようだ。ようやく逃走を選んだ兵士がセリアに背を向けて走り出す。
「レディのお誘いを断るなんて紳士じゃないのね」
セリアは逃げる兵士に跳躍し距離を詰めれば背中に手刀を突き刺した。戦士としての能力を持つソウルイーターの力で繰り出された手刀はいともたやすく兵士に突き刺さると鎧ごと胸まで貫通した。白く舗装された道に真っ赤な血が飛び散る。
「……かっ…ひゅっ…ぁ……え…?」
「…あら、やっぱり人間が脆いのね」
セリアは確信する。この世界の人間は自分よりも圧倒的に弱い。他の生物がどうなのかは分からないが、この程度であれば人間は脅威になり得ないだろう。
「ぜ、全軍撤退だ、散会しろッ!」
人間の集団の先頭に立っていた初老の男性が叫ぶ。
武器を所持していないところや服装を見るとあの男性が指揮官なのだろう。男性の命令に兵士たちはようやくかと安堵の表情を浮べる。即座に反転した部隊は城を背後に森に散らばろうと行動を開始した。森に散らばれば誰か一人でもこの情報を本国に持ち帰えられるかもしれない。
そんな希望もセリアの一言に砕かれる。
「貴方たちは貴重な情報源なの。逃がすはず無いでしょう」
セリアは手を掲げると笑みを浮かべた。
『スキル:ローズオブガーデン』
あっという間の出来事だった。地面から突如生えてきた薔薇に蔦に兵士たちが次々と捕縛されていく。ローズオブガーデンは上位スキルだ。自分より力の弱いものが逃れられるはずも無い。すでに此処は戦場ではなくセリアの狩り場と化していた。
僅か一つのスキル。
僅か数十秒たらずの時間。
僅か一匹の魔物の手により人間達の部隊は鎮圧された。