【1】 プロローグ
『……グガアアァァァァァァァァッ!!!』
”堕ちた巨竜ガムンヒルド”、その巨体から聞いた者を縮みあがらせるような声が発せられ洞窟内に響き渡った。
二階建てのビルに相当するほどの巨大な黒竜。その叫びは自身の住処である洞窟に不敵にも忍び込んだ一人の少女に向けられていた。
ガムンヒルドの巨体を臆することなく睨みつけている少女。外見は15歳程度だろうか。しかし、その澄ましたような真紅の瞳が外見年齢以上の大人びた印象を少女に与えていた。腰の辺りまで伸びる銀髪は黒いリボンによりツインテールに縛られていて、時折洞窟内の光源に反射しきらりと輝きを放っていた。身に纏う黒いゴシック調のドレスは何枚もの布地が重ねられており、少女の新雪のような素肌を覆い隠している。
凶悪なモンスターの闊歩するこの洞窟には到底相応しいとは言えないその風貌、そして何より不気味なまでの美しさがより一層少女の異質さを際立たせていた。
銀髪の少女――セリアは明らかに敵対の意思を見せる黒竜を一睨する。そして僅かに口元を歪めると、赤い果実のような唇の隙間から僅かに犬歯を覗かせた。
犬歯の長さはおよそ2センチ程度といったところだろうか。特定の職業に就く者がその異常なまでに伸びた犬歯を見れば即座に少女の正体を理解することが出来ただろう。
セリアは右手を垂直に伸ばして空中かざすと、どこか機械的な調子で呟いた。
『スキル:武装想起【死鎌サタナエル】』
するとセリアの伸ばした右手にまとわり付くようにして黒い霞が生み出されていった。その霞は一つの形を形成していく。やがて完成したのはセリアの身長を軽々と越す巨大な黒い鎌だった。鎌の柄には薔薇の蔦が絡むようにして巻き付いており、頂点の部分には赤い薔薇の意匠が施されている。成人男性ですら持ち上げることの困難な巨大鎌をセリアは表情一つ変えずに肩に担ぎ上げた。
「こっちの準備は終わったわ。……さぁ楽しみましょう、大きなトカゲさん」
ガムンヒルドは人語が理解できるわけではない。しかしセリアの明らかに侮蔑を含んだ声と向けられた敵意に反応したのだろうか。唸り声を上げるとセリアに目掛けて巨大な大木を思わせる腕を横薙ぎに振り払った。
「あら、思っていたよりもずっと速いのね」
セリアは涼しげにそう言うと地面を一蹴りしバックステップで距離を離し一撃を回避する。豪快に空振りした風斬り音と巻き上げられた風に僅かに前髪を揺らされセリアは心の中で舌打ちを打った。その巨体から鈍重な攻撃を想像した戦術を頭に思い描いていたセリアにとっては大きな誤算であった。セリアはガムンヒルドの攻撃を紙一重で回避しながら頭の中で戦術を即座に練り直していく。
ガムンヒルドの最大の武器はその攻撃力だ。防御力にあまり自信の無いセリアがまともにガムンヒルドの攻撃に直撃してしまえばひとたまりも無いだろう。
(鈍重な見た目とは裏腹にスピードも持った敵か。なら――)
『スキル:ローズオブガーデン』
セリアがそう呟くとガムンヒルドの足元にたちまち変化が訪れた。洞窟内であるはずの地面が抉れ急速に成長していった。薔薇の蔦が伸びていく。そしてそれはガムンヒルドの黒鱗で覆われた足元に這い寄ると巨体を捕縛するように絡み付いていったのだ。
(蔦の捕縛可能時間は……7秒程度かな。)
セリアは短く肺に残された空気を吐き出すと、蔦で覆われ動きを阻害されているガムンヒルド正面へと駆け出した。そのまま一瞬で鎌の有効攻撃範囲まで距離を詰めると鎌の先端をガムンヒルドへと向ける。
『部分開放:黒翼』
セリアの呟きと共に少女の背中には蝙蝠の翼を髣髴とさせる、両翼の翼が現れた。明らかに人間には異形な翼だが、時折思い出したかのように動きを見せるその翼はセリアの白銀の髪の存在を更に引き立たせ恐ろしいほどの美を演出している。
翼を羽ばたかせ地面を蹴り上げてセリアは跳躍した。翼の羽ばたかせると地面の砂埃が巻き上げられ飛翔に用いられる力の凄まじさを物語る。セリアが跳躍した先はガムンヒルドの眼前だ。ガムンヒルドの燃えるような赤い瞳にセリアの身体が映りこんだ。
「頭が高いわ。平伏しなさい」
飛び上がることによって生み出された加速をそのままに、セリアはガムンヒルドの顔面を目掛け手にした鎌で一刀、縦に振り上げた。ガムンヒルドは悲鳴を上げるとその巨体をよろめかせる。どのような生物であれ、不意を突いた頭上への一撃は完全に防ぎきることはできない、巨大なモンスターを相手にする時の基本戦術だ。セリアは胸中で笑みを浮かべる。今の一撃で隙が生まれた、と。よろめいたガムンヒルドに視線を向けることも無くセリアは追撃の構えを取る。一度だけ宵闇を思わせるその翼を羽ばたかせ現在の高度を維持すると、鎌を右手で肩に担ぐようにして持てば空いた左の手をガムンヒルドに翳した。
セリアの瞳が視界の端でよろめくガムンヒルドの尾がピクリと動くのを捉える。蔦によって捕縛された状態からの一撃だとしてもその重量から繰り出される一撃はセリアに致命傷を負わせるには充分だろう。必殺の一撃が自身に迫るのをどこか他人事のように見つめながらセリアは回避よりも迎撃を選択した。
(…っ…この一撃で終わらせる)
この状況から繰り出せる最高の一撃を即座に選び出すとスキルを発動させた。
『スキル:ブラッディ・クロス』
選択したそのスキルはセリアの持つ即時発動型スキルの中で最も攻撃力の高いものだ。武器に魔力を込め斬撃として飛ばすという単純な効果とは裏腹にお手軽高火力。スキル発動時間も無しのであるブラッディ・クロスではあるが、当然そこまで強いスキルにはデメリットも存在している。ブラッディ・クロス発動後一分間は使用者のすばやさが著しく低下するのだ。そのため、このスキルは戦闘におけるトドメの一撃として利用されることが殆どだった。
(これで倒せなきゃ流石に勝ち目は無いかも)
構えた鎌を左下に袈裟切りすると、その斬撃をなぞる様にして赤い剣圧がガムンヒルドの身体を襲った。薔薇のような美しい赤ではなく、血液を思わせるどす黒さを孕んだ赤。そんな非実体的の斬撃が地面を抉りながら迫り、巨竜に触れるとともにその身体を斜めに引き裂いた。
セリアが地面に着地すると共にガムンヒルドの巨体が地面に倒れこみ、洞窟内に轟音が轟く。やがて巨竜の身体が青く光り、空気に溶けるようにして消えていった。
先ほどまでの戦闘が嘘だったかのような静寂。――"ふぅ"と短く安堵の吐息を吐き出して、セリアは戦闘で僅かに汚れたスカートの裾を手で数回叩く。僅かな汚れであっても放置することは貴族の矜持に欠ける、セリアの行動原理の一つである"貴族らしさの追及"は既に無意識のうちに行える領域へと近付いていた。
セリアは自身の視界、右上の方向に視線を向けた。するとその瞳がどこか虚空を捉える。
「……あら、もうこんな時間だったの。今日はここでログアウトすることにしようかしら」
誰に告げるでも無く一人呟いたその言葉とともにセリアの身体はガムンヒルドが消えた時と同じ青い光に包まる。全身を青い光が覆うとセリアの身体は光に溶けるようにして消えていった。
――『Sephiroth Online』
通称"セフィロト"と呼ばれるこのゲームはアメリカに本社を置くゲームメーカー”SING社”と日本の大手ゲームメーカーが共同開発したMMORPGだ。
中世を基盤に作られた剣と魔法のMMORPG。
プレイヤー達は舞台となるファンタジー世界で冒険者となり、未知なる強敵や財宝を求めて旅に出る、という設定のネットゲームだ。
当初、そのありきたりな世界観であるオンラインゲームに興味を示した日本人は殆ど居なかった。
しかしアメリカで「セフィロトオンライン」が先行発売されたその日、日本のオンラインゲームユーザー達は我先にとその情報を集め掲示板でその情報を共有し合う事になったのだ。
「フィールドマップはあまりにも広く広大であった」、「既存のゲームを集約したと思えるほどプレイヤーが選択できる職業数と種族数は多様であった」、「圧倒的なグラフィックと物理演算を持ったゲームだった」、「一筋縄ではいかない戦闘システムだ」、「無数とも思える装備やアイテムにスキルの存在がありキャラクターメイクだけでも最高のデキだった」、「PCからだけではなく家庭用ゲーム機からの接続が可能らしい」
そんなアメリカ人達のレビューが一晩でネット上に広まり、大手ゲーム掲示板は祭りの様相となったのだ。
その半月後、セフィロトオンラインは満を持して日本でも発売された。
セフィロトオンラインの魅力はその自由度にあるといっても過言ではない。
キャラクター作成時には100を越える種族と500を越える職業という膨大な量の選択肢から一つを選び、自身のアバターを製作することになる。またレベルが上がると共に習得できるスキルもプレイヤーの好みやプレイスタイルにより様々なものを選択することになっていく。例えば同じ剣士であってもスキルの選択によっては大剣を装備した攻撃力の高い重戦士にも、短剣を装備した身軽さと連続攻撃が得意な軽戦士にすることも出来るのだ。
意図してキャラクターを製作しない限り同一のキャラクターに出会う確率はほとんど無く、自分だけの個性を持ったキャラクターを作ることができる、このシステムは日本のネットゲーマー達の心に火をつけた。
予ねてからの期待を裏切ることの無い出来栄えに日本でのプレイユーザー数は瞬く間に他MMORPGを引き離し、ネットゲームといえば「セフィロト」とまで言わしめるほどの知名度を得ることになったのだ。
……ん…っ………あ…れ…?
まどろみの中、セリアの意識はぼんやりと覚醒した。
身体は何処かに仰向けの状態で寝そべっていた。背に当たる冷たく硬い感触。ゆっくりと目を開くものの暗闇の中に居るのか、真っ暗で自身が何処に居るのかもはっきりとしなかった。
「…昨日は…確か水晶洞窟に潜って……ボスの堕ちた巨竜ガムンヒルドを倒して……」
暗闇の中一人呟き昨日の記憶を遡るも、記憶に靄が掛かったような感覚でどうにもログアウト以降の記憶がはっきりとしない。
「…んー…寝落ちしちゃったかな…?」
寝落ちとはいってもボスを倒した記憶はある。セリアを仮に放置してしまっているとしてもモンスターの居ないボスのエリアだ、危険は無いだろう。それにパーティーを組んで冒険をしていたわけじゃ無いし大丈夫、そう考えながらセリアはゆっくりと身体を起こしていった。
セリアは「セフィロト」の知る人ぞ知る、有名プレイヤーというやつだった。
ログインできる時間はほとんどセフィロトのプレイにつぎ込み、日常=セフィロトといっても過言ではないヘビープレイヤーであったセリアだが有名な理由は強さだけではなかった。勿論セリアはその膨大なプレイ時間からセフィロトでの限界レベルである100に達していたが、そのマニアックともいえる種族と職業構成から最強クラスのプレイヤーにはなり得なかったのだ。
セリアが有名だった理由はセフィロト内で珍しいロールプレイヤーだったからという部分が大きい。ロールプレイとは特定のキャラクターの真似や仮想人格を生み出してそれになりきった言動のプレイをしたり、それに合せたスキル構成にするプレイであるがセリアはその筆頭ロールプレイヤーであった。
「高飛車系お嬢様ロール」をしているセリアは男性プレイヤーの支持のみならず女性プレイヤーからも一定の支持を得ている。またセリア自身の美しさもその名を広める大きな要因だった。「セフィロト」のキャラクター設定はかなり細かい部分まで作りこむことが出来る。細か過ぎる設定項目は美男美女を作ることを容易に可能としていたが、一定以上のレベルの美形を作るのが難しいシステムと言われていた。セリアは丸3日という膨大な時間をキャラクター製作のみに費やす事で美術品ともいえるような美少女を作り出したのだ。
仰向けに眠っていた身体を起こしていくと直ぐに何か硬いものがセリアの頭に触れた感触がした。
疑問に思い硬いものの周囲を手で触れると、何やら冷たい壁に近い感触を持った人工物のようだ。
……え? 何でこんなところに壁があるの?
寝所のこんな場所に普通壁などあるだろうか?それも顔のすぐ間近に。
自身のおかれた状況が普通ではないのかもしれない、背筋を走る冷たい感触に寝起きでぼんやりとしていた意識は一気に覚醒した。
…何処ここ?
疑問は尽きないが、先ずはこの場所の正体を探る必要がある。セリアは目の前に存在する壁のようなものに手を当て強く押してみた。
――ガコンッ
予想に反して目の前の壁は少し力を入れて押すと、鈍い音を立てて押し戸式の要領で開いていった。
セリアは今まで自分が何か箱のようなものの中に仰向けで寝ていたのだと理解する。
箱の蓋を開いたことで光が差し込んだ。
光は其処まで眩しいほどのではなく、暗闇を照らすぼんやりとした光の小さな街燈程度。しかし今まで暗闇の中に居たセリアにとっては目が眩むほどの光量だ。
混乱する頭を必死に稼動させながら手探りでこの場所の手がかりを探る。
「……だ…れ?」
光の中に何者かの存在を感じ取りセリアはそう尋ねた。
誰かが此方を覗き込むようにして見ている。
徐々に光に目が慣れてきた。
視界がはっきりとしていき、徐々に周囲の様子や目の前の人物が認識できるようになっていく。
こちらを覗き込んでいた人物の正体は青髪のメイドだった。
年齢は20代前半程度だろうか。白と黒のクラシックなメイド服を着込んでいるが、よく見ると僅かにフリルなどによる改造された痕跡が見て取れた。瞳はサファイアのような透き通った青で、どこか冷たい人形のような冷たさを内包しているようだ。セリアが思わず見とれてしまうほどの美人メイドがこちらを覗き込んでいる。
「…メイド……メイド……え、えぇっ、メイドさんっ!?」
セリアの思考回路はこの理解不能な現状にショート寸前。日本でメイドさんが居る場所なんてメイド喫茶以外には知らないし、そもそもメイド喫茶に住んではいなかったはずだ。それに青髪青目なんてアニメでしか見たことは無い。
セリアの困惑をよそに涼しげな表情でメイドは口を開いた。
「――おはようございます、セリア様」
この作品が初投稿になります。
至らない部分が多々あると思いますがご容赦くださいませ。
皆様の感想やご指摘等頂けると作者のやる気がぐーんと上昇します。
くれると嬉しいなぁ……。(ちらっ