【11】 渇き
「ははっ、フルハイム殿。始祖とは随分とまた……」
「有り得ぬ、とは言いませぬが少々現実味に欠けますな」
「その通りだ。この城から向かえる距離とはいえ、辺境の地だぞ?始祖はおろか、吸血鬼すら居ないはずだ」
「うむ、大方封印されていた魔術士が吸血鬼を名乗っていただけだろう」
ラディア連合国に所属する各国の代表達がガイウスの報告を笑い飛ばした。
先日の会談と同じ場所、同じメンバー。しかし表面上は笑顔交じりに行われているこの会談も内にはピリピリとした緊張感といった類のものが混じっていた。
(チッ、そこまで上手い汁を吸っていたいのか、この連中は……)
ガイウスは胸中でそう呟くと机の下に隠された拳を苛立たしげに握り締めた。
事前にガイウス達遠征隊の報告は確かな機関を通して各国代表に伝わっているはずだ。
つまり代表達の反応は自分達のスタンスを示しているのに過ぎない。
他国の代表達には分かっているのだ。ガイウスの報告に偽りは無く、吸血鬼の存在が事実なのだと。その吸血鬼が始祖とまでは信じていないだろうが、ガイウスがこうした報告に偽りを交える男ではないことは彼らが一番良く分かっていた。
分かっていたうえで”吸血鬼”という強大な魔物の存在を”居ないもの”として扱いたいのだ。
(国の一大事だぞ、どこまで能天気な連中なのだッ)
ガイウスには目の前の代表たちが何を考えているのかが手に取るように分かった。
吸血鬼の存在を認め、討伐ともなろうものなら軍を動かす必要がある。しかし簡単に軍を動かすとは言ってもそれに伴う費用は莫大なものになる。兵糧、武器、消耗品、――そして戦死者の補償費。そうなれば当然討伐後には少なくない期間、経費削減、出費自粛といった動きが行われる。税金や国費で美味しい思いをしている貴族や王族達はそうした動きで自分達の暮らしを阻害されることを恐れているのだ。
(……救いようが無い、まさしく国の膿みだ)
ラディア連合国は数カ国が集まった連合国とはいえ、その正体は弱小国の集まりであり、その国力は他国と比べても微弱だ。無論軍隊も存在しているが、一部の精鋭たちを除き錬度も数も貧弱と言える。
そんなラディア連合国が戦争に巻き込まれないのは国民と国民の同士の繋がりや商家の貿易関係のおかげだ。
逆に言えばその程度の細い繋がりしか存在していない。
(事実、各国に潜っている諜報部隊からも”ラディア連合に向けて出兵の動き有り”という報告もあるというのに……)
ガイウスは隠そうともせずに溜息をついた。
どうせ苛立たしげな表情が表に出てしまっているのだろう。この程度は今更問題無いと内心で吐き捨てる。
セリアという強大な敵をアピールし軍備を拡大。最低限の防備を揃え攻め込まれる隙を無くして国と民を守るという考えは、国と民よりも自身の贅を優先する連中の手によって潰された。
「とはいえ、封印されていた魔術士の討伐は必要ですな」
「冒険者ギルドにでも依頼を出せば良いじゃないか」
「おおっ、それは良い考えだ」
「魔術士相手ならやはり”雷光だな”」
「いやいや、”四神烈火”の連中も悪くはありませんぞ」
「それも悪くは無いがワシは”散花”を見てみたい。くくっ、相当な美人とのことだ」
「ほぉ、それは中々に興味深いですな」
軍という複数を動かすよりも、冒険者という個を動かす方がずっと安い。
代表達の目的は今やいかに安い金額でトラブルを解決するかに移行している。
その会談からは既に緊張感と言うものは霧散していた。
楽しげに語り合う代表たちをガイウスは一人、冷めた目で眺めていた。
「――セリア様、顔色があまりよろしくないように見えますが?」
私の顔を覗き込むようにして、隣に座るフローラが問いかけてきた。
もともと日光を嫌うため、もはや病的といえるほどの白い肌だ。それでもまだ顔色が悪く見えるのだから、どれほど顔色が悪いのだと小窓に反射する自身の顔を覗く。
「そう、そんなに顔色が悪いかしら」
「はい、セリア様のお顔が悪い……失礼しました、お顔色は普段よりもずっとよくありません。慣れない馬車での移動で酔われたのですか?」
「そんなことはないわ。気にしないで頂戴」
吸血鬼に酔いや旅疲れという概念は存在していない。
フローラもそれが分かっていて聞いているのだろう。
フローラからの視線から逃れるようにして私は再び窓の外へと視線を向ける。
窓の外はすっかり夜の帳が下り、星々の光と時折思い出したかのように道の端に立てられた街灯の灯りが顔を覗かせていた。
今私たちが居るのは天蓋の取り付けられた馬車の個室の中だ。
馬車の目的地は聖ドミリア教国領内のカイナ村。
「そろそろ、到着しても良いのだけど」
現在馬車が走っているのは恐らく街と街を繋ぐ街道だ。
そこまで頻繁に使われることないのか、周囲には他の馬車はおろか人の気配すら感じられなかった。
予定通りに進んでいればそろそろカイナ村に到着してもおかしくない時刻だ。セリアは窓の景色を眺めながら僅かに肩を落とす。
(街が近いのに街道に人の手が行き届いていない。これはちょっと残念なところに来ちゃったのかも……)
あまり舗装の行き届いていない道を走っているはずの馬車だがセリア達の座る個室の中までその揺れが届くことはなく、その快適さはある程度の身分、もしくは客人用の馬車という事を示していた。
無論こんな高級な馬車、それも国外であるはずのカイナ村行きの馬車を偶然捕まえられるはずもない。
たまたまディナトールを通りかかった馬車を捕まえ、吸血鬼の種族スキルである『魔眼』で御者を魅了し操ったのだ。
(少しだけ名前も知らない御者さんに罪悪感を覚えなくも無いけど。まぁしょうがないよね)
誰にするわけでも無い言い訳を胸中で呟きながら、私は微かに感じる馬車の振動と地面を蹴り上げる蹄の音に身体を預けると瞼を閉じた。
――そうすることで、ジワジワと私を蝕む飢餓感を紛らわせる。
明らかな”飢え”。
それを明確に感じたのはディナトールを出てから直ぐのことだ。
馬車を捕まえ御者に『魔眼』を使用するため顔を覗きこんだ時、私の中の何かがゆっくりと首を上げた。
――飢餓感。はっきりと言うのであれば身体が猛烈に血を欲している。
その欲求はこの世界に来てからずっと私を蝕んだ。
そして今では流血しているわけでもない通常の人間から血の臭いを敏感に感じ取れるほどになっていた。
「うぅっ、お腹空いたぁー…。吸血鬼ってのも不便だなぁ……」
今までは食事を取ることで目を逸らしてきたが、吸血欲求と食欲はどうやら別の欲求らしく誤魔化しが効かなくなってきている。
血がないと思われるフローラはともかく、前方で馬の手綱を引く御者すら美味しそうな匂いが漂ってくるほどだ。
いや、勿論御者が居なくなったら道が分からなくなるし吸血なんてしないんだけどね。
「血液、でしょうか?」
「……えぇ。正直かなりお腹が空いたわ」
「畏まりました。非常に面倒ですがカイナ村に着いたら調達してきます」
「……お願いするわね」
ツッコミを入れる余裕も無いです、はい。
ぐでー…。
吸血による『眷属化』が発動する可能性も考慮すれば、安全に血を飲むには人間を捕まえて抜いた血を飲むしかない。
無論、『眷属化』が自身の意志を問わずに発動する可能性は低いし、仮に『眷属化』が発動し眷属が暴走してもフローラと2人であれば充分に鎮圧可能だ。
だが、これはゲームでは無く現実だ。0に出来るリスクは0にした方が言いに決まっている。
「……全く、眷属化なんてスキルを作ったゲームデザイナーをブン殴りたいわね」
「セリア様?」
「いや、何でもないわ」
おっと。いけない、いけない。
お腹が空くと素の自分が出そうになる。
私とフローラがそんな会話をしていると、微かに感じていた振動が止まった。
どうやら馬車が目的地へと到着したようだ。窓の外を覗くと先ほどまで走っていた道とは異なり心なしか舗装の行き届いた道へと出ている。馬車の正面、ここからで見えないが馬車と室内を遮る布の隙間から灯りのような光が差し込んでくる。
暫くすると御者の青年がセリア達の居る個室の扉を開けた。
御者はセリアに向けて一礼すると道を譲る。
「…セリ…ア様…、カイ…ナ…村へ…到着い…たし…まし…た…」
「ご苦労様。貴方はもう用済みだし、この事は忘れてディナトールへ帰りなさい」
「畏…まりま…した…、セ…リア…様…」
私は虚ろな目でぼそぼそと囁く御者を横目に追従するフローラに視線を向ける。
「従順で口汚くない従者って良いと思わない?」
「全くですね、セリア様」
「……貴女のそれはいっそ清清しいくらいだわ」
「お褒めに預かり光栄でございます」
このやろうっ。
私が馬車から顔を覗かせると眼前にカイナ村と思われる村が目に入った。
どうやら町の正門に馬車は止まっていたようだ。
ディナトールとは異なり豪勢な門は無く衛兵の存在も無い。畑が点在しており、町の外からでも農村だと分かった。また非常に簡素な村ではあるが活気が無いと言うわけでは無く、深夜だと言うのに人々が町を楽しげに歩いていた。
「道中ではどんなところかと思っていたけど、治安は悪くなさそうね」
暗く質素な村をお散歩しなくてはならないと落胆していた私にとってこれは朗報だ。
今日は少し町を見て、明日からクロード探しを始めよう。うん、そうしよう。
今日の予定を頭の隅で構築しながら、馬車の扉をくぐって外に出る。
少し冷え込んだ夜風が私の頬を撫で、町の温かな灯りに目を僅かに細めた。
うん、悪くないっ。
何だかゲームとかの一番最初の村って感じだね。
「ド田舎でございますね」
「それがいいんじゃない。ロマンよ、ロマン」
「私には分かりかねますが」
私は久方ぶりの外の空気を楽しもうと空気を思い切り吸い込む。
この世界で空気が悪い場所なんて無いと思うが、少なくとも日本よりはマシだ。
――――――ドクン
胸が大きな鼓動を一つ刻んだ。
鼻腔をついたのは
土の臭い
植物の臭い
野生動物の臭い
家畜の臭い
人間の臭い
血の臭い
血の臭い
血の臭い
血の臭い
血の臭い
血ノ臭イ
血ノ臭イ
血ノニオイ
チノニオイ
頭が沸騰する。
御者一人でもあれほど空腹を意識させられたのだ。
これほど大勢の人間が居る場所に耐えられるはずがなかった。
自分の渇きがこれほどまでだとは思っていなかったとはいえ、これは完全に私の油断だ。
そんな後悔もすぐさま血への渇望で塗り替えられていく。
視界が歪む。
欲しい。
血が欲しい。
血が欲しい。
私はその場に跪くようにして崩れ落ちた。
隣でフローラが私の名前を呼ぶ声が微かに聞こえる。
血
血血
血血血血血
血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血
――――――血。
自分の意思とは無関係に燃え上がる欲望に身を任せ
――私は意識を手放した。