うさぎ、森に入る
鼠人退治。
要するに、何処かに鼠人の巣があるので全滅させて来いという内容である。
冒険者たるもの、避けては通れない依頼だ。鼠人というのは世界中のどこにでもいて、いつだって我々と敵対している。そして、いつでもどこでも鼠人の討伐依頼は絶えることなく、冒険者の手を必要としているのだ。
先達曰く。鼠人退治は討伐依頼の基本であり、いかに完璧にこなすかによって、その冒険者のレベルが分かるという。巣に関する情報収集、巣までの移動やキャンプ、そして巣の攻略などの一つ一つの仕事の質が求められる。プチダンジョン攻略と言ってもいい。駆け出しの冒険者はまず比較的平和な土地でこういった討伐依頼をこなし、基本を学んだところで、徐々に難易度も重要度も高い依頼をこなすようになって行くのである。
まあ、何はともあれ、まずは我々の鼠人退治だ。
情報収集自体は既にジェフリーがほとんど済ませていたのだが、何事も経験ということで新人が追加や裏付けとして各自情報を集めることになった。とりあえずお約束ということで、ギルドに問い合わせたり、酒場で噂を聞くなどしてみた。
そもそも依頼を出すに当たり、ギルド側である程度の場所や数などの調べは付いているのだ。しかし、そこで満足せずに噂を集めたおかげで、最近殺気立った狼の姿をよく見かけるという情報を得ることができた。ロゼッタ曰く、こういう些細な噂が後々になって自分の身に降りかかることがあるので注意せよ、とのことだった。
いよいよ情報を手にいれ、旅の支度をした我々は出発することにした。
巣の場所は西の森。街から半日ほどかかる距離にある。それほど遠くないし、大きな荷物もないので、馬車を使うまでもなく徒歩である。兎人の体は人と比べて小さいので体力的にも歩幅的にも少々心配されたが、これでも獣人の端くれ。魔力で補助もするので問題ないと説き伏せた。
この夢が始まってから街に着くまでも半日ほどだったが、その時と違って今は仲間がいる。そして、冒険者として討伐依頼に向かっている。仕事とは言え、現実では味わえない雰囲気に、鼻歌も出ようというものだった。
◆ ◆ ◆
「フンフンフンフ〜ン♪」
一行が鼠人の巣へ向かって徒歩で移動していると、ノノが鼻歌を歌い始めた。少々緊張感が足りないような気もするが、ここはまだ街道沿いで視界も開けている。この辺りは危険な生物もいないし、特に大きな問題にはならないだろう。
「おっ、意外と上手いじゃねえかノノ。よーし、じゃあ俺も自慢の美声を披露と行くか!」
「貴方は警戒を怠らないでくださいまし」
ジェフリーが便乗しようとしたが、ロゼッタにジロリと睨まれる。
「何だよ硬いこと言うなって。お前が警戒してれば大丈夫だろ?」
「わたくし一人が警戒して、貴方が気を抜くというのが単純に腹立ちますの。それに、貴方のダミ声で新人たちの士気を落とすわけにはいきませんわ」
憮然とした態度を崩さないロゼッタ。ジェフリーはちっと舌を打つ。
「かーっ、なんだいなんだい。こういうのは下手でも場の空気を盛り上げようとする心意気ってもんが大事なんじゃねえか。なあジャスティン?」
と、ここでジャスティンに振ってきた。
「は、はあ」
ここで振られても困る。明らかに顔がそう告げていた。シェリーはえへへと愛想笑いをしている。
「新人に無理言うものではありませんわ。貴方は大人しく警戒してなさいな」
「はあ、みんな硬いねえ。そう思わないかノノ……」
そのノノは鼻歌は続けながらも、どこかを見つめていた。鋭い視線は遥か遠くを貫いている。それを辿ると、背の高い草むらの中にか細い二対の光が瞬いている。
何者かがこちらを観察していた。
(この距離から気が付いた!? 野伏であるわたくしより先に?)
馬鹿話をしていた二人だったが、警戒は怠っていなかった。それなのに、鼻歌を歌っていた筈のノノが真っ先に気がついたのだ。獣人には優れた野生の勘があるとは聞いたことがあるが、それともまた違う気がする。
何者かはしばらくこちらを見つめていたが、急に怯えたようにびくりと飛び下がり、やがて逃げて行った。
(こちらが気がついたので退いた? それにしては様子が……)
『おい、気が付いたか』
去って行った者の動きに戸惑うロゼッタ。そこへジェフリーが耳打ちをしてきた。
『え、ええ。四足獣ですわ。恐らく鼠人に飼い慣らされた狼でしょうね。わたくしたちの匂いを感じ取り、偵察に来たのでしょう』
遅れを取ったとはいえ、こちらもそれなりの修羅場を潜ってきた野伏なのだ。今の一瞬だけでも、大体のことは読み取れた。だが、急に退いた理由が分からなかった。我々に恐れをなしたとも思えない。
『それだけじゃねえよ。周りを見てみな』
『周り? …………こ、これは!?』
去って行ったのは先ほどの狼だけではない。毒虫や蛇が、獣たちが、慌ててパーティから離れて行く。いや、正確にはノノから離れようとしているのだ。
その原因は明らかだった。
『呪歌だ。道理でいい声してるわけだ。吟遊詩人も齧ってやがったとはな』
呪歌。魔曲とも呼ばれ、吟遊詩人が奏でるそれは、聴く者たちすべてに魔法のような様々な効果をもたらす。ある時は味方を鼓舞し、普段以上の力を引き出させる。またある時は敵を呪い、十分に戦えなくしてしまう。そしてまたある時は、今のように敵や災いを遠ざける力を持つのだ。
「なんだか元気の出るいい歌ですね! 何ていう歌なんですか?」
いつの間にか一緒になって鼻歌を歌っていたシェリー。ジャスティンも心なし足取りが軽そうだ。
「とある村で、災いを遠ざけると伝えられてる魔除けの歌なの。こうやって口ずさんでいれば、きっとこの仕事も無事に終わるの」
まるで民間伝承で験担ぎしているかのように言うが、明らかに効果があると分かって歌っている。非常にうっすらと使っているためにかなり気が付きにくいが、鼻歌に魔力が乗っているのだ。呪歌が発動している証拠だった。
『やはり、タダもんじゃねえよなあこいつは』
にやりと、獲物を見つけた肉食獣のようにジェフリーは笑った。
ロゼッタは、彼のそんな顔を見るのは本当に久しぶりだった。数年前の仲間たちとの最後の大冒険から、どことなく覇気を失っていたようなジェフリー。それが、駆け出しの頃お宝や怪物の話を聞いた時のように蘭々と目を輝かせている。
(確かにこの子には何かあるのかもしれませんわ)
身に付けた技能は自分を裏切らない。だが、人間には年や身丈相応の器というものがある。身に付けられる技能とは、所詮器に収まるほどでしかないのだ。
自己紹介にあったのは白魔術師、黒魔術師。それに加えて推測されるのが野伏に吟遊詩人。もしかしたらそれ以上の技能を習得しているかもしれない。だがそれは、ノノの年齢どころか人族として異常なことであった。
ベテランである自分たちでも計り知れない何か。それをノノが持っているのは最早確信だ。
(けれど……、その何かは、一体わたくしたちに何をもたらしますの……?)
能天気な顔で鼻歌を口ずさむノノ。その横顔を見ながら、言い知れない不安に襲われるロゼッタだった。
◆ ◆ ◆
レーダーというのは便利なものだ。
ゲームでは、画面の隅にPCとNPCの位置を示すレーダーが表示されていた。とはいえそのインターフェースは非常に簡素で、方角が分かるとか、一部の特殊なスキルで追跡用のアイコンが出るなどの、ちょっとした小道具に過ぎなかった。
だが、この世界ではもちろん画面というものがない。そのため、レーダーは第六感としてこの身体に備わっていた。いつどんな時でも方角が分かるし、画面の広さという制限があった時とは違い、かなりの広範囲まで感知ができる。距離や正確さでは、野伏などの探知系技能よりも優れているかもしれない。
ちなみに歌っていたのは、同じ制作会社の別のゲームの敵のエンカウント率を下げる歌だ。正確には、その能力をゲーム中で使った際に流れてくるBGMである。軽快な曲でいつまでも聞いていたくなるし、面倒な戦闘を避けられるので重宝していた。呪歌のように適当に魔力を込めて歌ってみたが、まあ本当に効果が出るわけでもあるまい。シェリーにも語ったが、この先面倒なことが起こらないようにとの験担ぎだ。
それからも移動を続けたが、歌が功を成したのか特に何事もなく森に着いた。懸念していたスタミナ切れや魔力切れもなく、あとついでに結構な時間歌っていたにもかかわらず、喉の渇きもそれほどなかった。これが夢の中だからなのか、吟遊詩人の技能故かどうかは分からないが、今の自分は対外的には新人冒険者のはずなので、適度に水分補給はしておいた。
さて、鼠人退治の始まりだ。旅用の装備から戦闘用の装備に切り替え、武器をいつでも取り出せるようにしておく。まずは作戦の説明がてら、しばし休憩に入ることにした。
「さて、改めて依頼を再確認しますわ。ジャスティンに説明してもらいましょうか」
はい、と頷き、説明を始めるジャスティン。
事の起こりは一週間ほど前。街道を通行中だった商人の馬車が、鼠人の野盗の襲撃を受けた。幸い護衛がいたために対した被害もなく追い返すことができたものの、鼠人たちは森の方に逃げて行った。その後の調査で、どうやら巣があるらしいことが判明。野盗として現れたのは三体。巣にいる鼠人の平均的な数から考えると、少なくとも五体、多くても十体ほどと思われる。
一匹一匹はそう強くないが、数が多いと厄介だ。幸い、この地では定期的な討伐がされているためにそこまで大きな巣は無いはずだが、万が一ということもある。達成に大きなリスクが伴うと判断したら、即座に撤退しなければならない。ここで引き際を誤り、命を落としてしまう駆け出しもいるという。
「ま、今回は俺たちもついてる。本当にやばい時は本気を出すから安心しな」
とはいえ今回はベテランが付いてるので、最悪撤退はできるだろう。
「ですけれども、油断は禁物ですわよ。確かにわたくしたちはそれなりの手練れで、鼠人など軽く蹴散らせますけれど、最後まで何が起こるかわからないのが人生というものですわ」
今この瞬間に、竜が現れて火を吹き我々を焼き尽くす……なんていうのは流石に極端だが、住処を追われるなどしてこちらに流れてきていた危険な獣がうろついていて、我々が鼠人と戦っている隙に背中から……ということは十分ありえる。
それに、噂に聞いた狼の話と、道中見かけた獣から推測すると、鼠人は狼を飼い慣らしてペットにしているようだ。殺気立っているらしいことから、何か目的があるのではないかと思われるが……情報が足りない。できれば鼠人を一匹生け捕りにして、聞き出したいところだ。
「さて、それじゃあ森に入ってからの行動だが……」
ジェフリーが討伐依頼の流れの説明を始めた。索敵のこと、森を移動する時のこと、巣を見つけた時のことなどなど……。
それを聞きながら、頭の何処かで考える。道中見かけたのは狼で間違いないようだが、あれは単に人族を観察していたのだろうか? どうもこっちを見ていたような気がする。それも、怒りだとか憎しみだとか、そのような負の感情が視線に乗っていた。
今までに、そのような恨みを買う機会があっただろうか? ……無い、と思う。そもそもこの夢を見始めてからは大人しいものだ。地味な依頼をこなしながら街中を歩き回る程度のことしかしていない。
なので魔法を使うような機会も当然…………あ。
いや、まて、あの時は周囲に大きな生き物はいなかったと思う。ちょっと注意が足りなかったかもしれないが、何かを殺すだとか傷つけるようなことは無かった……と、思いたいが……そうでもないのかもしれない。
……………………。
万が一の時は、ちょっと本気を出そう。うん。
◆ ◆ ◆
「ぎいっ!」
鼠人が唸り声をあげ、粗末な武器を振り回しながら突進する。だが、そんな子供の喧嘩のような攻撃など、彼にとって暴力の内に入らない。すい、と体を軽く移動させるだけでやり過ごし、背後から一閃。
「ぎひあっ!」
あっさりと致命傷を受け、鼠人は倒れ伏した。
「ガアッ!」
そこへ影が飛び出し、鼠人が討ち取られた瞬間を狼が狙う。
だが、彼は一人ではない。
「《突風》!」
ごう、と強い突風が吹き、狼に叩きつけられる。
少女が咄嗟に組み上げた呪文が風を生み出し、狼の体勢を崩したのだ。単なる風なのでダメージはない。すぐさま立て直そうとするが、それだけで彼には十分な時間だった。
すぱ、と狼の首を刃が通り過ぎ、断末魔をあげることなく永遠に沈黙する。そのままよたよたと数歩歩くと、ぐたりと崩れ落ちた。
そして、彼と彼女を除き、動くものは何も無くなった。
だが、最後まで油断はしない。耳を澄ませ、周囲を観察し、敵対するものがもうこの場にはいないと十分に確認し終わって……ようやく息を吐く。
「ふう、とりあえずは全て倒したようですね」
「はーっ、緊張したあ……」
ジャスティンとシェリーのコンビが、本日の初戦闘を終えて警戒を解いた。
「お見事! 言うことなしですわね。ちょっと緊張し過ぎですけれど、経験を積めば自然と肩の力も抜けるでしょう」
ロゼッタは優秀な新人たちに満足し、笑顔で頷く。
「お、そっちは終わったか?」
そこへ、鼠人を一匹捕まえて尋問していたジェフリーが戻ってきた。
「ええ、何も問題ありませんでしたわ。そちらはどうですの?」
「ま、巣の場所以外は推測通りの情報しか出なかったよ。最近狼をよくみかけるようになったんで、飼い慣らしてペットにしてたんだと」
尋問に使ったのか、血の付いたナイフを拭きながら答える。
「ふむ。まあ推測が当たっていたことを確認できたので良しとしましょうか」
鼠人に妙な嘘を付くほどの知能は無いし、その余裕もなかったはずだ。
そこへ、鼠人の耳や尻尾を採取していたシェリーが尋ねてきた。ちなみにこういったものは、討伐の証明や錬金術の素材となったりする。
「そういうのってよくあるんですか?」
「そう珍しいことではないですわ。とはいえ、狼をよく見かけるようになったということは、何かしらの原因があるのでしょうが……鼠人どもが知っているとは思えませんわね」
生きる力が優れているということは、その土地で手に入る物や動物を活用する術に優れているということでもある。大抵の鼠人は森に住んでいるので、今回のように何らかの動物を飼い慣らしていることがあるが、時々とんでもない所に住み、とんでもない習性を持つ鼠人がいたりするので侮れない。
しかしあまり賢くはなく、何かが手に入ることを喜びこそすれ、その原因を深く考えることはない。今回の狼の件についても知っていそうもないだろう。
「……………………」
ところで、ノノがずっと静かだった。
森に入ってから何か考え込んでいる。警戒は忘れていないので注意はしないが、何か気がついたことがあるのかもしれない。
「何か感じていますの? 貴女の感覚はなかなか優れているようですし、気が付いたことがあれば言って御覧なさい」
「……うーん、それなら念の為に言っておくの」
俯いて口籠っていたが、結局言うことにしたのかロゼッタの方へ顔を向けた。
「森に入ってからどうも、ずっと見られている感じがするの。でも気配を捉えきれなくて、確信が持てないの」
「ふむ。やはりあなたも気がついていましたのね」
「それだけじゃないの。どうも見られてるのは私みたいなの。でも心当たりがないの」
ノノは心中の不安を告げる。ロゼッタはもちろん気が付いていたが、彼女にもその気配を捉えきれないので警戒するに留めていた。
得体の知れないところがあるが、それでもノノは魔法使いなのだ。戦闘から守るために後ろに下がらせて、その更に後ろからこの気配の主に襲われてはひとたまりもない。少なくとも、この森から出るまで警戒を緩めない方がいいだろう。
「食いでがありそうだからなあ。狼どもに狙われてるんじゃないか?」
当然本気で思っていないが、ジェフリーが笑いながらそうからかった。
「そうなの? でも太ってはないと思うの。兎人なら普通なの」
そう言いつつも少し気になるのか、自分の胸をもにゅもにゅと揉んだ。ついそれを見つめてしまう一同。
「……………………」
「……うん? 何なの?」
「……あーいや、その、何だ」
ノノの意外な行動に思うところがあるのか、煮え切らないジェフリー。やがておずおずと口を開いた。
「お前って意外と着痩せす……」
げす。
「うぐっ!」
すかさず蹴りを入れるロゼッタ。
「バカなこと言っているんじゃありませんの。ノノは気にしないでくださいまし。このデリカシーのない男はあとでシメておきますわ」
「はあ、よく分からないけど分かったの」
ノノは首を傾げたが、気にしないことにした。
「ね、ね、ジャスティン。ノノさんって意外と肉付きがいいんだね。兎人の人って皆そうなのかな?」
「そ、そうなんじゃないのかな? 僕はよく知らないけれど」
顔を背けて警戒するふりをしているジャスティンに、ひそひそと耳打ちするシェリー。耳を赤くしている青年に対してからかっているようだが、悪気は無いようだった。
「いてて……ま、気にしていても仕方ない。巣の場所もわかったんだし、とりあえずはそっちを優先しようぜ」
先ほどの蹴りがいいところに入ったのか、まだ尻をさすっているジェフリーが提案する。
「そうですわね……。万が一に備えてわたくしたちが警戒しておきますわ。あまり時間をかけると日が暮れてしまいますし、先を急ぎましょう」
ロゼッタも同意し、一行は鼠人の巣を目指すことにした。
◆ ◆ ◆
覚えのあるにおいは、移動を始めた。
それを追い、そいつも移動を始める。
だが、その動きに音はない。
暗黒の世界の中で、すべてを把握しているそいつは何もかもをすり抜けるように、においを追う。
然るべき報いを与えなければならない。
後を追う。絶好のタイミングを待つ。
その時がきたら、肉を喰らい、骨を砕き、激痛と死を持って落とし前をつけさせよう。
狼よりも巨大な影が、気配無くパーティの後をつけていた。