うさぎ、噂を聞く
──駆ける。
決して急がず、しかし素早く行動する。人に触れぬよう、装備に振り回されぬよう最小限の動きで人の波をするするとすり抜ける。
忍者が技能の一つ《影歩》。
一般人には視界の端に一瞬影が見えたくらいにしか思わないであろう。兎人の種族特性により足音もほぼ無音である。常人に気付かれるようなヘマはしない。
──目標確認。
周囲を見渡し、人が注目していない事を確認する。音も無く気配も無くある家屋に忍び寄る。その中に人の気配があることを感じ取ると、軽くノックする。返事があった。こちらからも返答する。
「お届け物でーす! オーランさんにワインが届いています!」
「おー! 待っとった待っとった! ありがとうな、嬢ちゃんや」
目標に例の品は渡した。これより帰還する!
「ただいま戻りましたーなの!」
「おー、お疲れさん。相変わらず早いなぁノノちゃんは」
ここは王都内のとある運び屋。依頼を受けて荷物を運んでいたのだった。一見すると冒険者の仕事ではない──どころか子供にもできそうに思える──が、貴重品を届けたり要人への届け物の場合は、強盗や襲撃を警戒して腕の立つ冒険者を運び人とすることもあるという。
店長であるクインタさんに挨拶して、背負っていた荷物鞄を置く。担当の荷物は配達し終えたのでしばし休憩だ。休憩スペースのベンチで伸びをしていると、事務のお姉さんからお茶が差し出された。ありがたくいただく。それからも他のスタッフのおばちゃんやおじさんから褒められたり飴玉を貰ったりする。……いや、あの、完全に子供扱いしてますよね。
そうしてしばらく休憩していると、外からどたばたと足音がして青年が飛び込んでくる。
「イェーイ! 今日は最速記録! 今度こそはウサちゃんを抜いてナンバーワン……じゃなーい!?」
「おや、ピーターおかえり。今日はかなり早かったねえ」
「早くてもナンバーワンでないと意味がねえっス! ノノの奴が配り終えてどれくらい経っているんスか!?」
「まあのんびりお茶を飲んでそれなりに過ごしたくらいかねぇ」
「チックショー!」
彼は運び屋のピーター。冒険者ではなく正式なスタッフの一人である。依頼を受けて手伝いをしている私に張り合っているのか、何かと速さを競ってくる。
「何故だ……俺は運び屋としてまだまだ未熟だというのか……」
「えーと、その、あまり気にしない方が……」
何せこっちはクラス技能の訓練も兼ねているのだ。最後の忍者を始めとして、野伏や武僧などの技能を駆使して移動し、ゲームから引き継いだレーダー機能まで駆使している。ちなみに地図をじっくり読み込んで届け先は頭に叩き込んである。それがなかったらおそらく今日中には戻って来れなかっただろう……。
逆に言えば、そこまでしてやっと若手の運び屋より若干早いくらいなのだ。ズルみたいなものである。熟練の運び屋ならこの程度の差は簡単に覆せるだろう。今回は数日だけの依頼だけれど、もし今後も続けていればいつか逆転されるはずだ。
そして今日が最終日だったので逆転される心配はないのである。けっけっけ。
「くっ、勝ち逃げっスか……しかーし! 今度この仕事を受けた時は運び屋の本気というものを見せてやるっス! 覚えておくといいっス!」
「このお茶美味しいの! これどこで買ったの?」
「うふふ、すぐそこのお店で仕入れたお茶なんだけど、いくつかブレンドしてるのよ」
「聞くっスううううう!?」
聞かぬ!
そんなこんなで突っかかってくるピーターを軽くあしらいながら、事務のお姉さんとお茶のお話をするのだった。
◆ ◆ ◆
「んー、少しは慣れてきたかな……」
依頼先からの帰り道、伸びをしながら最近の仕事ぶりを振り返ってみる。いろいろ依頼を受けつつ、習得しているクラス技能を試しているのだ。特に滞りなく行使できるけど、やはり経験のあるとないとじゃ大分違う。今後の選択肢が広がる筈だ。
時は夕暮れ。辺りは薄暗くなり、人通りも少なくなりつつある。王都というだけあって魔具の街灯も設置されてはいるのだが、中心からは遠い地区なので十分とは言えない。長い通路にぽつぽつとある程度だった。
空をふと見上げると東の空は青くなりつつあり、星々がちらほらと見える。小さいながらも月も。元の世界とは何もかも違うこの世界だけれど、空だけは同じだった。まあ、正確には星の配置とかは違うのだろうけれど、あいにく星座には詳しくないし。月が二つや三つじゃなければ大して変わらないだろう。一つで十分ですよ。
……この薄暗い中、ぽけーっと空を見上げながら歩いている兎人なんて格好のカモだと思ったのだが、そうやすやすとは釣れないか。
諦めると姿勢を正して宿屋に急ぐ。
もし私を狙っている奴がいればこの機に襲ってくるかと思ったのだけれど、そう簡単な相手でもないらしい。というか私が下手過ぎて逆に警戒させたのか。囮になるのもそれなりに経験がいるらしい。そればかりはゲーム内で習得出来るものじゃなかったから、これから私自身が学ばなければならないのだろう。……どうやって習えばいいんだろうね?
《詠う旅鳥亭》が見えてきた。ぼんやりとライトアップされ、暖かみのある雰囲気が演出されている。それに感じ入るよりもお金かかってそうだなあと思ってしまう私はいろいろと足りないのだろう。まあ女性を口説く機会もないし、そのうち語彙を増やしておくとしよう。
宿に入り、カウンター席に着く。ウェイトレスのお姉さんにいつものように夕食を頼んだ。ここで宿を取ってからそろそろ一週間になるので、従業員とも顔見知りになりつつある。
そして、今隣に座った常連客の一人とも。
「お姉さーん、ボクにもいつものやつお願いにゃ!」
最近仲良くなった猫人だ。名はリコ。王都に来てそれなりに長いらしく、まだ滞在して間もない私にいろいろ教えてくれるのだ。ヨハンさんに聞けばもっと深いところまで教えてもらえるだろうけれど、毎日忙しそうなのでちょっと遠慮している。たまに話はしているけどね。
軽く雑談していると、夕食が配膳された。私はジュースで、リコは果実酒で乾杯する。今日の夕食は野菜の添えられたパスタにコンソメスープ。相変わらずここの料理は美味しい。宿だけではなく食堂としてもそこらの店とは引けを取らないだろう。……まあ、その分割高なんだけれど。
何はともあれ料理に舌鼓を打ちながら雑談を続ける。
「ノノちゃんは毛並みってどう手入れしてるにゃ?」
「どうって……普通に自分でブラッシングしてるの」
「それじゃあ手が届かないところもあるんじゃにゃい?」
「魔法で何とかなるけど……確かに見えないところだからどうしても丁寧にはできないの」
「まあ、そうなるにゃよね」
リコと話していて一番助かるのは、こういう獣人特有の悩みや相談事を話せるということだ。王都とはいえ獣人はそこまで多いわけではないので、こういったことの相談相手は貴重なのである。
「小さい頃は親や兄弟とかにやってもらうもんにゃけど、独り立ちするとそうはいかにゃいからにゃー」
「そ、そうそう。そうなの」
この肉体に小さい頃があったかどうかはわからないが、当然私自身にはその記憶はないのでとりあえず誤魔化しておく。
「実は王都には獣人専門の床屋というものがあるのにゃ」
「へぇー、カットもブラッシングもそこで?」
「マッサージもあるにゃ。床屋というよりは美容院と言った方がいいかにゃ」
「美容院……」
個人的には床屋の方が入りやすいかな……いや決して美容院という響きに気後れしているわけではない。中身が男だからって美容院に入りにくいということでは……ないったらない。
「まぁ気が向いたら行ってみるといいにゃ。場所は……ちょっと入り組んでるから今度地図書いてくるにゃ」
「ありがとうなの! 持つべきは友達なの!」
「いいってことにゃ」
美容院か……冒険者だからそんなに気を使うこともないけど、あんまり身だしなみが悪いのもマズイしなあ。一度行ってみようかな。
「それにしても、ノノちゃんは結構一人でいること多いよにゃ。話してみるとそう人付き合いが悪いって感じじゃなさそうだし……」
「うーん、言われてみればそうかも……一応友達や知り合いはいることはいるの」
まあそもそも、一人で事足りる依頼ばかり受けているせいもあるけれど。せいぜい食堂で席の近い人との交流くらいか。リコみたいな感じで。
「ヨハンさんから少し聞いてるにゃ。あのロゼッタさんやジェフリーさんとも知り合いなんだよにゃ」
「一回パーティを組んだだけだけれど……その後もなんだかんだでお世話になってるの」
「いい人たちにゃ。ボクも少しお世話になったことがあるけど、あの面倒見の良さは冒険者の中でも有数だにゃー」
噂になるレベルで面倒見がいいのか。だとすると慕う人も多いのだろうな。
「あと、メアリーとも友達になったの。王都に来て初めての友達──」
「──メアリー?」
メアリーの名を出した途端、ぎょっと目を見開いて驚くリコ。あ、しっぽがぶわわと膨らんでる。
「メ、メアリーって、あの錬金術師のメアリーにゃ?」
「そうだけど……どうかしたの?」
「うーん……どうしようかにゃ……でも言っとかないとマズイかもにゃ……」
悪い噂でもあるのだろうか。きょろきょろと辺りを見回しぴくぴくと耳を動かして落ち着かない様子だ。
「言って欲しいの。聞かないと行けない気がするの」
「なら言うけどにゃ……あ、ボクは信じてるわけじゃにゃいし、根も葉もない噂ばかりだから落ち着いて聞いてにゃ」
「分かったの」
どんだけなんだ。そんなに前置きされると緊張する。
「まあ、腕のいい錬金術師なら付き物のよくある噂話にゃ。人を攫って薬の材料にしてるとか、新薬の人体実験をしてるとか……」
「そう……」
「人当たりがいい人ならそういう噂も目立たにゃいけど、ほら、その、メアリーはあんまりそういうタイプじゃにゃいからにゃ」
「私とは普通に話してくれるの」
「そこにゃんだよにゃ」
そこが問題だとでも言うように眉を顰め、尻尾を振るリコ。
「実は獣人相手には結構気安く話してくるのにゃ」
「……獣人好きなんだと思うけど」
「そういう人もいないわけじゃないにゃ。女性は特ににゃ。ノノちゃんにゃんかもふもふしてるし、大きさだって丁度いいし、ボクだって抱きしめたく……失礼」
「うん……まあ、いいけど」
「その……実はボクも話しかけられたこともあるし、店に招待されたことがあるにゃ」
「……ふぅん」
私だけじゃなかったのか……。でもヨハンさんはあそこまで話すのを初めて見たって言ってたし……いや、他人からはなるべく隠してた?
「いろいろ質問されて……格安で魔具を売ってもらったこともあったけど、そのうち話さなくなって仲は自然消滅したにゃ」
「自然消滅?」
「ここや街中で会っても、他の人たち相手と同じような態度になったにゃ。最初はショックだったにゃあ……」
「それは……」
何と言えばいいのか。今仲良くしている身で同情するのは気が引ける。そしてそれは、次に私が受けるかもしれない仕打ちなのだ。
「調べてみると、何人かの獣人も同じパターンだったにゃ。そして、聞かれた内容もほぼ同じ」
「……聞かれた内容?」
『いろいろ質問された』内容か?
「──『異常な記憶』にゃ」
……何だって?
「自分が知りもしない記憶、知らないはずの記憶、とにかく持っていてはおかしい記憶だにゃ」
「それが獣人と仲良くなるのに、何か関係があるの?」
「それはわからにゃいけど……ボクはノノちゃんなら知ってると思うんだけどにゃ」
そう言うと、リコは私を見つめ目を細めた。
「……どうしてそう思うの?」
「ヨハンさんがメアリーとノノちゃんが接触したことを知っているからにゃ。メアリーは獣人と話す姿を出来るだけ隠したがってたのに、人前どころか宿屋で話すにゃんて迂闊だった……いや──探し人が見つかったから、つい舞い上がっていたのかにゃ」
「うーん、ヨハンさんと知り合いってことで案内してもらったし……突然態度を変えるのはマズイと思ったのかも」
「まあそうかもしれないにゃ。けど、ノノちゃんが探し人だったのは間違いなさそうにゃ」
「えっ? でもこれからわからないし……」
「店に呼ばれても関係が続いてるにゃ。例の質問はされたにゃ?」
「えっと……」
「あっ、言いにくかったらいいにゃ」
「ううん、大丈夫。質問はされてないけど似たようなことは答えたかも」
「そうなのにゃ? だったらまだ探し人って決まったわけじゃないのかにゃあ……」
そう言うとリコは腕を組み、唸った。
「どちらにせよ、気を付けた方がいいにゃ。噂話はともかく、何かしらの目的があるのは間違いないと思うにゃ」
「…………」
「……ごめん、気を悪くしたにゃ?」
「ううん、心配して言ってくれたんでしょう? 大丈夫なの」
そう言われるほどのことをしているのは確かだ。そして何かを求めていることも。
「今度聞いてみるの。何を探しているのか、どうしてそういうことをしているのか……」
「十分に注意するにゃ。性格に問題があるということで銅級に留まっているけど、実力的には銀級という噂にゃ。か弱い子猫に見えてもその内は狼。精々油断しないことにゃ」
「そういうことだったの……この間それを実感したの」
ジェフリーさんやロゼッタさんと遜色ない実力ということか。それはやりあったら普通に負けるかもしれない。
けれど、大丈夫だ。
「そんな荒事にはならないの。ただ話すだけだし……友達だから。困っているなら力になってあげたい」
「……ノノちゃんならそういうと思ってたけどにゃあ」
頬杖をついて呆れたように視線をよこすリコ。確かに危機感が足りないかもしれない。けど直接的に何かをされたわけじゃないし、身構え過ぎるのも良くないと思うのだ。
暫し黙り込み、お互い冷めかけた夕食を片付ける。飲み物を飲み干して一息つくと、リコはこちらに向き直った。
「まあ、確かにちょっと対人能力に問題があるってだけで、何かヤバい事をやってるって訳じゃにゃいからにゃ。警戒しすぎても良くないかもにゃ」
ナプキンで口を拭いつつ言う。若干自分に言い聞かせてる感じがしなくもない。
「でも何かあったらすぐ相談するにゃ。いつでも話を聞くにゃ」
「うん、ありがとう」
その後は雑談をして過ごした。他愛もないことを話しながら、頭の何処かで考える。
相談するような事態にはしないつもりだ。長く心配させるのも悪いし、早く決着をつけないと。
ただ、メアリーはどうして『異常な記憶』を求めているのだろう。記憶にある特別な知識を求めている? 魔具の開発に利用している? 獣人と何か関係が? メアリーが引きこもって魔具の研究をしていたことと関係があるのだろうか? それとも……いや、分からない。
分からないなら聞くべきだ。……地雷の可能性もあるからさりげなく聞くべきか? あーもー、なんで友達に対してこんな探るような真似をしないといけないんだろう。もう全て忘れて普通に付き合うべきか? いや、それは無理だ。一度考えたからには気になってしまうだろう。それなら全部すっきり片付けて、それから改めて友達になればいいのだ。
──ふと、頬を赤らめて狼狽したメアリーの様子を思い出した。
今まで付き合って来て、演技のように思ったことはなかった。何か企んでいるようにも思えなかった。願望かもしれない。見る目がないだけかもしれない。けれど、他愛もない雑談や触れ合ったぬくもりは、嘘だとは思えなかった。きっと訳があるはずだ。訳があるなら力になりたい。
リコと別れ、部屋に戻った後も考える。
どうするべきかはまだ定まらないけれど、どうしたいかは決まっている。明日、メアリーに会いに行こう。そして、話し合おう。どうして獣人に声を掛けるのか。どうして『異常な記憶』を探しているのか。何を求めているのか。
目の前のやるべきことを見つけ、ベッドに寝転ぶ。
そうして、メアリーの事を想いながら眠りについた。
◆ ◆ ◆
「うーん、そう来たかー……」
翌日。小鳥が囀り、朝日が差し込み床を照らす。それを遮り、カーテンを閉めた。日光に弱い薬品もあるので気を使う必要があるのだ。更に室温を一定に保つために専用の魔具を起動する。
本日取り扱う魔具のリストと細かいメモを確認し、カウンターに座る。
「──昼頃には一旦戻る」
何時ものローブ姿にカバンを背負ったメアリーが私に告げた。
ここはメアリーの店。名指しで店の手伝いの依頼が私に入ったのだ。朝食事をとっている時にヨハンさんに告げられてかなり驚いた。うん、まあ、好都合かもしれない。今日一日店にいられるわけだし、話し合うチャンスはいくらでもあるだろう。そう思い快諾して、今私はここにいる。
でもなんか、先手を取られた気分になるのは私の気のせいだろうか……。
まあそれはともかく、仕事はきっちりしよう。
「はーい、いってらっしゃいませ!」
「行ってくる」
手を振って送り出す私に答え、手を振って笑顔で答えてくれるメアリー。
その透き通るような笑顔に、何を秘めているのだろう。メアリーは答えてくれるだろうか。
メアリーが出て行き、扉が閉まる。
長い長い店番が始まった。




