うさぎ、王都に着く(上)
──何が悪かったのか?
はぁはぁと息を切らし、かつかつと足音が響く。暗闇の中カンテラが揺れ、持ち主とその足元をぼんやりと照らしている。ぐらぐらと安定しないその揺れは時折複数の人影を照らし出し、この集団が落ち着きなく走り回っていることを示していた。
「はぁっ……はぁっ……どうだ、撒いたか?」
影が一人、後ろを振り向き呟いた。怯えが隠しきれぬその声色は、恐ろしい何者かから命からがら逃げてきたかのように擦り切れ、震えていた。その声を受けて、他の何人かも後ろを振り向いたり視線を向けて、背後を警戒している。
突如、先頭の者が止まる。後続の者たちは反応しきれずに軽く衝突し、カンテラを大きく揺らした。
「お、おい。何止まってるんだよ! 早くしないとあいつが……」
「おい……嘘だろ……」
呆然とカンテラを掲げる。錆び付いた鉄格子が照らされ、一行の行く手を阻んでいた。これ以上は進めず、引き返さなければならない事実に硬直する一行。やがて理解が追いつくと目の前の事実を認めたくなくて、ざわめき始めた。
「何でここが行き止まりなんだよ!?」
「俺たち、ちゃんと出口に向かってたよなあ!?」
「ここは俺たちの庭みたいな場所なのに……一体どうなって……!」
じゃぶ、と水の音が響く。
ぴたり、と会話が止まる。ある者は急いで背後を警戒し、ある者は我武者羅に鉄格子を叩き始め、ある者はがちがちと歯を鳴らしながら蹲る。
じゃぶ、じゃぶと水の音が響き渡る。まるで水に浸かりながら歩みを進めるかの如く水が掻き乱される音がする。徐々にその音が近づいてくると、やがて新たな音が聞こえてくる。
ごはああ、と低い唸り声。ごり、くちゃと咀嚼音。
一行がやってきた方角に、巨大な影が姿を見せた。下半身を水路に沈めながら十字路の陰から現れたそれは明らかに人間ではあり得ない巨体だった。時折片手に持った何かを齧り、ぼたぼたと破片や液体を溢している。
影の頭らしき場所に浮かぶ光はゆっくりと蠢き、やがて一行のカンテラの明かりを見つけて僅かに瞬く。身体を一行の方に向けて片手に持った何かを放り捨てると、べちゃり、と鈍い音をして転がった。
転がったそれは、歪な人型をしている。
「ああ……うああああ……!」
震えが止まらない。涙が零れ、視界が滲む。一体何が悪かったというのか。こんな目にあうほどの何かをしただろうか。あんな目に遭うほどの何かをしてしまっただろうか。一行は脂汗をだらだらと流し、呼吸を乱す。
そして、巨大な影が咆哮をあげる。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』
びりびりと一行の鼓膜を揺らし、鉄格子を軋ませた。
「うわあああああああああああっっ!?」
誰かの叫び声が上がる。あるいは全員か。半狂乱になり鉄格子をひたすら叩き、泣き喚く。しかしもう逃げることはできない。意味もなく誰かが影にカンテラを投げつけた。
そして照らし出されるのは、真っ赤な大きな口とぎょろぎょろ動く無数の目玉。
──それが、彼らが見た最後の映像になった。
◆ ◆ ◆
王都ロンドブルグ。アルバシル山の山腹に建設され、長大な防壁がそれを取り囲む要塞都市である。内部も壁によって環状に区分けされており、中心に行くほど高級地区になっていく。人口は数万人に上る。この世界でも有数の大都市だ。
そしてそんな王都の外側寄り、一般地区をうろうろする私。何この街めっちゃ広い。
今まで街や村ばかり訪れてきたけれど、『都市』というものがこれほど大きいものだなんて思ってもいなかった。規模や人口で言えば元の世界の方が遥かに上回っているはず、なんだけれど……なんというかそういった情報を実感できる『存在感』というものがある。
いろんな服装、いろんな目的の人々が道を行き交い、様々な店が建ち並び様々なものを売り買いしている。何らかの理由で集まって、何らかの理由で盛り上がっている人たち。露天商が店を広げ、転げる不思議な商品に目を奪われて寄ってくる人々。
見ているだけでも飽きない。すっかりお上りさんできょろきょろと見物してしまう私。
……うん、まあその、迷子なんですけどね。
ヒルダの街から出るとき、ジェフリーさんから《詠う旅鳥亭》のヨハンという人に渡して欲しいという手紙を預かった。中身は当然見ていないけれど、多分紹介状の類だろう。まあ、そんなわけで《詠う旅鳥亭》とやらを探しているのだけれど、一向に見つからないのである。
当然といえば当然だ。初めて来た都市で場所も知らない建物を見つけようだなんて楽観にも程がある。あるんだけど……初めて来た都市で浮かれてたので、歩いてれば見つかるだろって楽観してました! てへぺろ!
……馬鹿やっていても事態は好転しない。宿屋であろう《詠う旅鳥亭》を探すために宿屋に泊まるなんて本末転倒もいいところだ。
さて、それでは誰かに道を聞くとしよう。《詠う旅鳥亭》そのものを知っている人はいなくても、冒険者ギルドくらいは場所を知っている人もいるだろう。そして冒険者ギルドで場所を聞けば目的地に着けるって寸法だ。ええっと、誰に聞いたらいいかな……。
あ、アレなんだろう。綺麗な石のペンダントだけど、若干魔法の気配がするような……。
いやいやいやお店に気を取られてどうする。ああっ、でも気になる……というかこの辺のお店見回りたい……いや宿が先だ。まずは宿をとってからじっくり……いやでもなあ……。
そんな風に気を取られていたのがいけなかったのか、誰かにぶつかってしまった。
「わぷっ!?」
「きゃっ」
思ったより衝撃はなかった。小柄な兎人なので転ぶくらいはするかと思ったけどよろけた程度。相手も大したことはなかったようだ。とはいえぶつかってしまったのは事実。慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい! ちょっとよそ見してたの」
「……別にいい。私も考え事してたから」
おお、なんと寛大な。
相手は少女と女の中間のような年頃の女性だった。菫色のローブを着ていて、フードを被っている。そこから覗く髪は白髪のような銀髪のような透き通った色をしていて、首元からは這い出る蛇のようにお下げ髪が二本伸びていた。首元には控えめながらも確かな力を秘めた石のペンダントをしている。魔法使いだろうか? その瞳は昏くて、深くて、なんだか吸い込まれそう……おっと、あんまりじろじろ見るのは失礼かな。
慌てて視線をそらそうとすると、女性はゆるりと首を傾げ問いかけてきた。
「……手紙」
「へっ?」
「手紙、落ちてるけどいいの?」
「えっ、ああっ!?」
いけないいけない。ぶつかった拍子に落としたようだ。慌てて拾い、砂埃を叩いて落とす。
「危なかった……せっかく預かったのにダメにしたら、ジェフリーさんに申し訳が立たないの」
折り目も付いてないし、大して汚れてもいない。よかったよかった。
「ありがとうございますなの! それじゃあ私はこれで……」
「……ジェフリー」
「はい?」
おや?
「ジェフリーって、あのジェフリー?」
「えっと、どのジェフリーさんと挙げられるほど知っておりませんけれど……ノノが知っているのは銀級の冒険者のジェフリーさんですなの」
「そう、そのジェフリー」
「お知り合いなの?」
「知り合い」
な、なんだってー!? 本当なのかお嬢さん!
「えっとえっと、それじゃあ、《詠う旅鳥亭》って知ってるの!?」
「これから注文された品を届けに行く」
「それじゃあそれじゃあ、付いて行ってもいいですかなの!?」
「構わない」
「やったー! ついてるの! ありがとうなの!」
思わずぴょんぴょん飛び上がって喜んでしまった。へへへ。
何ということでしょう。偶然ぶつかった少女はジェフリーさんの知り合いで、しかも目的地である《詠う旅鳥亭》に向かう途中だったのです!
「私はノノ! 旅の白魔術師なの」
「メアリー。錬金術師」
「よろしくお願いしますなの、メアリーさん!」
「メアリーでいい。よろしく」
軽く握手を交わす。こんなうま過ぎる話があるだろうか。いつもトラブルを引き寄せる私の体質が、とうとう幸運を招き寄せる体質となったのだろうか。新しい場所に着いて早々、新しい知り合いもできて、幸先いいなあ。
「ノノは方向音痴?」
「……そんなこともなきしもあらずなの」
いやーよかったよかった。これで一安心だ!
「私は《詠う旅鳥亭》に向かっていた」
「…………」
「私とあなたは正面からぶつかった」
「…………」
あ、あれって串焼きかな。いい匂いだなー!
「つまりあなたは全く反対方向に歩いていた」
……はい、そうです。私は高性能レーダーを持っているくせに方向音痴ですっ……!
「……奥が深いの」
「深くはない──ただ、遠いだけ」
「その言葉こそ深いの!?」
《詠う旅鳥亭》までの道中、私たちはしょうもない事を話しながらのんびり歩いた。メアリーは口数は少ないし、声もそんなに大きくないけれど、不思議と話は弾んだ。きっとその光景は仲のいい友達に見えたと思う。そして、仲のいい友達になりたいと思う。ここに来て最初の知り合いだ。長い付き合いになるといいな。
この時私は思いもしなかった。
というか思いたくなかったので深く考えていなかった。
このメアリーこそ、王都有数のトラブルの種であり、私は当然それに何度も巻き込まれ、とんでもない事件が起きて、とんでもないトラウマを私に植え付けて、そして──この世界で一番の親友になってくれる。
そんな存在になるであろう人なのだとは、この時全くわからなかったのである。
◆ ◆ ◆
『よ〜うこそ〜〜我らが〜《詠う旅鳥亭》へ〜〜』
扉を開けるとそこは舞台劇でした。
『いつだって〜僕らは歓迎するよ〜男も女も老いも若きも!』
『何故なら此処は〜《詠う旅鳥亭》〜冒険者ご用達の〜我らがお宿さ!』
お客が来たと見るや否や、くるくる回って歌って踊り出すカウンターの主人らしき人と、食事処の方でテーブルを縫ってステップを踏むウェイターやウェイトレスたち。はー、なかなかの美男美女揃いだ。ていうかここ、結構な高級宿なんじゃ? 建物の外観からして立派だったし、カウンターやテーブル、その他諸々埃一つなくピッカピカに磨き上げられている。お金足りるかなあ……。
『清潔な部屋に〜ふかふかベッド〜食事も出るさ〜もちろん酒も!』
『そして〜忘れちゃいけない〜仕事も出るさ〜ギルドと連携してる!』
度の途中で仕入れた知識だけど、こういう都市だとギルドだけではとても人手が足りないので、契約した宿屋に仕事を回して仲介をさせているとか。歌で紹介されたとおり、ここもその契約している宿屋らしい。
『あゝ〜素晴らしい〜最高の〜宿屋さ〜』
そんなこんなで歌も終わりに近づいているらしい。
『さぁ〜可愛らしい〜兎人の〜お嬢さ〜ん?』
『今日の〜御用は〜な〜ん〜だ〜い!?』
……えーと、このノリで返さないといけないの?
若干まごついているとメアリーがすっと進み出て、どこに入っていたのかローブから荷物を次々と取り出してカウンターに載せていく。何に使うのか分からないが、魔具……だと思う。一見アート作品かと見まごうような珍妙な品々だけれど、魔力を感じるのだからそうなのだろう。
「注文の品。確かに渡したから」
そして全く空気を読まずに自分の用を済ませたのだった。ゴーイングマイウェイ……なんとなく分かってきたけど、なかなかのマイペースぶりである。ちょっと見習いたい。
「やあ、いつもすまないねーメアリーちゃん! いつものように代金は使いの者が届けるからね!」
「わかった」
更に動じることなくメアリーに応じるご主人。これくらいでなくては冒険者の宿の主人は務まらないということか……!
従業員に指示を出して魔具を運ばせると、見事なターンでこちらを振り向いてきたご主人。ねずみ色の長髪が軌道に沿って靡く。若草色の吟遊詩人のような衣装も一緒に靡く。草原の匂いが僅かに香る。ご主人はにっこり微笑むと、大袈裟に両手を広げ、歓迎するように話し始める。
「さて、《詠う旅鳥亭》へようこそお嬢さん! 僕はこの宿の主人のヨハンさ! ……もしかして君がノノちゃんかい?」
「へ? は、はいなの。私がノノですけれど……知ってますなの?」
ここに来るまで結構寄り道したし、ジェフリーさんやロゼッタさんが手紙でも出したのだろうか。この世界の郵便事情についてはあまり知らないけれど、私が着くまでに一通のやり取りもないなんてことはないだろう。
「知ってるともさ! ついこの間ジェフやロゼが来てね……君のことをたーっぷりいろいろと話してくれたからね!」
「ジェフリーさんたちが来てるの!?」
「残念ながら仕事ですぐ別の街に行っちゃったのさー。久々に会えたっていうのに冷たいんだからなーもう!」
「あう……残念なの」
なんと、私がふらついていろいろやっている間に二人とも王都にやって来ていたらしい。っていうか、何話したんだろう……気になる。
「いやーそれにしても待ちわびたよ! 話を聞いていて、僕とっても興味持っちゃってね! きっと可愛い子なんだろうなーと思っていたけれど、本物はもっと可愛いねー!」
「あ、あはは……どうもなの」
体と同じく女性の人格なら素直に受け取れたんだけど、一応男の心だからなあ……いや最近は忘れかけてたけど。性差を意識する機会があんまりないというか。気がついたら男と恋愛してたなんてことにならないように気を付けなくては。……いやちょっと待って。気を付けないとヤバいくらい男の意識が薄れてる!? うーん、これは問題だぞ……。
考え込もうとして腕を組みかけると、そういえば手紙を持っていることを思い出した。
「あ、そうだ。もう会ったならあんまり意味がないかもしれないけど……ジェフリーさんからお手紙を預かってますなの」
すっかり忘れてた手紙をヨハンさんに渡す。
「ああ、それも聞いていたよ。こりゃどうも」
恭しく受け取ると、手紙を開いて軽く目を通す。ふむふむと頷くと、こちらに目を向けた。
「それにしても珍しいなあ。ジェフが気にかける子って手元で育てるから、大抵は自分で連れてくるものだけど。ああ、何か事情があったんだったかな?」
「そこまで聞いているの?」
「いやいや、何か事情があって旅をしているとだけ聞いているよ。女の子の事は根掘り葉掘り聞かない主義なのさ。手紙の内容も当たり障りのない内容だし、何かを警戒しているのかな……」
どうやらジェフリーさんにかなり気を使わせていたようだ。あの人ドライなようで結構面倒見のいい人なんだなあ。とはいえ、警戒する理由もわかる。記憶喪失の人間なんて、大抵厄介ごとを抱えているものだ。下手に公にして、トラブルを招くのを嫌ったのだろう。
……まあ、その前に私の方からトラブルに突っ込んで行くんですけどね!
「おっと、ご心配召されるなお嬢さん。冒険者たるもの皆何かを抱えているもの! 多少のトラブルは日常茶飯事、冒険の華というものさ。もし君が某国の女スパイでも、もし君が亡国のお姫様でも、冒険者であるならば僕らのお客さ!」
「スパイでもお姫様でもないけど、ありがとうございますなの!」
なんて器が広いのか……! そして妙に具体的だけれど、いたのだろうか。女スパイやお姫様が……。
「それはヨハンの趣味」
「うおっと!? あれ、メアリー。まだいたのかい?」
急に後ろからメアリーに声をかけられ、心底びっくりしているヨハンさん。若干ひどい。というかまじまじとメアリーを見つめている。……うん? なんか様子がおかしいような?
「いては悪い?」
「い、いやそうじゃないけど……いつも品物を届けたらさっさと帰っちゃうじゃないか。それに他人の会話に入って来るなんて……珍しいなあと思って」
「そう」
若干口ごもりながら言い訳するヨハンさん。メアリーはそれに対した反応も見せずこくりと頷くと、こちらに振り返って内緒話をするみたいに手で筒を作ってノノ、と声をかけてきた。ちょっと可愛い。ちなみに内緒話をするみたいとは言ったけれど、声量は変わっていない。元々内緒話並みに声が小さいからである。でも何故かよく通って聞こえる不思議な声だ。
「気をつけて。この男の流した浮名と泣かせた女は数知れず。油断しない方がいい」
「人聞きが悪いよ!?」
「あと、泣かせた男もいたかもしれない」
「それはそれは……」
「真に受けないで!? っていうか皆がウェイターたちを見る目が変わるからやめて!?」
真に受けてはいない。ウケを取ろうとしているだけだ! キリッ。
「はぁはぁ……メ、メアリーちゃんってそんな性格だっけ?」
「たまに」
「そうなんだ……付き合い長いけど知らなかったなあ……」
しみじみと呟くヨハンさん。しかし一息着くのはまだ早いのでないでしょうか。メアリーのターンはまだ始まったばかりだ!
「女には秘密が多いもの。ヨハンにも秘密が多いように」
「いやあ、僕は秘密なんてそんな。見ての通り開けっぴろげな性格で……」
「一番奥の部屋の引き出しの……」
「えっ」
「…………」
「ちょっ、えっ、本当に?」
「……それじゃあ、今日はこれで」
「ちょっとおおおお!?」
ターン終了! すーっとヨハンさんの脇をすり抜け音も無く扉を開いて外へ出て行くメアリー。私の横を通る時、ごにょごにょと何かを呟いて最後にまたねと言って去って行く。手を振って見送った。聞こえていたけれど、ヨハンさんの名誉のために黙っておくことにしよう。
「……はあ、ホント珍しいなあ」
メアリーが出て行った扉を見つめながら、本当に驚いたように、半ば呆然とそう呟いた。
「そうなの?」
「うん、あんなに積極的にコミュニケーションを取る彼女は初めて見たよ」
知り合いなのに? そう思ったことが顔に出たのか、ヨハンさんは静かに語り始めた。
「聞いているかもしれないけれど、彼女も僕らの仲間だったのさ。とはいえ引きこもって魔具の研究をしていたところを強引に引っ張り出して、無理やり冒険者にしたんだけどね」
「……それってどうなの?」
それじゃあ心を開かないのは当然では……。そう思ったけれど、ヨハンさんは苦笑しながら一応事情があるのさ、と続けて話してくれた。
「彼女の友達のたっての願いでね。彼女の才能を眠らせるには惜しいからって。事実メアリーちゃんの技術は素晴らしかった。いろんな人々の助けになったし、勿論僕たちの旅も多く助けた。彼女自身嬉しかったようだったよ。冒険者になって良かったって、言ってくれたこともあったっけな」
「そっか、本人が納得しているならいいの」
ちょっと変わった子だけれど、誰かを助けることに喜びを感じられる良い子のようだった。
「ただ、彼女の友達……ヘンリエッタちゃんって言うんだけどね。その子以外には殆ど心を開こうとしなかった。いつも最低限の会話しかしないし、話に混ざって来るなんて以ての外だった。それがあんな様子を見せるなんて……」
「そうだったの……今日初めて会ったから分からなかったの」
思い出してみても、初めて会った時から大して態度は変わっていない。そう言うとぎょっと目を丸くしてまじまじと私を見つめる。
「それって本当かい? てっきりそれなりの付き合いがあると思ってたけれど……だとしたら余程気に入られたんだろうね。エッタちゃんの次に心を開いているみたいだ」
「理由はよくわからないけれど……そうだったら嬉しいの。王都に来て初めての友達なの!」
「……うん、きっともう友達さ!」
ヨハンさんは優しい笑顔を浮かべてくれた。
「あの子のこと、よろしく頼んだよ」
◆ ◆ ◆
さて。話は逸れたけれど、《詠う旅鳥亭》は宿屋である。というわけで部屋を取り、ついでに専用のカウンターで仕事を探す。
ヒルダの街とは違って王都は流石に仕事の量は段違いだし、種類も多種多様だ。単純な採集依頼から獣や怪物の討伐依頼、それに幽霊退治や素行調査まで混じっている。……それって冒険者の仕事なのだろうか? 専門家がいるのでは? そう思って受付のお姉さんに聞いてみると、専門家の仕事は質もいいし確実だけど、その分高いのだとか。冒険者ならそう高くない経費で、そこそこの質でそれなりの結果を出してくれるので、庶民は依頼を出しやすいのだ。まあ、どちらもピンキリだし下手な冒険者を呼べば最悪の結果を招きかねないのだけれど、その辺りは信用に関わるのでギルドがきっちりしている。
せっかく王都に来たのだし、今までやらなかったタイプの仕事がしたいなあ、とリストを眺めていると、ふと気になるものを見つけた。
──『地下下水道の調査、及び害獣の駆除』
そういえば、今まで受けてきた依頼は基本的にアウトドアだった。それに大抵街中か森の中で、こういう何らかの施設の中ということはなかった。まあそもそも、下水道のような大規模の施設がある街なんて限られているのだけれど。王都くらい大きな街ならば、あるのは当然だろう。
地下下水道。いかにもダンジョン的な響きである、と考えてしまうのはゲーム脳過ぎるだろうか。そういえばゲームの方でもその手のダンジョンはあったし、モンスターを一定数狩る討伐依頼もあった気がする。
まあそれはゲームの話。現実にモンスターがうじゃうじゃいるだとか、何らかの異変が起こっている可能性は薄いだろう。まさか王都の地下に命の危険があるレベルの生物が巣食ってるとは思えないし、裏の世界の住民が取引をしているとか、屍鬼が人類へ戦争を仕掛けるために着々とアンデッドを増やしているとか、そんなこともないだろう。ないはずだろう。……ないよね? いくら私がトラブルに巻き込まれる体質だからって、暗殺者や骨兵の群れと死闘を繰り広げる羽目になるなんてことはないよね? 大丈夫だよね?
嫌な想像をして冷や汗をかく私を心配してくれるお姉さんを制し、この仕事を受けることを伝えると大層驚かれた。なんでもこの仕事は地味だし、臭いし、汚いし、退屈だし、実入りも少ないしで全然人気がないのだという。とはいえ、過去に下水道で大蜘蛛が大発生して人を襲ったり、密売人が禁制品の取引を行っていたりという事件があったために疎かにできず、年中依頼が出されているらしい。
大丈夫、女の子がやる仕事じゃないわよ、などとお姉さんに心配される。心配してもらえるのはありがたいけれど、もうやると決めた仕事だ。多分退屈だし、地味な仕事だけれど、興味を持ったのは確か。やってみよう。
いろいろ注意事項を聞いて、やっと依頼を受けることができた。時間的にまだ余裕はあるけれど、今日は資料や情報を集めるのに徹しよう。
明日からは王都での初仕事!
さあ、がんばるぞ!
◆ ◆ ◆
翌日。
──私は、地下下水道の入り口で意識を失いかけていた。
「けほっ、けほっ……!」
呼吸の度にひゅうひゅうと音が漏れ、無意識に新鮮な空気を求めていた。脂汗が流れ、体は震えている。視界も霞む。目元からは涙が零れていた。近くの壁際に寄りかかるとずるずると座り込み、呼吸を落ち着かせることに徹する。
なんという体たらくだ。幾多の魔法を操り、いくらかの怪物を討ち倒し、ほんのちょっぴり築き上げていた自信というものが砕け散りそうだった。否、そんな自信は所詮ちっぽけなものだったのだろう。自信を持つにはまだ私は未熟だったということなのだろう。
「はぁ……はぁっ……!」
ならば、また築き上げるまで。多くの経験を積み、苦難を乗り越え、一歩一歩進めるまで。焦ってはいけない。慢心してはいけない。
──私は、まだまだ新人冒険者なのだから。
全身に力を込めて、立ち上がる。
王都に来てからの初仕事。
これから先に待ち受けていることを思えば、こんなところで挫けてたまりますか!
さて、まずはこの悪臭をどうにかしよう。
……獣人の鼻の良さ、ナメてました。




