神話
──世界が始まる前。そこには全てがあり、また全てがなかった。
彼の者はひどく退屈していた。ありとあらゆるところに行き、ありとあらゆるものを見てきたがそれにも飽き、ふと立ち寄ったそこでぼんやりと過ごすようになった。
しかし、やがて思いつく。退屈凌ぎに何かを創造してみようと。あるいはそこから我が心を楽しませる何かが誕生するかもしれない。そう考えた彼の者は早速そこを創造の起点とすることにした。
彼の者はまず《空》を作り、そこに秩序をもたらした。これによりそことそこ以外が分かたれ、前者を秩序の陸、後者を混沌の海と定めた。
──これが世界の始まりである。
次に《地》によって《空》の底を満たし、《地》のある側を下とし、ない方を上と定めた。これにより重力が発生し、万物は地に引き寄せられることとなった。風景に変化を付けるために地は適当に高低差が付けられた。
世界の必要最低限の体裁が整い、とうとう生命を生み出すことにした。まずは試しにと混沌の海の一部を材料に、最初の生命を生み出した。しかしこれは失敗とも成功ともつかない微妙な結果であった。最初の生命は地にびたりと張り付くとひしゃげて薄く伸び、しかし地の低い方へ低い方へと逃れて行くのだ。これは生命というよりは命の塊とも言うべきものであった。それは《水》と名付けられ、しばらく放っておかれることとなる。
その後、様々な生物が生み出された。初めは小さく単純なものから、大きく複雑なものまでもが創られる。動植物で世界が満たされ生命の彩りを見せると、彼の者はとうとう人を作ることを決めた。
そうして、最初に生み出された人が貴人である。彼の者自身を参考に創造された彼らは、彼の者が生み出したものの中でも最も美しく、そして強く賢かった。彼の者は彼らに言葉と力を与え、思うがままに生きよと命じた。
彼の者はこれに満足し、一時世界を去ることにする。
──世界に残した貴人たちが、素晴らしい世界を作ることを期待して。
◆ ◆ ◆
そこで、目が覚めた。
窓の外は青く、夜明け前である。静けさとやや低めの室温が部屋を支配し、布団の暖かさが二度寝を誘う。横になったままぼんやりと室内を眺め、やがてある地点を見つめるとしばし止まり、目を一旦瞑ってから開くと、布団をはねのけて身を起こした。
人間の少女である。ブロンドの髪を背中にややかかるくらいまで伸ばしており、寝起きのためかやや乱れている。青い瞳はぱっちりと開き、ややつり目のそれは一見する者に気の強さを伺わせた。
少女はきょろきょろと部屋を見回すと顔をしかめる。いるはずの連れがいないのだ。眠る必要のない存在である彼は、人々が眠りについている時間を外をぼんやりと眺めるか本を読んで過ごす。その本は机の上に放置されていた。それが室内にいないということは、また余計な好奇心を出してどこかうろついているに違いなかった。
少女ははあ、とため息をつくと、連れを探しに行くために着替え始める。あまり遠くには行っていないと思うが、急ぐ用事もないのにこんな明け方から活動させられるのは憂鬱だった。
やがて着替え終わり部屋を出ようとすると、ふと置いてあった本が気になったのか手に取る。栞が挟んであり、その頁を開いて読み進めると、ぴんと来たのか少女は本を置くと、静かに部屋を出た。
彼らは怯えていた。
得体の知れない存在に見つめられ、かれこれ数時間が経過しようとしている。その間、その存在はぴくりとも動かず彼らを注視し続けていた。
背の丈は子供に見える。しかしやや大きめのサイズのフード付きのローブを着込んでいて、肌は一切露出せず顔もフードの陰に隠れている。だが、その奥から覗く一対の煌めきが彼らをじい、と見つめていた。
『──もうそろそろの筈なんだ』
それは、少年とも少女ともつかない声だった。しかし一切の感情がそこには伺えない。うっかり聞き流すとただの音の羅列のようにも聞こえてしまいそうなその声だが、奇妙なことにその口元が動いている様子はない。
『さあ鳴いてごらん。君たちが鳴き声をあげる様を、どうかぼくに見せておくれ──』
そうして、にやりと三日月のような笑顔がその顔に浮かび──
「ニワトリさんたちがかわいそーでしょうがッ!」
すぱーん! と少女に頭をはたかれる。
くらりとよろめいた彼はくるりと少女に振り返ると、何も起こらなかったかのように返答する。
『おはよう、アンジェ。今日も一日よろしく頼むよ』
まるで友達に対するかのように親しい挨拶なのに、感情が一切こもっていない。親近感の欠片も感じられなかった。アンジェと呼ばれた少女はこういうところが好きになれない、と内心思う。
「おはよう、じゃないわよまったく! 朝っぱらからこんなところで何してるのよ!?」
『見ての通り、鶏を観察していたのさ。まだ見たことがなかったからね』
悪びれる様子もなく、つらつらと説明を始める。
『本には朝に鶏は鳴き声をあげると書いてあったけれど、どのようにして鳴くのか姿が書いてなかった。そこで、この鶏小屋を思い出して観察することにしたんだ』
腕を掲げて鶏小屋を指し示す。鶏たちは怯え切って小屋の隅で震えていた。
「あのねえ……んなじっと見つめられたら、ニワトリだって鳴くに鳴けないでしょ」
『そういうものなのかい? それなら姿を消していれば良かったな』
彼がちらりと鶏小屋に視線を向けると、鶏たちはまたびくりと震える。少女はやれやれと頭を抱えると、彼のローブの襟元を掴んで引っ張って歩き出す。
『どうして引っ張るんだい?』
「また今度にしなさいよ! ていうか勝手に出歩かない! 放っておいたら何するかわかったものじゃないわまったく!」
ぷんぷんと怒りながらずるずると彼を引きずる少女。どうやら何度も似たようなことがあったらしく、手慣れた手つきだった。本人は不本意なのだろうが。
やがて二人が建物の陰に消え、鶏小屋から見えなくなると、鶏たちは安心したのか小屋の隅から恐る恐る出てきて、やがてコッコッと鳴き始める。夜明けの日差しが小屋に差し込むと、鶏たちはようやく自分の仕事を思い出し、高々と鳴き声をあげた。
◆ ◆ ◆
「はあー……」
所変わって宿の食事処。スープに浮かぶ人参を突きながら少女はため息を吐いた。正面にはローブ姿の連れが座っているが、その前にはグラスに入った水だけが置いてあり、それにすら手を付けていないようだった。
『人参が嫌いなのかい? いろんな食べ物をバランス良く摂取しないと成長に支障をきたす可能性があるよ』
「ちがうわよ! あんたと旅してるとなんでこう疲れるんだろうと思ってただけ!」
そう愚痴りながら人参を頬張る。十分に煮込まれ味の染みたそれはなかなかに美味しかった。客数も多いみたいだし、久々の当たりだな、と宿の名前を頭の中に留めておく。
『なんだ、言ってくれれば疲れぐらい取ってあげるのに』
「イヤよ。そういう得体の知れない力にはなるべく頼らないって、そう決めてるもの」
びし、と指をさして拒絶する。行儀は悪いが、明確な意思は伝わる。
『得体の知れない力じゃないよ。何度も言っているじゃないか──』
彼は袖の余った腕を掲げて、当たり前のように言う。
『──ぼくは神なんだって』
神。
この世界において、神は一柱しか存在しない。即ちこの世界を創った創造神。この世界の生きとし生けるものたちを創った大元の存在。そんな存在だとこのローブ姿の小柄な者は自称する。普通の者が言えば冗談か、そうでなければ狂人である。
しかし、少女は知っている。この者が神という確証は無いとは言え、最低でも貴人並のとんでもない存在なのだと。
「それだけどさあ……」
心なしか声を潜めていう少女。
「結局あんたの力は具体的には何なのよ。魔法じゃないのは何となく分かるけど、あたしはそれ以外に不思議な力っていうものを知らないしさ」
少女は覚えている。初めてこの者に出会った時、少女は妖狼に襲われて命の危機に瀕していた。それを彼がとんでもないことを起こして妖狼を何処かに追い払い、救ってくれたのだ。救ってくれたことには感謝しているが、神だと自称するし、好き勝手連れ回すしで苦労の方が大きいのではないかと思いつつある。
『そう言ってもね。ぼくの力はぼくしか使えないわけだから、特に名前はついていないし、この世界に生きる存在である君に説明して理解できるような力でもない。まあ適当に君たちの言語にして表すなら《神力》とでも呼ぼうか。神様専用の世界を改変する力さ』
「……うさんくさい」
長々と説明した彼を一刀両断する少女。しかし気にした風でもなく続ける自称神。
『胡散臭くても力は力だよ。それに、いつかは君も使うことになるのだから、今のうちに慣れておいた方がいいんじゃないかな』
「──はぁ!?」
寝耳に水で、思わず声が裏返る少女。
「ど、どーゆーことよっ!?」
『どういうこと、って。君はぼくの神子なんだよ? 君とぼくは霊的に繋がっていて、君が望めばぼくの力の一部を君が振るうことができる。謂わば王と眷属のような関係かな。むしろあれよりずっと上等だよ。君がその気になれば眷属はおろか、もしかしたら王の領域まで届くかもしれない』
途方もない話に、頭がついていけない少女。ぐるぐると眩暈がして頭を抱える。とりあえず、手に余る力を押し付けられそうになっているのは分かった。
「……決めた。あたしは絶対そういうの使わないからね」
じろりと彼を睨みつけ、低い声で告げる。告げられた方は理解できないとばかりにふるふると頭を振った。
『どうして? 使えるのだから使えばいいじゃないか。……ああ、代償は気にしなくていいよ。今こうやって神子を務めてくれていれば十分さ。君のお陰でこの世界を観光できているんだから、それくらいお安い御用──』
「そうじゃなくて! ただの村娘でしかないあたしには、そーゆーぶっ飛んだ力なんて手に余るっつってんのよ!」
立ち上がりつつばん、とテーブルに拳を叩きつけ、怒鳴りつける少女。客の突然の激昂に周囲は静まり返る。それに気がついた少女は慌てて周囲に謝罪し、席にゆるゆると座り込んだ。
「……とにかく、あたしはヤだからね」
むっつりとした顔でそう告げて、食事を再開する。
『まあ、力が必要ならいつでも言ってよ。いつでもいいからさ」
そう言って、黙り込む。暫し少女の動かす食器の音と咀嚼音、周囲のざわめきがその場を支配した。
やがて少女は食事を終え、水を飲んで一息付いた。暫くぼんやりとしていたが、ふと思い出したかのように疑問を口に出す。
「……そういえば、変な夢を見たんだけど」
そう言って、内容を続ける少女。この世界に住まうものなら大抵の者が知っている、創世記の夢だった。それ自体は特に不思議ではないのだが、やけに現実感があり、また途轍もない万能感が夢を見ている間、身を襲っていた。
「これもあんたと繋がってるせいなワケ?」
『そうだね。夢を通してぼくの記憶を覗き見たんだよ。霊夢というやつだね。通常なら特殊な才能が必要だけど、神子である君には自在にできる芸当さ』
「……つーことは、うっかりあんたの力を使っちゃったってわけね」
先ほど使わないと決めたばかりなのに、出鼻を挫かれる。
『眠っている間の意思を制御するのは君たち人間にはちょっと難しいことだからね。君が望むならこういうことが起こらないようにするけど?』
「そうしてくれる? また変な夢を見て起こされるのはゴメンだわ……」
『……欲がないんだなあ』
そう言って首を傾げる。事前調査では人間なら大抵は力を求めるというのに、この少女はさっきからそれをはね除けてばかりだった。
「欲はあるわよ。平穏に過ごしたいって欲がね」
そう言って、席を立つ。二人はこれからの予定を決めるために一旦部屋に戻り、とりあえず荷物をまとめることにした。
「で、今日もこの街を観光するってことでいいのね?」
『うん、面白そうなものは大体見終わったし、今日特に発見がなければ次に行こう』
現在いる街に既に数日間滞在しており、あちこち歩き回っては観光していた。何でもないようなものも面白がって見る彼がいるため、傍目には相当な変人に見られていただろうなと少女は自嘲する。
「次ねぇ……そういえばこの街から王都に向かう馬車が出てるんだっけ。そっちに行くなら今から予約しておく? 王都ならあたしも観光したいし、いいと思うけど──」
『──王都はやめておこう』
何もこもっていない口調だった。だというのに、反論を許さないというオーラが感じられる。今まで行き先は少女任せだったというのに、ここで初めて口を出した。戸惑う少女。
「……何よ。王都よ王都! 観光するなら一番それらしいところだと思うけど?」
『王都はまだ行く時じゃないからね』
「いや、理由になってないわよ」
今までに嘘は付かなかったし、説明できないことはその理由を話してくれていたというのに、珍しくはぐらかしている。あるいは神にしか分からない高次元の理由でもあるのか。所詮ただの村娘でしかない少女には察することはできないし、反対することもできない。
「……ま、いいわ。それじゃあ他の行き先を探しましょ」
奇妙に思ったが、どうしても王都に行きたいわけでもないので撤回する。彼はそれには同意し、そして説明はしてくれない。
まだ行く時ではないということは、いつか行く時が来るのだろうか。
そう考えながら、少女は出発の支度を進めた。
◆ ◆ ◆
長い長い年月が経ち、彼の者は再び世界を訪れた。
しかし、彼の者は失望した。世界はほとんど変わっていなかった。貴人たちは必要最低限の生活しかしておらず、世界にほとんど手を付けていなかった。寿命も無く、余程のことがなければ死することもない貴人たちは、あまりにものん気で欲望も薄い。より良い生活をしたいという向上心に欠けていた。
様々な環境を作ればそこに合わせて性質を変えてくれるだろうかと期待して、高低差ぐらいしか変化のない現在の《地》を大幅に改変することにした。だが、彼の者だけでは変化に富まないかもしれないし、何より面白みがない。新たな人族を創造して、手伝わせることにした。
それにより、新たなる人族である鉱人が誕生した。一見すると背の低い屈強な老人のようにも見えるが、《地》を捏ねて作られた彼らは貴人よりも強靭で、かつ野心や競争心を強く持つように創られていた。早速彼らに世界を弄らせ、新たに作られた環境に貴人たちが住まうよう命ずる。
そうすると、彼の者は再び世界を去った。
──また訪れた時、今度こそは何らかの変化を期待して。
◆ ◆ ◆
「それでそれで、このさきはどうなるのですか!?」
『慌てるな。ここからが面白いのだ。予め全てを知ってしまうことで楽しみを失うことを恐れている神は全知の力を封印しているわけだが、そのために創世の過程で何度も何度も失敗する。しかしその失敗から予想だにしないものに発展し、やがて神はその失敗を認めるのだ。このことから《失敗は成功の母》と言い──』
いつものように書物で埋もれる書斎だが、書物はきちんと整理され、床も机も綺麗に掃除されて埃は見当たらない。窓はやや開かれて風を取り込み、暖かい陽気と共にカーテンが揺れる。椅子には魔人が座り込み、その上の膝に使用人服を着た少女を乗せている。その手には創世記が開かれ、少女に読み聞かせているようだった。
そうしていると扉がノックされ、貴人──ゼノビアが入ってくる。目を輝かせて魔人の話を聞いていた少女──リンダは慌てて飛び降りて姿勢を正す。
「やはりここだったか。……随分とお楽しみだったようだな?」
ゼノビアはじろりと二人を睨みつける。自分を働かせておいて二人きりでいたことが面白くないらしい。魔人の膝の上を少女が占領していたことも原因かもしれない。
『ああ、創世について詳しく調べていたらリンダが創世記を知らないというのでな……復習も兼ねて読み聞かせてやったというわけだ』
普通ならば、幼い頃のうちに親から語り聞かせられるものだ。裕福な家庭なら創世記は必ず一冊以上は所持しており、教養として読まされることになる。だが、幼いうちから奴隷として売られてしまった少女には、そのような経験が無かったのだ。それを哀れに思ったのか、はたまた単なる気まぐれか、魔人は少女に読み聞かせてやることにしたらしい。
「も、もうしわけありませんゼノビアさま! いますぐおしごとのつづきをはじめさせていただきますから……!」
「ああ、そうしてくれ」
ぱたぱたと小走りで部屋を出て、仕事に戻って行くリンダ。それを眺めながらやれやれとゼノビアはため息をついた。
「……もう少し奴隷との距離を取ってくれないか。あまり優しくしすぎるとあの子が将来困ったことになるかもしれないぞ」
『──私の勝手だ。そしてあれの将来は、我が手の内にある』
ぎしり、と魔人は何かを握り締めるかのように指を軽く折り曲げた。しかし驚くことなくゼノビアは続ける。
「言うと思ったよ。まあ、確かにもうあの子は外に出せないのだから、どうでもいいことかもしれないな。だが、あの子を眷属にするつもりなのか?」
目を細め、魔人を睨みつける。そうなれば話は別だった。様々な感情がその胸中を駆け巡り、その表情は美しさも相俟って迫力を増す。だが、魔人はそれを掌を向けて制し、落ち着くよう促した。
『検討はしたが、無理だろうな。あれの存在は不安定すぎる。よくぞ今まで身体に何の問題もなく生きて来れたものだ』
貌を上げどこか遠くを見つめる魔人。
『半魔人──久しく見ていなかったが、やはり肉体も魔力もその生命でさえもが不安定だ。あれは特に魔力が危うい。今はまだ私が与えた魔封じのチョーカーで抑え込めているが、成長すればその身を蝕むだろう』
ごく稀に、生まれながらにして強大な魔力を持ち、その肉体の一部を魔力で構成された者が誕生することがある。それが半魔人である。歪んだ生命である彼らは、非常に危ういバランスでその身が構成されている。それが乱れれば身体は崩壊を始め、あっさりと弾け飛ぶだろう。
彼らの身体の一部、あるいは全身に異様な呪紋が浮かび上がっており、一目でそれと分かる。彼らは呪われし子として忌み嫌われ、即座に処分されてしまうことも多い。そうでなくても、成長するうちに身体のバランスを乱し、どこかに異常が発生するか、下手をすれば死亡する。それを思えば奴隷として売られてしまったとはいえ、健康体であることは奇跡のようなものだ。
『眷属にしたところでその在り方は変えられない。むしろ下手に力を与えれば更に身体を維持するのが難しくなる。成人できるかどうかも危ういな』
そう、冷たく締めくくる。まるで実験結果を告げる研究者のように淡々と告げる。だが、それを聞いてゼノビアは何故かくすくす笑い出す。
「ふふ……けれど、そうさせるつもりはないのでしょう?」
『──当然だ』
青白く輝く視線をぎょろりとゼノビアに向け、不敵な笑みを浮かべるように目を細める魔人。
『既にあの子の身体を持たせるプランは出来ている。あの子の生命も既に私のものだ。寿命以外で死亡することは許さん』
「奴隷を買いに行って五歳の女の子を連れて帰ってきた時はどういうことかと思ったけれど……そういうことだったとはね」
この魔人はそういう性質だった。それによってこの貴人も救われたのだ。いや、それどころか多くの者がこの魔人によって救われた。それ故にこの尋常でない存在たちが、この地でのんびりと研究して過ごしていられるのだ。
『そういうことだ……さて、報告があるのだろう? そろそろ聞こうか。と言っても恐らくは予定通りだと思うがな』
「……そうだね、予定通りだ。ノノは王都に向かっている。そして彼の者はまだ王都に向かう様子はない。今のところイレギュラーは発生していないよ」
魔人が椅子に深く腰掛け直し、ゼノビアは努めて冷静に現状を報告する。その内容に満足し魔人はゆっくりと頷いた。
『それならば良し。ではそろそろあの子には本格的に働いてもらうとするか』
指をかざすと、何処からかちりんちりんと鈴の音が館中に響いた。魔法によって合成された音声だ。そんなことをしなくても念話で済むはずなのだが、使用人はベルで呼ぶべきとの遊び心から、魔人が開発した魔法だった。
やがて廊下からとたとたと走り寄る足音が聞こえ、魔人たちがいる部屋の手前で一旦停止し、ゆっくりとした歩きに切り替わる。扉がノックされ、魔人が促すとしずしずとリンダが入ってきた。お淑やかにしようと努めているが、若干息が切れているし髪の毛に少し埃が混じっている。何処かで掃除をしていたらしい。魔人はこっそりと魔法でその埃を払ってやると、その小さな使用人に命ずる。
『近いうちに客人が長期間滞在することになる。まずは二人分の部屋の準備を行ってくれ。細かい指示はその後、ゼノビアが行う』
「はいっ、かしこまりました! ……ふたりぶん、ですか?」
きょとん、と少女は首を傾げる。主人たちがたびたびある一人の人物について話しているのは聞いており、てっきりその人物を迎えるのだと思っていたが、もう一人については初耳だった。
『二人分だ。あるものを作ってもらいたくてね。腕のいい錬金術師が必要なのだよ』
そう言うと、魔人は少女の首に巻かれたチョーカーを見つめた。
全ては予定通り、いや運命が導くままに進んでいる。
我々が最後の瞬間にたどり着いた時、私は目的を達成できているだろうか。
魔人は不思議そうにしている少女を眺めながら、そう思考した。




