うさぎ、子守をする(下)
「テイラドの村で獣化病患者を治療した、白魔術師の兎人の噂が……」
「私なの」
「……フォレンドの村近辺にて火災と水害が発生し、その影に精霊術師の兎人の噂が……」
「それも私なの」
「ではヒルダの街南西の森にて妖狼が出現し、駆け出しの冒険者を含むパーティにてこれを討伐。メンバーには兎人がいたとか……」
「それもまた私なの」
「…………」
「…………」
「……随分いろいろ活動されているんですねえ」
「自分でも不思議なの……」
我ながらいろいろやらかし過ぎだった。
流石に寒村での一件などは情報として流れていないようだが、殆ど筒抜けである。確かにそれぞれの場所で住民を把握しているわけではないので、獣人が居たとしても不思議ではないし、真っ直ぐ村や街に向かっているわけではないので、情報が私を追い越していてもおかしくはない。……のだろうか? この辺りの事情は生憎明るくないのでよくわからない。まだ組織の一員でもないのにそこまで聞くのはどうかとも思うし、また今度の機会でいいだろう。
「うふふ、冗談ですわ。こちらは恐らく同一人物、つまり貴女自身だと推測されていた人物の資料です。たった今ご本人だとの確認が取れましたけれどね」
「なーんだ、そうなの」
それなら安心……今さりげなく情報の裏を取られたことは気にしないようにしよう。どうせこの分野ではこちらは素人。下手に取り繕ってもしょうがない。
「ここ最近の兎人族の噂や、活動中の兎人の情報です。申し訳ありませんが外には持ち出せないので、こちらでご覧になって行ってください」
「わかりました。感謝しますなの!」
私自身の資料は除かれたが、それでもそれなりに量がある。ちょっと指定が曖昧だっただろうか。今の私の手は小さいし、あまり時間をかけても悪いので使える手は使おう。
「ちょっと魔法を使わせてもらうの。《念力》──」
資料を一枚一枚並べて浮かべて読みやすくする。当然ながら全て羊皮紙で、びっしりと情報が書き連ねられているが、所々似顔絵やスケッチが描かれている。それらの中からごく最近のものは一旦除き、私が最初の街に出現したあたりの時期の情報を並べてみる。
パソコンの画面でウィンドウを並べた時を思い出すと操作しやすいことに気がついた。物理的な制限はあるが念じるだけで操作できるし、なんだか楽しくなってくる。が、今は目の前の情報だ。
『戦士デュデュ。男性。駆け出し冒険者。正義感が強く何にでも首を突っ込む癖あり。戦士ギルドにて修行中』
『精霊術師クク。女性。異様に宝石に目がなく鑑定士としての技能あり。最近はミスリア鉱山近辺の街々を巡り、宝石収集をしている模様。同行者数名』
『盗賊ビビ。女性。闘技場などの出入りが多く、戦闘狂の疑いあり。現在消息不明。野伏など多数の技能を会得している可能性あり』
「……何かこうしてみると一癖も二癖もある連中ばかりなの」
「それはまあ、兎人族ですから……あ、失礼」
まあ自分に一癖も二癖もないとは言えないが。
ざっと読んだだけでも正義オタクに宝石オタクに戦闘オタクである。いや同列に並べてはいけないのだろうが、他の兎人も大抵何かしらにご執心で、それによって問題を起こしている者も多い。私は何だろうか。治療オタク? いや、何かに熱中できるほど余裕のある状況ではない。なのでまだオタクではない……と思いたい。
ゲーム中でも確かに兎人族は変人ばかりだった。奇妙な発明品や奇妙な嗜好品の作者は大抵兎人族で、ネタアイテムやネタ装備の説明には大抵兎人族の名前があり、事ある毎に『また兎人か』と突っ込むのがお約束と化していた時期もあった。
この世界でもそれが同じようなのは喜んでいいのか悪いのか。現在自分がその兎人になっている事を考えると複雑な気分だ。
しかし、これといってピンと来る情報は無い。見れば分かるかと思ったが甘い考えだったか。見落としてるのかもしれないし、ここには無いのかもしれない。どちらにせよこの場では良い情報は見つからなかったようだ。
「あら、もうよいのですか?」
「ええ、元々曖昧な情報を元に探しているものですから……そう簡単には見つからないみたいなの。この場で長々と調べるのも悪いし、今回はこれくらいにしておくの」
「まあ、気になさらなくてよろしいですのに……」
日本人ってこういう時図々しくなれないのがらしいというかなんというか。つい遠慮してしまうのは私の性格もあるのだろうけれども。
「ごめんなさいね、正式に組織の一員になりましたら、もう少しちゃんとした資料が参照できますから、それまでお待ちくださいな」
そう言いながら、返却した資料をまとめるノエルさん。収穫は無かったが、いいコネクションができた。今後も世話になるかもしれないし、連れてきてくれた少年には感謝である。
「ではまた今度お伺いしますなの。……そういえば、組織名はあるの?」
「そうですわね……組織、組織と呼んでおりますが、わたくしたちはなんとなく連絡を取り合っているだけで、組織的ではありますが具体的にこのような組織だ、とは名乗っておりませんのよ」
「その割には結構情報収集能力は高いようだけれど……」
こちらが要求した情報を、ざっと半日で揃えられたのだ。実はかなり大きな組織ではないだろうか。
「歴史だけはある組織ですからねえ……何でも千年以上前から細々と続いているとか」
「せ、せんねん……!?」
日本でいうと平安時代から現代までくらいか……? 細々だとかとんでもない。十二分に古く、強固なコネクションじゃないか。
「そういえば名前ですけれど……下手に名付けると新たな獣人の方が尻込みするかもしれないということで、特に決まっておりませんのよ。まあ、第三者に説明する際は、大抵の者は『獣人同盟』と呼んでおりますわね」
「獣人同盟……」
何事もシンプルが一番ということか。下手にナントカの牙だの爪だの名付けると、牙や爪を持たない種族が尻込みするということだろうか。獣人と一括りにしているがその定義は結構曖昧で、未だ未確認の種族も多い。組織としてはそのような種族とも親交を結びたいのだろう。
……単純に獣人同盟と書くと、獣人が好きな連中の同盟、特にインターネット上で一時期流行っていた、個人サイト同士のネットワークを思い出すなあ。バナー画像と同盟サイトにリンクを貼ってたっけ……。ウェブリングとか今でもやっているのだろうか? ちょっと懐かしくなってしまった。
「そうですね……ノノさん、お時間はありますかしら?」
ふと物思いに耽っていると、急にノエルさんから話しかけられる。
「え、えっと、そろそろ宿を取っておかないと……」
勢いで最初に取った宿を出てきてしまったが、流石に戻る気はない。もう午後だ。あまり遅いといい宿は取られてしまうだろう。むしろ今からでは遅いくらいだ。
「まあまあまあ、それならここに泊まっていって下さって構いませんのよ? 大丈夫、外側はボロですけれど、中はちゃんとお金をかけておりますの。下手な宿よりは快適に過ごせるはずですわ!」
「えっ、その、はい、それじゃあお言葉に甘えて……」
急にテンションを上げてくるノエルさんについていけない私。
「遠慮なさらないで。ノノさんが正式にわたくしたちの一員になった時に備えていろいろ説明しておきたいこともありますの。それに貴女のお話もいろいろ聞きたいですわねえ……」
「はあ……」
こうして見ると普通の話好きのおばさんなんだけれど、下手に喋るといろいろ漏れそうだなあ……。できるだけプライバシーに関わることは言わないようにしたいけれど、無駄な抵抗のような気がする。
ぱたぱたと尻尾を振りながらいろいろ手配を始めるノエルさんをぽかんと見つめながら、そういえば孤児自体は何人いるんだろうなあと思考を飛ばしていた私だった。
◆ ◆ ◆
謙遜していたが、やはり力ある組織なのだろう。
職員や孤児も交えての夕食だったが、結構な人数にも十分に食事が行き渡り、お代わりを何度もしていた者もいた。夕食は具のたっぷり入ったスープに柔らかいパン、新鮮な野菜のサラダなど下手な宿よりよっぽど満足の行く食事ができた。
そういえば、それぞれの種族に合わせて、食事の内容が調整されていたのが印象的だった。私は兎人なので野菜が多めだったり、狼人や猫人は肉が多めだったり。そして玉ねぎは一切なし。大抵の動物には毒だったはずなので、当然といえば当然か。
ちなみに料理の手伝いをしたかったのだが、大した調理はできないし、邪魔になりそうだったので魔法で水を出したり、孤児の相手をするに留めた。特に水は職員に魔法使いがいなかったために結構喜ばれた。少し練習すれば一般人でもできないことはないのだが、料理に使うほど大量に出すのは難しい。洗い物の際にも大活躍だった。……ただの水道代わりのような気がしなくもないが、気にしないことにする。
流石に風呂はなく、週に何回か公衆浴場に行くそうだが今日はその日ではなかった。まあ、そもそも毎日入浴するのは日本人くらいだそうだし、獣人はあまり汗をかかないので普段は濡れタオルで拭くだけでも十分である。私は魔法が使えるので、こっそり温めたりお湯そのものを操ってマッサージしたりなどさせてもらったが。誰かにやってあげてもいいのだが、一人にやると全員にやりたくなって切りがなくなるので、心苦しいが私だけ。
──そして夜は更けて就寝である。
「……何で私はここにいるんだろう」
「ま、いいじゃんいいじゃん気にしない!」
「ごめんなさいね。ご迷惑だったかしら?」
何故か私はノエルさんの寝室にいた。私、ノエルさんにマットが並んでベッドに入っている。そこそこの大きさなのではみ出すことはないし、そもそもノエルさんの片腕に抱かれて密着しているので十分に暖かい。反対側ではマットが同じように抱かれている。
やけに孤児院の事情に詳しいことと、ノエルさんと同じく狼人族だったためになんとなく予想はしていたが、この二人は親子のようだった。その親子の寝室に何故か私がいるわけである。
「あ、いえ、こちらこそ。家族の寝室にお邪魔しちゃって……」
「わたくしの方から誘ったのですからお気になさらないで? それより寒くないかしら」
「十分暖かいの。獣人が三人密着しているんだから当たり前だけど……」
動物の親子が固まって寝ている写真を見て、暖かそうだなあとは思っていたが、まさかその動物の立場になってその暖かさを体感することになろうとは。とはいえ流石にお互い服を着ているので、毛皮同士もふもふさせているわけではないが、それでも結構暖かい。
問題は、獣人とはいえ女性と密着してベッドを共にしている現状に私がどっきどきだということだ。マットもいるにはいるが、子供だしノエルさんの向こう側にいるので今は問題ではない。
ケモノっぽい匂いはするにはするのだが、何だかいい匂いもする。香水だろうか。その上ノエルさんの、その、おっぱいが頬に当たるというかですね、大変柔らかいというかですね、その……すごく落ち着かない。
自分のおっぱいは平気だったので他人のも大丈夫だと思っていたが、実に甘い考えだった。どうやら自分は女性に縁のない人生だったようだ。今頃わかっても遅いし、なんだか悲しくなってくきた……。
「……やっぱり落ち着かないかしら?」
「あ、その、ええと……あんまりこういう経験が無くて……」
もじもじしていると、ぎゅっと抱きしめられる。
「あ……」
「大丈夫、好きに甘えていいから、遠慮なさらないで……」
とても優しい声だった。
まるで母親のような、柔らかで暖かく優しい声。不覚にも、ぐっと来てしまって涙がぽろりと零れる。胸がつまり、さっきまでのどきどきが何処かへ行ってしまった。
……まいったな。こんな一言でやられてしまうほど、私は優しさに飢えていたのだろうか。
私に記憶がないことはもう話してある。両親の顔を覚えていない。家庭の温もりを覚えていない。愛されることの暖かさを覚えていない。どこから生まれ、どこへ行くべきかも定まらない。そう考えると私は確かに孤児で、迷子で、そして一人ぼっちだった。今まで目を逸らしていた孤独感が襲いきて、切なさと寂しさに身体が震える。
「辛かったでしょう? 寂しかったでしょう? でも大丈夫、今はわたくしがここにいるから……今は抱きしめてあげられるから……安心して……」
そして──それを包み込む温もりに、また涙する。
ああもう、いい年した男の癖に情けない。今の体は10歳の女の子だけどさ。だからこれは体のせいだ。視界が滲むのも、胸が詰まって言葉が出ないのも、全部体のせいだ。せいなんだったら。
──とくん、とくん、とノエルさんの鼓動が聞こえる。
涙を拭うこともできず、襲いくる微睡に身を任せ眠りに落ちて行く。辛さも苦しさもみんな忘れてただ安心が身を包み込み、意識が沈んで行く。
誰かが子守唄を歌っている気がした。
◆ ◆ ◆
夢を見ている。
そう自覚できたのは、自分が居るのが明らかに現代日本のマンションかアパートの一室だからだ。自分は見覚えのないはずの女性に見覚えのないはずの男性と共に食卓についていて、何か話しながら食事をしている。
見覚えがないはずなのに、覚えていないはずなのに、一目で分かった。懐かしさと安心感が胸を満たし、視界が滲む。
──父さん
──母さん。
二人ともこちらを振り返り、笑顔で何かを話してくれる。けれど、聞こえない。聞こえているはずなのに、言葉は頭に入っているはずなのに、聞こえないし分からない。こんなに近くにいるのに、こんなにも遠い。
けれど、今はそれで十分だ。
手を伸ばしても、届かない。声を掛けても、声を聞き取れない。けれど、今はまだ思い出せないだけだ。あの人たちの温もりを、あの人たちの声を、まだ思い出せないだけ。
私の帰るところはここにある。
どうやって帰ればいいかわからないけれど、いつ帰ることができるかわからないけれど、私の心の中にこの場所がある限り、きっとここに帰ってみせる。
だから今はただ──もう少しだけ、この人たちを見ていたい。
◆ ◆ ◆
「え、えーとそれじゃあ、お世話になりましたなの」
朝になった。
ベッドには既にノエルさんとマットは居らず、寝起きが悪い私はしばらくボケっとしていた。ふと我に帰り、昨夜の醜態の恥ずかしさに身を悶えていると、マットがやってきてからかってきたので、手を構えると慌てて逃げて行った。ちっ、素早い。
顔を洗うと頭がやたらスッキリしていて、鏡を見ると目もぱっちりしている。よく眠れた証拠だった。やはり今までの私は結構無理をしていたらしい。昨夜の一件でタガが外れて、ぐっすり眠ったおかげで精神的にも安定していると思う。
ちょっと優しくされたくらいであっさり陥落するとは我ながらチョロすぎやしないか? まあ、記憶が無いということは結構精神を蝕むものらしい。早く記憶を取り戻すなり寂しさを埋める方法なりを考えないと、辛い時に男に優しくされてコロリと……ということになりかねない。それだけは御免だった。
「またお気軽にいらしてね。今度はいろいろと情報をお渡しできると思いますわ」
「ノノ姉ちゃんまたな!」
新しい孤児が来ると、昨夜のように一緒に寝ていろいろ打ち解けようとすることがあるとか。私は入院者ではないが、どうも無理をしているとか、無意識下で結構参っていたのを見抜かれて、ああいう場を設けられたらしい。その日会ったばかりの冒険者をベッドに上げていいのかと言ってみたものの、散々子供達を相手してくれた10歳の女の子を警戒するほど臆病ではないと、コロコロ笑われてしまった。そんなに無邪気に見えたかなあ。
私がもう出発することを告げると、ノエルさんとマットが見送りに来てくれた。院の方が忙しいはずなので見送りは断ったのだが、代表者として最低限は見送ると来てくれたのだ。
「ノノさん」
「は、はい?」
「あまり無理はなさらないで、ゆっくり息抜きすることも大事ですわ。辛くなったらいつでもいらして構わないから……」
「……よく言われるけれど、そんなに無理してるように見えるの?」
「うふふ、それはもう」
即答されるくらいか。自分では全然普通にしてるつもりなのだけれど。うーん、と首を傾げていると頭をよしよしと撫でられる。子供扱いされているようでちょっと複雑な気分だが、この体になってからやけに撫でられるのに弱い。気持ち良さにうっとりと目を細めてしまう。
「ずっと頑張りっぱなしで、なんだかいつかポッキリと折れてしまいそうで見ていられないくらいですわね。思わずぎゅっと抱きしめて甘えさせてあげたくなってしまいますわ」
まあ実際にそうされたわけだけれど。
「夫を見つけろとまでは言わないけれど、気のおけない友人は作っておいた方がいいですわよ? 今の貴女にはきっとそういう人が必要ですわ」
夫て……まあ、獣人の十歳と言ったら確かにそれくらいの年頃だ。今の私は小柄なのでよく子供扱いされるが、本来ならば大人扱いされてもいいくらいなのである。……そんなに子供っぽいのだろうか。
それに友人。シェリーやジャスティンが思い浮かぶが、今は遠く離れている。旅の仲間でも見つけるべきだろうか。というか、そう考えると今の私はぼっちなのか。王都でいい人と知り合えるといいけれど。
「いろいろ心配してくれて、ありがとうなの。今回はあなた達に出会えて、本当に良かった」
名残惜しいが、撫でてくれている手を取りきゅっと握る。
「こちらこそ。お気をつけてねノノさん。あなたの旅に幸のあらんことを……」
ぎゅっと抱きしめられた。
「マットもありがとうなの。ほらこっちおいで」
「えっ、オレも? オレはいいよ……ってうわ!?」
「あらあら、この子ったら照れちゃって」
「て、照れてねえよ! き、気をつけてなノノ姉ちゃん」
「うん、またね。マット」
子供扱いされてばかりで何なので、マットはこちらから抱きしめてやった。これで五分五分、引き分けといったところか! ……一体私は何と戦っているんだろう?
ずっと抱き合っていたいくらいだが、仕事の邪魔をするわけにもいかないし、そろそろ行こう。ゆるゆるとハグを解き、荷物を背負い直して出発することとする。
「それじゃあ、またお会いしましょうなの!」
別れを告げて、孤児院を発った。
王都行きの馬車を探し、それに乗り込むことにする。
父と母の記憶を僅かながら思い出し、元の世界へ帰る決意を改めて固めた。
まだどうすべきかも定まらないけれど、王都で私の行くべき道が見つかるだろうか。
きっと私のことだ。平穏無事とはいくまいが、最後にはきっと何かが見つかるはず。
私は兎人族の白魔術師、名前はノノ。
王都を舞台に、冒険者生活の新たなる幕を開けよう!
◆ ◆ ◆
薄暗い部屋の中、彼は目覚めた。
締め切った窓の隙間から明かりが漏れ、太陽は既に昇っていることを告げている。しかしそれはどうでもいいのか、のそのそとベッドを出ると服を着始めた。ベッドはまだ盛り上がり、もう一人共に寝ていたようだ。服を着終えると窓を開け、室内を陽光と新鮮な空気が満たす。ベッドで寝ていた者はその眩しさと変わった空気に気が付くと、もぞもぞと動きだし身を起こした。
ベッドから出た者も、まだベッドにいる者も、共に獣人のようだった。一方は兎人の男性、もう一方は鼠人の女性──それも少女である。両者がベッドにいた時に共に裸だったことを考えると、同衾していたと推測するには難くない。
「よお、お目覚めか? ご主人様より遅く目覚めるとはいい根性した奴隷だなあ?」
男が意地悪く声を掛ける。まだウトウトとしていた少女はびくりと身を縮こませ、おずおずと男を見つめる。
「ご、ごめんなさいミミさま。すぐおきますから……」
慌ててベッドを飛び出すが、腰が抜けているのか足元がおぼつかず、床を転がってしまう少女。それに手を貸すどころか、ち、と舌打ちして足でその頭を踏みつける男。
「何やってんだてめえ」
「ごめんなさいごめんなさい! だ、だってきのうあんなにはげしかったから……」
「……ま、子作りにかけちゃあ俺たち兎人の右に出るものはいねえからな。口答えするのは気に食わねえが、どうせもうしばらく潜伏するんだ。立てねえならもうしばらく寝てろ」
若干気を良くしたのか、少女の腕を取り強引に持ち上げると、ベッドに放り投げた。それには遠慮の欠片もなく、少女はそのまま反対側に転げ落ちそうになって慌てて体勢を整えていた。
「それとミミ様じゃねえ。帽子屋様と呼べっつっただろうが。名前が割れたら面倒なことになる。それにこの名前は好きじゃねえんだよ」
「だ、だってハッターさまってよびづらいし……それにミミさまのほうがかわいい……」
「アァ!?」
「ひっ! ご、ごめんなさいハッターさま。いごきをつけます……」
また機嫌を悪くし、舌打ちすると椅子にどっかりと座り込み、ぶつくさと何かを呟きながら窓の外を眺める男。その視線は何かを睨みつけているようにも見えるし、漠然と宙を見ているようにも見える。
「あ、あの……ミ、ハッターさま……ごしつもんをよろしいでしょうか……」
そんな男に、少女は怯えながらも疑問を抑えきれなかったのか、質問する。
「……何だよ。言ってみろ」
「どうしてハッターなのですか……? ハッターさまはぼうしやなのですか?」
奇妙な偽名だった。少女が疑問に思うのも無理はない。特に帽子をかぶっているわけでもなく、今まで帽子にこだわっていた様子もない。何故か少女を拾った時から帽子屋を自称していた。ミミの名の方が呼びやすいので、少女はそちらの方が好きだったが。
「三月ウサギに眠りネズミが揃ったら後は帽子屋しかないだろ? まあこれ以上足手まといを増やす気はなかったから俺が兼任したがな。どっちも狂ってるんだから一緒にしたっていいだろうよ。なァ?」
表情が一転し、急に機嫌良く語り出す男。だが少女は全く理解できず目を白黒させていた。
「も、もうしわけありません。ふべんきょうでミミ……ハッターさまのいっていることがよくわかりません!」
「……あーいいよいいよ。どうせわかる訳がねえんだ。この世界の住人たるお前にはな」
再び一転し、今度は疲れたように吐き捨てる男。少女はこの男の山の天気より変わりやすい機嫌の変化を恐れていた。優しく語りかけてくれたと思ったら激昂して暴力を振るい、機嫌良く鼻歌を歌っていると思ったらぶつぶつと何かを呟きながら少女をまるで無視することがあった。
「……はあ」
「知ってるやつがいるのかもしれねえし……特にあいつは怪しいがまだ確証はねえ。なんならそれらしい格好でもしてみるか? それもいいかもなァ。シルクハットに藁も巻けば一発じゃねえかなァ……」
「そ、それとですね……ドーマウスというのは、その……わたしのなまえでしょうか? も、もしかしてわたしになまえをいただけるのでしょうか?」
ぶつぶつと呟く主人に、もじもじと上目遣いで見つめながら聞く少女。鼠人には番いになると決めた相手に、自分で考えた名前を送る習慣があった。それまでは名無しか適当な仮名で生活し、番いを持った一人前の鼠人になって初めて名前を得ることができるのだ。名前持ちというのは鼠人の憧れであり、人間でいう指輪や宝石のようなものだった。奴隷とはいえ少女もまた鼠人。名前持ちという名誉に心踊らせる。
「ああ? あー違う。単なるあだ名だよコードネーム。ドーマウスって呼び辛いったらありゃしねえ。お前は当分名無しのままだ」
「そうですか……」
その期待をあっさり裏切る男。少女はしゅんとしょげ返ってしまった。それに構わずまたぶつくさと呟き始める男。少女はそれを眺めながら、体の回復を待つことにした。
「三月ウサギに帽子屋に眠りネズミ……それにこの王都にはアリスもいる! 順番は狂っちまうが白ウサギもやって来る……いいじゃねえか最高じゃねえか! 一人余分だが、気違いのお茶会が始められる! ひひ。まあ実際に読んだことはないから俺流のアレンジが加わるがな。ひひひ。ああ楽しみだ。楽しみだなあ! ひひひ! ははは!」
きゃらきゃらと笑いながらまた何か独り言を喋っている主人を見て、そんなにお茶会が楽しみなのだろうかとのんきに考えている少女だった。
◆ ◆ ◆
ある街の孤児院にて、依頼者の条件に合わなかったために除外された資料の束があった。その一番上の資料。依頼者に見せるかどうか迷い、紙一重で含まれなかった一枚。その資料をみれば、依頼者は驚愕し、興味を持っただろう。
『黒魔術師ミミ。元傭兵。大量殺戮と大規模破壊工作により指名手配中。殺人狂で破壊思想を持つ極めて危険人物。黒魔術だけではなく、複数の魔法技能を高いレベルで習得し、優れた戦闘技能も持っていると思われる』
『また、異世界の知識を持っていると自称しており、精神に異常をきたしている可能性が高い。王都にて潜伏中との噂あり。十分に注意されたし』




