うさぎ、子守をする(上)
「兎人族の噂ねえ……いやあ、随分聞いてないなあ。うちに獣人族のお客さんが泊まることもそうそうないからねえ。聞く噂と言ったら、どこぞで盗賊が暴れてるだの、どこぞの貴族様が不祥事起こしただの、せいぜいそれくらいかねえ」
「そう……残念。それじゃあお仕事中お邪魔しましたなの」
「いいさいいさ、どうせ昼間は暇なんだ。聞きたいことがあったらまた聞きにおいで」
「ありがとう! ちょっと出かけてくるの」
いってらっしゃい、との声を背に受け宿を出発する。宿屋の主人は気さくなおじさんで、噂話を聞いてみたものの大した情報は得られなかった。街へ出て聞き込みでもしてみよう。
ここは王都に近いとある街。訪れる先々で何かしらの事件に巻き込まれてばかりなので、たまには大人しく情報収集といくことにしたのだ。もちろん今までも軽く聞き込みはしていたのだが、残念ながら全く情報は集まっていない。
集めているのは兎人族の噂だ。記憶を失う前の私が、最初に気がついた場所に来るまでに何かしらの活動をしていないか探っていたのだが、その痕跡すら見つからない。もしかしたら遠くの場所からワープなりなんなりしてきたのかもしれない。そうなるとお手上げだ。辺りを探っても何も出るわけがない。もしくは痕跡を残さないように活動していたのかもしれないが、どちらにせよ中身は一般人の私が消された痕跡を辿れるわけがない。
一番楽観的な考えでは、典型的なネット小説のように、事故にあって死んだ私が神的な存在に異世界へ特典付きで蘇生してもらって、その代償に記憶を奪われた、という流れだ。今のところその可能性も否定できない。むしろオンラインゲームのキャラクターの体を持って異世界にいるのだ。その可能性が一番高いのではないだろうか。だとすれば何の気兼ねもなくこの世界を楽しめばいいのだが、そう楽観的になれないのが私の性格というやつだった。
「さっさと王都に向かって、そこで情報集めた方がいいのかなぁ……」
王都というくらいだから人も情報も集まっているだろう。あっちこっち巡って情報を集めるよりは効率がいいかもしれない。……いやいや、折角宿も取ったのだし、この街でできることはできるだけしておこう。そうと決まれば、露店の商人にでも話を聞こうか。
ベテランっぽい商人がいないか街をふらふら歩いていると、背後から声を掛けられる。
「よーう、そこの嬢ちゃん。なんでも人を探してるんだって?」
いかにもチンピラという風情の柄の悪い男たちに声を掛けられた。あらいやだナンパかしら。私も捨てたものではないな。なんて思ってみたり。
「そうなの! お兄さんたち、もしかしてあの人のことを知ってるの?」
声は一オクターブアップ。上目遣いで見つめて首を傾げてみせる。いかにも警戒心の薄い世間知らずの小娘を演出する。
「おうよ。オレが知ってるわけじゃないんだけど、もしかしたらうちの仲間が話してたアイツのことかなァって思ってさ! よかったら話を聞きに来ねえか?」
「わぁ、本当!? 行く行く!」
きゃるるーん! ……我ながらバカみたいな演技だった。しかしその程度でも目の前のチンピラ連中は疑うわけでもなく、ホイホイと釣っているつもりでホイホイと案内してくれる。思惑通りなのだがどこか釈然としない。
蛇の道は蛇というし、少しこういう連中からも情報を探ってみたいのだ。多分こいつら自身はもちろん何も知らないだろうが、仲間連中は何か知っているかもしれない。こういう輩は大抵群れているので、ちょいと制圧してやって情報を引きずり出そう。
それにしてもどんどん人気のない方に案内されているようだ。分かり易すぎて閉口する。
案内されたのは薄暗い場所にある廃墟だった。かろうじて扉が付いていて、チンピラの一人がそれ開けるとチリや埃がばさばさと落ちてきた。中は光が入らないのか真っ暗で、中の様子は伺えない。
「まあ、入りなよ。みんな待ってるから話は中でゆっくり聞こうぜ?」
「えーっ、でもなんだかここ怖い……」
「……いいから入れって!」
「うわっ!?」
どん、と押され建物の中に押し込まれる。おのれ正体を表したか!
中は予想通り埃っぽく、床はボロボロでゴミだらけだ。みんな待ってるというが気配は一切ない。一応拠点に使っているのか微妙に生活の跡があるようだが……?
「うーん、暗くて何も見えない……」
「ハッ! ばーか」
「え──」
振り向くと角材を振り上げる男の姿が──
がつん、と鈍い音が響いた。
◆ ◆ ◆
「……こりゃあ酷い。ここに無理やり連れ込まれて暴行を受けたのだろうな……なんて無残なことに……」
「私が来た時にはもうこの有様だったの……あとはおまわりさんにお任せします」
「ええ、後のことはお任せを。ご協力感謝します!」
びしっと敬礼する騎士を残し、その場を去る。
こうしてはいられない。早々に宿に戻ると荷物をまとめる。
「あっ、あれっお客さん、もう出ちゃうのかい!?」
「ちょっと急ぎの用事ができたの。どうせ一日分しか取ってないし、お金は返さなくていいからこのまま発つの」
「そ、そうかい。気をつけて行くんだよ」
もうこの宿に用はないが、一応確認しておこう。周囲に聞こえるようにそれなりのボリュームで話す。
「そうそうところでご主人、外歩いていたらチンピラに絡まれたんだけど──」
「えっ、大丈夫だったのかい!?」
「うん、角材で殴りかかってきたから結界で弾いて、逆に角材で尻を百叩きにしてふた回りほどヒップを大きくしてやったの。もう一人は逃げ出そうとしたので魔法で縛り付けて、森で見つけたキノコをたらふくご馳走してやったら至福の笑顔で痙攣し始めたので転がしておいたの。最後の一人は腰を抜かして這い蹲りながら魔法で封印した扉を延々と叩いていたので、首根っこ掴んでいろいろお話ししてあげたら快く聞いてくれたので解放したの。だから特に問題はなかったの」
「そ、そうかい……」
そもそもの話、私が話を聞いたのはまだこの宿屋の主人だけだった。だというのにチンピラたちは私が情報を求めていることを知っていたのだ。どこかで主観が入ったのか、私が誰かを探しているということになっていたようだが、どちらにせよ『兎人族の女性が情報を求めている』という情報はどこかに流れていたらしい。
「それじゃあお世話になりましたなの」
宿屋の主人から情報を流されたのか、話を盗み聞きした他の客なのかはわからないが、面倒なことになった。王都に近いだけあって人が集まるせいか、治安も微妙に悪いらしい。まだ日も高いし、さっさと王都に向かってしまおう。
「おーい、そこの姉ちゃん。さっきは見てたよ。結構やるじゃん!」
宿を出ると、狼人族の少年が立っていた。彼ら狼人族は成人すると人より若干大きいくらいに成長するので、目の前の彼は私のような兎人と違って、見た目通り子供である。
「人を探してるんだろ? もしかしたらオレたちが力に──」
「えーと、王都に向かう馬車はまだ空いてるかなあ」
「聞けよ!?」
全力でスルーされたことにカチンときたのか肩を掴んできた。しかし今の私は疑心暗鬼モード。全く動じずデコピンをかましてやる。
「やかましい!」
「額が!?」
すぱーんといい音を立てて少年の額に直撃する我が指。久々にレベル99の身体能力を無駄に使ってみたり。もちろん怪我をさせたりはせず、ただひたすら痛いだけの一撃だ。
「私は忙しいのでそういうのに構っている暇はないの! それじゃあね!」
うおお、と唸りながら額を抑え蹲る少年を残し歩き出す。だがいつの間にかローブの裾を掴まれていた。流石に引きずってまでは歩くわけにはいかない。身体的には可能だが、世間体的に少々ダメージを受けそうだ。
「もう、まだ何かある──」
「ちょ、ちょっとだけでも話を聞いていかないかい──白魔術師のノノさんよ」
「……へえ」
この街に来てからまだ私の素姓は誰にも明かしていない。ということは、それなりの筋から情報を集めているということだ。この子供、いやこの子供の仲間連中は油断ならないらしい。
「わかったの、とりあえず話を聞くの」
「へへっ、そうこなくっちゃ! オレはマット。よろしくなノノ姉ちゃん!」
「よろしくね、マット」
無邪気な笑顔で笑い、手を差し伸べるマットと握手する。しっぽを振っているのがなんか可愛い。とりあえず彼の仲間たちに会ってみることにした。少なくとも私の素姓を知るほどの情報網はあるらしいし、求める情報はなくても悪い付き合いではないと思いたい。また先程のようなチンピラ風情ならまたボコボコにしてやるまでだ。
「それじゃあオレについて来てよ。……ああそうそう、宿屋のおっちゃんだけど、あんまり悪く思わないでやってくれよな」
案内しようと先行するマットだが、くるりと振り返ると鼻をピスピスさせながら宿屋の主人のことを話し始めた。
「ノノ姉ちゃんは情報収集してるつもりだろうけれど、情報を集めるってことは『情報を集めてる』って情報を流してるようなものなのさ。街に来てからの行動でノノ姉ちゃんの動きはある程度筒抜けだったワケ」
「な、なるほど……」
こ、こえー! 私は普通に行動していたつもりだったが、それすらも情報として流れていたらしい。ということはマットについて行っているこの現状も流れているのだろう。もう気にしていたらしょうがないので気にしないようにするが。
「まああのおっちゃんは人が良すぎて、客の情報もペラペラ喋っちまうから、それなりに後ろ暗い連中はあの宿には泊まらないんだけどな」
「いやそれ最悪だから!?」
今度この街に来た時は、あの宿には絶対に泊まらないと誓った。
◆ ◆ ◆
案内された先は孤児院のようだった。建物は古びていて手入れは行き届いておらず、子供達が着ている服もあまり上等なものではない。しかしそれなりの広さがあって子供達が元気に駆け回っているし、みんな笑顔でどこか温かみのある雰囲気だった。
「ふむ……つまり孤児院に偽装したなんらかの組織なの?」
「見ての通り普通の孤児院だけど」
デコピン一発。
「額が!?」
「で、どういうことなの?」
「っつー! これ結構痛いんだから、話の腰折りたくないならやめてくれよ!? ……えーとなあ、一応ここは孤児院なんだけど、実際は近所に住んでる獣人たちの託児所みたいなもんなのさ。で、人間社会に出てきてる獣人たちはそんなに数が多くないからみんなで結託して、裏でいろいろ仕事の情報回したり要注意人物の情報を流したりしてるワケ。そしてここではさっきの事情もあって獣人が集まる機会も多いから、ここにいると結構情報が集まってくるのさ」
耳をピンと立てて得意げに話すマット。
そうだったのか……。つまり獣人の労働組合とかギルドとかみたいなものだろうか。それほど大袈裟なものではないかもしれないが、私の情報を補足しているあたりそれなりに力のあるコネクションのようだった。
「ふーん、私も獣人だし、入れるのかな?」
「入れるかどうかは、この孤児院の院長次第だな。実はあんたを見てたのは院長からの指示っていうのもあるんだ。チンピラどもにホイホイついて行った時はビビったけど、絶対に手を出すなって言われてたから見てたけどさ、そう言われた意味がわかったよ。……あんたは只者じゃない」
尻尾を丸めて静かに言う。見た目兎人の少女が、チンピラの尻を角材で百叩きしていたらそりゃ引くわな。ドン引きだわな。
「その只者じゃないやつを組織に連れてきていいの?」
「見てろってことはオレの判断で連れて来いってことだろ。で、あんたは只者じゃないけど悪いやつには思えないし」
悪いやつじゃないけど危ないやつかもしれない、とは自分で思っていたりする。魔法で土地ごと吹っ飛ばしたりするし。尻を百叩きにするし。
「まあ興味も出てきたの。とりあえず院長さんと話して、組織に入れてもらえれば情報を回してもらえるの?」
「その辺は院長と話してくれよ。一応オレが連れてきたんだし、組織に入ったら俺の知ってることは教えてやるけど」
交渉次第か。あんまり得意じゃないんだけど、やるしかないか。マットの頭に手を伸ばすと、びく、と体を震わせた。……デコピンがそんなにトラウマになったのだろうか? お詫びに痛みが引く魔法と共に頭を撫でてやる。
「ありがとう、連れてきてくれて。探している情報が手に入るかもしれないの。その辺りはがんばってみるの」
「お、おう……」
目を逸らしてぶっきらぼうに返事しているが、尻尾を降っているので丸わかりである。うーん、可愛いなあ。どうやら私は結構な動物好きらしい。まあそれはマイキャラクターに獣人を選んでいた時点で半ばわかっていたことだが。
さて、それではいざ行かん院長の元へ!
マットの案内で私は孤児院へ向かって行った。
◆ ◆ ◆
「おねーちゃん、あそぼー! あそぼー!」
「ダメー! おねえちゃんとはあたしがあそぶの!」
「にゃーにゃー! にゃーにゃー!」
「うえーん! あいつにおもちゃとられたよお! うえーん! うえーん!」
「……どうしてこうなった」
エプロン付きの作業着に着替え、獣人の子供達に纏わり付かれる私は見事に保母さんとなっていた。遊びに誘う子供達が私の服を引っ張り合い、特に幼い少女は妙に身軽で私の背に登ってくる。更に他の子に玩具を奪われた子供が泣きついてきて涙と鼻水でエプロンを汚す。
「そんなの、交換条件に一日保母さんになることを受け入れたからじゃないか」
マットはのんきにそれを眺めながらニヤニヤしている。
「いやまあそうなんだけど……何でこの子達、初対面の冒険者にこんなに懐いてるの?」
最初は警戒心を解くところから始めようと気合を入れていたのに肩透かしを食らった気分である。 子供は嫌いじゃないが、子供の手のかかりようは何となく知っているのでこの先が大変だ。
「まあいいじゃねーか。嫌われてるよりマシだろ?」
「ど、どうかな……あ、ちょっと耳は引っ張らないでね」
敏感な耳を引っ張られるが子供に対して声を荒げるわけにもいかない。やんわりと引っ張られると痛いということを伝えてあげると、すぐにやめてくれた。
「はー、聞き分けのいい子達だから助かるけど、今日一日持つかなあ……」
背中に登ってきた子を前に抱きかかえて、喉をくすぐってやるとごろごろ言って大人しくなってくれた。猫人族の子供というのはもうまるっきり猫っぽいようだ。可愛い可愛い。
「……大丈夫なんじゃねーの?」
何故か呆れたように言うマット。確かに身体的には大丈夫なのだが、精神的には持つか分からない。まあ子供達もずーっと元気なわけでもあるまい。何とか頑張って子供達を満足させて、情報を手に入れるのだ!
「よーし、今日一日頑張るぞっ!」
「ねーちゃんねーちゃん! 鬼ごっこやろうよ!」
「よーし、じゃあお姉ちゃんが鬼やるから、みんなは逃げて……」
「だめえええ! ぼくが鬼やるの!」
「あたしー!」
「えええ、鬼大人気なの!? じゃあ私は鬼やらないから誰か……」
「じゃあみんなでやろー!」
「さんせーい!」
「えっ」
「じゃあー、おねえちゃんは逃げてね?」
「がおー! たーべちゃうぞー!」
「がるるるる!」
「あ、鬼ってそういう鬼なの!? ていうか一対十はキツイって! うわわっ! 待って、逃げる時間もなし!? 子供の世界ってシビアだー!?」
「おねえちゃん! おままごとして!」
「はーい、それじゃあ私は何をすればいいの?」
「おしごとでいつもいないママ!」
「……パパは?」
「パパはでかせぎにでてて、ずっとかえってこないんだって」
「…………」
「じゃあはじめるね! あーあ、ひとりでつまんないなー! つまんないからつみきであそぼうっと!」
「…………」
「こんこんこん! やったー! おしろができたー! わたしはおひめさまでー、ママはじょおうさま! パパがおうさまで、かぞくみんなでおしろでずっとくらすの!」
「たっ、ただいまーっ! ママが帰ってきたよ! パパももうすぐ帰ってくるからね! もう一人じゃないんだよ!」
「おねえちゃん、どうしてないてるの……?」
「ちょっと目にゴミが入っちゃっただけなの……今日は私をママだと思って甘えていいからね……!」
「ま、まま……?」
「大丈夫、ママはきっとあなたのことが大好きだからね……!」
「ノノさーん、その子は『ひとりぼっちのわたし』をテーマにおままごとをお願いするので注意して……あ、遅かったみたい」
「おっぱいたーっち!」
「うひゃっ!?」
「あーっ! いいなー! ぼくもさわるー!」
「あたしもー!」
「こっ、こら! 人のおっぱいを触ったらいけません! ノノさんをあんまり困らせるんじゃ……」
「あー、いいのいいの、私は大丈夫なの」
「そ、そう?」
「ほーら、おっぱいなの。大丈夫、ママが恋しいんだよねー? ママはもうすぐ迎えにくるから、もう少しだけ我慢するの」
「ち、ちげーし! ちょっとおどろかしてやろうとおもっただけだし!」
「ぼくもうおにいちゃんだもん! そーゆーのはもうなくてもだいじょうぶだし!」
「はいはい」
「にゃーにゃー!」
「あれ、さっきの子が……ママじゃないからおっぱい出ないの。ごめんねー」
「……ノノさん、何歳だっけ?」
「十歳なの」
「それにしてはかなり落ち着いてるような……」
更にその後、嵐のような食事の時間を超えると、お昼寝の時間だ。本来はこの間の時間に職員の人々は事務仕事などをこなすのだが、生憎私は一日限りのお手伝いなので、一緒に昼寝してもよいと言われている。
ちょっと気が引けるが、現状では一緒に昼寝をせざるをえない。というのも、私の腕を枕に寝てしまっている子が何人もいるからだ。なかなか寝ようとしない子が多かったので、私が率先して寝転がることで、そのような子たちもやっと寝付いてくれたのだが、私は身動きが取れなくなってしまった。
まあ許可はあるんだし、始めての子守で結構疲れてしまった。少しくらい眠ってもいいだろう。
おやすみなさい。
……うん、何か変な感覚が……。
どれくらい寝たのかな……まだ静かだからお昼寝の時間は終わってないみたいだけど……。
「うにゃうにゃ……うにゃうにゃ……」
あー、なんだか気持ちがいいなあ。久々にこんなに平和な時間を過ごしてるからかなあ。昼寝なんてもうしばらくしてなかったしなあ。
それになんか胸のあたりが気持ちい……い?
ぱち、と目を覚ますとおっぱいを揉まれる感触と、おっぱいの先を吸われる感触。ぎぎぎと胸元を見てみると、昼間よくくっついてきた猫人の少女が、私の服の下に潜り込んでおっぱい吸っていた。微妙にサイズのあっていないゆったりとした服が仇になったのか、服を捲り上げられて下着もずらされている。
猫は母親の母乳を吸う時は前足でおっぱいを揉みながら吸うという。小さい頃に母親から離されたり、猫によっては大きくなってもその癖は残り、柔らかいものを揉みながら噛むことがあるとか。
そんな現実逃避をしながら眺めていても、目の前の光景とこの身に走る感覚は変わらない。
「ちょ、ちょっとねえ、はぅ、その、ダメなの。私はおっぱいでないから、んっ、離れて……や、やめて……」
こ、これは流石に恥ずかしい! それに経験したことのない未知の感覚だ。これが授乳の感覚なのだろうか。い、いやダメだ、男として目覚めてはいけないものに目覚めそうな気がする! ここは早急に脱出して……。
そうだった、両腕には子供達が寝ているのだった。
ということは、お昼寝の時間が終わるまで私はおっぱいを吸われていなければいけないのだろうか。そしてこの感覚に耐えなければいけないのだろうか。
思いも寄らないボス戦に、私はただ翻弄されるしかなかった。
◆ ◆ ◆
「今日は一日、ご苦労様でした。子供達も喜んでくれていたみたいだし、随分助かりましたわ」
「び、微力ながら力になれて幸いです……この仕事を毎日している職員の方々には頭が下がる思いです」
結局お昼寝の時間まで胸を吸われ続け、他の保母さんに爆笑されながら助けられた。どうやら時々そういうことが起こるらしい。あの少女の甘えぶりから想像しておくべきだったが、男の精神である私がまさか胸を吸われる想像ができるはずもない。何とか耐え切ったが、お昼寝の時間の後だというのに私は憔悴し切っていた。
「いえいえ、時々外部のお手伝いさんを呼ぶことがあるのですが、あそこまで子供達が懐いてくれることはなかなか珍しいのですよ。やはり年の近い獣人の方で安心したのでしょうか。聞き分けも良かったようですしね」
今来客室で対面しているのは、孤児院の院長であるノエルさんだ。狼人族の女性で、真っ白な毛並みが美しい。
組織に入れるかどうかは検討中だが、今日はよく働いてくれたので情報は回してくれるという。それならば働いた甲斐もあったというものだ。
「それでですね、話は変わるのですが……ノノさん、うちの職員になりませんか?」
「はい?」
ノエルさんは尻尾をフリフリ詰め寄ってくる。いや、ちょっと、近い近い!
「前々から目を付けておりましたが、きっと才能があると思いますの! それにお仕事をお願いする時のあのお言葉……『子供はみんなの宝物』……わたくし感動いたしました! 今の世の中、そう断言できる人はそうそうおりません。貴女ならきっと子供達を幸せにできますわ!」
目を付けていたって、そういう意味かい! それにそんなことも言ったような気もする。現代日本で生まれ育ったおかげで形成された、女子供を大切にするという常識が評価されたようだ。
子供達の笑顔が思い浮かび、一瞬だけ、ここで働くのもいいかなと思ったが、私には目的もあるし、私自身はどうも事件を引き寄せやすい体質のようなので、この場所に留まるのは気が引ける。丁重に断らせてもらった。
「そう……残念ですわ。気が変わったらいつでもご連絡くださいね」
しゅんと耳を伏せ尻尾を垂らすその姿は実に可愛らしいが、既に結婚して子供もいる既婚者である。獣人は外見から年齢が分かりづらいのだ。
丁度話が終わったのを見計らったのか、部屋の扉がノックされ、職員が資料の束を持ってやって来た。
「それではノノさん。資料も準備できたようですので、我々が独自に収集したご希望の情報をお渡しします」
部屋の空気が変わる。緊張に固唾を飲む。
いや、落ち着け。そう簡単にすべての情報が集まるわけではない。きっと僅かな情報のはず。あくまでどこを目指すかの指針ができればいいのだ。
とはいえ期待を抑えられない。今まで全く情報が集まらなかったところにこのコネクションである。何かしらの情報は期待できそうだが……。
その期待の視線を受けながら、ノエルさんは資料をぱらりと捲り、内容を読み上げ始めた。




