うさぎ、パーティに誘われる
「もし、そこの受付のお方」
少女のような声だった。それに随分と低い位置から聞こえる。荒くれどもが集まるここには、随分と似つかわしくない声が聞こえたものだ。
街中のとある冒険者ギルドの中。テーブル席で寛いでいたり、依頼の張り紙を見ていた冒険者たちが、ふと声が聞こえてきた受付の方に顔を向けた。そこには、兎人がいた。自分の背より高いカウンター越しに、受付嬢と話しているのが見える。
「珍しいな。兎人の冒険者志望かい」
誰かが呟いた。
確かに珍しいことだった。兎人は、性質的に外に出るだとか旅に出るだとかを好まない。好奇心旺盛で、興味のあることにかける情熱は種族中随一だが、主に引きこもって研究や遊びに明け暮れるのが一般的だ。獣人族の一種なので、身体的には優れているはずなのだが、どうにもインドアな種族だった。
これが国の中央に近い街なら、人間以外にもそれなりに珍しい種族も集まる。だが、この街のような微妙な大きさで、中央から微妙な距離にある土地では、やはり珍しいことだった。
その件の兎人は椅子によじ登り、書類に記入していた。冒険者になるのに必要なものは特にない。最低でも通り名さえあれば、あとは身分証代りのギルドのエンブレムを受け取ることで冒険者として活動できる。勿論簡単に手に入る分、身分証明としてはほとんど効力はないのだが、重要度の高い依頼をこなして名が売れて行けば、上位の冒険者として認められ上位のエンブレムを受け取ることができる。それらの上位エンブレムなら冒険者として一目置かれ、それなりに特典もあるという。
冒険者登録が終わったのか、そのエンブレムを受け取ってじっと見つめる兎人。表情はわかりにくいが、きっとニヤついているのだろう。新米冒険者がエンブレムを受け取って最初にすることなんて散々見てきたし、自分たちも経験していることだった。だが、ここからが長いのだ。重要な依頼がそうそう来るはずもなく、チャンスを掴めなければ小さな依頼をこつこつとこなしていくしかない。最初から次に上がるまでに、年単位の期間がかかることも珍しくないのだ。
兎人がきょろきょろと当たりを見回し、依頼が張り付けてある掲示板にとてとてと歩いて行くのを見て、冒険者は自分たちがずいぶん熱心に新人を眺めていたことに気がついた。いくら珍しい種族とはいえ、ここまで目を引くものだろうかと首を傾げた。
他の冒険者たちが興味を失い、それぞれがしていたことの続きに戻る中で、ある男は観察を続けた。その男だけではない。気づかれないよう、注意深く兎人の後ろ姿を探るものたちが何人か居る。彼らは皆、それなりの修羅場をくぐってきたベテラン達だ。そのような彼らが、一見初々しい新米冒険者を念入りに値踏みしている。
長年の経験が告げているのだ。こいつには何かあると。
歩く姿は隙だらけだし、張り紙を眺めるその表情に、経験を感じさせるような締まりはない。少なくとも冒険者稼業は初めてのようだ。だが、その姿勢は堂々としている。あからさまな値踏みの視線にも動じず、すんなりと冒険者登録を終えて、今は薬草集めなどの雑用の依頼を見ている。冒険者になったばかりの輩は、すぐ討伐依頼を探すような血気盛んな連中が多いのだが、この新米はまずは仕事に慣れようと慎重に依頼を選んでいるようだ。感心するが、兎人なのだし、単に臆病なだけなのかもしれない。
少なくとも、しばらくは退屈しなさそうだ。
依頼を決めたものの、張り紙に背が届かないのか、必死に背伸びするその新しい後輩の後ろ姿を眺めながら、先輩冒険者連中は心踊らせる。何かが動き出そうとしている。その雰囲気を感じ取って。
「……届かないの。誰か手伝って欲しいの」
◆ ◆ ◆
冒険者になって一週間。薬草集めだの、失せ物探しだの、雑用の依頼をいくつかこなして、とりあえず仕事には慣れてきたように思う。ギルドに初めて入った時には一斉に注目されて、これはまさか新人の力量を見るために咬ませ犬が喧嘩売ってくるお約束の展開かと内心期待していたものの、特に何事もなく。すんなり登録は終わって、依頼を受けてこなして宿に帰った。
そういえば、ギルドのエンブレムには少しがっかりしてしまった。水晶に触って登録だとか、パラメータが表示されるギルドカードだとか、そういうファンタジーな展開を期待していたのだが、書類を何枚か記入して粗末なエンブレムを受け取るだけで終わってしまった。まあ筋力だとか精神力だとかの曖昧なものを、そう簡単に数値化はできないということなのだろう。夢の中なのだから、それくらい融通を効かせて欲しかったが。
ちなみに張り紙に手は届かなかったが、《念力》が使えることを思い出したので、遠隔で操作して無事に手に取ることができた。無詠唱でさらりと使ってしまったが、魔法使いとしてそれなりの経験があれば誰でもできることなので、特に問題にはならないだろう。
宿に戻り、兼業になっているらしい酒場でも、酔っ払いが絡んでくるとかも特になく。それどころか仲良くなってフラグを立てられるような看板娘とかも特におらず。元冒険者の老夫婦が経営している、落ちついた雰囲気のいい店で、ゆっくりと食事を取ることができた。情報収集としてこの街周辺の話を聞いたが、どうも気に入られたらしくいろいろ教えてもらった。最後には頭を撫でられて飴を幾つか貰って、完全に子供扱いされていた。小柄で愛らしい兎人族故に仕方がないことだが……まあ悪い気はしない。
さて、こうして始まった冒険者稼業だが、期待していたような波瀾万丈な展開はそう簡単には訪れないようだ。
まず、この世界はゲームとして遊んでいた世界ではない。伝えられる神話だとかこの世界に生きる種族だとかはかなり似通っているのだが、世界情勢や土地の名前、国々だとかはかなり違ってきている。もしかしたらゲーム世界の未来だとか過去で、自分がこの世界にいることも何らかの因縁があるのかもしれないが、今のところ全く異なる歴史を歩んだ異世界と認識していいだろう。
一般的なゲームならそこら中にモンスターとかがいて、それを倒して経験を積んでいくのがいいだろう。だが、この街周辺に危険な生物はそう存在しないし、居ても森だの山だのに引っ込んでいる。せいぜい野盗が出るくらいだろうか。どうも鼠人がこの地周辺に巣食っているらしい。
鼠人。ゴブリンといえばファンタジーではお約束の存在だが、この世界では二足歩行をする鼠のような姿をした、獣人の一種だ。とはいえかなり欲望に正直な種族で、あまり他種族に友好的ではない。更に、彼らの集落以外で出会う鼠人は、大体強盗か盗人をしているのだ。まぁ、出会ったら片付けても問題ない連中と言える。
だが、種を保存するという能力で彼らの右に出るものはいない。どんなに念入りに討伐しても、いつの間にか何人か逃げ延びていて、また繁殖して集落を形成しているのだ。そのため、古くから彼らによる被害があるにもかかわらず、未だに被害が途絶えることはない。それに加えて、普通の人間による野盗もいるのだから、冒険者たちは食いっぱぐれる心配はしなくて済むということだ。街にとっては厄介な悩みの種だろうが。
とはいえ、だ。自分が想像する冒険とはもっとこう、竜だとか巨人だとかに仲間たちと共に立ち向かい、絆を深めるだとか恋愛をするだとか、いつの間にか運命的な因縁に巻き込まれて世界を旅するだとか、そういうのを期待しているのだが、そんなものはこの世界ですらおとぎ話でしかないようだ。まぁ仮にあったとしても、新米冒険者には縁のない話だ。
いやしかし、せっかくの夢なのになあ、と諦めきれずにぶつくさいいながら今日も依頼を探すのだった。
◆ ◆ ◆
「なあ、そこの兎人の嬢ちゃんよ」
採集依頼にするか掃除依頼にするか迷っていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、そこにはいかにもベテラン風な冒険者の男がいた。戦士なのだろうか。軽装だが近接戦闘に向いた装備をしている。全身が無駄のない筋肉に覆われ、肌にはいくらかの古傷が走っている。どうも見覚えがあると思ったら、ギルド初日でずっとこっちを観察していた男だ。張り紙に手が届かなくて、背伸びするこちらを見て大爆笑してくれやがったので、しっかり覚えている。
「えーと、どちらさま? 何か用なの?」
ちなみに。
ネカマはやっていないと言ったが、これからもやらないとは言っていない!
せっかく現実の自分とはかけ離れた姿になったのだから、それなりのキャラ作りをしても許されるはずだ。特に今までツッコミは入ってないし、兎人族は変わり者が多いというイメージを持たれているので、多少変なことをしても『まあ兎人だしな』で済むと思う。素直には喜べないが。まあ、本気で女性らしく振る舞う気はないし、できる自信もない。飽きたらやめよう程度のちょっとしたお遊びである。
「俺はジェフリーっつーもんだが。新人どもを集めて、ちょいと討伐依頼で経験を積ませてやろうかと思ってな。嬢ちゃんは興味あるかい?」
研修みたいなものだろうか。だが、討伐依頼というのは都合がいい。そろそろ戦闘経験も積まないといけないと思っていたのだが、なかなかちょうどいい依頼がなく、踏ん切りがつかなかったのだ。
「興味あるの。そろそろ討伐依頼を経験したいと思っていたところだったの」
この体のスペックを考えれば、この辺りの生き物など魔法でも放てば一掃できるだろうが、今欲しているのは必要最低限の力で的確な状況判断をして倒せるような、効率的な戦闘能力だ。こればっかりはスペックにおんぶに抱っこでは身につかない。
「そいつは良かった。じゃ、ついて来な。メンバーと顔合わせと行こうぜ」
「分かったの」
とてとてと歩いてついて行く。当然だが、人間と兎人ではかなり歩幅が違うので、ついて行くのも一苦労だ。体のスペックは相当なものなので、早歩きや小走りを続けてもスタミナ切れはないと思いたいが、あまりに長距離だとどうなるか分からない。対策が必要かもしれないな。
ギルドの奥は軽食が取れるテーブル席があるスペースになっており、ジェフリーが向かったテーブルには既に3人の冒険者が着いていた。男が一人、女が二人だ。
「よっ、おまっとさん」
「あら、随分早いじゃないですの。本当にこの時間帯にいましたのね?」
ジェフリーが声を掛けると、赤毛の女性が返してきた。親しいところを見ると、この人も先輩冒険者なのだろうか。
「だから言ったじゃねえか。ここしばらく同じ行動パターンだったからな。それに目立つし、すぐ見つかると思ってたぜ」
「なるほど。で、その子がそうですの?」
そう言って、こちらを見つめてくる女性。やはり行動パターンは見られていたらしい。まぁ見られて困ることをしていたわけでもない。この辺りでは兎人は珍しいようだし、皆が慣れるまでの辛抱だろう。
「おうよ。じゃあ面子も揃ったことだし、まずは軽く自己紹介でもするか?」
だが、そんなことはどうでもいい。
「そうですわね。それじゃあ、まずはわたくしから」
女性が立ち上がり、両側の縦ロールが揺れた。
「改めまして。わたくしはロゼッタ。銀級の冒険者で、野伏としての技能を習得しておりますの」
ファー付きの黒コートに、その下にはレザーアーマーを改造したのか、随分と露出の高い装備をしている。これってボンデージ……いやいやそんなまさか。
「もう知ってるやつもいるだろうが、俺はジェフリー。同じく銀級の冒険者だ。いろいろやってるが、ま、メインは戦士ってとこだな」
コート裏や腰に武器が見えるが、ナイフやダガーに加えて、鞭のようなものが……。
「今回は急な勧誘に応じてくれて感謝いたしますわ。けれど、悪い話ではありません。きっと貴方達にもよい経験となるはず」
どういう経験だ。あ、いや、変な意味ではないのだろうけれど、如何せん貴女の格好が、その。
「あなたたちは運がいいですわ! 銀級が二人も付いて依頼を受けられるなんて滅多にありませんもの。大船に乗ったつもりで、いろいろと学びなさいな。そして、早くわたくしのような愛と冒険を追い求める、立派な冒険者になれるといいですわね! おーっほっほっほ!」
……………………。
「おーっほっほ! おーっほっほっほっほっほ!」
……ま、負けだ……。
完全、敗北だ。完全にキャラの濃さについて、負けている。
ロゼッタが高笑いし、ジェフリーが頭を抱え、まだ自己紹介もしてない残りの二人がぽかんと惚ける中。私はこの世界にきて初めての敗北を噛みしめるのだった。
「おーほっほっほっほ!」