うさぎ、キノコ狩りをする(中)
『あれは忘れもしない五十年前のあの日──』
『──私はネコミミに目覚めた』
『あの日以来、私はネコミミのついた者にしか興味が持てなくなった。恋人が出来ても私がネコミミの飾りを強要するあまりに去って行く。半猫人の恋人を作ったこともあったが、私の興味がネコミミにしかないことに気がつくとやがて去って行く。そのようなことが何度も繰り返された』
『誰も私を理解してくれない。誰も私の望みを叶えてくれない。私はただネコミミを愛したいだけだというのに!』
『だから私は決めたのだ。人々に、いや世界にネコミミの素晴らしさを認めさせると』
『学徒でも何でもなかった私の、ゼロからのスタートは困難を極めた。様々な街を旅しながら学び舎や図書館を訪ね、野望の助けになりそうな知識は貪欲に吸収した』
『西に生物に関する書物がありと聞けば西に行き、東にネコミミの可愛子ちゃんありと聞けば東にダッシュした。しかし知識を得れば得るほど、私の野望は極めて困難だということを理解せざるをえなかった』
『私の野望は所詮夢物語に過ぎないのだろうか? 世界に溢れるネコミミというそんなささやかな夢すら叶わず、残酷な現実に負けて終わるのだろうか? だが私は諦めない。一パーセントでも可能性が残されている限り、私は絶対に諦めるということはしない』
『何故なら、私はネコミミを愛しているから──』
『野望のために歩み始めてから何十年という時間が経過し、私の身に寿命というタイムリミットが近づいていた。成果は思わしくなく、人にネコミミを生やすこともネコミミ飾りを流行らせることもできていなかった。死するその時まで諦める気はなかったが、長年の孤独と先の見えない研究に心が萎れかけていた』
『だが、それにも光明が見えてきた。ある森で、人体に寄生するキノコを発見したのだ。そのキノコは宿主をやがて死に至らしめる悪性と、見るにおぞましい醜悪な造形をしていたが、このキノコの発見が私の研究に重大なヒントをもたらした』
『もしこのキノコが何の害も無く、それも可愛らしいネコミミの形をしていたら、寄生された宿主はこれを取り除こうとするだろうか。いやしない。それどころか、新たに生まれた自らのチャームポイントに喜び感謝することだろう!』
『道は見えた──後は進むだけだった』
『あらゆる森を探索して、材料になりそうなキノコを探した。ありとあらゆるキノコを掛け合わせて、様々な品種を作り出した。望みに近いものが生まれることもあれば、全く関係のない意味不明なものができることもあった。だがその意味不明なものからネコミミに繋がる新たな発見をすることも確かだった』
『私はある森を拠点に定め、森そのものをキノコの保管庫とすることにした。有望なキノコは手元に保存し、一見使い道のなさそうなキノコは一旦森に散布して、変化を待った。環境に適応できず死滅して行くものもあれば、環境に合わせて姿形を変えて思いも寄らない変化を見せることもあった』
『とうとう見つけた。とうとう現れた。完全にネコミミの形をしたキノコを!』
『寄生能力を備え、毒性を取り除くのにそんなに時間はかからなかったと思う。いや、望みのキノコが目の前に現れたこともあり、日夜殆ど睡眠を取らずに品種改良に励んでいたせいかもしれない』
『そしてふと気がつくと──私は夢を叶えていた』
『ふさふさと優しい毛の手触り。ぷにぷにと柔らかく、そして少しだけ冷たい感触。夢にまで見た、私が長年求めていたそれが、今私の手の中にあった』
『──私にネコミミが生えていた』
『頭にしっかりと根付いたそれは、私の首筋当たりの筋肉の緊張に合わせてぴくぴくと動いた。流石に聴覚は備えていないが、心なしかよく音が聞こえるようになった気がしなくもない』
『私は三日三晩狂喜乱舞し、そして一週間ほどぶっ倒れた。ロクに睡眠も食事もとっていなかったせいだろうか。目が覚めた時は流石に冷静になり、食事を取りながらこの日記を書き綴っている』
『経過を見ながら大量散布の準備を進めるつもりだ。すでに培養は始めている。このキノコが世界中に広まり、人々の頭に生えた時、私の野望は達成される。ネコミミが当たり前のように世界にあり、ネコミミが当たり前のように愛される世界。その理想の世界は近い』
『気のせいだろうか。ネコミミの毛が私の頭に広がりつつある気がする。菌糸の変形なのでそんなに心配はしなくてもいいとは思うが、毛が広がりすぎてはネコミミとは言えない。ネコミミは必要最低限であるべきなのだ』
『少し失敗したかもしれない。私の全身に薄く菌糸が広がりつつある。全身が毛深くてはネコミミとは言えない。もはやそれはネコである。毎朝菌糸を取り除かなくてはいずれ毛むくじゃらになってしまうかもしれない』
『最近意識が飛ぶことがある。私も十分長生きをした。様々な無茶をやってきたし、研究のために体をないがしろにしてきた。だがあと少しなのだ。夢は目前に迫っている。あと少しだけ持ってくれ』
『どうして私はこうもネコミミに惹かれたのだろうか。思い返してみるに、それは少年らしい初恋のせいだったのかもしれない。五十年前、近所に半猫人の幼馴染が住んでいた。同い年だったのだが、獣人の成長は早い。あっという間に大人らしい体つきになり、私ともあまり遊んでくれなくなった。でもいつも会いたかった。小さな頃、私と語り合いながらぴくぴくと耳を動かしていた、あの頃の彼女の姿が忘れられないのかもしれない』
『もしくは毎日彼女の水浴びを覗いてネコミミをじっと見ていたせいかもしれない』
『まあどちらでも良いことだ。今やネコミミは我が手に、いや我が頭上にある』
『何ということだ。ネコミミキノコの菌床をひっくり返してしまった。体に無理をさせすぎていたのだろうか。片付ける手も覚束ない。準備は後退してしまったが、ここで焦っては全てが台無しになるかもしれん。しばらく休息を取ることにする』
『何日経ったのだろうか? 時間の感覚がない。よほど疲れていたらしい。もう少し休んだら準備を再開するとしよう』
『準備を進めなければ。一刻も早く世界にネコミミを撒き散らさなければ』
『幼馴染の名前は何だったか。今となってはネコミミしか覚えていない』
『もう意識を保っていられない。ネコミミキノコは失敗だった』
『失敗なものか! ネコミミにアフれている! なんて素晴らしいんだろう! なんて素晴らしいんだろう! なんてすばらしいんだろう!』
『ネコミミだ! ネコミミをせかいに広げよう!』
『ワタシはいつしかネコミミを愛するあまり、ネコミミそのものになろうとしているらしい。しかし悔いはない。ヨロコんでこの身をササげることにしよう』
『ネコミミネコミミネコミミネコミミネコミミネコミミ』
『わたしはおおいなるネコミミのなかにある』
『ネ コ ミミ』
◆ ◆ ◆
──全身にネコミミが生えている。
人の姿をしていながら、それはまさしく異形だった。
肌という肌がネコミミのようなひだに覆われて、体の動きに合わせてぶよぶよと蠢いている。感覚器官はそのネコミミの肉と毛に覆われているというのに、何らかの方法で感知しているのかふらふらと二人の方へ歩み寄って行く。
扉は封鎖したはずなのだが、裏口から出たのかもしれないし、何処かの壁が既に朽ちて通り道ができていたのかもしれない。どちらにせよ、封印を抜け出して二人の前に現れたのは確かだった。
『うわあああああっ!?』
日記に集中していたのか、二人は悲鳴を上げて飛び退く。その声に反応したのかネコミミ男は奇妙な呻き声をあげた。
『ネコミミィ……』
この男が抱いた野望とその末路は分かった。だがどうすれば良いというのか。資料が確かならばこの有様はネコミミキノコとやらによるものだったが、それはネコミミキノコの正しい生態なのだ。下手に魔法をかければネコミミキノコは活性化し、取り返しのつかないことになるだろう。
いや、もう手遅れなのかもしれない。
人々を癒す白魔術の使い手でありながら、目の前の人を救う手立てがないことに歯噛みするノノ。
「……ぶっちゃけ帰りたい」
いや違った。ネコミミ好きをこじらせてネコミミになったような男に関わりたくないのであった。
「おいおい、さっきと言ってることが違わないか?」
流石に呆れたのか制止するハワード。だがその表情は全力で同意していた。
「下手に近寄れば私たちにも感染するかもしれないの。ネコミミが生えるだけならまだいいけど、この人みたいに意識も乗っ取られて、ネコミミ人なのか人ネコミミなのかよく分からない存在になってしまったら、元に戻るのは困難そうなの」
資料から察するに、繁殖力を抑えることができなかったのだろう。もしくは管理が甘いために変異してしまったのか。今となっては闇の中、いやネコミミの中である。
「う、ううむ。しかし、放置していいのか? 資料を信じるなら世界中に広がる程の繁殖力があるそうじゃないか。被害を広げる前に、いっそのことここで──」
と、言いかけて口を噤む。流石に年若い少女の前でそのようなことは言えなかったらしい。
「いや、どこかに閉じ込めておくべきだろう。小屋の様子をみるに、動かないでいればしばらくは食わなくても生きていられるようだからな。我々は一旦戻って対策を練ろうじゃないか」
問題の先送りでしかなかったが、今はそれしかないように思われた。
ノノは頷き、像兵に指示してネコミミ男を捕まえた。ネコミミ男は暴れもがいたが、抗えるはずもない。新たな像兵を動員して小屋の壁や窓を木や岩で封鎖し、ネコミミ男を改めて小屋の中に閉じ込めた。
『ネコミミィィィィ! ネコミミィィィ!』
どかどかと壁を叩く音と、怒りの篭ったような呻き声が聞こえる。
「夢に出そうなの……」
「行こう、念のため村の人々にも知らせておかなくてはならん」
ノノを促し、歩み始めるハワード。すべてを話しても信じてもらえないような状況だが、手遅れになってからでは遅い。一行は一時村に戻ることにする。
『ネコミミィィィ!』
ネコミミ男の怨讐の声を背に、二人は去っていった。
◆ ◆ ◆
「うーむ、何か手はないものか……」
日も暮れて、ハワードさんの自宅に一時戻った私たちは、どうにかあのネコミミ男をどうにかできないかと頭悩ませていた。
「……ダメなの。思いつかない」
記憶にある膨大な数の魔法から、この状況を打破できそうなものを探る。だがこの体のベースとなっているのは元々戦闘がメインのオンラインゲームなのだ。体力の回復や状態異常の治療の魔法はあっても、寄生生物の除去という限定的な魔法は存在しない。
ならば現代人というアドバンテージを生かそうにも、そもそもキノコのことをよく知らない。せいぜい熱湯をかければ駆除できるだろうかと想像するくらいで、仮にもキノコ研究者であるハワードさんが思いつかないようなことを、キノコ素人である私が思いつくはずもない。
「一応村の者には事件のことは伝えたのだし、彼も閉じ込めてあるから急に事態が動くこともないだろう。君はもう休みたまえ。一度眠った方がいい案が思い浮かぶかもしれんからな」
村の人々は半信半疑ながら、ハワードさんの言うことならばと言うことを聞いてくれたようだ。失礼ながら一目置かれていたんだなあと感心する。
「……そうさせてもらうの」
肉体的にはまだまだ元気なのだが、精神的にはだいぶ疲れてしまった。やはり脆弱な現代人の精神が、高スペックの肉体の足を引っ張っているようだ。身体に見合う精神を獲得できるのはいつになることだろう。この調子では遠い未来の話になりそうだ。
採取してきたキノコを整理するというハワードさんに挨拶をして、客用の寝室にてとりあえず休むことにする。
寝巻きに着替え、ベッドに横になった後もなかなか寝付けなかった。
彼が殺意を持って襲ってくるただの怪物だったなら、強力な魔法で一撃だというのに。諦めきれず、あのキノコだけを倒す方法を考えてしまう。人間にはダメージを与えず、キノコにだけダメージを与えられないだろうか?
消毒液の類をかける? その程度であのキノコがやられるだろうか。熱湯をかけて、火傷はあとで治療する? 少々乱暴だが検討しよう。いっそのこと力ずくで毟り取る? 皮膚が剥がれないだろうか。こればっかりは実際に試してみないと何とも言えないだろう。
そうだ、医者が病気を怖がってどうする。
何かの書物の受け売りだろうが、そんな言葉がふと思い浮かんだ。私は医者ではないが、白魔術師だ。今はまだ軽い怪我や軽い病気しか治療したことはないが、いずれ見るに耐えない大怪我や重い病気の患者に出会うかもしれない。その時にも私は逃げ出すのだろうか。目を背けるのだろうか。できればそうしたくはない。
どうやら自分はいつの間にか、身も心も白魔術師になりたがっているらしい。単に昔遊んでいたゲームのキャラクターが回復役だっただけだというのに。これまでの白魔術師としての活動に、心が引きずられているのだろうか。けれど、悪い気はしない。
明日、あのネコミミ男をよく調べてみよう。もちろん対策はしっかり取ってから近づくことにする。昼間出会った時は悲鳴をあげてしまったが、覚悟して対峙すれば今度は──
『ネコミミィ……』
──うん、無理。
窓にべったりと張り付いているのは、頭にネコミミがある影だった。
「きゃあああああっ!?」
小屋に閉じ込めたはずなのに、また抜け出されてしまったのだろうか。そんなことを考えている場合ではない。全く覚悟ができていない状況でこんな遭遇の仕方をされたら、思わず叫び声が出てしまう。我ながらなんて女々しい叫び声なんだ……女の子の体なんだから仕方ないけど。
「どうしたっ!?」
扉を蹴破り、ハワードさんが突入してきた。彼が見たのは窓に張り付くネコミミの影と、怯えてシーツに縋り付く少女の姿だっただろう。こう客観視してみるとなんだかホラー映画のワンシーンみたいである。なんて言ってる場合じゃないか。
「近付いたらダメなの! 感染する!」
急いで防護魔法を我々にかける。とはいえこれほどまでの寄生生物を前に、どれだけの対策になるか分からないが、無いよりマシだ。
さて、このまま窓を破られるのはまずいが、一番まずいのは村中に胞子を飛ばされて感染拡大することだ。急いでどこかに隔離しないといけない。
「窓はあとで弁償するの! ──《衝撃》!」
窓諸共強力な衝撃がネコミミの影に襲い掛かり、ガラスの砕け散る音とガラス片を撒き散らしながら外へ吹き飛ばす。寝巻きの上からいつものローブを羽織り、私も窓から飛び出す。
『ネコミミィィ……!』
攻撃されて敵対したと判断したのか、荒い呻き声をあげながら起き上がり、こちらに対峙する。しかし暗い。こんな村に十分な明かりがあるわけもなく、視覚は月明かりだけが頼りだ。
『ネコミミィィィッ!』
だが生体レーダーを備えた私には、ネコミミの影がこちらに向かって襲い来ることが手に取るようにわかる。もう一度先程の魔法をお見舞いする。
「村から出て行くの! 《衝撃》!」
再び影は吹き飛ばされ、闇の向こうでがしゃんと何かが砕ける音と、ばしゃあと液体が零れる音が響いた。どうやらどこかの家の水瓶にでも激突したらしい。弁償しなければならない額が増えたようだ。
『ミギャアアアアッ!?』
だが次の瞬間、叫び声が上がる。激突によるダメージだけではない。明らかに致命的な何かを受けた様子の声である。
近づいてみると、影は蹲りぶるぶると震えている。がくがくと体が痙攣したかと思うとやがて頭を掻き毟り、何かがぽろりと地面に転がった。
──ネコミミだった。
一対のそれが地面に転がり、まだぴくぴくと蠢いている。気持ち悪っ!
何だかよく分からないが、どうやらネコミミを除去することに成功したらしい。だがこれだけではないはずだ。もっと取り除かなければ。
「おおい! 大丈夫か!?」
ハワードさんが慌てて駆けつけた。
「ハワードさん! 何だかよくわからないけど、ネコミミが外れたの!」
「本当か!? ということは救う手立てはあるということだな!?」
その勢いのまま影の方へ向かってしまう。
「待って! 取れたのはまだ一対なの! まだ全部除去したわけじゃ──」
「──何だ、これは!? どういうことだ!?」
ハワードさんの戸惑いの声が上がる。
その声に私も駆け寄る。そこに倒れていたのはネコミミ男ではなく、見覚えのある青年だった。
「アイク! 隣の家のアイクじゃないか!? 何故こんなところに……?」
背筋が凍る。村人を攻撃したことではない。感染者が村人だったことにだ。そういえば村は妙に静まり返っている。ガラス窓を割ったり、水瓶を叩き割ったりでそれなりに大きい音を出したのだ。様子を見に誰かが来てもおかしくはない。
「ハワードさん」
「ノノ君、アイクを治療してやってくれないか。怪我をしているようなんだ……」
「ハワードさん!」
「な、何だ?」
「……急いでここを離れた方がいいと思うの」
ふらふらとこちらに歩み寄ってくる気配がある。一つや二つではない。あちこちの家の中から出てきて、音がしたこちらに向かっている。
声が聞こえる。耳障りな、しかしもう聞き慣れてしまった呻き声だった。
『ネコミミィ……』
『ネコミミ?』
『ネコミミネコミミ!』
闇の向こうからやってくる。
──ネコミミ達がやってくる!
「逃げるの! 早く!」
「し、しかしアイクが……!」
「……仕方ない!」
青年を担ぎ上げる。身長が足りないので若干引きずるのは許せ。
「早く村を脱出──」
『ネコミミィィィ!』
『ネコミミ! ネコミミ!』
させてくれるはずもないか。既に村中の気配がこちらに向かって来ている。私一人なら飛んで逃げればいいが、彼らを置いて行くわけにはいかない。近場の物置小屋に担いだ青年を放り込み、ハワードさんと共に駆け込んで扉を封鎖する。
「《守護》──!」
強化魔法でとりあえず小屋全体を保護するが、生き物以外にかけたことがないのでどうもうまくいかない。この辺は後ほど勉強するとして、簡単には破れない程度の強度で妥協する。
『ネコミミ?』
『ネコミミィ!』
我々を見失うことを期待したのだが、一体どういう感覚器官を持っているのか、立て籠もっている私達を察知し小屋に殺到してきた。
『ネコミミィィィッ!』
『ネコミミネコミミネコミミッ!』
扉に壁にどんどんと叩きつけるような音と、がりがりと引っ掻く音が聞こえてくる。完全に取り囲まれた。もはや出ることは叶わない。
「……どうするんだノノ君」
ハワードさんは声が震えている。無理もない。知人や友人が変わり果てた姿で自分たちに襲い掛かってきているのだ。冷静ではいられないだろう。
「……今この村で起こっているのはキノコによる生物災害なの。できればこれ以上の感染の拡大は食い止めたい」
目を瞑る。この世界で目を覚ました時、いつの間にか植え付けられていた様々な知識の中から、ある知識を求めて脳内を探る。
「アイクさんのネコミミが外れたのは、恐らく水を被ったからだと思うの。水分に弱い菌類なんて奇妙だけれど……ネコミミの形にするために無理な品種改良を重ねていたなら、そんな弱点があってもおかしくはないはず」
というかそう思わないとやってられない。弱点を探るだけの時間も機会も与えられなかった。今ある材料で、最適な判断をするしかない。
「希望が見えてきたな……この状況を脱出できればだが」
できるかどうかは自分にかかっている。
「水自体は魔法で出せるけど……できれば広範囲に、かつ長時間水をかけたいの。そうすれば周囲の村人を正気に戻せるし、拡散しつつある胞子も全滅させられると思うの」
「そのような魔法は聞いたことがないが……できるのか?」
「……そういう魔法はあることは知っているの」
そう、そのものズバリ『雨を降らせる魔法』が存在している。
「おお! それでは……」
「けれど最大の問題は……その魔法を習得していないことなの」
その魔法は、私がゲームを引退した後に実装されたのだ。天候を操作し、プレイヤーに有利な場を作るという触れ込みの魔法だった。だがそういう魔法が実装されたと話に聞いただけで、詳細な仕様は把握していない。
「……ではどうするというのだ?」
「今は習得していないなら──今ここで習得するの」
「──何だと!?」
ゲームでは、魔法を覚えるにはその魔法が記録されたスクロールを使用して、スペルブックに書き写す必要があった。そのスクロールは購入したり、敵を倒した時に手に入れるものだが、この世界ではそのようなルールに縛られる必要もない。その魔法を構成するための理論と、実践するための魔力操作、そして発動に必要な魔力があればいい。
すべての魔法はどこかで繋がっている。全くの無から発生する魔法は存在しない。ならば多数の魔法を習得している自分なら、望みの魔法までのルートが見つかるかもしれないのだ。
「……できるのだな?」
「可能性はゼロではないの」
「それしかないのだろう? ……ではやってくれ」
我ながら分の悪すぎる賭けだと思うが、ハワードさんは乗ってくれるらしい。いや、もう乗るしかないのか。
「ここでネコミミたちを食い止められなかったら……あれは世界中に広がるのだろうな」
「水に弱いという弱点もいずれ克服しそうな気がするし、あまり雨の降らない地域だともう感染を止められないの」
世界はネコミミによって滅ぶだろう。
……それだけはゴメンだ。絶対に。
「じゃあ──始めるの」
「頼んだぞ、ノノ君──」
◆ ◆ ◆
結論からいえば、ノノは間に合わなかった。
落ち着いた環境で、十分な時間があれば可能だったかもしれない。だが一刻を争う状況下で、十分弱という短時間ではどれだけ優れた賢者であろうと無理な話だった。
小屋の壁は破壊され、ネコミミ達が雪崩れ込んでくる。ノノの壁になろうとハワードが立ち塞がるが、あっという間に飲み込まれて姿が見えなくなる。一度ネコミミから解き放たれた筈のアイクはいつの間にか起き上がり、彼らの一員となって呻いていた。
祈るような姿勢で瞑想していたノノは反応が遅れ、屈強なネコミミに組み伏せられた。そのネコミミからは抜け毛のような胞子が降り注ぎ、ノノのローブを汚す。
賭けに失敗した。
逃げることも叶わず、倒すことも叶わず、ネコミミによって彼らは敗北した。村はネコミミと化し、近隣の村や街が気が付いた頃には全てが遅いだろう。世界はネコミミに飲み込まれるのだ。
『────』
それは、余りに小さな声だった。村を埋め尽くす呻き声に比べれば、なんと儚くか細い声なのか。
『い、い、い……』
いや違う。抑えきれず漏れているのだ。今にも爆発しそうな何かを堪えながら、辛うじて小さな声で押さえ込んでいる。
『いいいいいい加減にいいいいいいい……!』
だがそれも限界だった。ふざけた男のふざけた願望。ふざけたキノコにふざけた状況。しかもそれらにたいして対抗できない、今まで頼りにしてきた魔法の力。努力して手に入れたわけではないと分かってはいても、すべてを否定されたような気分になってしまう。
もはや我慢の限界だった。
そしてそれは、ネコミミの木こりどもによって、荒々しい手つきで体をまさぐられることで完全に突破してしまう。
『──いい加減にしろおおおおおおおおおッッ!!!』
──轟音と共に、物置小屋はネコミミたち諸共弾け飛んだ。




