うさぎ、キノコ狩りをする(上)
──戸を叩く音が聞こえる。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。何でもない依頼のはずだったというのに、私は今まさに絶体絶命の危機を迎えている。
──戸に何かを殴りつける音が聞こえる。
死ねるならまだいいだろう。だが何もかも失いなお生かされて、やつらの仲間入りをすることだけは御免だった。
──戸に何かが叩きつけられる音が聞こえる。
あれを発見したことが間違いだったのだろうか。見て見ぬ振りをして、謎は謎のままにしておけば良かったのだろうか。好奇心の代償がこの状況だ。好奇心は猫を殺すというが、どうやら兎も殺せるらしい。
──戸だけではない。四方の壁からどんどんと叩きつけられる音が無数に響き、ぎしぎしと家鳴りを立てている。
「……まだなのか?」
私の背後で黙り込んでいた男が、急かすように声をかけてきた。
だが、今それに返事をしている余裕はない。私が今していることこそが、この状況を打破する鍵となるのだ。返事をしているくらいならばそれに集中しなければならない。
──外より叫び声が聞こえる。あるいは呼び声なのか。我らの一部となれという誘いの言葉なのかもしれない。しかし今彼らが一様に叫んでいるのは、意味の無いうめき声でしかなかった。皆本能に突き動かされるままに、同じ言葉を繰り返し、繰り返し何度も叫んでいるのだ。
「頼むから早くしてくれ! このままでは間に合わなくなってしまう!」
だから急かさないで欲しい。あらゆる魔法を修め、魔力を操る事に長けたこの私ですら未知の領域に挑もうとしているのだ。集中力を削がれては終わるものも終わらない。
──もはやこの小屋は限界だった。もともと人が住むようにもできていない、単なる物置でしかなかったのだ。いつまでも籠城できるはずもない。
だが本当に終えることができるのか。出来もしないことをさも出来るかのように言って、現実逃避をしているだけではないのだろうか。我ながらどちらなのか分からない。すべてを諦め終わりを待っているのか。未だ足掻き始まりを求めているのか。
「どうか頼む……! 君だけが頼りなんだ……!」
奴らの一員にだけはなりたくない。奴らの変わり果てた姿。奴らの末路の姿。それが今だ目に焼き付いている。あんなおぞましいものになるくらいなら、彼も私も自害を選ぶだろう。
だが、最期のその時にそんな暇があるだろうか。
──めきめきと音を立てて、何処かの壁が裂け始めたらしい。どこか一箇所でも破られれば、決壊するダムの如くすべては崩壊し流れる水流の如く奴らは押し寄せてきて、あっという間に私たちは呑まれるだろう。
だから、最後のその瞬間まで諦めない。
「お願いだ、ノノ君──」
希望を、離さない。
「──どうか、世界を救って欲しい」
◆ ◆ ◆
「これはどうなの?」
「おお、なかなか珍しい種類じゃないか。君、筋がいいぞ!」
フォレンドの村、その南にある妖しの森にて、ただいまキノコ採集中である。
路銀が心許なくなってきたので適当な依頼を探していたのだが、キノコ採集の手伝い依頼が結構面白そうだったので受けてみたのだ。依頼人はキノコ学者のハワードさん。白髪が目立つ初老の男性だった。研究に使うキノコが度々足りなくなるため、定期的に依頼を出しているらしい。
もちろん私はキノコのことなんてさっぱり分からないのだが、依頼には全く関係がなかった。ハワードさんも学者と名乗ってはいるが、どちらかというと薬師に近く、片っ端からキノコを採集して効能を調べ、毒になるか薬になるか研究しているのだという。なのでとりあえず目についたものを集めてもらえればそれでいいらしい。
その採集する場所というのが、この妖しの森だ。昼間でも薄暗く、いたるところにありとあらゆるキノコが生えていて、活発に胞子を飛ばしている。訪れる度に生えているキノコが様変わりし、時には行きと帰りで生えているキノコが入れ替わってしまうこともあるという。もうそこまでくるとなんでキノコの森と呼ばれていないのか不思議なくらいだ。タケノコ界の陰謀だろうか。
とにかくその妖しの森にて、適当にキノコ採集中だ。とりあえず何でもいいのだから、面白そうなキノコを探してみる。光るキノコや人面に見えるキノコなんて序の口だ。目を離すと色が変わっているキノコに、たまにブルブル震えるキノコ、木の上から落ちてくるキノコもあれば、時々音が鳴るキノコもある。
その時がさりと茂みが揺れて、逃げて行く影があった。
「……今のは?」
「ああ、アルキタケだな。臆病な性質なのか人の気配を感じると逃げて行くんだ」
「いや、そのキノコはおかしい」
歩くってなんだ。逃げるってなんだ。ああそうだった、ここは異世界なんだった。深く考えたら駄目なんだな。
「ちなみに歩いているやつは片っ端からアルキタケと呼んでるだけで、具体的にどんな種類なのかは知らんがな」
「ちょっとキノコ学者さん!」
学者を自称するつもりがあるのなら、お前はもう少し深く考えろ。
「仕方あるまい。前に何度か捕まえようとしたことがあるが、分裂して逃げられたり、溶けて消えたり、爆発して胞子を浴びせてきたりしたからな。下手に捕獲しようとすると危険なのだ」
帰りたくなってきた。今はマスクと手袋をして採集をしているが、仕事が終わって手袋を外したらドドメ色になっているとか指が増えてるとかないだろうな。
「一応命の危機はないことは説明されたけど……体のパーツが増減するとか人種が変わるとかそういう危ない種類はいないの?」
「はっはっは、流石にそういうものには遭遇しとらんな。そういうものには」
どういうものには遭遇したのかこっちを見て言ってみろ。念のため防護系の魔法で保護しているので大丈夫だとは思うが……。道理で報酬が結構な額だったわけである。私がこの依頼を受けると言ったときのあの微妙な空気はそういうことか。
「何かあったらタダじゃ済まさないの……あ、逃げられた」
掴もうとした細長いキノコがするりと手からすり抜け、森の奥へするすると這って逃げて行った。
「……ヘビダケ、かな?」
「おっ、なかなか分かってきたではないかノノ君!」
がっはっは、と笑うハワードさん。もしかしてこのおっさん、単に暇なキノコ愛好家なのでは……。まあ依頼人が学者だろうがキノコマニアだろうが私にはどうでもいいことだ。さっさと終わらせて報酬を貰って帰ろう。
ジト目のような模様をしたキノコに睨まれながら、私は採集を続けることにした。
◆ ◆ ◆
ここまでは順調だった。体にキノコが生えるとか、体毛の色が変わるとか、実は自分はキノコで本物のノノと成り代わっていたのだとかそういうことはなかった。我ながら怖い想像だ。意味がわからないけど。
採集用のカゴもだいたい中身が満たされて、ひょっとしてこれ合体して大変なことになるのではと思ったがそういうこともなかった。とはいえ長期間放っておくとそういうこともあるらしい。あるのかよ。
まあ何はともあれ依頼達成である。後は戻って報酬を受け取るだけだ、と思ったのだが、最後に珍しいキノコが生えていないか軽く見回りたいらしい。本音を言えば早く帰って寝たいのだが、ここでゴネて報酬を減らされてはたまらない。そういうわけで最後まで付き合うことにした。
後になって思えば、報酬が減らされてもいいから帰るべきだったのだ。得体のしれないキノコが無数に生えているその森で、今までに何度も厄介ごとに巻き込まれていた私が足を踏み入れた時点で、もう何かが起こることは確定事項だったのだろう。
結論からいえば、珍しいキノコは見つからなかった。
その代わり、怪しい建物を見つけてしまった。
「ふむ……こんなところに小屋があるとは知らなかったな。どうやらしばらく使われていないようだが……」
まるで隠れ潜むかのように木々やキノコの影に建てられた小屋があった。ハワードさんが推測したように今は使われていないのか壁は朽ちかけており、扉の隙間は何らかの菌糸で厚く覆われてしばらくの間開閉がなかったことを知らせている。
だが、私の感覚は知らせている。使われていないはずがないことを。
「いや……中に誰かいるの」
レーダーに反応がある。建物の中なので探りにくいが、確かに生き物の気配がある。もしかしたら生き物のようなキノコと勘違いしている可能性もあるが、そんなものは存在する方が悪い。もしキノコだったら私は悪くない。悪くないんだったら。
「もしかしたら、隠れ住んで研究している魔法使いがいるのかもしれないの。扉の開閉がないのも、ずっと閉じ籠りで研究しているせいなのかも……」
こんなところに住むとは酔狂な輩だが、キノコの森に隠れ住む魔法使いと書くとどこか童話的な響きになって素敵かもしれない。実際そんなやつがいたら嫌だし、目の当たりにしても困るが。
「ほう! それは興味深いな。話を聞いてみたいものだが……」
「発表前の自分の研究を他人に教える魔法使いはいないと思うの」
研究するタイプの魔法使いとは、普通排他的なものなのだ。一人や少人数で何年もかけてねちねちと研究して、やっと成果が出ても外に開示することは少ない。富や名声のために発表する者もいるが、こんな森に居を構えるような輩がそういうタイプとも思えない。
要するに、訪ねても門前払いだろう。変に刺激して敵対されても困る。見なかったことにして去るのが得策だ。
そのようなことを伝えたのだが、ハワードさんは尋ねるだけ尋ねてみたいと断固として首を縦に振らなかった。何が彼をそこまでそうさせるのかは分からないが、報酬に色をつけるとまで言われては仕方がない、護衛も兼ねて一緒に訪ねるとしよう。
決して報酬に釣られたのではなく、報酬を増やそうとしてまで意思を通そうとするその熱意に負けただけである。折角なので報酬は増やしていただくが。
「もし、誰かおられますか! フォレンドの村でキノコの研究をしているハワードと申します! 少々お話をお聞きしたいのですが!」
戸を叩きながら声をかけ続けるが、反応はない。気配もじっと動かず、戸を開くつもりはないようだ。
「全く動かないの。どうも歓迎されていないようだし、トラブルになる前に戻った方がいいと思──」
「おや、鍵はかかっていないようだ」
「──って、ちょっと! 流石にそれはまずいの!」
隙間の菌糸を引きちぎり、戸を引いてしまったハワードさん。流石に踏み込むつもりはないようだが、隙間から様子を伺っている。
「分かっている。ちょっと引いてみたら開いてしまっただけだ。しかし反応すらないのは気にかかるな。魔法使いとは皆こうなのか?」
「研究に没頭していたり、人嫌いな性格だと居留守も使うと思うけど……」
気配は身動ぎすらしていない。眠っているのだろうか?
「──なあ、魔法使いは床で寝る性質もあるのか?」
その言葉に、慌てて私も隙間から中の様子を伺う。
明かりは点いていない。部屋は案外片付いていたが、積み重なった埃が長らく掃除していないことを教えてくれる。玄関から見える寝室らしき部屋の扉が開いていて、そこに小屋の主らしき人影の足首だけが覗いていて、どうやら床に倒れているらしいことが伺える。
扉を勢い良く開き、大声で呼びかける。
「大丈夫ですか!? 助けは必要ですか!?」
その声で意識を取り戻したのか、部屋の奥から呻き声が聞こえてくる。ずりずりと足首を引いて壁の向こうに姿を消し、ここからは見えなくなった。
病気か怪我か。あるいはキノコの毒にでもやられたのかもしれない。緊急事態と判断して、小屋に踏み込んだ。
「おおい! 大丈夫か!?」
状況を理解したのか、遅れてついてきたハワードさんが走りながら呼びかける。寝室はすぐそこだ。我々は埃を撒き上げながら突入し、寝室に入り込んで本人がいるであろう方に向き直る。
「もう大丈夫なの! 一体何が──」
人影は立っていた。こちらを虚ろな視線で見つめ、口からは意味の無い呻き声とよく分からない液体が垂れている。
それは人の形をしてはいた。二本足で直立し、二本の腕を持ち、一つの頭がついていた。
──しかし、それは人の姿をしていなかった。
「──き」
その光景を目の当たりにして、頭は真っ白になり口からはただ声が漏れようとしている。我が事ながら、叫び声とは叫ぶから叫び声なのだなあと現実逃避をしながら考えていた。
『きゃあああああああああーっ!?』
女の子みたいな悲鳴だった。
というか私とハワードさんだった。私はともかくあんたはそんな声出していいのかとも思うが、こんなものを見てしまったら無理もないとも思う。
「きゃーっ! きゃーっ!?」
慌てて回れ右してどたどたと寝室から脱出し、その扉を慌てて閉める。閉めた途端どんどんと扉を叩く音が聞こえる。向こう側に開かなくてはならない扉なのだが、もはやあれにそこまでの知能は残っていないらしい。だが恐ろしくて扉を引く手が離せない。
「あああああああれは何だ!? ひひひ人か!? 人なのか!?」
どもりまくるハワードさんだが言いたいことはわかる。人であった痕跡は残されていた。だがもうあれを人と呼んでいいのかは分からない。
「そ、そっちの方が詳しそうなの! この森はあんなことが起こりうるの!?」
「知らん知らん! 長年研究をしてるがあんなものは初めてだ!」
何が起こるか分からないようなこの森でも、今まで起こっていなかったことらしい。しかしこの森に居を構えた事が原因なら、今回が初めてなのも頷ける、かもしれない。
「白魔術じゃ何とかならんのか!?」
「怪我や病気ならともかく、ああいう類の治療は専門の医者じゃないと難しいの! 下手に魔法をかければもっと進行して、大変なことになるかも……!」
そもそもゲームで遊んでいた頃にこんな状況はなかった。魔法で何とかできるならしてあげたいが、あれは怪我や病気ではなく、ある意味健康な状態なのだ。今の私にはどうすることもできない。
扉は相変わらずどんどんと叩かれ、みしみしと軋んでいる。このままでは突破されるかもしれない。
「というか、何でこっちを狙っているんだ!?」
「考えたくないけど、仲間にしようとしているのかも……」
ああいう状態になった者が、他人を襲う理由なんてそう多くはない。
「そ、そいつは御免だ! 早く逃げようではないか!」
「でも放っておけないの! あんなになってもまだ生きてるの! なら助けないと!」
「立派な心掛けだが、まずは一時撤退だ!」
襟首ひっつかまれて、強引に引っ張られる。もちろん力ずくで引き剥がすこともできた。だが私には彼を救う手立てが見つからなくて、どうしても抵抗に力が入らなかった。それでも何かの手がかりになるかと思い、小屋を出る途中で本や巻物を幾つか拝借する。
小屋の扉を閉め、像兵を作って扉の前に座らせ、封印する。これで少なくとも扉から出ることはできないだろう。彼は寝室の扉から出てきたのか、今は小屋の扉を叩いているが、それはびくともしない。ひとまず我々はは安全だろう。
「……どうする。治すにしても手だてはあるのか?」
「持ってきた資料を確認してみるの。もしかしたら何らかの実験に失敗したのかもしれないし、体の変化を書き残しているかもしれないの。そこから何か手がかりを……」
我ながら無茶なことを言っているのは分かる。全く未知の現象を、門外漢が治療しようというのだ。けれど、危機に陥っている人を前にして何かしないではいられない。白魔術師のサガというやつだろうか。
やはりこの小屋の主はキノコを研究していたらしい。幾つものキノコを掛け合わせ、望みの生態を持つキノコを創ろうと品種改良を重ねていたようだ。回収してきた巻物にはありとあらゆるキノコの生態や効能が記され、長年研究していたことが伺える。
「……これは」
持ってきた書物の一つはどうやら日記の類のようだ。あのような状態になるまでに一瞬で自意識を失ったとは考えられない。自覚症状くらいは書き記してあるはずだ。ぱらぱらと捲り、目的のページを探す。
──そして、それを見つけてしまった。
「……そんな、そんなことって……!?」
「これは……だとするとあの姿は……!?」
男は誰にも理解されなかった。
他人が望むものを男は望むことができず、男が望むものを他人は望まなかった。
男が求めていたものを、誰も男に与えなかった。
男は他人に失望した。
だから、作ることにしたのだ。
望みのものを自らの手で作り、自らが望みそのものになろうとしたのだ。
そこから、男の狂気の研究が始まった。
「嘘でしょう……?」
「……我々の手には負えないかもしれん」
信じたくはなかった。だが日記には常人の感覚から外れたおぞましい内容が書き記されている。この内容を信じるならば、あれはある意味彼の研究の集大成なのだ。それを私たちが無下にしていいのだろうか。あれを私たちが否定していいのだろうか。
私たちはどうすればいいのかわからず、ただ立ち尽くすしかなかった。
背後でがさりと、足音がした。




