うさぎ、護衛する
いい天気だった。
雲一つない青空に、真上に昇った太陽一つ。風がそよそよと流れ、道端の草花を揺らしている。蝶々がひらひらと舞って我々の前を通り過ぎて行き、背の高い草むらの中に消えて行った。草むらの向こうには鼠人が三匹、伏せてこちらの様子を伺っている。襲いかかる算段でも立てているのだろうか。平和だなあ。
「……あ、鼠人」
危うくスルーするところだった。いかんいかん、あんまりいい天気なので散歩気分になっていた。今我々は馬車の護衛をしているのだから、油断してはいけない。
「ほう、何匹だ?」
護衛の一人、戦士の装備をした男が訪ねてきた。名をアルフレッド。鍛え上げられた筋肉が鎧を押し上げ、油断ない鋭い目付きが戦闘者としての経験を物語っている。眉間に刻まれた深い皺と髭面が、年齢以上に年上に見せているが、壮年という年でもないらしい。
「草むらの向こうに三匹なの」
「そうか、よし、殺す!」
教えた途端草むらに入って行ってしまい、ぽかんと惚ける私。いや、ちょっと、相談も無しに行かないで欲しい。
すぐに草むらの向こう側が騒がしくなり、どたどたと荒事の音がして、最後に断末魔の声がして静かになる。もちろん鼠人の悲鳴だった。しばらくするとがさがさと草むらをかき分けて戻ってくるアルフレッド。
「すまん、一匹逃げられ──」
「アンタ何してんのよっ!?」
ごす。
「──ぐへ」
悪びれもせず報告する男の頭を、杖で殴る妙齢の女性。精霊術師である彼女の名はブレンダ。ゆったりとした魔法使いのローブに、魔力を高めるアクセサリーを幾つか付けており、杖をぶんぶん振り回すその動きに合わせて、ちゃらちゃらと音を立てた。
男の独断専行に怒り心頭のようだ。
「勝手な行動しないでよ! 殴るわよ!」
「もう殴ってるの」
口より先に手が出るタイプのようだった。
「はっはっは! なかなか威勢のいい護衛じゃあないか! 結構結構!」
依頼人のカーターさんは笑ってるし。
「くっ、面目ない……!」
一応反省したのか、頭を抱えて項垂れるアルフレッド。結構いいところに入ったと思ったけど、痛み自体はあまり無いらしい。
「分かればいいのよ」
ふん、と鼻息一つ。
「さっきの連中は単なる偵察で、別働隊がいるのかもしれないじゃない。みんなできっちり取り囲んでボコすなり、捕まえて尋問なりできたはずなのよ?」
アルフレッドが反省の色を見せたことでとりあえず落ち着いたのか、踏ん反り返ってくどくど説明を始めるブレンダ。
「それをアンタは一人で突っ走った挙句に一匹逃がしちゃって! これで別働隊がさらに警戒したり、増援を呼ばれて数を増やされたら面倒なことになるじゃない! どうしてくれんのよっ!」
あ、駄目だ落ち着いてない。というか改めて説明したことでますます怒り出してしまった。うーん、気性の荒い人だなあ。
「ああ、わかっている。全ては俺の責任だ……」
言われたアルフレッドはさらに深く反省したのか、拳を握りしめきっ、とこちらを見据える。
「自分のケツは自分で拭く。次に奴らが現れた時は俺に任せてくれ……!」
「全然! 分かって! ないじゃないのッ!」
ごすごすごす。三連発。
流石に効いたのか沈黙するアルフレッド。
「ぶっ叩くわよ!」
「いやだからもうぶっ叩いてるの」
もしかしてこれはただのツッコミで、本当にぶっ叩いたらこれの比じゃない威力なのだろうか? 私も下手なことをしたらツッコミでぶっ叩かれた挙句、真の威力を秘めたぶっ叩きが待っているのではないだろうか。なにそれこわい。
「まずはこっちに相談しろっつってんのよ! 目配せの一つでもしろっつってんのよ! 護衛はあんた一人じゃなくて私ら三人で受けてるんだからね!?」
「う、うむ、分かった……」
今度こそ本当に反省したのか、たんこぶを抑えながらこくこくと頷く。どちらかというと、もう殴られたくないからとりあえず言うこと聞いておこうみたいな感じに見えるが、気のせいだと思いたい。
「すまなかったな、そちらのウサギの子も」
「……出発前も説明したけど、兎人族のノノなの。ウサギの子呼ばわりはやめて欲しいの」
こっちにも謝ってくれるのはいいが、兎人に対してウサギ呼ばわりはやめておけ。人間をサルの子と呼ぶようなものである。まあこの世界には進化論はないし、この世界の人間は地球の人間とは異なり上位存在に作成された種族なので、そういう反論は意味が通らないかもしれないけど。
「あ、ああすまん。兎人族には今回初めて会ったものでな。まだ慣れないんだ。許してくれ」
重ねて謝るアルフレッド。変な人だが悪い人ではないようだ。
「そうねー。私も兎人は初めてだわ。意外と普通なのね」
「意外と普通とか言うななの」
どうやら兎人という種族は随分と変わり種に思われているらしい。まあ確かにゲームでの設定や兎人族のNPCの性格を思い返してみるに、変人奇人なんでもござれの種族だったような気がする。そんな連中と比べたら、そりゃあキャラは薄いだろう。
「ちっこいし、もふもふしてるし。獣人の年齢って外見からわかんないけど、声は何ていうか若い気がするわねー。あんた何歳?」
「十歳なの」
肉体的には。
「じゅっ……!? 子供じゃないの!?」
「獣人としてはもう成人なの。そろそろ結婚してもいい歳なの」
ただの獣よりは寿命は長いが、やはり人間よりは成体になるのが早いのだ。長生きすれば五十くらいまでは生きられるが、病気や怪我もあるし体を酷使するため、冒険者なら三十がせいぜいと言ったところか。
「はー、知識としては知ってはいたけど、こうして目の当たりにすると衝撃的ねえ」
目を丸くしてしみじみと言うブレンダ。
「言っておくけど子供扱いはしないで欲しいの。これでも冒険者の端くれ。それなりの能力はあるつもりなの」
「ま、さっき誰よりも早く鼠人たちを察知したことは知ってるしね。その辺は心配してないわよ」
に、と不敵な笑顔を見せた。こちらも同じ表情で返す。
と、そこで肩をぽんと叩かれた。振り返ると、したり顔でうんうん頷くアルフレッド。嫌な予感が。
「その年でずいぶん苦労したのだな、少女よ……」
「いやだからこの年で成人……」
「分かっている、皆まで言うな! この護衛の間、カーター殿だけでなく君のことも守ろう!」
「だから……」
「安心しなさい。女子供を守るのは男子の役目。この戦士アルフレッドが無事に護衛を果たして見せる!」
「……この人話を聞かないの!」
「いや、これまでのやり取りでわかるでしょ」
悪い人ではない、ないんだが……人の話は聞いて欲しい。
「いいのう、いいのう! やはり男というのはそれくらいでなくちゃあいかん!」
カーターさんも焚き付けないように。
「いいじゃないの、やらせておけば。あたしたち魔法使いは後ろで援護に徹しましょ」
ひそひそと耳打ちするブレンダ。楽する気満々ですね。分かります。
「もちろん一人で突っ走ったり、あたしたちの邪魔をするようなら容赦無く引っ叩きなさいよ。頑丈そうだし、それくらい大丈夫でしょ」
魔法使いであるはずのブレンダの攻撃が効いていたのはスルーする方向らしい。
「……まあ、前衛はアルフレッドさんしかいないからそれは別にいいの」
とはいえ、街道を通っているのだし、日もまだ明るいのでそうそう敵が現れることもないと思うけど。
「さあ鼠人だろうと豚人だろうと、どこからでもかかってくるがいい! この俺がいつでも受けて立つッ!」
そして声を張り上げて大はりきりのアルフレッド。威勢は買うけれど。
「……護衛なんだから何事もないほうがいいの」
討伐依頼ではないのだから、平和が一番である。
◆ ◆ ◆
「──ふ、どうやら連中は、この俺に恐れをなして襲ってこなかったようだな」
結局あれから何事もなく、日が暮れたので野営をすることになった。焚き火を囲み夕食を取る。昼間は暖かかったが夜はさすがに冷えるので、干し肉を入れた暖かいスープをご馳走になった。
はっきり言ってたいして美味しいものじゃないが、いかにも冒険者の食事という感じがして何だか楽しい。野営はほとんど経験がないので、こういうことはまだまだ新鮮な気持ちなのだ。まあ何度も経験すれば特に思うことも無くなるのだろうが、こういう気持ちは最初のうちだけなので大事にしたい。
「あんたねえ、わかってんの? 護衛なんだから何も襲ってこない方がいいでしょうが」
こちらがはふはふと肉を頬張っていると、流石にそろそろツッコミたくなったのか、ブレンダがアルフレッドをつついた。だが、アルフレッドは分かってないな、と首を振る。
「もちろんそうだ。依頼人の身の安全のためにもその方がいいに決まっている。だがしかし! 男としてはやはり護衛任務というからには、依頼人を付け狙う巨悪と一戦交えてみたいというのも正直な話なのだ……!」
「はいはい、そーですか」
ドヤ顔で語るアルフレッドに付き合っていられないのか、気のない返事で流すブレンダ。
「はっはっは! 気持ちは分からんでもないが、わしは所詮しがない商人の親父! 付け狙ってくる巨悪というものには心当たりがないのう!」
そりゃそうだ。そういうドラマチックな背景がある人がそうそういるはずもない。ましてやただの馬車の護衛なのだし。出発前に説明されたし確認もしたが、変な荷物も積んでいない。出会うとしたら行きずりの強盗くらいだろう。
「いや、人間どこで恨みを買っているか分からないものだ。それに一見なんの変哲もない品が、一人の人間の運命を左右することもある。ゆめゆめ油断しないことだな」
「……まあ何が起こるか分からないし、油断しないことは賛成なの」
先日身を持って学んだ。身の安全が確保できない場所では、油断は禁物だということ。過去の因縁は突然やってくるということ。いや自分の場合は自業自得だったのだけれど。
「けど、なんだかそういうことが起こって欲しいみたいに聞こえるの」
「ふ、確かに自分の腕を試したいという思いはある。だが旅の安全を願う思いもある。人とは業深きものだな……」
「いやそういう大げさな話でもないの」
ていうかお前は殺したいだけだろ! 『そうか、よし、殺す!』の発言は忘れてないぞこっちは。自重して護衛に専念してくれればいいのだけれど。
「やめときなさいよノノ。まともに相手すると疲れるだけよ」
いつの間にか少し距離をとっているブレンダ。ずるいや。
「で、そろそろ見張りのことを決めておきたいんだけど?」
「ああ、うむ、そのことだが……」
護衛対象がいる以上、一番警戒の必要のある場面だ。依頼人であるカーターさんはもちろん除外して、一人ずつ数時間毎に交代。何かあればすぐに皆を起こす。何の変哲もない見張り体制だ。
だが、ここで異論を唱える男がいた……!
「いや、ノノ殿は見張りには参加しなくてもいいぞ」
もちろんアルフレッドしかいない。
「そういうわけにもいかないの。人数少ないんだし、みんなが十分に休まないと後々辛いの」
「ていうか、そういうの同じ冒険者として失礼じゃないの? 本人が言うようにあたしら人間族とは違って、十歳でももう大人なんだからそう扱いなさいよ」
「むうっ……いや、しかし……」
なおも渋るアルフレッド。まあ気持ちは分からなくもない。十歳の女の子を一人見張りにして自分たちは眠るのも、十歳の女の子に命預けるのも遠慮したいだろう。
とはいえ、こちらの精神は二十代後半の男で、肉体はレベル99魔法使い相応の身体能力と魔力だ。むしろ相手の心配をした方がいい。こんなところで生命の危機レベルの怪物に出会う可能性も低いのだし。
「はっはっは! まあまあ! 双方落ち着け!」
見かねたのか、カーターさんが話に割り込んでくる。
「アルフレッドさんや。お主の気持ちは分からんでもないが、ノノさんもまた冒険者の端くれ。そのような気遣いはよくないと思うがのう?」
「ううむ、カーター殿にまでそう言われては仕方がないな……」
項垂れるアルフレッド。
「しかしノノさん一人に見張りをさせるのに気が引けるのも分かるからのう。十歳の娘を一人置いて寝るというのは、頭では納得しても心が納得いかないかもしれんからなあ」
「ま、確かに本音をいえばそうね。わかっちゃいるけどさ」
肩を竦めるブレンダ。
「私は大丈夫だけど……みんなの気持ちもわかるの」
「そこで、だ」
前置き一つ。
「わしも見張りの一人に数えるということで……」
「ハイ却下」
心なしかワクワクしながら提案したカーターさんの案をばっさり叩っ切るブレンダ。それはいくらなんでもねーよ。
「冗談だ。ノノさんが常に二人ペアになるよう、時間を被らせればいいだろう。それならノノさんが一人になることもないわけだ。文句あるまい?」
にっ、と笑うカーターさん。何だか提案に手慣れてる感じがするけど、こういう場の経験とかがあるのだろうか。まあ長年商売やってるそうだし、こういうことで揉めた冒険者は初めてじゃないのかもしれないな。
「うむ、それなら大丈夫だろう」
異論はないのか頷くアルフレッド。
「じゃあ、順番は……」
その後軽く打ち合わせをして、護衛として見張りを務めることになった。
護衛任務は初めてだ。あまり体のスペックに頼るようなことはしたくないが、人命を守るのにそんなことは言っていられない。経験を積むまでは魔法や技能をなるべく使って、今夜は警戒することにしよう。
◆ ◆ ◆
夜も更けた。
耳を澄ませば聞こえてくるのは、燃えて弾ける焚き火の音、風に揺られて囁く草木の音、それに鳥や虫の鳴き声。生憎この世界の一般的な動植物については詳しくないのでその種類はわからないが、現代社会ではあまり聞いたことのない鳴き声だった。
今の時間の見張り当番は、私とブレンダ。
会話はない。なるべく体力を使わないように、最低限気を張りつつ見張りの任務についている。布を丸めたクッションに座り込み、焚き火の揺らめく炎を見つめながら、これからのことについて思いを馳せる。
今の自分には、自分自身に対する多くの記憶が欠けている。男だったとか、二十代後半だとか、うだつの上がらない人間だったとか、その程度しか残っていない。
かと思いきや、ふとした拍子にこの体が昔遊んだゲームを元にしているとか、喧嘩は殆どしたことがないとか、ピンポイントの記憶が蘇る。生活しているうちにも、利き手のことだとか、体はどこから洗うだとかのどうでもいい記憶も思い出す。
やはり記憶は一時的に飛んでいるだけで、この調子で生活していればやがて全部思い出すかもしれない。ならば最初の街に留まっていてもよかったか、とも思うが、思い出すとも限らない。それに、自分がこの世界にやってきた原因を調べなくてはいけないのだ。どのみち旅はしなくてはいけなかった。
旅することに憧れていたというのが一番の理由、なんてことは決してない。うん。
「ねえ、ノノ」
「……なあに?」
必死に理論武装をしていると、ブレンダが話しかけてきた。考え事をしているのに気が付かれたのだろうか。
「あんたってさあ、どうして冒険者になったわけ?」
テントで休んでいるカーターさんとアルフレッドを起こさないように、静かに問いかけてきた。……偶然だろうけれど、考えてたことにかするような質問に緊張が走る。
「突然どうしたの?」
「突然ってこともないでしょ。二人きりになって結構経つんだし、ちょっとくらいいいじゃない」
「まあいいけれど……」
退屈していたのも事実。ちょっと付き合おうか。
「ありがと。それじゃあまずはあたしから……って、自分から言い出しておいて何だけど、対した理由は無いわねえ。故郷で引きこもって研究してるのは性分に合わないし、見聞を広めたかったから飛び出してきたって感じかなー」
非常にわかりやすい。というか見たまんま想像通りって感じ。そして旅の魔法使いとしても珍しい理由でもない。
「……普通だなーとか思ってない?」
「少し」
「言うわねえ。じゃああんたは?」
「私は……」
記憶喪失なので記憶を求めて旅してます、って言っていいものか。というかなんか恥ずかしいし、会ってからそう長く付き合ってない人間に言うのもアレだ。ここは、嘘はつかないけどホントのことも言わない感じに誤魔化そう。
えーと、えーと、そうだ。
「……自分探しの旅、かな」
……仕事に疲れたOLかっ!?
なんだこれ。余計恥ずかしくないか? 失敗した。もうちょっといい言い方があるだろうに。自分探して。
「うーん、その年で自分探しはちょっと早くない?」
案の定苦笑いで突っ込まれてしまった。何か隠そうとしてるのはまあバレているだろうけれど、誤魔化し方がまずかった。
くっ、こうなれば押し通すしかない!
「何事も早すぎるということはないの」
キリッ。
「ああ、まあ獣人ならそういうこともあるか……まあ、あんまりつつかないでおいてあげるわ」
薄笑いを浮かべるその顔を見ると、何もかもバレているような気がする。獣人であるこの身は、人間と比べて顔色が分かりにくいからうまくいくかと思ったが、そもそも自分は腹芸が苦手らしい。
「何のことかわからないの」
直視できずに顔を背ける。まあこちらは記憶もないし、こういうやり取りの経験が薄いからバレても当然だろう。
それに──
『──うごくな』
こちらについては誤魔化せたから良しとするか。
◆ ◆ ◆
「なっ……!?」
ノノの背後は取られ、刃物を押し付けられている。
敵襲だ。周囲に複数の鼠人の気配が急に現れる。鼠人ながら、なかなか優れた隠密術だった。普通の魔法使いでしかないブレンダでは、かなり集中していないと気が付くのは難しいレベルだ。
ノノの背後を取った鼠人は、黒い衣装に黒いマスクをしている。他の鼠人も似たような姿をしているが、一番上等でアクセサリーも垣間見える服装から、この個体が頭領であるようだ。
「うごくな。うごけば、あまりゆかいではないことになる」
鼠人にしてはかなり流暢な発言だった。それだけの年月を生き、経験を積んだ証だ。鼠人と言えど油断できる相手ではない。
「くっ、ノノ……!」
歯噛みするブレンダ。雑談などしている場合ではなかった。もっと警戒していれば……と思うが、後の祭りである。
「おれたちは、しっこくのキバ。にもつはすべていただいていく。きがいをくわえるつもりはないが、あばれればようしゃはせんぞ」
漆黒の牙。最近になって近辺を荒らしている盗賊団だ。もともと南の方で森を拠点に行動していたのだが、いつしかこちら側に現れるようになったという。
このままでは護衛任務を完遂できない。しかし迂闊に動けばノノに危害が及ぶことになる。これがアルフレッドだったら容赦無く見捨てるのだが、とちょっと危ないことをブレンダが考えていると、人質に取られたノノがため息をつく。
「ついてないの」
疲れたような響きだった。刃物を押し付けられていることなんて全く意識にないような、まるでコインを落とした程度の、軽い不幸に嘆いているような言い方だった。
「……おい、うごくな」
その態度が癇に障ったのか、さらに刃物を突きつける鼠人。だが、それにも慌てた様子をみせず、態度は変わらない。
「初めての護衛依頼でこんな連中に出くわすなんて……初めての討伐依頼では妖狼と戦う羽目になったし、もしかしたら私は運命とやらに嫌われているのかもしれないの……」
「ちょっとあんた大丈夫……え? 妖狼? 妖狼って言った今?」
ぶつぶつと不平をこぼすノノに、錯乱したのかと声を掛けるブレンダだが、不平の内容に思考が止まる。
「おい! おまえなめてるのか! これがおもちゃにみえるか!?」
少し切って脅してやろうと刃を立てるが──傷付かない。それどころかぎぎ、とまるで金属に刃を立てたかのような不快な音が響く。
「うるさいなあ、鼠人風情が私なんかを傷つけられるとでも思ってるの?」
「なっ、この……!?」
不可解な現象で動揺したところに挑発され、頭に血が登りかける鼠人。それにつられ、周囲の部下たちにも動揺が広がりつつある。
だが、あと一歩のところで押しとどまっていた。今まで盗賊団として幾多の仕事をしてきた経験が、誇りが、かろうじて激昂させるのを止めていた。
「それとさあ──」
しかし。
「──漆黒の牙ってなに? もしかして虫歯のこと?」
ぷっ、と噴き出すノノ。
「──き」
ぷつん。
「きっさまああああああっっ!!」
誇りある名を侮辱され、とうとう激昂する鼠人。刃物を振り上げ、ノノの首に突き立てる──
「ノノッ!?」
──どご。
「ぐぎっ!?」
突如現れた拳が、鼠人を殴り飛ばす。
「えっ!?」
混乱するブレンダ。
だがよく見ると、ノノの背後に一人の影があった。
「ま、まさか……」
ノノを守り、殴り飛ばしたままの拳を構える、筋肉隆々のその姿はまさしく──
「アルフレッド──じゃないっ!?」
土くれだった。
「ぎ、ぎぎ……これは……!?」
吹き飛ばされ、距離を取りつつもかろうじて立ち上がると、目の前の光景に鼠人は驚愕する。
見上げるような巨体。ノノの背後で仁王立ちするその姿。そしてまた、周囲でぼこんぼこんと何かが地面を突き破るような音がして、その巨体がわらわらと増えて行く。
「《土像兵作成》──地面の中に像兵を潜ませておいた」
いつの間にか立ち上がり、腕を組んで鼠人を見据えるノノが、悠々と告げる。
「これだけの数を作成した挙句に操作まで……? 一体どうやって……」
「それは秘密なの」
並の魔法使い、ましてや十歳程度の冒険者ができることではない。常識外れの能力によるものだったが、それは誤魔化すノノ。
「ぎいっ……ワナだったか……!」
そもそも自分を狙いやすいように気を抜いて見せていたのも、人質にされても平然と挑発したのも、もう既に準備は万端だったから誘ってきていただけだったのだ。そう思えば、偵察に向かわせた部下を一人だけ生かして逃がしたのも、策略だったのではないかとすら疑えてくる。
突如現れた複数の巨体に、鼠人の部下たちは混乱している。完全にこの襲撃は失敗だった。下手をすればここで全滅するかもしれない。
だが、この程度の修羅場は何度も潜ってきていた。もともと一人でやっていた盗賊稼業。部下たちを捨て駒にしてでも生き延び、再建してくれる。そう誓う鼠人。
「──なめられたものだ」
姿勢を落とし、隙を探る。所詮は魔法使い。本気を出した盗賊を捉えることなどできまい。巨体の隙間を潜り抜けようとルートを探る。
……めっちゃ取り囲まれてる。像兵たちがめっちゃ見てる。
鼠人は完全に取り囲まれていた。
隙を探るどころか、隙を見せればこの巨体たちに一斉にタコ殴りにされるだろう。先ほどの一発でもうふらふらなのに、タコ殴りになんてされたら鼠人ペーストの出来上がりだ。一体誰得なのか。鼠人の背筋に戦慄が走る。
そして、月明かりがふと陰る。
鼠人がつい見上げてしまうと、いつの間にか像兵の上で仁王立ちしているノノがいた。
「──あまり私を怒らせない方がいい」
警告なのか、その声の響きは先程とは打って変わって冷酷な響きを持っている。
──その言葉に、鼠人の心は決まった。
「……みせてやる。おれのさいだいおうぎ」
生きる。誇りもプライドも何もかも捨て、生きることに専念する。鼠人族の真の力。先祖より代々受け継いできた、生き残るための力。それが今、この場で解放されようとしていた。
「──く」
嫌な予感が走ったのか、眉間に皺を寄せるノノ。
だがもう遅い。鼠人はもうその体勢に入っている。
まるで掬い上げられたかのように体を回転させ、地面に背を向け体勢を傾ける。その勢いのまま軽く跳躍し、バネが飛ぶように跳ね飛んで地面に背から着地し、やや滑って土埃を立てる。腕を曲げ体を曲げ、ノノを上目遣いで見つめる……!
「ぶるぶる。ぼくわるいゴブリンじゃないよ」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
もちろんタコ殴りにした。
「ぎゃああああああす!!」
◆ ◆ ◆
「はっはっは! いやあ今回は助かったわい! まさか賞金首に出くわすとはな!」
数日後、無事カーターさんを目的の街に送り届け、護衛任務は完了した。
「盗賊どもはやっつけちまうし、馬車や荷物、わしにも傷一つないし、よくやってくれた! 報酬は弾むぞ!」
初日に出くわした連中はそれなりに名の知れた盗賊団だったようで、頭領らしき鼠人をボコボコにして最寄りの街に連れて行ったら、そこそこの礼金が貰えたのだ。それに加えて依頼の成功料が貰えるので、懐はばっちり暖かい。
うーむ、盗賊団潰しって儲かるんだなあとほっこり顏で頷いていると、そろそろ解散の時間が近づいてきたようだ。
「それじゃあ、ここで解散とするか! お前さん方ありがとうよ! わしの店を見かけたら覗いていくといい。安くしとくぞ! はっはっは!」
最後まで笑い上戸なカーターさん。
「仕事を果たしたまでのことだカーター殿」
「気が向いたらそうさせていただきますよ。それじゃあまたどこかでお会いしましょう」
意外に謙遜するアルフレッドに、流石に依頼主には敬語なブレンダ。
「こちらこそいい経験になったの。またねなのカーターさん」
手を降るこちらに手を上げて返してくれるカーターさん。
そして店に戻り、従業員と共に荷物を下ろし始める。我々の仕事はもう終わりだ。ここに留まる理由もない。
「それじゃあ、私は行くの。また縁があったら会おうなの」
「ねえノノ」
別れようとする私を呼び止めたのはブレンダだった。流石にはいさよならというわけにはいかないか。初日にちょっと張り切ってしまったので、その追求の続きだろうか。
刃物を弾いたのは《石皮》。それに加えて像兵を作成する《土像兵作成》。もちろん白魔術師の領域ではなく、むしろ精霊術師の領域にあたる魔法だ。
白魔術師だと自己紹介した自分が、像兵の複数作成に運用などという並の精霊術師には困難な技術を、やすやすと行使してしまったのだ。突っ込みたくもなるだろう。
「あんた……」
まあ必死に隠すようなことでもないし、喋ってもいいかと身構える。
が、ブレンダは言おうとした言葉を飲み込み、何故かにっと笑った。
「……また会いましょ!」
そう言うと何故か頭を撫でて来た。うーん、手慣れているのか気持ちいい。
何かを察したのか、それとも勘違いしているのか。どちらにせよ、追求しないでくれるようだった。
直接は言えないが、声に出さずありがとうと告げる。
逆らい難い心地良さに撫でられるままにしていると、アルフレッドがやってきた。律儀な人だし、別れの挨拶だろうかと見上げると、何故か思い悩むような顔だった。
「ノノ殿。このようなことを聞くのは無粋だと思うのだが……」
一呼吸すると続ける。
「像兵を複数作り、操ったあの手腕……見事だった。しかし、その年齢で身に付けるには余りに困難な技術であるのも事実。一体どのようにしてその業を学んだのか、教えていただくわけにはいかないだろうか」
……お前マジで空気読め。
しつこく追求してくるアルフレッドを適当に誤魔化して、さて食事でも取るかとこの街の名物に思いを馳せる。
失われた記憶に、この世界にきた理由。
それらを探す旅は、まだまだ始まったばかりだ。
願わくば、楽しい道中にならんことを──。




