うさぎ、旅立ちの日
採集依頼を終えた帰り。シェリーとジャスティンを見かけたので食事に誘い、食事処で夕食のかぼちゃシチューに舌鼓を打ちながら、さらりと明日この街を離れる旨を伝える。
「ええーっ!? 出て行っちゃうんですかノノさん!?」
「そうですか……寂しくなりますね」
ジャスティンとシェリーが並び、私はその対面の席。シェリーがこっちまで乗り出して叫ぶ。
そんなに絶叫することか。とも思うが、あれからも何度かパーティを組んでやってきたので、随分と懐かれたらしい。いや懐かれたらしいなんて偉そうな言い方だが、何だかそんな言い方が似合うような仲の深め方だった。
ジャスティンはというと普通に寂しそうだった。まあ、お互い初めての冒険者仲間なのだ。いつまでも一緒にはいられないとはいえ、別れが寂しいのは当然だ。
もちろん私だって寂しい。けれど、しなくてはならないことがある。
「だいぶ冒険者としての生活にも慣れてきたし……そろそろ目的のためにも旅立ちたいの」
「……そっか、そうですよね。記憶、取り戻さないといけないですもんね」
そう、私は記憶を取り戻さないといけない。
あまりに自分に関する記憶が無さすぎたのと、一般常識は何故か頭に入っていたために普通に生活を始めてしまったが、これでも記憶喪失なのである。そして、何故自分が見知らぬ異世界にいて、何故自分がネトゲで育てたキャラクターになっていて、ついでに何故この辺りにいたのか全くわからないのだ。
もちろんこれらの謎をすっぽかして、白魔術師として将来有望な美少女兎人として余生を送ってもいいのだが。しかし何が起こったのか分からないということは、これから何が起こるか分からないということでもある。
忘れた頃に過去の因縁だとか世界の命運だとかが訪ねてこられても困る。えっ、普通に生活してるんでお構いなく。と言って帰ってくれるならまだしも、本当にお構いなくその場で好き勝手事態が展開されても困る。その時巻き添えを食うのは、目の前のこの人たちかもしれないのだ。そんなことになってしまったら、きっと自分を許せないだろう。
余談だが、美少女とか言っておきながら自分の姿の美醜はよく分からない。いや、可愛いんじゃないかなとは思うが、あくまで成人男性としての感覚である。しかもどちらかというと小動物的な愛くるしさで、人としての同じ目線じゃない。他に同族がいてくれたら分かるのだが、生憎普通に生活している分には兎人は見かけなかったのだ。
「そうだ、私たちも手伝いますよ!」
「え、でもどうやって手伝うつもりなんだい?」
「えーと、似顔絵を作って聞き込みをするとか……」
「気持ちだけありがたく受け取っておくの」
迷子の猫か私は。そして恐らくは、これから旅立つ私の目撃情報が集まってしまうはずである。
ちなみに私はどうするのかというと、シェリーのことを言えるほど具体的な策があるわけでもない。せいぜい一ヶ月以上昔の私の目撃情報や、兎人に関するなんらかの噂がないか調べるくらいだ。後はのこのこ旅をしている私のところに過去の知り合いとか、できればこの事態を招いた張本人とか現れてくれたら嬉しいな、てなもんである。
「まあ、これが今生の別というわけでもないの。冒険者をやっていればまたいつか会えると思うの」
「そっか……そうですよね! また会えますよね!」
「そうそう、次会う時は僕たちも強くなっていますからね」
「ジャスティンは既に結構強いと思うけど……」
「いえっ! あの時僕はノノさんに任せきりでろくに戦えもせず……」
悔いるように話し始めてしまうジャスティン。
し、しまった。ジャスティンはあの初めての討伐依頼の日のことをまだ引きずっているのだ。攫われた私がズタボロにされ、助けに入ったものの妖狼相手に思うように戦えず、挙げ句の果てに私が傷つきながらも倒してしまったので、聖騎士を目指すものとしてアイデンティティがぐらついてしまったらしい。
こうしてうっかりスイッチが入ってしまうと長いので、早々に切り上げさせなければ。
「何度も言ったけれど、あの時は君のおかげで助かったの。君がいなかったら私は死んでいたの」
「しかし、あんな酷い怪我を……」
「あれは不可抗力! 駆け出しの私たちにはどうしようもないことだったの」
「でも……」
「もう済んだことなの。取り返しはつかないの。だったら昔のことでくよくよしてないで……」
しっかとジャスティンの手を握り、迷いあるその瞳を見つめる。
「もっと強くなって、私を守って欲しいの」
「……………………」
……話戻って来てないか? とはいえ沈黙したようなのでよしとする。
「──わかりました。ここに誓います。僕はきっと、あなたを守れるくらい強くなります」
真っ直ぐな目だった。
いい表情をしている。きっともう大丈夫だろう。
ところで、その横顔を切なそうに見つめる乙女が一人。もちろん私でなく、ジャスティンの隣の席のシェリーである。ほほう。これはこれは。
「うん、期待してるの。じゃ、私はちょっとお手洗いに」
そう言って、シェリーに目配せする。
「え、あ、じゃ、じゃあわたしも」
「あ、はい」
空気をぶった切って悪いが、これも君たちのためだ。
店の外の厠で普通に用を足して、呪文で水を出して手を洗う。しかし、詰め込まれた知識の中に女性としての一般常識も含まれていて助かった。これがなかったらトイレで大弱りだった。
「えーと、何か話があるんですよね?」
「そうなの。ジャスティンには内緒のことなの」
そういう記憶は無いし、自分はどうやらそっち方面は得意ではないようだが、気が付いてしまったからには首突っ込まざるを……もとい、協力せざるをえまい。
「ズバリ……コイバナなの」
「えっ、ノノさんにとうとう春が!?」
「惚けるななの。シェリーのその甘酸っぱい恋の話に決まっているの!」
獣人相手に春が来たとか言うな。なんか発情期が来たみたいな感じに聞こえて困る。
「な、なんのことだか……!?」
「ふっ、先程のジャスティンの横顔を切なそうに見つめる乙女がいたの。その乙女とはシェリー! 君のことなの!」
「はうっ!」
「これはビビッときたの! ジャスティンはいいところのお坊ちゃんだし、顔もいいし、性格もいいし、剣の腕も優れているし、いいところ尽くめなの! そんな男の子が幼馴染だったらこれはもう惚れない方がおかしいの!」
ビシッと指差す。こうして列挙するとなんて優良物件なんだ。
「も、もしかしてノノさんも!?」
「語るに落ちたの。も、なんて聞き方をしたら惚れてることを認めたようなものなの」
「あうあうあう……」
「それに安心するの。彼は私の数少ない男の子の友達だけど、感じているのはあくまで友情なの。私は味方。シェリーの恋を応援するの」
キリッ。
「……その割には、さっき随分ヒロイックな発言をして見つめ合ってましたよね」
……ふむ。思い返してみると、確かにそういうような絵面に見えないこともないような。
「あれはほら、話の流れなの。ああなったらああでも言わないと止まらないし……」
「じゃあこっちを見て言ってくださいよう……」
「と、とにかく。私はシェリーの恋を応援するの。大丈夫なの。ジャスティンに一番近いのはシェリーだし、一番一緒にいた時間が長いのもシェリーなの。あとはもうアタックするだけなの」
そもそも二人きりでパーティを組んでいつも一緒に行動しているのだ。もう放っておいてもくっつくだろう。あれ? 私いらない?
「で、でも、今の距離感が居心地いいのも確かですし……」
「ふむ、気持ちは分からないでもないの」
恋人同士になってしまえば今の関係は無くなってしまうだろう。恋愛関係があれば友情関係が要らないなんてことはないのだし。
「けれど、ぽっと出の女の子に横から掻っ攫われる可能性はゼロではないの」
「……ノノさんがそれを言うんですか?」
何故かじとりと睨まれる。
「私は獣人なのだし、そもそもその気はないの」
「だから甘いですよノノさん! 半獣人という種族がいる意味を考えてください! だいたいジャスティンの方から言い寄られたらどうするんですか!?」
うおっ、すごい剣幕。まあ確かに人間と獣人がくっつく可能性もゼロではないか。それに言い寄られたらだって? ジャスティンから?
……………………まあ、悪い気はしない。
「私も罪作りな女なの」
突き刺さる白い目。
外したか。
「で、誰かに先に取られてもいいの?」
「よくないです、けど……」
誰だって一歩踏み出すのは怖いか。現場特に問題ないわけだし。
「まあ、現状焦る必要もないかなの。適度な距離感をキープしつつ友達でいて、他に要注意な女性が現れたらすかさず彼に告白して恋人になる。よし、この作戦で行くの」
「ああっ、そう聞くとなんだか最低なことをしているような気がします……!」
その後も作戦を練り直したものの話はまとまらず、ジャスティンを待たせていることを思い出したので、あまり遅くならないうちに席に戻った。
店内に戻ると、テーブルの上はだいぶ片付き、ジャスティンが一人お茶を飲んでいた。
「ああ、遅かったので心配しましたよ」
「ごめんねなの。しばらく会えなくなるからちょっと女の子同士の話がしたかったの」
「え、えーとそうなのよ。そういうわけで遅くなってごめんね」
「いえ、話をするつもりだったのは気が付いてましたよ。ただ、厠は外にありますから、誰かに絡まれたのではないかと思って」
うーむ、善人は発想も善人なのだろうか。まあここで大きい方かと疑うようなキャラでもないか。
その後ジャスティンも交えてしばらくお喋りをしたのち、そろそろいい時間だったので席を立つことにした。
「それじゃ、そろそろお別れなの」
「え、もうですか?」
楽しい時は早く過ぎ去ってしまう。実は結構長いこと話していたのだ。
「明日早いから、早めに寝ておくの。あとジェフリーさんたちとかにも挨拶しておきたいし」
「そうですか……」
会計を済ませて店を出る。外はもうだいぶ暗くなり始めていた。
「明日、見送りに行きますね」
「ありがとうなの。それじゃあ、またなの」
「またお会いしましょう。ノノさん」
お互い姿が見えなくなるまで手を降り続けた。
しんみりしてしまうが、まだ行かなくては。
向かうは、ジェフリー行きつけの酒場。
◆ ◆ ◆
「おう、ノノじゃねえか! 久々だなあ!」
「お久しぶりですなの」
酒場が並ぶ通りの一角。ジェフリー行き付けの酒場にいくと、想像通りジェフリーが呑んでいた。既にだいぶ出来上がっていて、冒険者仲間なのだろう連中と盛り上がっていた。
「おっ、そいつが噂の兎人の嬢ちゃんか?」
「へー、やっぱりホントに兎人なんだなあ」
褐色の肌に片目に傷がある男と、長髪のメガネをかけた男。冒険者ギルドで何度か見かけたことがある顔だ。自己紹介すると、やはり私のことは知っていたようだ。
とりあえず、ジェフリーに街を発つことを告げる。急な話に虚を突かれたようだったが、やがてちょっとだけ寂しそうな顔でそうか、と答えた。
「寂しくなるな……ロゼにはもう言ったのか?」
「これから会いに行くつもりだけれど……ちょっと場所がわからないからジェフリーさんに聞くつもりだったの」
どこかで呑んでいるという情報はあるのだが、目撃情報が全然無いのだ。お嬢様っぽいし、高い店で呑んでいるのかもしれない。
「ああ、あの店はちょっと分かりづらい穴場だからな……新参のお前さんには見つけるのは難しいだろうな」
「そんな隠れた店なの? 良かったら教えて欲しいの」
「そうだなー、どうすっかなー」
態とらしく頭を捻るジェフリー。酔っているせいか性格の悪さがアップしている。めんどくさい。
やがて思いついたのかぽんと手を打つ。
「そうだなー、おっぱい揉ませてくれたら考えてやってもいいなー」
おい。
「がはははは! そう来るかよお前!」
「おいおいセクハラだよジェフ! あっはははは!」
この酔っ払いどもめ。
まあ世話になったし、乳のひとつやふたつ揉ませてやってもいいのだが、女性陣にあれこれ注意されたので、ここは切り札を切ることにしよう。
「ロゼッタさんにチクるの」
「すいませんでした」
弱っ!
「何だお前、まだロゼの尻に敷かれてるのか?」
「一回りも年下の女の子に情けないなー」
ジェフリーの手のひら返しっぷりにニヤニヤしながら茶々をいれる二人。
「おいノノ、こいつらにセクハラされたとロゼに言ってみろ。面白いものが見られるぞー」
「ロゼッタさんは年下ながら尊敬できるお方だよ」
「カリスマというのかな……つい頭垂れてしまうような覇気があるよね」
早っ!
流石はジェフリーの仲間たち。素早い手の返しっぷりである。しかしキリッと締めた表情ながら額に一筋の汗が流れていた。かなり怖いらしい。
「……そんなに怖いの?」
「何というか……叱られてる気分になるんだよな。まあ大体悪いの俺らだけど」
「あと単純に鞭が怖い。すごい痛いしすごい音出るし……でも慣れるとそれが段々快感に……あ、げふんげふん、何でもないよ」
もうダメだこいつら。
「……………………」
「お、おい、ノノちゃんよ。どうして離れるんだ?」
「ど、どうしてそんな目で見つめるんだい? ああっ、何だか癖に……」
ダッシュで逃げたい。
「あー、ノノ。逃げるのは構わんがロゼの場所は聞いていけ」
おっとそうだった。遠回りしてジェフリーの元へ行き、ロゼッタの場所をメモに書いてもらった。本当にわかりにくい場所にあるようだ。むしろよく見つけたものである。感心しながらメモを見ていると、ぽんと頭に手を置かれた。ふと顔をあげると、見たことないような優しい顔だった。
「まあ、なんだ。お前さんは落ち着いて対処すれば大抵のことはこなせるよ。見に覚えのないよくわからん能力で躊躇するかもしれんが、今はお前の能力なんだから遠慮なく使い倒せ。何事もなく解決するのが一番なんだからな……」
そう言って乱暴に私の頭を撫でると、またいつも通りのニヤついた顔に戻った。
「とは言ってもお前さんの目的柄、道中に何事もないってことはないだろうけどな。ま、無理せず頑張れや。……達者でな」
ふいと向こうを向いて酒を飲み始める。
「おーっと、ジェフがデレたかーっ!?」
「いたいけな少女を毒牙にかけようとはなんという鬼畜っ! ええい、僕にもお裾分けをしろっ!」
「うるっせー酔っ払いども! 将来有望な後輩にちょっとしたアドバイス送ってやってるだけだろうが! ちっとそこになおれ!」
怒鳴り立てるジェフリーの肩を引いて頬をこっちに寄せる。
「あん? なんだよまだ何か──えっ」
こんくらいはサービスしといてやるか。
「──なっ」
「──あっ」
ひょいと離れて出口へ走る。
「ありがとうジェフリーさん──じゃ、またいつかお会いしましょうなの」
振り返るのはちょっと恥ずかしいので手だけ降ってお別れ。静まり返ったそのテーブルを背に店を出て、メモを見ながら次の店へ走る。
『──なにいいいいいいいいっ!!?』
『てめえどういうことだマジなのかジェフウウウ!』
『君が獣人シュミだとは知らなかったっ! ところで相談なんだが何人か紹介してく──』
出た後の店の中で、男三人のそんな叫びが聞こえたような気がした。
◆ ◆ ◆
「──と、いうわけで。次の街まで護衛任務を受けたので、明日の朝に馬車で出発なの」
「なるほど……やはり行ってしまうのですわね」
メモ通り店につき、ちょうど良くロゼッタとテレスも居たので、これからの予定を話した。グラスを傾けるその姿はいつも通り堂々としていて、寂しさは感じられない。けどなんだかんだで優しいこの人である。こう見えて内心気に掛けてくれていたりするのだ。
いろいろ依頼をこなしていたここしばらくの間も、時々姿を見せて声をかけてくれていたのだ。大した話はしなかったが、いろいろあったので様子を見にきてくれていたのだろう。きっと私のことが好きなんじゃないのかな! ドヤッ!
「あれから調子はどうですか? 検査では異常はありませんでしたが、何しろ生命力や魂の力を消耗した方は滅多に診ませんから……」
しょうもないことを考えているとも露しらず、こちらの心配をしてくれるテレス。まあそりゃそんな人がそこらにいたら施薬院は今頃魂だのなんだのについてエキスパートになってしまう。
「うーん、自覚症状は特に無いの。既にいつも通り元気だし、魔法も使えるの」
消耗直後はともかく、ある程度回復したら体力や魔力行使には特に影響はないのだと聞かされている。
魔法の基礎理論にもあるのだが、体力や魔力は肉体に付随する力で、生命力や魂の力は霊体に付随する力。両者はちょっとカテゴリの違うエネルギーなのだ。霊体側が弱ると、肉体側もそれに引きずられて操るのが難しくなるが、体力や魔力を失っているわけではないので、しばらくすれば落ち着くらしい。
とはいえ、肉体側が元気になっても霊体側が弱っているのは変わらない。むしろ自覚症状がないので、何か異常が起こっても分かりづらいのだ。過去には戦争に勝つために連日黎明の力を使い続け、やがて老人のように急激に年老いて死んだ英雄もいるらしい。何それめっちゃ怖い。
「ま、霊体が弱ることの怖さはテレスに何度も口酸っぱくして言われたでしょうし、普通に旅している分には黎明の力を使う事態なんてそう起こらないですわ。普通に旅している分には、ですけれども」
そう言って薄く笑う。まあ何と無くだが、自分でもこの先普通に旅できるかちょっと自信ない。
「わたくしが気にかけているのは……極限状態に陥った時、誰かを救う力があるのなら、貴女はそれを使ってしまうだろうということですわね。わたくしだって、同じ立場なら迷うことなく使ってしまいますもの」
「ロゼッタさん……」
沈痛な表情でロゼッタを見るテレス。買い被りすぎだと思うが、救いたい人が親しい人なら多分そうするだろうという妙な確信も自分の中にあった。
下手に余裕があって、選択肢があるからいけないのだ。これが自分が力不足で、誰かを救えないならまだ自分一人の絶望で済む。だが救える力が、自らを犠牲にしてそれを覆せる選択肢があるなら、それを選べる瞬間があったら、人はそれを選んでしまうのではないだろうか。
このままこの世界に生き続ければ、自分の死に場所はきっとベッドの上ではないだろう。
「……私だって死ぬつもりとか、魂とかを使い果たすつもりはないの。記憶を取り戻さずに死ねるかっていうの」
せめて、自分が何者なのかくらいは取り戻したい。それも知らずに死ぬのはごめんだ。
「その意気ですわ! 何より自分の失われた記憶を求めて旅をするなんて、まるでお伽噺みたいで素敵じゃありませんの! ああ、きっと貴女の行く先には愛と冒険が待ち受けているのですわ……わたくしも付いて行きたいくらいですもの!」
急にテンションアゲアゲのロゼッタ。まあ冒険者になるために家を飛び出すような人だ。記憶を取り戻す旅なんていかにもな冒険理由に心滾ったのだろう。それを見てくすくす笑うテレス。
「では今夜はノノの旅路を祈って飲み明かしますわよ!」
「では私はこれにてお先に……」
ドロンしようとする自分の襟をつかむロゼッタとテレス。あんたもかい。
「いや、私言ったの。明日早いって」
「まあまあ、一杯くらい付き合ってくださらない?」
そう言いながらカクテルを注文するロゼッタ。
「私十歳くらいだし……それにお酒飲んだことないの」
「獣人ならちょっと早いくらいでしょうかね。けど兎人はお酒に強い傾向があるから大丈夫ですよ」
年齢を理由にしようとしたが、医者にまでそう言われては逃げられまい。
この体になってから酒を飲むのは初めてだった。そういえば飲む機会なんて今までいくらでもあったのに飲まなかったのは、やっぱり結構いっぱいいっぱいだったのだろうか。それとも自分に元々酒を飲む習慣が無かったのだろうか。
まあ一杯くらいいいだろう。世話になったし、この世界の酒がどういうものなのかちょっと興味もある。
注文した酒が手元に来た。名前は分からないが、白く濁っていてなんだか果物のような甘い匂いがする。ロゼッタたちも新たに注文した酒を手に取り、軽く掲げる。
「それでは、ノノの旅路を祈って──」
ロゼッタが音頭を取る。
『──乾杯っ!』
きん、とみんなで盃を合わせ、口を付ける。
くぴ。あ、思ったとおり甘くておいしい。
くぴぴ。それにアルコールも薄い。まあいきなり度数高いの飲ませないか。
くぴくぴ。この甘さは桃かな? 結構好きかも……。
くぴくぴくぴ。……うん。
くぴぴぴぴ。……………………。
「ノ、ノノ? そんなに一気に飲まなくていいですのよ?」
「そ、そうそう。ゆっくり、ゆっくりでいいんですよ?」
くぴぴぴぴぴぴぴぷはっ!
だんっ。
「……………………」
「……ノノ?」
「──うふ」
★ ☆ ★
「うーん……」
暖かいベッドの中。ちゅんちゅんちちちと小鳥の鳴き声が聞こえ、瞼に日の光が当たり覚醒を促す。朝だ。旅立ちの日がやってきたのだ。
「うにゅ……」
しかしベッドの魔力には逆らい難い。まだまだ眠っていたい。きっと何かの魔法がかかっているのだ。心地よくて離れ難い。特に今日なんかすごい柔らかい抱き枕なんてついているし……。
……抱き枕?
むにゅむにゅ、と揉んでみる。昔はよく知らなかったけど、今はよーく知っている柔らかさ。しかし手触りは別物だ。絹のようにしっとりとかつきめ細やかな手触り。いつまでも触っていたくなるような魔性の感触。そして指の腹に当たるこれは……。
「……ぁん」
目を開ける。
肌色。赤毛。黒。
ロゼッタ。解けた縦ロール。下着。
下着姿のロゼッタ。それに抱きついてブラジャーの下に手を突っ込んで胸を揉んでる私。全裸で。
「……………………」
「……うん……朝ですの?」
「……………………」
「……って、ちょっと。どこ触ってるの。離しなさいな」
言われたままゆるゆると手をどけて離れる私。全裸で。
「……………………」
「おはようございますわノノ。昨日は随分飲んでいましたけれど……二日酔いは大丈夫ですの?」
「……………………」
「……ノノ?」
「……………………」
「……服着たらどうですの?」
「……………………」
「わああああああああっ!!?」
現状を把握して絶叫する私。全裸で。
「ちょ、ちょっとノノ! 朝から声が大きいですわよ!」
「ななななな何で何で何がどうして裸!?」
「……ああ、やっぱり覚えてませんでしたのね」
呆れた顔で頷くロゼッタ。下着姿で。
「貴女お酒弱すぎですわね。一杯で酔っ払った挙句、わたくしたちの静止も聞かずに次々注文してかぱかぱ飲んで……おまけに暑い暑いと服を脱ぎ出して……全裸になられる前に店を引き払って、近くの適当な宿に入ってベッドに押し込んだのですわ」
「ごめんなさいごめんなさい」
大変迷惑をかけてしまったようで謝り倒す私。全裸で。
「わたくしもだいぶ酔っていたのでもう寝ようとベッドに入ったのですけれど……貴女は絡んでくるし抱きついてくるしキスしてくるし……かと思ったら突然寝るしで大変でしたわよ」
「申し訳ない! 本当に申し訳ない!」
へんたいセクハラしてしまったようで謝り倒す私。全裸で。
「貴女、くれぐれも殿方とお酒は飲まない方がいいですわね。朝起きたら女になっているなんて嫌でしょう? お酒飲む時は女の子とだけになさいな」
こんだけ迷惑かけた上に心配されたーッ! 死ね! 死んで詫びるのだ私! 今こそ伝統芸能ハラキリの出番ではないか!? 武士道とは死ぬことと見つけたり! 全裸で!
「本当にごめんなさい……」
刀なんて持ってたかなーと俯く私の頭が撫でられる。
「あー、もう、そんなに落ち込まないの。一杯とはいえわたくしたちが無理やり飲ませたのがいけないのですし、初めてだったんだから仕方ないですわ。今後は気をつければいいのです」
「うう……ありがとなの……」
女神や……女神様がおる……。この世界は女神はいないけど。
「ほら、服をきて身支度をしなさいな。朝から出発なのでしょう?」
「──あ」
やばい。今何時だろう。
「まだ明け方ですわ。急いで行けば大丈夫だと思いますけれど」
しかし滞在している宿に荷物を取りにいかなければ。もたもたしていたら置いていかれるかもしれない。慌ててベッドの上に散乱してる服を拾い集めて着る。《念力》も駆使して急いで着込む。
「そろそろ出るの! えーっと、お金は!?」
鏡を見て身支度をしながら尋ねる。
「ああ、飲んだ分は貴女が自分で払っていましたわよ。ここの宿代は貸しにしておきますわ。いつかまた会った時、返してくださいな」
道理で財布が軽いわけだ。
「かたじけないの! それじゃ、またいつかお会いしましょうなの!」
服着た身支度した荷物持った! 最後の挨拶にくるりとロゼッタの方へ振り向くと──
「ええ、お達者で」
──頰にキスをされる。
……えーと、そうか。そういえばヨーロッパとかじゃキスはよくある挨拶か。じゃあこっちも返した方がいいかな。
──キスを返す。
すると、ロゼッタはにっこり笑ってくれた。
なんか飼い主にペットがすり寄っているような感じになっている気がする。
「それではまた……」
お互い手を降りつつ私は宿を出る。というか酒場の近くで大きいベッドが一つしかなくて安い宿なんてよく考えたらそういう宿しかないではないか。こういうところは初めてなのでちょっと恥ずかしい。誰かに見られていないといいのだが。
その後、技能を駆使してまで元の宿に戻り、荷物を回収して引き払う。そして急いで依頼人の店の元へひた走る。まだ間に合う! まだ間に合うはずだーッ!
間に合ったけど護衛の中では最後だった。
「すみません! すみません!」
なんか今日は朝から謝ってばかりだ。
「はっはっは、大丈夫じゃよお嬢ちゃん! 出発までまだまだかかるからのう! 荷物を運び入れるまでもう少し待っとってくれい!」
笑って許してくれた依頼人であるご老人。しかし冒険者たるもの時間には気をつけなければいけない。依頼の前日はくれぐれも酒はやめておこう。
「よっ、遅かったな」
「あれ、ジェフリーさん? どうしてここに?」
他の護衛と合流しようと店に入ろうとすると、ジェフリーに声を掛けられた。朝の依頼ということは教えたが、具体的な場所とかは教えなかったはずである。それが何故ここに?
「おいおい水臭いな。見送りに来たんだよ。こいつらと一緒にな」
後ろを指差すと、ジャスティンとシェリーがいた。
「おはようございまーす! ノノさん!」
「おはようございます、ノノさん」
「おはようなの。そっか、二人に会ったの」
二人には話しておいたので、偶然会うことができて合流したのだろう。
しかし、そろそろ顔合わせをしないといけないのであまり話せない。
「ああそうだ、いくつか伝えとくことがある。聞くだけでいいぞ。一つは例の依頼の時の大鼠人だが、今も元気にやってるそうだ。人間社会は窮屈だが頑張ってる、とのことだ」
そういえば街に戻ってから殆ど会ってなかった。そもそも私が意識不明だったので、大鼠人の登録はジェフリーにやってもらったのだ。律儀にもたまに様子を見てくれているみたいだった。
「後は、いつか王都に行くことがあったら、この手紙を《詠う旅鳥亭》のヨハンって男に渡してくれ。俺らの昔の仲間だ。ちょいと変なところがあるやつだが……気に入られればいろいろ便宜を図ってくれるだろうよ」
そう言って手紙をくれた。《詠う旅鳥亭》のヨハンか……覚えておこう。
「えっと、時間がないから手短に……一緒に仕事できて楽しかったです! またお会いしましょうね!」
「またいつかお会いしましょう。約束は果たします……!」
ジャスティンとシェリーとも握手を交わす。
「みんなに会えて良かったの……ありがとう」
本当に。本当に最初のパーティが君たちで良かった。
まだまだたくさん言いたいことはあるけれど、時間が押している。名残惜しく手を離し、一歩下がる。
「またお会いしましょうなの。……みんな、元気でね」
手を降り、別れた。
店の中で他の護衛と顔合わせをし、軽く打ち合わせをする。もちろん遅刻にちょっと突っ込まれたが、しっかり謝ったし顔見知りもいたので大事にならなかった。
さて、荷物の積み上げが終わったようで、いよいよ出発だ。
馬車について歩く。思えば護衛任務は初めてだ。初っ端から遅刻とはちょっと失敗してしまったが、なんとか頑張って汚名返上しよう。
途中、大通りでロゼッタを見かけたので手を振る。思えばいろいろ世話になったものだ。借りを返さなくてはいけないし、きっといつかまた会いに行こう。
北の門を抜け、道なりに進んでいく。さて、ここからお仕事開始だ。目的地までしっかり護衛をしなければ。杖をしっかり握り直して、気合をいれた。
こうして、私の旅は始まった。
私に何があったのだろうか。
この先に何が待っているのだろうか。
本当に、答えは見つけられるのだろうか。
私は兎人族の白魔術師、名前はノノ。
冒険者生活の、新たなるステージの始まりだ!




