化粧
今日の母さんはいつもとは一味違う。
今日の母さんは化粧をしているのだ。いつもは化粧を全くしない母さんが。
それもそのはず、今日は母さんにとって大切な日だ。いつもみたいに「化粧しても変わらない」「面倒くさい」とは言っていられない。
おしゃれとは無縁の母さんはいつも家族に「化粧はする必要ない」だの「全部の女が化粧好きだと思うな」だの文句を言うばかりで自ら進んで化粧をすることはない。父さんにしていけと言われる大事なイベントの時だって拙い化粧をちょっとだけして済ますだけだ。そんな母さんが、今日はいつもとは比べ物にならないほど見事な化粧をして綺麗になっている。
僕はなんだか母さんが僕の知っているいつもの母さんではないような気がして複雑な心境になる。こんな日だからこそ、僕はいつもの母さんの方が落ち着くのだ。母さんもきっと、今の自分の姿を煩わしく思っているに違いない。
純白の服をまとった母さんの元に続けざまにたくさんの人が歩み寄り、彼女に向かって一様に「綺麗だ」「綺麗だ」というけれど、母さんはすまし顔で何も言わない。
少しくらい笑って応えてやればばいいのになと思うけれど、今日の母さんは決して笑わないのだ。いつもの母さんはまるで男かと思うくらいに豪快に笑うけれど、今の母さんはいつもよりも表情が硬い。母さんの表情が和らぐことは、もうないだろう。
やがて、母さんの傍に誰もいなくなったのを確認して僕も母さんの元に歩み寄る。
プロのメイクさんにやってもらっただけあって、僕の過去の記憶と比べてみても、今日の母さんは一番綺麗だった。
「綺麗だよ、母さん」
目を閉じたままの母さんの髪を撫でる。そう言っても母さんはやはりすました顔で僕の言葉に応えてくれることはない。
これだけ綺麗な母さんを見ると、日頃から少しでも化粧をすればいいのになと思う。だけれど、今後母さんが化粧をすることは絶対にないのだ。
ずっと母さんを見ていると、今までの母さんとの思い出が一気にフラッシュバックする。記憶の中の母さんはどれもすっぴんか拙い化粧姿で、目の前の母さんに少しばかりの違和感を覚える。僕は今までのどの母さんとも一致しない今の化粧姿を滲んだ視界でとらえ、鮮明に記憶に刻み込む。これが母さんの最後の化粧姿だ。
「母さん、ありがとう」
僕は母さんに深々と頭を下げる。そして、僕は震える手で棺の蓋を閉じた。
叙述トリックの習作です。少しでも引っ掛かってくれたら幸いに思います。