第001話「あなたが望む姿は(前編)」
37歳独身。身長170cm、体重81.6kg。
自他ともに認めるぽっちゃり中年男性である尾本コウが見上げた夜空には、銀色の蠍座がゆっくりと動いていた。
「すげえな。異世界って星座が動くんだ……?」
そよぐ夜風が草原を静かに撫で、かすかに若草の香りを運んでくる。
「どうかしたんですか、尾本さん?」
先を歩く異世界の女神フェルネスが純白のローブを翻して振り返った。
背中まで伸びる長い金髪に、天空を思わせる青い瞳。その身体はぼんやりと金色の光を帯びており、明らかに人ならざる神聖な存在感を放つが、それがなければ中学生ぐらいの子どもにしか見えない。良く言えばあどけないし、悪く言えば――
「……尾本さん、何か失礼なことを考えてません?」
「んにゃ、なんも」
尾本は小さく咳払いした。
「さてさて。それでは――
こちらの世界で活躍する尾本さんの体……勇者アバターを作成しましょう」
「了解。俺は、その姿で異世界を旅するわけだ」
「そういうことです。小さな子どもでも、屈強な大男でも、なんでも選べますが……わかっていますよね?」
「うん。本物の俺が痩せるたびに特殊スキルがアバターに与えられる。しかも、俺の体重が減れば異世界の魔物の数も減る。ついでに本物の俺は健康に。まさに一石二鳥……いや、一石三鳥ってわけですね」
「そういうことです」
フェルネスはうなずくと両手を広げた。
彼女が深く息を吸うと同時に、白い靄が静かに広がり始める。それはただの霧ではなく、まるで意思を持っているかのようにゆらめき、瞬く間に世界を白く包み込む。
「それでは、尾本コウよ……
あなたが望む、異世界ウルファジムでの身体を〝慎重に〟想像してください」
白い闇の向こうから、フェルネスの落ち着いた静かな声が響いた。
尾本は息を整えながら、自分が望む姿を思い描く。
「俺が……望む姿は……」
「あなたが……望む姿は……」
フェルネスの声がゆっくりと反響し、尾本を包む光の霧が緩やかに渦を巻きはじめる。
「猫ちゃん」
「あなたが望む姿は……猫ちゃん……
はあっ?! 猫? ネコ?! Cat?! Katz?!」
白い霧がびくっと震え、荘厳な雰囲気が一瞬で吹き飛んだ。
「猫好きなんで」
「ちょ、ちょっと待って! 猫の姿で魔物と戦うつもりなんですか!」
「大丈夫。俺がイメージしてるのは、子どもの頃に好きだったシャルル・ペローの絵本『長靴をはいた猫』だから。メルヘンですなー」
「それって二足歩行で人語を話す化け猫って事ですか?」
「そうですが?」
霧の渦が尾本の体を包み込み、視界がゆがむ。肌の感覚が変わり始めた。
「そんなの魔物と間違われて人間に狩られるに決まってるでしょ!
敵である魔王軍の魔物の大半は、二足歩行する犬型の魔物ばかりなんですよ?!」
「ちょっと! それ初耳なんですけど! だったら、やり直します!」
尾本は慌てるが、靄が動きを阻むように絡みついてくる。
「もう無理ですよ。今更どうしようもありませんって……」
白い闇の中に
《勇者アバター・ビルド中……》
というダイアログとインジケーターが表示された。進行状況は30%。
その下には小さな文字で――
《警告:アバター決定後の変更はできません! 絶対に》
――と書かれている。
「えっ? ちょっ、ちょっと! なんか『変更できない』って書いてあるんですけど?!」
「だから最初に〝慎重に〟って言ったのに……」
「キャンセル! キャンセル!」
インジケーターの下にある『CANCEL』というボタンを必死で連打するが、返ってくるのは「ビーッ! ビーッ!」という無情なエラー音。
「もうっ! 私、知らない! せっかくここまでお膳立てしてあげたのに!」
「じゃあ、あれだ! アバターにイメージを挿入! 頼むぜ、広瀬!」
尾本が最後の希望である『職場の後輩の名前』を叫ぶと、それに反応するように新たなダイアログが表示された。
《勇者アバターのビルド完了:Build completed.Deploying…Please wait...》




