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散歩で拾った「箱」—エンディングロールは、ふたりで  作者: 輝


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第9話 寂しさを抱えた心の影

 六月最初の水曜、夜の二十二時過ぎ。商店街のカフェは閉店札を出し、表の灯りを半分だけ落としていた。まおはレジの前でスマホを握り、画面の数字を何度も上へ下へと撫でた。遊園地で撮った動画の再生回数が、ゆっくりじゃなく、階段みたいに増えている。


 「……増えてる。え、増えてる」

 声が出た瞬間、自分で自分にツッコミたくなるほど幼く聞こえて、まおは咳払いをして大人ぶった。

 「増えて、おります」


 カウンターの向こうで真潤が、無表情のまま布巾を畳んだ。

 「敬語にしたところで、指は踊ってる」

 「踊ってない。ちょっと確認してるだけ」

 「ちょっと、ちょっと、ちょっと。ほらね、三回目」


 まおはスマホを胸に抱えて、唇を尖らせた。

 「だって……六月最終土曜夜の屋外上映会、いい順番の枠、取りたいじゃん」

 「順番が人生の順位になったら終わり」

 「それ、言い方が怖い」

 「怖いのは、そこじゃないでしょ」


 真潤の視線が一瞬、まおの指先へ落ちる。爪が白い。まおは気づかないふりをして、カウンターの下からジャケットを掴んだ。見た目だけは大人のジャケット。袖を通すと、肩の線が少しだけしゃんとする。——でも、胸の奥のざわざわは、布みたいに直らない。焦恋、と笑い話にしてきた速さが、夜になると刃物みたいに細く光る。


 表のシャッターを半分下ろし、鍵を回す。商店街の夜は静かで、遠くの自販機の低い音だけが続いている。真潤が鍵束を鳴らしながら言った。

 「散歩、行くの?」

 「……行く。頭が、うるさい」

 「ほらね。逃げ道が散歩になってる」

 「散歩は逃げ道じゃない。……移動だし」

 「移動で直るなら、みんな歩いて治してる」


 まおは言い返せず、ただ笑ってみせた。笑い方だけが上手くなるのも、焦るときの癖だ。


 川沿いの散歩道へ向かう途中、スマホが震えた。舜爾からのメッセージ。

 『今夜、次の投稿の導線まとめた。明日の昼十二時に、駅前のベンチで五分だけ話せる?』

 五分だけ。短い。短いのに、そこに「勝つ形」が詰まっている気がして、まおの息が浅くなる。


 川の匂いが戻ってきたころ、まおは足を止めた。街灯の下に、見慣れた背中がある。肩にバッグを掛け、手には白い小箱。ふたの「ありがとう」が、夜の光を受けて白く浮いていた。


 快だった。


 快はまおに気づくと、歩幅を少しだけ落として近づいてきた。いつもみたいに、声の温度が一定だ。

 「お疲れさま。閉店、遅かった?」

 「遅くない。普通。……普通の大人」

 言ったそばから、まおは自分の声が硬いのが分かった。普通と言いながら、喉の奥がきゅっと狭い。


 快が小箱を持ち上げ、ふたを指で押さえる。

 「今日、これ……店に置きっぱなしにしないほうがいいと思って。持ってきた」

 「え。ありがと。……それ、私のやつなのに」

 「提供:預かりもの」

 「それ、今言う?」


 まおは笑った。笑ったのに、胸が軽くならない。増えてる数字の明るさが、ここでは余計に眩しい。


 二人は並んで歩き出した。川面の黒さに、街灯の筋が細く伸びる。靴の音が、二人分、交互に鳴る。

 「遊園地の動画、伸びてるよね」

 快が言うと、まおは反射で頷いた。

 「伸びてる。……すごい、よね。私、やっと、置いていかれないかも」

 言ってから、口を押さえた。今のは、言う予定じゃなかった。見た目だけは大人の顔が、間に合わない。


 快の足が、半歩だけ止まる。すぐにまた歩き出す。歩幅を、まおに合わせる。

 「置いていかれるって、誰に?」

 「……みんな。数字が速い人。上手い人。……舜爾さんとか」

 まおは前を見たまま言った。快の顔を見ると、胸の奥の影が形になる気がしたからだ。影は、寂しさを抱えた心の影。名前を付けたら、余計に大きくなる。


 快は、しばらく沈黙してから言った。

 「勝つ導線、ってやつ?」

 「うん。導線。……私、それ、できないから」

 「できない、って言い方は、嫌いじゃない」

 「え」

 「できないって言える人は、できるようになる前に、誰かに頼れるから」


 まおは返事ができず、代わりに笑って誤魔化した。誤魔化し方も、最近は編集みたいに上手い。切って繋いで、見せたい表情だけを出す。


 そのとき、川沿いのベンチの前で、舜爾が立っていた。偶然にしては、タイミングが良すぎる。手にはタブレット。画面の光が、舜爾の頬の角を青く照らす。

 「まお。今、ちょうど良かった。——快もいるなら話が早い」

 舜爾は息を整える間もなく、画面を二人に向けた。

 「明日昼十二時。駅前のベンチ。撮影は二時間で十店。導線はこれ。許可取りの順番も、言い方も、文章の型にした。揺れないように」

 舜爾の指が、未来をスワイプで並べていく。


 まおの胸が、すっと軽くなる。軽くなるのに、同時に喉が苦しい。軽くなるのは、舜爾の手順に乗るからだ。自分で歩いてない気がするからだ。

 「……すごい。ありがとう。これなら、いける」

 まおが言うと、舜爾が一瞬だけ笑った。

 「勝つって、こういうことだよ。続けるための勝ち方」


 快は、その横で静かに頷いた。頷いたのに、目が笑っていない。まおはそれに気づいて、慌てて言い足した。

 「快くんも、編集、お願いしたい。……ていうか、必要」

 必要、と言うと胸が温かくなるはずなのに、快の表情は変わらなかった。


 快が小箱を胸の前に寄せ、ふたの角を指で撫でた。側面の薄い文字が、街灯に浮かぶ。

 「エンディングロールに載せたい人へ」

 快が読んで、少しだけ笑う。

 「載せたい人、増えてきたね」

 「……増えた。協力してくれる人、増えた」

 「うん。良いことだ」


 舜爾が快を見た。

 「快、明日の撮影、来られる? 来られるなら、動きも合わせたい」

 快はすぐに答えなかった。まおはその間が怖くて、言葉を詰め込んだ。

 「来てほしい。……置いていかないで。私、置いていかれるの、ほんと嫌」

 最後の一言だけ、敬語が消えた。夜の冷えた空気の中で、自分の声がやけに大きい。


 快の喉が動く。何か言いかけて、飲み込む。

 「……大丈夫。置いていかない」

 そう言ったのに、快の手は箱のふたを、きゅっと押さえていた。閉じるみたいに。


 そこへ、後ろから足音が近づいた。真潤だ。鍵束の音が、夜に小さく響く。

 「ほらね」

 真潤が言う。

 「……何が」

 まおが振り向くと、真潤は快に向けて、もう一度言った。

 「ほらね。応援って言えば、全部丸くなると思ってる顔」

 「してない」

 「ほらね、否定が短い。図星」


 舜爾が気まずそうに咳払いをしたが、真潤は止まらない。

 「まお。数字が増えたら、夜が静かになると思った?」

 まおは答えられなかった。静かになるどころか、夜は余計にうるさい。布団の中で、置いていかれる音が鳴る。


 快が、まおのほうを見た。まおはその視線から逃げたくなくて、でも怖くて、目を伏せた。

 「……私、ね。置いていかれるのが怖いの。置いていかれたら、もう戻れない気がして。だから、速いほうへ行きたくなる。焦恋って、笑ってたけど、笑えない夜がある」

 言いながら、まおの指がジャケットの袖口を掴む。布が、しわしわになる。大人の服が、子どもの手に負ける。


 快は、少しだけ息を吐いた。

 「提供:本音」

 それだけ言って、笑った。まおは笑えなかった。


 舜爾がタブレットを抱え直し、言った。

 「明日の昼十二時、ベンチで。五分じゃなく、ちゃんと話そう。まお、焦ってるときほど、順番を守ろう」

 まおは頷いた。順番を守る。——守りたいのに、守れない自分がいる。


 快が一歩下がった。まおの横から、少しだけ離れる位置へ。

 「俺、今日はここで帰る。箱は……店に戻しておく」

 「え、散歩、続きは」

 「また今度。協力:明日」

 快の言い方はいつも通りなのに、距離だけが変わった。まおの胸に、冷たい穴が開く。置いていかれた、と言うには早い。でも、影が濃くなるには十分だった。


 快は背を向けて歩き出した。川の黒に、快の影が溶けていく。まおは追いかけたいのに、足が動かない。舜爾のタブレットの光が、まおの手元を照らす。真潤が小さく言った。

 「ほらね。大事な人ほど、待つのに向いてない」

 まおは唇を噛んだ。噛んだぶんだけ、明日の昼十二時が近づく。


 遠ざかる背中に向かって、まおは心の中でだけ言った。

 (置いていかないで。お願い。)

 声にしたら、もっと速く走ってしまう気がしたから。


 快の肩に掛けたバッグから、白い小箱の角が少しだけ見えた。ふたの「ありがとう」は、夜の街灯で、最後まで白かった。



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