表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
散歩で拾った「箱」—エンディングロールは、ふたりで  作者: 輝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/15

第8話 遊園地で反射する心

 五月下旬の日曜、昼の一時。都内から電車で四十分の遊園地は、甘い綿あめの匂いと、子どもの笑い声で満ちていた。改札を出たまおは、歩く前から小走りで、入口の看板を見上げて両手を上げる。ジャケットの袖が、照り返しの光で白くきらりとした。


 「今日、撮れ高ある。絶対ある。だって、ほら——あれ!」

 指さす先のジェットコースターが、空に向けて音を立てて登っていく。まおの声は店のカウンターにいるときより三段高い。


 快は、胸の前でカメラのストラップを整えた。会社の機材室から借りた小型のカメラ。レンズのガラスに人混みが映り込み、空の青も映る。——映るものは多いのに、映したいものだけが、いつも一秒遅れる。

 「提供:日焼け止め。協力:帽子」

 つい癖が出ると、まおが即座に振り返った。

 「それ、締めに使うやつ。まだ始まってない」

 「始まる前に言っておくと、あとが楽でしょ」

 「楽して勝つ気?」

 まおが笑って、すぐ舌を出す。言い方は軽いのに、目だけがどこか急いでいる。


 今日は「散歩でありがとう一言」を、遊園地版で撮る約束だった。店員さんや係員さん、並んでいる人に許可をもらい、短い感謝の一言を集める。小箱は快のショルダーバッグに入っている。ふたの「ありがとう」を指でなぞるたび、まおの声が近くにある気がした。


 最初の撮影は、メリーゴーラウンドの前だった。まおはカメラに向かって、白い歯を見せる。

 「こんにちは。今日は……えっと、歩かない散歩!」

 自分で言って、笑って崩れた。

 「違う、違う。遊ぶ散歩!」

 言い直してまた噛む。快は無言で手を挙げて「もう一回」を示す。まおは深呼吸して、頬を叩いてから、今度はきっちり言った。

 「こんにちは。今日は遊園地で、“ありがとう一言”を集めます」

 成功した瞬間、まおは小さくガッツポーズをした。見た目だけは大人、喜び方はわりと子どもだ。


 係員さんに声をかけ、撮影の許可を取り、感謝の一言をもらう。帽子の角度を直してくれた母親、落としたチケットを拾ってくれた高校生、笑顔で案内してくれた係員さん。短い言葉が、まおのスマホの中に溜まっていく。

 「最後、エンディングロール入れよ。『協力:観覧車』とか」

 「観覧車は協力してない」

 「動いてくれてる」

 「それは機械の仕事」

 まおのツッコミが軽快で、快の肩の力が少し抜ける。


 問題は、絶叫系だった。


 「行こ、あれ! 映える!」

 まおは列に並びながら、既に両手を握りしめている。口元は笑っているのに、指先が細かく動く。快はその動きを見て、言いたい言葉を飲み込んだ。怖いなら、やめてもいい——と言うのは簡単だ。まおは「チャンス」を逃さない人だから、止めたら余計に走る。


 発車。登る。止まる。落ちる。

 まおの声が、空に抜けた。

 「うわぁぁぁぁ! ——あ、これ、楽しい! いや、怖い! 楽しい!」

 人格が一往復する。隣で快は、声を出す代わりに目を閉じた。胃がふわっと浮いて、頭が軽くなる。下を見ると、まおの髪が風にほどけて、頬が赤い。笑っている。泣いていない。——それだけで安心した自分が、少し悔しい。


 降りた直後、まおはよろよろしながら、快の腕にしがみついた。

 「今の、撮った? 私、顔、どうだった?」

 「最高に、崩れてた」

 「編集で盛って」

 「編集は魔法じゃない」

 「じゃあ、魔法みたいにして」

 まおは笑いながら、腕を離さない。快の心臓が一拍、編集点を飛ばしたみたいに跳ねた。


 午後三時。観覧車の列に並び、ゆっくりと空へ上がる。外の喧騒が、ガラス越しに遠くなる。二人きりの箱の中は、空調の音だけが一定だった。

 まおは窓の外を見て、息を整えた。さっきまでの高い声が、少し低くなる。

 「ね、快くん。さ……」

 その声の続きが、まおの喉の奥で揺れているのが分かった。快は、目線をまおの指先に落とす。膝の上で、スマホをぎゅっと握っている。爪の先が白い。

 快は、手を伸ばしかけた。触れたら、言葉が出る気がした。

 「……まお」

 名前を呼ぶだけで、胸が熱い。


 その瞬間、快のスマホが震えた。画面に「舜爾:今どこ?」の通知。続けて電話が鳴る。まおのスマホも同時に震えた。まおが反射的に画面を見て、目が丸くなる。

 「え、舜爾さん、近くにいるって……」

 まおは言いながら、慌てて通話ボタンを押した。観覧車の静けさに、舜爾の声が入り込む。

 『ちょうど撮影の確認したくてさ。今から合流できる? 今日の素材、次の投稿の設計に使いたい』

 「設計」

 まおの目が、またさっきの速度になる。早い。速い。置いていかれたくない目だ。


 観覧車が地上に戻るころ、舜爾は出口の横で待っていた。手にはタブレット。画面には、投稿予定の表が並んでいる。まおは、その表に吸い寄せられるみたいに近づいた。

 「これ、今日の遊園地の動画を、三本に分ける。一本目は“絶叫の顔”で引く。二本目は“ありがとう一言”で温度を入れる。三本目で屋外上映会につなげる」

 舜爾の指が、スワイプで未来を作っていく。


 快は、その横に立ちながら、自分の影が薄くなるのを感じた。まおの耳は、舜爾の言葉に向いている。快のほうは、まおの視界の端にいるだけ。

 まおが振り返った。

 「快くん、ね。これ、すごくない? 私、こういうの、できない」

 頼ってくれる言葉なのに、胸が痛い。快は笑って頷いた。

 「すごいよ。……君のやりたいこと、ちゃんと形になる」

 いつもの逃げ道。応援、という便利な言葉。まおの目が、ほんの一瞬だけ曇った。


 舜爾が、まおの肩越しに快を見る。

 「編集は任せたい。だけど、今日からは“勝つ手順”で動きたい。まお、いけるよな?」

 「いける。……いける、はず」

 まおは言い切った。言い切ることで、自分の怖さを置いていくみたいに。


 夕方、遊園地の出口。帰りの駅へ向かう人波の中で、まおは舜爾の隣を歩いていた。快は半歩後ろ。まおのスマホには、次の撮影予定が次々と送られてくる。通知音が、まるで背中を押す足音みたいだ。

 快のバッグの中で、小箱が軽く揺れた。ふたの「ありがとう」が、暗くなる前の光を受けて、ぼんやり白い。


 まおが振り返って、早口で言った。

 「快くん、今週、商店街で“十店ありがとう一言”撮ろう。昼の一時から二時間で回る。舜爾さんが許可取りの導線も作ってくれるって」

 具体的な時間と数が並ぶ。まおの声は弾んでいる。快の胸の奥は、ついていけずに重い。


 「うん。……できる範囲で、やろう」

 快がそう言うと、まおは「できる範囲」を聞き逃したふりをして笑った。笑いながら、舜爾に顔を向ける。

 「じゃあ、次は“勝つ形”で!」

 その言葉が、快の耳にだけ、少し尖って刺さった。


 駅のホームで電車を待つ間、ガラス窓に三人の影が並ぶ。まおの影は明るく、舜爾の影はまっすぐで、快の影だけが端に寄る。窓に映る空は夕焼けで、観覧車の輪郭が遠くに薄い。

 「提供:置いていかれる速度」

 快は小さく呟き、すぐに口を閉じた。隣にいたい、と言える距離は、まだ箱のふた一枚ぶん、開かなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ