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散歩で拾った「箱」—エンディングロールは、ふたりで  作者: 輝


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第2話 見た目だけは大人

 翌週の水曜、五月の夜風はまだ少し冷たくて、商店街のアーケードには湯気の立つたい焼きの匂いが漂っていた。快は編集室を出て、川沿いとは逆の道を歩き、角のカフェの看板を見上げる。黒板にはチョークで「本日の新作:大人のビターラテ」と書かれている。


 ガラス越しに見えたのは、つやのあるジャケットに身を包んだまおだった。椅子に腰かけ、紙ナプキンを四角く折っては、また開いている。指先が忙しい。見た目だけは大人なのに、落ち着きどころが見つからないみたいだった。


 「……来た。快さん、こっちです。あ、いや、快、こっち!」


 呼び方が二段階で崩れたところで、まおは自分の口を押さえた。快は笑いを飲み込み、向かいの席に座る。


 「今日は、敬語の編集点が多いですね」

 「編集点って言うな! ……でも、うん。敬語、むずい。ほら、私は一応……大人だから」


 まおは胸を張って、黒板と同じ名前のカップを指さした。湯気の向こうで、彼女の目が妙にきらきらしている。


 「新メニュー。苦いやつ。大人っぽいでしょ。快さんに飲ませて、感想をもらう。ちゃんと“エンディングロール”に載せる人を見つけるための、準備」

 「載せる人を探す準備が、ビターラテなんですか」

 「全部つながってるの! 大人は苦いのも飲めるし!」


 まおは自分の分を先に持ち上げ、勢いよく一口飲んだ。次の瞬間、彼女の喉がひゅっと鳴った。


 「……っ、にがっ!」

 「提供:苦味」

 「いまのは提供じゃない!」


 むせながらも、まおは慌てて姿勢を正し、何事もなかったみたいに頬を引き締めた。けれど目尻に小さな涙がにじんでいる。快はコップの水を差し出して、何も言わずに視線だけで促した。まおは悔しそうに受け取り、一気に飲み干す。


 「……ほらね。大人は、水でも立て直せる」

 「立て直しの早さは、本当に大人です」

 「そこは褒めていいところだよね?」


 カウンターの向こうで、店主が小さく肩を揺らしている。まおはそれに気づくと、咳払いをして話題を変えた。


 「で、箱。持ってきた?」

 「はい」


 快は鞄から小さな箱を取り出した。角が擦れないように、柔らかい布で包んである。まおが両手で受け取った瞬間、肩の力が抜けた。


 「……ありがと。落としたの、私なのに」

 「落としたのに戻ってきた。そこは、もう一度言っておきます」

 「……落とし物でも、ちゃんと戻ってきた、ってやつ?」

 「そういうやつです」


 まおは箱の側面の文字を指でなぞった。「エンディングロールに載せたい人へ」。指先が止まり、ふたの縁を軽く押さえる。中身はまだ空のままなのに、空っぽの音がしない気がした。


 店の時計が二十一時半を指すころ、カフェは閉店の札に変わった。店主がシャッターを下ろし、アーケードの端から夜が流れ込んでくる。快とまおは並んで外へ出た。自然と、散歩みたいな歩幅になる。


 「ねえ、快。私、チャンスは逃さない」

 「何のチャンスですか」

 「ぜんぶ。……名前を載せたい人を見つけるのも、なんかこう、恋とかも。遊園地の回転木馬みたいに、止まったら置いていかれそうでさ。焦恋って言葉、聞いた? 焦る恋って書くやつ。あれ、私は嫌いじゃない」


 言い切ったあと、まおは自分で首をかしげた。さっきまでの勢いが一瞬だけしぼむ。快は前を見たまま、歩く速さを少しだけ落とした。


 「急がなくても、続くほうが強いです」

 「……続くほう」

 「編集も同じです。早く切って貼ると、面白いところを落とします」

 「また編集……でも、うん。続くほう、強い。覚えた」


 アーケードの灯りが途切れて、路地に入る。街灯が二人の影を長く伸ばした。まおは歩きながら、箱を胸の前で抱えている。見た目だけは大人のジャケットが、夜に溶けていく。


 「……あのさ」


 まおの声が、小さくなった。言い出しかけて、言葉を選ぶ間がある。寂しさを抱えた心の影が、ほんの一瞬だけ声の端に触れた。


 「夜になると……怖いとき、ある」

 「何が、ですか」

 「わかんない。音とか、暗さとか。……平気なフリはできるけど」


 まおは笑ってみせようとした。けれど口角がうまく上がらない。快は返事の代わりに、歩幅をさらに合わせた。まおが一歩縮めると、快も一歩縮める。距離のぶんだけ、風の冷たさがやわらぐ。


 「駅まで、ここから七分です」

 「え、なにそれ。測ったの?」

 「編集者の癖です。尺を見ます」

 「……じゃあ、七分だけ。提供:一緒」

 「採用します」


 角を曲がると、古い映画館の跡地に小さな空き地があった。フェンスに「六月最終土曜夜の屋外上映会 商店街PR」と手書きの紙が貼られている。まおは立ち止まり、その紙を見上げた。


 「こういうの、いいな。……ねえ快。私、短尺の動画、作りたい」

 「短尺?」

 「三十秒とか、一分とか。商店街の人の“ありがとう”を集めて、最後に名前を流すの。エンディングロールみたいに」


 まおは箱を掲げた。街灯の光が、箱の角を少しだけ白くする。


 「この箱が、空っぽのままなの、嫌。誰かの“ありがとう”を入れたい。……快、手伝って」

 「手伝うと言うより、巻き込まれたと言うべきか」

 「巻き込む。逃がさない。チャンスも、快も」

 「提供:強引」

 「それは認める!」


 笑いながら言ったのに、まおの指は箱を離さなかった。快はその手元を見て、頷いた。


 「まず一つ。撮る前に、ちゃんと聞きましょう。撮っていいですか、って」

 「……それ、難しい」

 「難しいから、二人でやります。続くほうが強いので」

 「……うん。続くほう。強い」


 駅前の明かりが近づく。まおは足を止めて、箱をそっと快の鞄の上に置いた。


 「今日だけ、快が持って。帰り道、私、落としそう」

 「預かります」

 「じゃあ、明日。……いや、次に会うとき、返して。散歩も、続きで」


 快は箱を受け取り、鞄の奥にしまった。空っぽのはずの箱が、今は少しだけ重い。まおは改札へ向かい、途中で振り返る。


 「ねえ快。エンディングロール、私の名前も……入れていい?」

 「最後に流すなら、ちゃんと読める大きさで」

 「それ、最高。……見た目だけじゃなくて、本当に大人になる」


 まおはそう言って、背伸びもせずに手を振った。快は見送りながら、頭の中に一行だけ新しい文字を打ち込む。


 ――提供:続き。



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