「傍聴記」
東京・京橋 読売新聞社 明治二十四年五月二十七日・午後七時
【傍聴記──津田三蔵裁判をめぐる断章(第一回)】
大審院の法廷に入ると、空気は奇妙な静けさを帯びていた。
外には報道陣、傍聴希望者、あるいは単なる野次馬までもが詰めかけているが、法廷内は不思議と音が乏しい。
それは、語られねばならぬ言葉が、まだ語られていないからだ。
被告、津田三蔵は、午前の開廷より終始、無言に近い態度を崩さなかった。
問われれば答えるが、自発的に語ることはない。
その姿は、かつての士族の気骨と見る向きもあろうが、筆者には、むしろ沈黙に自らを閉じ込めたひとりの男に見える。
第一審の論点は、津田の行動が計画的であったか、また個人の動機によるものか、に絞られている。
証人として立った警視庁の取調主任は、「精神に異常の兆候はなく、反抗の意思明確であった」と証言した。
それは即ち、責任能力を否定し難いということだ。
では、なぜ津田は大津で皇太子を襲ったのか。
その一問において、法廷は今日まで一歩たりとも進んでいない。
被告人はあまりに寡黙であり、また検察も深く問おうとしない。
筆者は、この法廷が、裁くために在る以上に、“納める”ために設えられているのではないかという疑念を抱いている。
今、世の関心はひとつに集まっている。
津田三蔵は、何を思い、何を意図して刃を振るったのか。
しかし、法廷が与える答えはおそらく、“静かなる判決”だけだ。
そこに世間が飽き足らぬとしても、法は声高には答えない。
次回の開廷は明日、午前十時と告げられた。
筆者はまた、あの沈黙の天井の下に座すこととなろう。
その空白に、少しでも言葉を見いだすために。
(読売新聞 記者・川辺恭助)
*
川辺は記事を仕上げると、そっと筆を置いた。時刻は午後七時を過ぎていた。
同僚の記者が背後で言った。
「少し、熱がこもってるな」
「……暑さのせいかもな」
川辺は笑った。だが目の奥には、どこか引っかかるものがあった。
──誰も津田に斬られていないのではないか。
この裁判で真に斬られるべきものは、まだ姿を現していないのではないか。
そう思えてならなかった。
(続く)




