表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刑吏の刃  作者: 長谷川慶三
第五章 審理の地平
48/58

「傍聴記」

 東京・京橋 読売新聞社 明治二十四年五月二十七日・午後七時


【傍聴記──津田三蔵裁判をめぐる断章(第一回)】


 大審院の法廷に入ると、空気は奇妙な静けさを帯びていた。

 外には報道陣、傍聴希望者、あるいは単なる野次馬までもが詰めかけているが、法廷内は不思議と音が乏しい。

 それは、語られねばならぬ言葉が、まだ語られていないからだ。


 被告、津田三蔵は、午前の開廷より終始、無言に近い態度を崩さなかった。

 問われれば答えるが、自発的に語ることはない。

 その姿は、かつての士族の気骨と見る向きもあろうが、筆者には、むしろ沈黙に自らを閉じ込めたひとりの男に見える。


 第一審の論点は、津田の行動が計画的であったか、また個人の動機によるものか、に絞られている。

 証人として立った警視庁の取調主任は、「精神に異常の兆候はなく、反抗の意思明確であった」と証言した。

 それは即ち、責任能力を否定し難いということだ。


 では、なぜ津田は大津で皇太子を襲ったのか。

 その一問において、法廷は今日まで一歩たりとも進んでいない。

 被告人はあまりに寡黙であり、また検察も深く問おうとしない。


 筆者は、この法廷が、裁くために在る以上に、“納める”ために設えられているのではないかという疑念を抱いている。


 今、世の関心はひとつに集まっている。

 津田三蔵は、何を思い、何を意図して刃を振るったのか。


 しかし、法廷が与える答えはおそらく、“静かなる判決”だけだ。

 そこに世間が飽き足らぬとしても、法は声高には答えない。


 次回の開廷は明日、午前十時と告げられた。

 筆者はまた、あの沈黙の天井の下に座すこととなろう。

 その空白に、少しでも言葉を見いだすために。


(読売新聞 記者・川辺恭助)


            *


 川辺は記事を仕上げると、そっと筆を置いた。時刻は午後七時を過ぎていた。


 同僚の記者が背後で言った。


「少し、熱がこもってるな」


「……暑さのせいかもな」


 川辺は笑った。だが目の奥には、どこか引っかかるものがあった。


 ──誰も津田に斬られていないのではないか。

 この裁判で真に斬られるべきものは、まだ姿を現していないのではないか。


 そう思えてならなかった。


(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ