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刑吏の刃  作者: 長谷川慶三
第四章 重量の中で
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蠢きの輪郭

 東京・霞が関 明治二十四年五月二十三日・午後二時


 昼を過ぎた霞が関では、建物の影がわずかに伸び、空気には重たい湿気が漂っていた。

 その中で、村岡の部下である内務省警保局の書記官・成瀬は、ひそかに一件の報告をまとめていた。


「津田三蔵、依然所在非公開。……移送記録は非公開扱い、観察報告も局長止まり。問い合わせは逐次、握り潰されております」


 報告を受けた警保局の幹部が顔をしかめた。


「これでは、まるで我々が“何かを隠している”と宣言しているようなものだ」


 成瀬は頷きながらも、控えめに続けた。


「……それが“目的”なのかも知れません。外へ向けた“不確実さ”の演出。国民には火消し、ロシアには揺さぶり。村岡局長の戦術と見えなくもない」


 幹部はその場で黙り込んだ。


 同じ頃、外務省の一室では、別の“情報の裂け目”が生じていた。


 机上には、先ほど届いた外国通信社の翻訳電報。その中の一行が、若い官吏たちの間でささやかれていた。


《The Japanese authorities have yet to disclose the condition or custody of the attacker.》


 ――“日本政府はいまだ、襲撃者の身柄や状態を開示していない”


 文面そのものに激しい糾弾はない。だが、そこには“焦点”がはっきり示されていた。

 誰もが言葉を選んでいる今、報道だけが、沈黙の中心を言語化していた。


「……これが“外の声”になるのか」


 誰かがそう呟いた時、隣の部屋から扉が開き、重役の姿が現れた。


「至急、村岡局長との調整を開始せよ。司法省と合同で“外向け声明案”を作る。……内容は、できる限り“語らない”形で」


 若手官吏は思わず口を滑らせた。


「それでは“語ったふり”ではありませんか」


 すると重役は静かに言った。


「語るふりをしなければ、今は動けない。それすらも出来ぬ国と見られれば、沈黙ではなく無策と断じられる」


            *


 一方、東京日日新聞社では、川辺が静かに原稿を打っていた。


『津田三蔵、所在不明のまま三日目。政府は未だ具体的な処遇を発表せず。

 一方、国民の不安は確実に形を取り始めている――』


 言葉を選びながらも、川辺の指は迷わなかった。

 報道規制が敷かれていようと、政府が発表しなかろうと、「語られないもの」を記事にするのが、彼のやり方だった。


 机の上に置かれた新聞草稿の一行が、赤鉛筆で囲まれていた。


『曖昧さは、信頼を削る刃である。』


 彼の目は、その言葉を通して、今なお霞の中にある“真実の形”を見ようとしていた。


(続く)


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