沈黙と臨界
――明治二十四年五月二十三日・東京
午後の霞が関には、湿り気を帯びた風が吹いていた。
内務省の一角、村岡の執務室には一通の電報が届いていた。
《大阪朝日・特報》
《“津田の所在、いまだ確認できず”――警視庁、取材要請に沈黙》
「……追随してきたか」
村岡は、机上の新聞を見下ろしたまま、かすかに呟いた。
川辺の“問題記事”から三日。
“津田三蔵という空白”が、報道の中心に踊り始めていた。
警保局の官僚が慎重な口調で切り出す。
「報道各社の反応が割れておりますが、世論の熱は冷めておりません。むしろ、警視庁の沈黙が火に油を――」
「国民の不安とは、沈黙から生まれるのだ」
村岡の言葉に、官僚たちは口をつぐんだ。
窓外には、霞ヶ関の記者クラブから出入りする若い記者たちの姿が見えた。
彼らの眼差しは、報道対象ではなく、「国家の不明」とでもいうべきものを見据えていた。
(見えない者を追う筆が、見えない“構造”を炙り出している)
(それを防ぐ術は、もはや口を閉ざすことではない)
村岡は一通の書類に目を通すと、長く息を吐いた。
そこには、「司法省、精神鑑定結果について非公式報告あり」とあった。
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――読売新聞・編集会議室
「東京日日が『政府の沈黙は隠蔽か』とまで書きました」
川辺が手元の抜刷を机に広げた。
その隣で、主幹が眉をひそめる。
「新聞が“問い”から“決めつけ”に傾く時、一歩誤れば扇動になるぞ」
「……承知してます。ですが、決めつけられる隙を政府が残している。だから、誰かがその空白を埋める」
「お前が埋めるのか」
川辺はしばらく黙っていたが、低く言った。
「……今は、誰が書くかではなく、“何を問うか”です」
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――帝国大学・法学部教員控室
法学者・藤村誠一郎は、一通の投書を机に置いた。
学生からだった。そこにはこう記されていた。
「法は国家を守るものですか、それとも国家から市民を守るものですか」
彼はしばらく手紙を眺めたのち、学友に言った。
「津田という名の“空白”が、私たちの常識を問うているようだ」
「司法が語らぬ時、民意はどこを信じればよいのか……その座標が、今崩れてきている」
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――神田の印刷屋・深夜
小さな活字が機械に並べられていく。
《読売新聞・明日朝刊予定》
《“国家の盲点”と題する川辺の新稿》
印刷工は顔をしかめる。
「こんな危ない見出し、ほんとに出すのかよ……」
だが、活字は確かに組まれていた。
その見出しの裏には、かつて川辺が一人で訪れた草津の地で、
何も語らなかった町、答えなかった警官、写せなかった被疑者――
“情報の空白”だけが、濃密に浮かび上がっていた記憶があった。
(書かなければ、空白が国家になる)
川辺はすでに、その覚悟で原稿を書いていた。
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――内務省・深夜、村岡の執務室
灯りの下で、村岡はふと手を止めた。
書きかけの覚書を見つめながら、自問する。
(どこまでが“秘密”であり、どこからが“隠蔽”なのか)
川辺の記事は、もはや報道の域を超え、
“国家の語れぬ領域”そのものに踏み込み始めていた。
外には、また雨の気配があった。
「……臨界は近いな」
村岡は、そっと一枚の報告書を伏せた。
(続く)




