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刑吏の刃  作者: 長谷川慶三
第四章 重量の中で
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所在、見えず

 五月二十二日、午後。

 京都監獄の外塀に沿って歩きながら、川辺は何度目かの溜息をついた。


「……やはり、ここにもいないのか」


 通用口から顔を出した衛士は、事務的な声で言った。


「津田三蔵の名にて、応対すべき情報は一切ございません。そちらさまがどちらの社の方かは、関係ございません」


 何度訊いても答えは同じだった。

 名乗っても、名乗らなくても――門前払い。

 ならば、なぜ「ここにいる」とされたのか。


 川辺は、既に大津署、滋賀地方裁判所、近衛師団の臨時駐屯地、琵琶湖畔の憲兵詰所まで足を運んでいた。

 いずれも、「身柄は預かっていない」「ご案内できる情報はない」の一点張り。

 まるで「津田三蔵」という人間が、事件の瞬間を最後に、歴史から消え去ったかのようだった。


 彼は居ない。

 誰も、彼を見ていない。

 どこにも、その姿はない――。


 そして、記者に開かれた窓口も、存在しない。


 川辺は、思わず空を仰いだ。

 今日の京都は曇天。低く垂れこめた雲が、地にまで落ちてきそうだった。


 ⸻


「せめて……誰か、身内の者に会えないかと思ったんですが」


 とある寺の長屋門前で、川辺は土間を掃く老僧に頭を下げた。


「三蔵の実家はこの近くだと、かつて報じられておりました」


 老僧はほうきを止め、しばし無言のまま、川辺の顔を見つめていた。


「……あんた、東京から来たのか?」


「はい、読売新聞の者です」


「悪いがな……」


 老僧は、静かに言った。


「この辺の者には、余計なことは話すなと、お上からお達しが出ている。わしも、そう言われた」


「……“お上”?」


「“黙っておくように”と、巡査殿が何度も回ってきたよ。町会を通じてな。家々に書付も来とる」


 老僧の顔には怒りも同情もなく、ただ静けさと疲労が滲んでいた。


「何が正しいのか分からんがな。騒がしゅうならんように、そうしとるだけじゃ」


 川辺は深く礼をし、寺を後にした。

 背後で、ほうきの音が再び始まった。


 ⸻


 夕刻。四条大橋に立ち尽くし、川辺はメモ帳を閉じた。


「……ここまで何も出てこないなんて、異常だ」


 それは、単に「情報が出ない」という意味ではない。

 情報が“抹消”されているのだ。

 慎重でも用心でもない。“恣意的な不可視化”――そう言うしかない異様な空気が、京都と大津一帯を包んでいた。


 津田は、なぜ、どこにいるかさえ明かされないのか。

 国の“面子”か?

 司法への“介入”か?

 それとも、何かもっと根の深い……“存在そのものを見せたくない理由”があるのか。


「我々が何かに蓋をされた時、必ず“誰かがそれを望んだ”という事実がある」


 川辺は、誰にともなく呟いた。


 それが誰かを暴くこと。

 それこそが、記者の仕事だ――。


 彼は足元の石畳を踏みしめると、夜の帳の中へと歩き出した。


(続く)

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