所在、見えず
五月二十二日、午後。
京都監獄の外塀に沿って歩きながら、川辺は何度目かの溜息をついた。
「……やはり、ここにもいないのか」
通用口から顔を出した衛士は、事務的な声で言った。
「津田三蔵の名にて、応対すべき情報は一切ございません。そちらさまがどちらの社の方かは、関係ございません」
何度訊いても答えは同じだった。
名乗っても、名乗らなくても――門前払い。
ならば、なぜ「ここにいる」とされたのか。
川辺は、既に大津署、滋賀地方裁判所、近衛師団の臨時駐屯地、琵琶湖畔の憲兵詰所まで足を運んでいた。
いずれも、「身柄は預かっていない」「ご案内できる情報はない」の一点張り。
まるで「津田三蔵」という人間が、事件の瞬間を最後に、歴史から消え去ったかのようだった。
彼は居ない。
誰も、彼を見ていない。
どこにも、その姿はない――。
そして、記者に開かれた窓口も、存在しない。
川辺は、思わず空を仰いだ。
今日の京都は曇天。低く垂れこめた雲が、地にまで落ちてきそうだった。
⸻
「せめて……誰か、身内の者に会えないかと思ったんですが」
とある寺の長屋門前で、川辺は土間を掃く老僧に頭を下げた。
「三蔵の実家はこの近くだと、かつて報じられておりました」
老僧はほうきを止め、しばし無言のまま、川辺の顔を見つめていた。
「……あんた、東京から来たのか?」
「はい、読売新聞の者です」
「悪いがな……」
老僧は、静かに言った。
「この辺の者には、余計なことは話すなと、お上からお達しが出ている。わしも、そう言われた」
「……“お上”?」
「“黙っておくように”と、巡査殿が何度も回ってきたよ。町会を通じてな。家々に書付も来とる」
老僧の顔には怒りも同情もなく、ただ静けさと疲労が滲んでいた。
「何が正しいのか分からんがな。騒がしゅうならんように、そうしとるだけじゃ」
川辺は深く礼をし、寺を後にした。
背後で、ほうきの音が再び始まった。
⸻
夕刻。四条大橋に立ち尽くし、川辺はメモ帳を閉じた。
「……ここまで何も出てこないなんて、異常だ」
それは、単に「情報が出ない」という意味ではない。
情報が“抹消”されているのだ。
慎重でも用心でもない。“恣意的な不可視化”――そう言うしかない異様な空気が、京都と大津一帯を包んでいた。
津田は、なぜ、どこにいるかさえ明かされないのか。
国の“面子”か?
司法への“介入”か?
それとも、何かもっと根の深い……“存在そのものを見せたくない理由”があるのか。
「我々が何かに蓋をされた時、必ず“誰かがそれを望んだ”という事実がある」
川辺は、誰にともなく呟いた。
それが誰かを暴くこと。
それこそが、記者の仕事だ――。
彼は足元の石畳を踏みしめると、夜の帳の中へと歩き出した。
(続く)




