沈黙の向こう側
五月二十一日、東京。
前日から降り続いた雨が午前九時を回ってようやく止み、街路には水たまりが無数に残っていた。
読売新聞本社の編集局には、蒸したような空気が立ち込めている。
川辺は、その朝刊を見つめていた。
自分が書いた「沈黙は語る」という小見出しの記事が、三面下段に収められている。
津田三蔵に関する新情報は、ついに一行たりとも得られなかった。
代わりに書いたのは、「得られなかったこと」そのものだった。
――異様な沈黙、閉ざされた町、語らぬ住民。
津田三蔵は確かにそこにいたが、その痕跡は、まるで最初から消されていたようだった。
それは果たして、偶然か。あるいは、意志か。
若手の記者にしては思い切った表現だったが、主幹は黙って載せてくれた。
「大きな見出しにはせん」と言いながらも、世論の呼吸がまだそれを望んでいることを、彼は知っていたのだろう。
川辺は、記事を書き終えた今でも、あの“空白”の町の重みを肩に感じていた。
「何も語られない。それ自体が、何かを語っている」
彼が思い返すのは、あの家――津田の実家。
老いた両親が暮らしているはずのそこに、取材を申し入れたのは三度。
しかし、いずれも無言で門が閉ざされた。
地元住民の口は堅く、巡査の目は冷たい。
旅館の帳場でさえ「記者」というだけで応対が変わった。
まるで、大津という町全体が、「忘れろ」と命じているようだった。
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編集局の片隅で、社会部長が一枚の電報を持ってきた。
「京都拘置所へ正式移送。津田三蔵、身柄を大津から出たのは、やはり一昨日だ」
川辺は電報を受け取り、目を通すと、思わず声を漏らした。
「……静かすぎる」
「ん?」
「この国は、こんな静かに『大逆』を処理できるんですね」
社会部長はうっすらと笑った。
「処理、じゃない。“封印”だ。国家は、時に忘れさせることを最も得意とする」
川辺はその言葉に、妙な感触を覚えた。
この数日で、彼の中で何かが変わりつつある。
怒りか、義憤か、あるいは職能としての探究心か。
それが混ざり合って、今の彼を動かしている。
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午後、編集局の会議では、報道のトーンをどう扱うかが再び議題にのぼった。
世論の“熱”はやや下火になりつつある一方、ニコライ皇太子の容体と動静に引き続き注目が集まっていた。
一部では「そろそろ通常の紙面に戻すべき」という意見も出た。
主幹は、川辺の方向をちらりと見てから言った。
「津田の報道は、慎重に続ける。だが、“掘る姿勢”を捨てるな。忘れられることこそが、彼らの勝ちだ」
それは、信任に近い言葉だった。
川辺は静かにうなずき、資料の束を手にした。
重力は、確かにあった。
空気の中に、組織の中に、言葉の外に――。
だが、それを破るのもまた、言葉しかないのだと、彼は信じていた。
(続く)




