表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刑吏の刃  作者: 長谷川慶三
第二章 火のついた地図
12/58

焦燥の指令

 内務省庁舎の重厚な扉の向こう、政務課の一室にて。

 村岡は机に散らばる報告書の束を前に、眉をひそめていた。


「報道統制の継続は限界に近い。各紙の社説は次第に硬化し、議会の圧力も強まっている」


 村岡は静かにそう呟き、手元の電報を何度も読み返した。


「ただ、混乱を避けるためには今が正念場だ……」


 重い決断を胸に秘め、彼は政務課の職員たちに指示を出す。


「全省庁へ、情報管理と報道統制の強化を徹底せよ。決して油断するな」


 外の廊下からは、遠くでざわめく声が聞こえた。

 まるで時代の波が、内務省を押し流そうとしているかのようだった。


 村岡はふと窓の外を見つめる。

 灰色の空が広がる京の街は、静かながらも不穏な空気に包まれていた。


「この国の未来を、守らねばならぬ――」


 彼の瞳は強い決意を宿していた。


 村岡が政務課の一角で自ら手を動かしていると、職員が慌ただしく駆け込んできた。


「村岡課長、ただいま滋賀県警からの続報が届きました。津田巡査の取り調べ記録と、ロシア側随員の負傷者氏名、診断書の写しも含まれています」


「机に置いてくれ」


 村岡は顔を上げずに応じ、目の前の文書を整える手を止めない。その間にも、背後では複数の電信技師が短く声を交わし、受信したばかりの新たな電報を整理していた。


 しばらくして、彼は新たに届いた報告を手に取り、無言のまま読み始めた。


 ――津田は供述において、明確な動機を語っておらず、精神の錯乱が疑われる。

 ――現地での証言によれば、凶行はわずか数秒の間に起こり、随行していた大津警察署員らも間に合わなかった。

 ――負傷者のうち、副官ドラジンスキー中尉は左腕に裂傷を負い、現在療養中。皇太子の容体は安定しているが、面会制限が継続中。


「……これが、我々の出すべき“真実”か」


 村岡は低く呟いた。

 資料には冷静な筆致で、事実の羅列があった。しかしそこにあるのは「説明可能な現実」ではなく、「外交上の泥沼」だった。


 彼は立ち上がり、課の責任者机に向かう。そこでは同僚が、報道各社からの照会文書を束ねていた。


「日報の最終稿は今夜六時。外務にも写しを送る。滋賀県からの供述調書の要旨は二段落目に組み込め。だが、“錯乱状態”という表現は控えろ」


「控える、というと?」


「“容疑者は動機を語らず、供述は錯綜している”……程度に留める。事実の提示に徹しろ。主観を排するんだ」


「はっ」


 職員が引き取った瞬間、また別の声が飛んだ。


「警視庁より、議会筋からの照会について回答を急げとの連絡です。大臣からの承認がまだ――」


「大臣は午後、官邸会議の予定がある。外務・宮内との合同。書類は副官へ回せ」


 村岡は疲労を感じさせず、手際よく答え続けた。


 頭では把握している。これ以上、個人では処理しきれぬことも。

 だが、崩れるわけにはいかない。いまこの政務課が揺らげば、官僚機構そのものが傾く。


 村岡は小さく息をついて、ペンを取った。

 いま、政府が“説明責任”を果たすその第一歩として、

 彼の書く数行の文言が、未来の形を左右するかもしれなかった。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ