2-3. 夜の剣、暁の契り
ザラはわずか二十名の騎士だけを選抜し、ザカンスラ辺境伯の野営地へと接近した。別動隊の陽動作戦により、ザラたちは未だ気付かれていない。
馬を本陣へ返したザラたちは茂みに潜み、出撃していったザカンスラ兵をやり過ごした。
「ザラ様、敵陣は手薄です」
「異界の騎士は?」
「今出撃していった中には認められませんでした」
側近が確信をもって告げてくる。ザラは頷いた。
「あの男はまだあの陣にいますね」
「行きますか」
「ええ。みなさん、ごめんなさい」
ザラは小さくそう告げた。騎士たちは揃って首を振る。
「露払いはお任せください、ザラ様。ヴェルギアの仇を」
「わかりました」
ザラは頷き、動き始めた。
敵の陣地は手薄だった。
だがそれでも数百からなる兵士が残っており、ザラの手勢では多勢に無勢だった。
「狙いは異界の騎士、ガレン・エリアルただひとり! 無駄な戦闘は避けてください!」
ザラは群がるザカンスラ兵を次々に斬り倒していく。
「運が良ければ死にません」
ザラは故意に急所を外していた。それをするだけの余裕が、ザラにはあった。
「ガレン・エリアル! どこにいますか! ガレン!」
ザラはその名を呼ぶ。ザカンスラ兵たちはザラの鬼神のごとき強さに恐れおののき、その道を開けていく。
「矢を持て! 矢だ!」
誰かが叫ぶ。夜闇の中を飛来する矢を避ける術はない。
ひゅぅ、という音とともに幾本もの矢が飛来する。
「っ!」
生き残った最後の部下が、それらの矢を一身に受けて倒れた。
「ありがとう」
悼む時間はない。ザラの視線の先に、白銀の鎧を纏った男が立っていた。放たれるただならぬ気配に、ザラは知らず喉を鳴らす。
「ガレン・エリアルですか」
「そうだ」
やはりあの声。確かにあの時に聞いた声だった。
「私は……あなたを討たねばなりません」
「お前は俺の敵か」
「ええ。かつて助けて頂いた恩は忘れておりません。されど、私には戦う理由がある。戦わなければならない理由があるのです」
ザラは剣を構えた。ガレンもその長剣を抜いたが、無防備だった。二人はゆっくりと距離を詰め、いよいよ一足一刀の間合いにまで迫る。
「救われた命をわざわざ捨てるのか?」
「私はザラ・ベルトリージェ。ラガンドーラの十将の一人。あなたたちにとっては侵略者。すなわち、敵です」
「死に急ぐとでも言うのか? 昼間の騎士たちのように」
ザラの切っ先がわずかに動いた。ガレンは相変わらず構えもせずに、その様子を見ている。
「あの者たちに死ねと命じたのは私です。あなたの存在を確かめるために」
「あの指揮官は強かった。ゆえに、手加減はできなかった」
「ヴェルギアの名誉を守っていただいて感謝しています」
ザラは腰を落とし、切っ先を背後に向けた。ほぼ目視不能な一撃必殺の斬撃を浴びせるためだ。
「だが、お前では俺には勝てない」
ガレンの金色の瞳が篝火を受けてギラリ、ゆらりと輝いた。
ザラはガレンを睨んで、右足で地面の感触を確かめる。
「であるとしても!」
ザラは目にも止まらぬスピードで斬りかかった。だが、ガレンはこともなげにそれを受け止める。
「……っ!?」
二人は同時に目を見開き、距離をとった。
「なんだ今のは」
ガレンは左手で後頭部を叩きつつ、落ち着かない様子で呟いた。それはザラも同様だった。
一瞬見えた幻のようなもの。人の乗る巨大な人型の何かが光に飲み込まれていく映像。ガレンの意識はそれを見送っていた。
対するザラは、光に消え行く意識の中、必死に手を伸ばす男の姿を見ていた。
「ですがっ」
一足先に我に返ったザラが、ガレンに斬りかかる。ガレンは喉元に伸びてきた剣をほとんど反射的に弾き返し、その勢いのまま、左肩をザラの鳩尾に直撃させた。
「うぐっ……!」
たまらず地面を転がるザラを追って、ガレンは切っ先を向けた。
「お前はもう戦えない」
ガレンはザラの剣を拾い上げてそう言った。
「戦えないのなら、俺の敵ではない。それにあの騎士たちとて、お前が死ぬことは本意ではないんじゃないか?」
「……私に、どうしろと言うのです」
「それはこっちのセリフだ」
ガレンは剣を収め、部下の一人にザラの剣を預けた。
「俺の力が欲しいんじゃないか? 聞いているぞ、ザラ将軍。お前はラガンドーラに滅ぼされた聖ティラール王国出身だとね」
「いまさら、帝国への憎しみはありません」
「妹は?」
「……っ!?」
思わぬ言葉に、ザラは呼吸を止める。ガレンは肩を竦めてみせた。
「ナーヤの情報は正しかったようだ。妹は人質になっているのだろう? 聖ティラール出身のお前が裏切らないように、と」
「それは」
「本当に大切なものを人質にされてもいいと思えるほど、お前は帝国に身も心も捧げているのか?」
「私は帝国軍人。それも、将軍です。すべて覚悟の上……」
頑固なザラに、ガレンは冷たい表情を見せる。
「俺が手を貸す、と言ったら?」
「手を、貸す……?」
「妹を救ってやったら、お前はニーレド王国に寝返る。それさえ約束できるなら、俺はお前と手を組んでもいい」
「なぜ? なぜそんなことを」
なぜ、だろうな。
ガレンは腕を組む。
発端はナーヤとネフェス女王からの指示だ。ザラ将軍を捕らえ、共にラガンドーラに潜入しラガンドーラの十将を一人でも多く討ち取ること。それによりラガンドーラの指揮系統を混乱させ、ニーレド王国への侵攻を遅れさせること。
だが、ガレンは、先ほどの撃剣の時に見た幻が気になっていた。
ガレンは未だ、なぜ自分がこの世界にいるのか理解できていなかった。同時に元いた世界の記憶もまだ蘇ってはいなかった。だから、先ほどの幻がその手掛かりになるとも考えた。
「……昼間の騎士の件は、すまなかったな。大切な側近だったのだろう」
「大切な、大切な友人です」
ザラは兜を投げ捨てた。周囲の兵士たちからどよめきがあがる。あまりの美貌に、誰もが目を奪われた。
「そうか」
「私に力があれば。あなたを討ち果たしていたでしょう」
「それはどうにもできんが、俺に力があるというのなら、一時的とはいえ、お前のために振るってやってもいい」
「本当に、妹を、レイザを救ってくれるというのですか」
ザラはガレンの元に一歩踏み出した。手を伸ばせば首を絞めることができる程度の至近距離だ。
「そのレイザというのはどこにいる」
「要塞都市ゲシュタイル。ランサーラ将軍の支配下にあります」
「なるほど」
ガレンはラガンドーラ帝国内の地名に詳しくはなかったから、あとでナーヤに確認しておこうと考える。だが、ランサーラ・アシュフト女傑将軍のことは幾度か聞いたことがあった。魔剣ヒューレバルドを持つ剣豪だ。第三次統合戦争で首級をいくつもあげ、一気に十将に昇格したのだ。ニーレド王国としては宿敵もいいところである。
「ランサーラというのを倒せば、妹は救えると」
「……彼女を倒す算段はあるのですか。魔剣使いですよ」
「俺以外にできる可能性があるやつがいるのか」
その問いに、ザラは首を振る。
「ニーレド王国の聖騎士としての立場は、あくまで自国の安全を守ることを最優先とする。だが、逆侵攻は決定事項だ。明日、増援の到着を待って、俺たちはラガンドーラ帝国の領地に一気に侵攻を行う」
「ま、待ってください。それでは」
ザラは途中も村や町が蹂躙されることを憂慮した。ガレンは頷く。
「気がかりはわかるが、これが戦争だろう。お前たちが今度はやられる番だというだけの話だ」
「しかしっ」
ザラは大きな声を出したが、ガレンはその無表情を崩さず、ただほんの少しだけ憂いを帯びた金の瞳でザラを見た。
「まずは共同戦線といこうじゃないか、ザラ将軍」
そう呼びかけられ、ザラは両手を握りしめる。
――今ここにいる人々の幸福を願うことこそ、私にとっての正義だと私は思うのです。
かつて友に語った言葉。これから自分がしようとしていることは、この言葉に矛盾しているのではないか。
ザラはしばらく立ち尽くした。
そして、鋭い視線をガレンに突き刺した。
「ザラと呼んでください。私にはもう、将軍を名乗る資格がありません」
わかった、ザラーーガレンはそう言ってザラの手を握った。
「ッ!?」
燃え盛る炎の只中に、ガレンはいた。ガレンはその腕に一人の女性を抱きかかえている。何度もその名を呼んでいるが、なぜか聞き取ることができなかった。
「ガレン……?」
はたと我に返ると、ザラがガレンを見上げていた。愁いを帯びた視線に、ガレンは既視感を覚える。
「今のは……」
「あなたの記憶、でしょうか」
「わからないな」
ガレンはそう言うと、ザラを連れて自分のテントへと向かった。