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2-1. 氷血の女狐、友の死地

 巡環歴三百七十年――第三次統合戦争での大敗退からわずか四年。


 ラガンドーラ帝国は再びニーレド王国に戦を仕掛けた。最先鋒、二万の軍を率いるのは「ラガンドーラの十将」の最年少の女騎士、ザラ・ベルトリージェである。


「ザカンスラ辺境伯も(なび)かなかったのね」


 彼女は十五歳にして帝国軍将校に抜擢され、数々の反乱鎮圧に功績を残してきた。そして従軍キャリアわずか三年にして、ラガンドーラの十将の一人に任ぜられた。それから二年、ラガンドーラは数々の反乱を経験したが、そのいくつかはザラの手腕によって鎮圧された。


 そんなザラの能力をもってしても、ニーレド王国の有力者、ザカンスラ辺境伯はザラの言葉をついには聞こうとはしなかった。


 ザラは黒馬の手綱を握りしめる。長い銀髪が風に(なび)く。新緑を思わせる鮮やかな緑眼が、遠くに見える要塞をとらえている。


 あの手この手で平和裏にこの峡谷の領地を突破しようとした。ニーレド王国に攻め入るには、ザカンスラ領を通るのが王道だった。それ以外のルートは巨大な山脈をぐるりと回りこまなければならず、行軍に支障が出る。また、ザールフェテス皇帝より与えられた時間も、それを許さなかった。


「ということは――」


 側近の女騎士が不安げな声を上げる。ザラは答えた。


「あの()()()()()がいる、ということよ」

「どうなさいます、閣下」

「まずは一撃仕掛けましょう。相手の様子を見て、真にその騎士が確認できたら、私が直接交渉します」


 思い切りのよい発言に、女騎士は目をむいた。


「しかし、それはあまりにも危険では」

「兵士に無駄な流血はさせたくないわ。あなたも、ね」

「閣下……」


 しかし。


 ザラは唇を嚙んでから、軽く舐めた。カサカサに乾いていた。


「あの騎士がいるのなら、最初の部隊は壊滅するでしょう」

「それが帝国兵士の役目であるなら、それは必然なのでしょう」

「あなたは」


 ザラは女騎士を見た。


「友に死ねと言えますか」

「私とて中隊の指揮官、その程度の覚悟は」

「ならば、あなたが死ねと言われたら?」


 ザラの意図を理解した女騎士は、一瞬表情を失った。だが、すぐに敬礼をしてみせる。


「で、あるなら……私があの異界の騎士とやらを、元の世界に帰してやります」

「ごめんなさい、ヴェルギア。他の者ではだめなのです」

「閣下……」

「あなたほどの騎士でなければ、あなたほどの指揮官でなければ、この役割は果たせない。私はあなたをすべての騎士の中で最も信頼しています」

「もったいないお言葉です」


 女騎士は右手をザラに差し出した。ザラはその手を握りしめる。


「氷血の女狐。私に相応しい渾名(あだな)ですよね」

「とんでもない」


 女騎士は兜を脱いだ。黒髪が風に(もてあそ)ばれる。ザラは強く(かぶり)を振ると、ヴェルギアの濃褐色の瞳をまっすぐに見つめて身を乗り出した。


「ヴェルギア、私は……!」

「ここを騎士ヴェルギアの死地と定めました」


 ヴェルギアは堂々と言い切った。


「どうか私の夫に、私の勇戦をお伝えください」

「……必ず」


 ザラは頷いた。涙が頬を伝い落ちる。女騎士ヴェルギアは首を振り、その右手でザラの頬に触れた。


「将軍たるもの、部下の死を嘆いてはなりません。部下の前で涙を流してはなりません」

「ごめんなさい」

「あなたは優しすぎるのです。しかし、それでいい」


 最先(いやさき)の部隊は四百。ヴェルギアの部下の多くが散るだろう。ヴェルギアも生還を良しとはすまい。


 ザラは首を振る。ヴェルギアはまた敬礼し、馬首を返して自身の部隊の元へと向かっていった。


「氷血の女狐、か。よくも言ったものね」


 夏風に涙を散らし、ザラは兜の面頬を下ろした。表情の大半が消えてしまう。


「あの時のあなたが()()()()()ガレン・エリアルだというのなら、私はあなたに借りを返さなくてはなりません」


 背中の傷痕(きずあと)が強く(うず)いた。あの時、魔神ヴィーリェンにやられた傷を治療してくれたのが、おそらくは()()()()()張本人だ。エディオ将軍が打倒された後に、ニーレド王国の兵士は殲滅戦を挑んできた。その中には()()()()()もいた。


 ザラはその時、一刻も早い治療が必要なほどの深い傷を負っていた。魔神ヴィーリェンによって部下たちは皆殺しにされ、もはや万策尽きていた。


「生きているのか」


 絶望に呻いていると、感情のない声が降ってきた。うつぶせに倒れていたザラには、その顔は見えなかった。


「ニーレドの、兵士ですか」

「違う」


 男は短く否定する。そしておそらくは死んだ衛生兵から治療道具を持ってきて、ザラの背中の傷を乱暴に縫った。


「傷は深い。痕は残るだろう」

「なぜ、治療を……。私は、敵です」

「いや」


 男は否定する。顔を見ることはかなわない。


「お前は俺の敵ではない」

「どうしてそう、言い切れる、のです」


 苦しげにザラは問う。背中が燃えるように熱かった。


「お前は俺を殺そうとしていない」

「私にはあなたを殺す力が、残っていないだけ、です」

「同じことだ」


 男はそう言うと、また倒れた兵士からであろう、マントを調達してきて、ザラの背中にかぶせた。


「運が良ければ逃げる同胞に見つけてもらえるだろう」

「待って」


 遠ざかる気配に、ザラは慌てて呼び止める。


「あなたの名前を訊かせて」

「知る必要はない」


 そう言い放ち、男の気配が完全に消えた。


 その後まもなくして、ザラはラガンドーラの敗残兵たちに発見され、運よく逃走することに成功した。


「エディオ将軍を倒した騎士をザラたちの発見現場の近くで見た」――同僚たちから、ザラはそんな話を聞いた。その騎士の名が「ガレン・エリアル」であると聞いたのは、ザラの拠点にしてラガンドーラの十将の一人、バルグレット・ドゴスタ将軍の領地に帰還してからだった。


 その逃避行中、ずっとザラの看病と治療を続けてくれたのが、ヴェルギア・ガルナーだった。ザラがラガンドーラの十将入りしてからも、ヴェルギアはザラを支え続けた。ヴェルギアの結婚式に於いては、ザラはひたすら泣きじゃくった。二人の間には主従関係を超えた、強い友情があった。


 でも、それも今日で終わってしまうのね。


 自分がそれを命じた。だから、その罪はすべて私が背負おう。


 ザラは剣を抜いた。嫌というほど強い夏の日差しが、刃にギラリと反射する。ザラの背後で雄叫びが起こる。死にゆく戦士たちの咆哮だ。


「ヴェルギア隊、吶喊(とっかん)せよ!」


 誰もが知る私とヴェルギアの強い絆。私はそれを自ら切り捨てようというのだ。ザラは奥歯を噛みしめ、遠く平原を駆けていく四百名の兵士を見つめた。その先頭にはヴェルギアがいる。彼女は常に軍勢の先頭にあった。


「ごめんなさい、ヴェルギア。無駄には、しない」


 今までありがとう――ザラは兜の奥で涙を流す。


 ――そして、四百人の騎士の隊列はほとんど一瞬で崩れ去った。


()()()()()が出たぞ!」


 目の良い誰かが叫んだ。ザラは馬を落ち着かせると、全軍に「後退」を命じた。


「後退ですか!?」


 本陣の騎士たちが目を丸くする。ザラは迷いなく首肯(しゅこう)する。


「あの騎士がいると明確にわかったのです。あの騎士には、あの男には、正攻法ではどうやっても勝てません。私が夜襲を仕掛けます」

「ヴェルギアは! 彼女を見捨てるというのですか! 今ならッ!」

「犠牲が増えるだけです」

「しかし我が方には二万の兵士がいるのです。いくらあの騎士でも、二万の相手は!」

「皇帝陛下よりお預かりした兵士たちを浪費するわけにはいきません。そして私は、ヴェルギアの犠牲も決して無駄にはしません」


 ザラは面頬を跳ね上げ、毅然とした表情を見せてそう言った。


「私は氷血の女狐。十八で将軍になるほどの、周到にして狡猾(こうかつ)な女です。ただでやられるとお思いですか?」


 ぴしゃりと言い放たれたその言葉に、騎士たちは揃って沈黙した。


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