12-2. 聖剣終奏
魔神が次々と撃墜されていく。
ネフェスは険しい表情でそれを見上げている。そのすぐ前には瀕死のウルが横たわっていた。誰が見ても、致命傷だった。
「陛下、戦いはまだ、終わっていない」
「そんなことはどうだっていい」
ネフェスの震える声に、ウルは左手を上げる。最後の力を振り絞った行動だった。ネフェスはその手を捕まえ、涙をこぼす。
「俺は、仕事を、した。ネフェス、女王陛下」
「ああ。お前は……」
「あなたの仕事は、この戦いの、後だ。だから、死ぬな」
「お前ひとり救えぬ私に何の価値があるか!」
ネフェスは首を振る。ウルはゆっくりと目を閉じる。
「あなたが生きている世界には、それだけで、価値がある」
ウルはそう言って息絶えた。
「……ウル。私を置いて逝くなど、臣下にあるまじき無礼ぞ。お前のためになぞ、金輪際泣かぬ」
ネフェスは立ち上がると、聖剣ザーヴェンガンドを握りなおした。そしてなおも飛来し続けるザールフェテスの肉片や血液の弾丸を弾き返す。それまで、数多の魔神たちが、己が身を盾としてネフェスたちを守っていたのだ。
「魔神たちよ、大儀であった。私は私たちを守ってくれたお前たちを忘れはせん」
ネフェスはナーヤの防御を抜けた闇の火球を切り裂いた。
『かくなる上は』
攻めあぐねたヴィーリェンが上に逃げる。ヒューレバルドとシルヴィータも距離を取った。ベルは『えー、いまアレやるの』と不服そうだ。
「何を企んでいるのかな?」
ジクラータはなおも攻撃の手を緩めない。この時にはあれだけいた魔神たちが数えられるほどにまで減ってしまっていた。自由自在に飛び回るザールフェテスの残骸と、無尽蔵に放たれるジクラータの暗黒の火球によって、だ。
四体の魔神の姿が薄れ始める。それに反比例するかのように、空間に何かの力が満ちてくるのをガレンは確かに感じた。
「なるほど? これが七柱目の魔神、ペルクナスか」
ジクラータは上を見ていた。
『我々は個を捨て、世界の切り札としてここに顕現した!』
そこには人の身の丈の十倍はある、巨大な暗黒色の甲冑のようなものが浮かんでいた。その背には光があり、その右手には巨大な剣、左手には細身の大盾があった。
それがジクラータに向けて突撃した。音速を超えた切っ先が真空衝撃波を伴ってジクラータを襲う。
「ジークフリートよ、来い」
落ち着き払ってジクラータは右手を振るった。その途端、黒と紫の毒々しい巨大な甲冑――機兵が、白い空間を引き裂いて現れた。
ジークフリートは、両手に持った刀で、魔人たちの機兵――ペルクナスの一撃を弾き返す。
「さぁ、役者は揃ったね。大団円といく前に、邪魔者には退場願おう」
「させるものか」
ガレンとザラが、ナーヤとネフェスの前に立つ。ナーヤは矢継ぎ早に防御魔法を展開し、ネフェスはじっと様子を窺っていた。
「魔神が死ねば、世界は崩れる」
ジクラータは口角を上げる。
「意味するところは、わかるかい?」
「すでに世界は崩壊し始めている……」
ザラの声が掠れていた。ジクラータは大袈裟に手を叩く。
「その通り。君たちが倒したヴァレゴネアとジェルム・フィレガ。その時からこの世界は、確実にこの巡りを、そしてそれどころか世界そのものを終わらせようとしてきた。君たちは自ら世界を削ってくれていたんだ」
「そこに来てこの数の魔神の撃破、か」
ガレンは奥歯を噛みしめる。
「ペルクナスの撃破を持って、この世界は終わるんだ。そして僕は円環世界を再生させる。その生命の書に、君たちの名前は、ない」
ジークフリートは強力だった。ペルクナス――四柱の魔神の力を結集した存在――をもってしてもなお、押されていた。
『さすがは円環世界最強の機兵……。アングラーフを退けたのも頷ける』
ペルクナスが吼える。
「ガレン、ザラ、その魔剣を奴らに返せ」
ネフェスが毅然とした声でそう言った。
「剣を……」
ガレンとザラは顔を見合わせる。そして頷き合うと、それぞれの魔剣をペルクナスに向かって投げつけた。
それを機に、ペルクナスの動きが変わる。ジークフリートとの打ち合いも互角の様相を呈してくる。だが、まだ足りない。
「さぁ、このままだと君たちの勝ちの目はないよ。第一にガレンもザラも丸腰じゃないか」
「あたしたちがいる」
ナーヤがガレンたちを押しのけて前に出る。ネフェスもその隣に並んだ。
「君たちで何ができるって言うんだい。無力な、ただの、人間が」
「だからこそ戦わなくちゃならない時があるんだよ、教皇さん」
「この私の最も大切な者を奪った罪、貴様の世界すべてで償ってもらうぞ」
ネフェスの聖剣ザーヴェンガンドが炎を噴き上げた。
ガレンが止める暇もなく、ネフェスはジクラータに斬り込んでいた。
「哀れだ」
落雷のような音が響く。ネフェスが大きく吹き飛ばされる。
「女王陛下!」
振り返ったナーヤがその落下を食い止める。だが、そこに大きな隙が生まれた。
「もういい加減目障りだよ、君たちは」
「ッ!?」
ナーヤは膝をついた。ナーヤの左の脇腹を闇色の槍が抉っていた。
「ナーヤ!」
ガレンとザラが同時にその名を叫んだ。
ジクラータの周囲に数十本もの槍が浮かんでいた。
「とどめだ」
それらの槍が一斉にナーヤとネフェスを襲った。
丸腰のガレンたちになす術はない。
いや。
ガレンはザラを見た。ザラも同時にガレンを見ていた。
二人は同時に、自分たちの機兵を思い出していた。
プロミシャス、そして、カデューシャス。
あっちの世界で二人が最後まで乗っていた機体だ。
あの機兵が、ジークフリートが、この世界にあるということは。
瞬き一つにも満たない時間で、二人は祈った。
愛機たちが助けに来てくれることを。
ペルクナスも、もはや限界だ。そしてネフェスもナーヤも。
「この世界は、お前のものじゃない!」
ガレンが吼えた。その刹那、ガレンとザラの姿が機兵のそれへと変じた。
――その一瞬の間に、元の世界の記憶が二人の中に一息の内に蘇った。二人の生きた時間のすべてが、二人の中で共有された。
二人は確かにそこにいた。何度命を託して託されたのかわからない。そんな関係の二人がいた。
「俺は、守れなかった」
「でも守ろうとしてくれた。それでいいのです」
飛来した槍をザラの操るカデューシャスがまとめて叩き落とした。
今まさにペルクナスにとどめを刺そうとしていたジークフリートを、ガレンのプロミシャスが殴り飛ばした。
「プロミシャスにカデューシャス……」
ジクラータは呆けたように呟いた。
そして笑い出す。
「あははははははは! いい、実にいい! この上なく完璧な最終章だ! これほどまでに完璧な終末があるだろうか! そしてこれほどまでに完璧な黎明があるだろうか!」
なにがおかしい――プロミシャスと融合したガレンが唸る。プロミシャスは長剣を抜き、両手で構えた。
「ザラ、二人を守ってくれ」
「わかりました。気を付けて」
まずはジークフリートだ。
ガレンはペルクナスと共にその毒々しい色の機体に襲い掛かる。
ペルクナスと互角程度の戦いをしていたジークフリートは、完全にプロミシャスに押し負けていた。
鍔迫り合いに持ち込んだプロミシャスは、思い切りジークフリートを蹴り飛ばす。そこにペルクナスが襲い掛かって囮となり、プロミシャスが大上段から剣を打ち下ろす。
それを止めたのはジクラータだった。生身であるにもかかわらず、その剣を左手一本で止めていた。
しかし、ザラのカデューシャスはその機会を逃がさなかった。音速をはるかに超える斬撃をジクラータにお見舞いする。
――しかし、それは右手一本で受け止められてしまった。
その間にジークフリートは起き上がり、ペルクナスに襲い掛かる。
『我々は良い。一刻も早く教皇を殺せ』
ペルクナスが言った。
ガレンたちは無言でそれを了承する。
ザラが先に仕掛けた。
ガレンはその意図を理解する。
いや、しかし、それでは足りまい。
そもそもこの身体でできるのか?
「やるしか、ない」
呼吸を止める。吐き出す。そして、思い切り鋭く吸い込む。
聖剣終奏――。
刺突に続く斬撃の乱舞。
「その剣技は……」
ジクラータが呻く。その結界に綻びが生じ始めていた。
どこまでも純白の世界に、インクのような黒が、染みのように広がっていく。
「この巡りが終われば、この世界は寿命を迎えるんだよ、ガレン」
「だからなんだってんだ!」
ガレンが怒鳴る。
「次の巡りだの来世だの、そんなもののために俺たちは生きちゃいない! 俺たちは今を生きる。今を生きてる。懸命に、死に物狂いで!」
ザラもそれに呼応する。
「悲劇が何万回繰り返されようと、あと一回で終わってしまおうと、そんなことはその時生きている人が考えればいい」
「ザラ……」
「世界をどうの、人々をどうの……そんな考え方自体が傲慢です!」
ザラの言葉に、ガレンは頷く。
「お前が望んでいるのは世界の完全な支配。円環による無限の均衡だ」
「その通りだよ。僕が世界を導けば、その世界は完全になる。あらゆる罪は消え、あらゆる悲しみも消え、人々は白き世界でまったくの完全な存在になれるんだよ」
なのに、と、ジクラータは首を振る。
「君たちは人類の幸福を、悲願を、断ち切ろうとしている」
「勝手に決めないで!」
ザラが声を張った。
「勝手に人の幸福を決めないでください!」
カデューシャスの剣がジクラータを突いた。
最後の結界が砕け散った。




