12-1. 白の世界、暗黒の瞳
一瞬の後、ガレンたちは塔のはるか高み、空中庭園に到達していた。そこはまるで白の世界とでも呼ぶべき場所で、どこを見ても白かった。それどころかガレンたちの影すらない。真夜中であるにも関わらず、空の色すら白だった。
世界が循環を始めるゼロ地点――そうとも呼べるだろう。
そしてその中でガレンたちだけが色を持っている。
いや、ザールフェテス皇帝も、だ。
「陛下……」
ザラが声をかけるも、ただぼんやりと立ち尽くしているザールフェテスは反応をしない。まるで心ここにあらずといった様子だった。
「陛下!」
「ザラ、止まれ」
ガレンが走りだそうとしたザラの右手首を捕まえる。
「しかし」
「これは明らかに罠だ」
ガレンは抜剣した。その途端、ザールフェテスは操り人形のような不安定な動きで、ザラに向かって突進してきた。目で追えぬほどのその速度は、音速すら凌駕する。
「お前の相手は私だ」
ネフェスがザラの前に出て、その長剣での一撃を受け止めた。ガレンは前に出たウルに声をかける。
「ウル、頼めるか」
「当たり前だ」
心強い返答に、ガレンはザラの右手を捕まえたまま前に出る。ナーヤもついてきた。
ガレンはザラを解放し、剣を両手で構えた。ザラも剣を抜いて同じように構える。
『まぁまぁ。そう殺気立つ必要はないと思うけれど』
「ジクラータ……いや、ラザロ。お前は、俺の敵だ」
虚空より振ってくる声に向かって、ガレンは言い返す。
「あの世界で、お前は俺からザラを奪った。そしてお前のせいで世界は滅んだ!」
『それは誤解さ、ガレン。あの世界にとどめを刺したのは、君だよ』
その言葉に、ガレンはしばし沈黙する。
『まぁ、僕を殺せば世界は終わる。それを証明してくれたのは君、ということさ。悲観することでもないよね』
そしてジクラータがガレンたちの目の前、数歩の距離の位置に姿を現した。
「僕を殺すことで、円環世界の再生は成就するのさ。この歪んだ無限世界を捨ててね」
「どういうことだ、ジクラータ」
「僕こそが世界を繋ぐ扉だからだよ、ガレン。さぁ、小鍵たちよ、僕をその魔剣で滅ぼすがいい」
その言葉に、ガレンとザラは動けなくなる。しかしナーヤは違う。
「それはハッタリだ。ジクラータ教皇、あんたの狙いはほかにある!」
「それは心外だよ、ナーヤ。僕の計画は――」
刹那、ジクラータの頭部が消し飛んだ。ナーヤの風の魔法が、その頭部を粉砕したのだ。
「ナーヤ!?」
驚くガレンたちをよそに、ナーヤはジクラータの首なしの身体を指差した。それはなおも動いていた。そして、瞬時に再生した。
「ばかな」
すっかり元に戻ったジクラータを見て、ガレンは息を呑む。常識を覆すその現象に、ガレンは心底恐怖を覚えた。
ジクラータは陶酔したように腕を広げ、ガレンたちに語り掛ける。
「僕はこの場所で君たちによって殺される。それによって世界は」
『黙れ、教皇』
ガレンたちと教皇との間に、ヴィーリェンの暗黒の姿が浮かび上がった。
ガレンはザラと視線を交わす。
「いつの間に……!」
「わかりませんが、助けに来てくれたのは確かだと思います」
ザラは冷静に答える。そんなザラをちらりと見て、ヴィーリェンは言い放つ。
『ジクラータ、貴様を殺すのはこの世界の守護者――我々魔神の役割だ』
「そう来ると思っていたよ、ヴィーリェン」
その直後、ヴィーリェンが動いた。ジクラータの全身をずたずたに切り裂いたのだ。大量の血液を噴き出しながらも、ジクラータは微動だにしない。
「事ここに至っては、すべてが無駄。僕はもう、円環への道を開いているんだ」
どうすれば良いというのか――ガレンはザラを見、そしてナーヤを見た。
そして背後のザールフェテスも健在なことを認める。ネフェスとウルの二人を相手に、傀儡となったザールフェテスは互角以上に戦っていた。ともすればネフェスたちが押し切られる。
だが、俺たちではこの教皇を倒せない。ナーヤの魔法も通じず、ヴィーリェンの力をもってしても攻撃が有効打にならない。
八方塞がりだ。
ガレンは音高く舌打ちをする。
「ガレン、諦めてはなりません」
ザラの緑の目が燃えている。ガレンは頷く。
「私たちは、あのかわいそうな僧兵たちのためにも、報われない魂たちのためにも、絶対に諦めてはいけないのです」
「だが、どうする」
ヴィーリェンが執拗に教皇を攻撃している。だが、足止めにもなっていない。
「この場で僕に殺されるか、君たちが僕を殺して救われるか。いずれにせよ僕こそが世界。円環世界に還れなくても、まだ次の巡りくらいまではこの無限世界は持つかもしれないしね」
「嘘よ」
ナーヤが断定する。そして糾弾するように続けた。
「この世界はもう立ち行かないところまで来ている。だからもう決定的な一手を打たなくちゃならなくなった、違うかな、教皇」
「なぜそう思う?」
「あんたは最初からガレンたちに殺されるつもりはなかった。そんなことならあんたは種明かしなんてする必要はなかった」
確かにそうかもしれない――ガレンは頷く。ナーヤは両手で印を結びながら、そしてその群青の瞳を滾らせながら、はっきりと言った。
「となれば、狙いはほかにある。あるいは、ここにきてもなお、この世界を終わらせられない理由が!」
「で、あるとして。ではどうするかな」
ジクラータはヴィーリェンの腕をつかんで投げ飛ばした。純白の空間の壁に直撃したヴィーリェンは、身動きが取れなくなっているようだった。
「ヴィーリェン!」
ザラが叫ぶ。
『大事ない。かくなる上は』
『だらしないな、ヴィーリェン』
ヴィーリェンの前に少女の姿があった。闇色のヴィーリェンとは対照的に、輝くばかりの黄金色だった。髪も、瞳も、衣服も、爪も。レイザよりも幼く見える少女だ。
『ベル、なぜ』
『見物のつもりでやってきただけだ。助けるつもりなどなかったわ』
「ベルって、あの山の?」
ガレンがザラに尋ねると、ザラは神妙な顔で頷いた。
ジクラータが哄笑する。
「役者は揃ってきたねぇ。ヒューレバルドにシルヴィータもいるじゃないか。その他大勢の魔神たちも」
ガレンたちの周りには大勢の気配があった。人型から様々な異形まで、およそあらゆる形象が揃っているのではないかというほど、無数のバリエーションがそこにあった。この白い空間は無限に広がっているのか、何百、あるいは何千もの魔神が集結しつつあった。それはまるで、純白の世界に無限の影が流れ込んでくるかのようだった。
「ザールフェテス、君の最後の仕事だ」
ジクラータは指を鳴らした。
ザールフェテスがこの世のものならざる声で絶叫した。
「きょ、教皇ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
途端、ザールフェテスが爆ぜた。
「ネフェス!」
ウルの怒声が響く。
「ッ!?」
ネフェスの声にならない悲鳴が響いた。
弾け飛んだザールフェテスの肉片、骨片、そして血液は、その全てが凶器と化していた。
そう理解したウルは、前に出ていたネフェスを強引に後ろに投げ飛ばし、その前に立ちはだかった。
「!」
ウルの分厚い鎧が、ザールフェテスの腕の骨によって貫通されていた。おびただしい量の血液が鎧の内側から吹きあがった。骨の矢は鳩尾を正確に貫いていた。
「ウル!」
すさまじい凶刃の嵐をやり過ごしたネフェスは、仰向けに倒れたウルを発見する。
「守れなかったッ!」
ナーヤの絶望的な声が響く。
「気をつけろ、終わってない!」
ガレンはネフェスの所へ走り込み、上空から襲ってくるザールフェテスの頭蓋骨と眼球を迎え撃つ。
「鍵以外に用はありませんからね」
ジクラータの周囲に暗黒の炎が浮かび上がる。ナーヤの前にザラが立つ。
暗黒の炎がザラに向かって飛来する。
「狙いはあたしだ!」
ナーヤが同じ暗黒の炎を浮かべ、それらを迎撃していく。
「君は優れた魔導師だ。でも、僕には及ばない」
立て続けに放たれる暗黒の火球に、ついにナーヤが押され始める。
「くっそ」
『加勢する』
そこに割って入ったのがヴィーリェンの暗黒の姿だった。ヴィーリェンは呼ぶ。
『ヒューレバルド、シルヴィータ!』
『……承知』
『あいわかった』
騎士のようなヒューレバルドと、半ば空気に溶けているかのような女性の姿のシルヴィータが、それらの迎撃を手伝う。だが、それでもまだ力が足りない。
『ベル! お前もだ!』
『どうして人間なんか』
『俺たちはこの人間を守っているわけじゃない。世界を守っているんだ、この無限世界を!』
「みなさん……」
ザラは魔剣シルヴィータを構えなおし、脇を掠めて飛んでいこうとした一発を撃墜した。
『まったく仕方ないな。そこまで言うなら手伝ってやろう』
ベルの横柄な言葉が聞こえる。黄金の少女がヴィーリェンの隣に並び、すさまじい勢いで魔法を撃墜していく。
「いいのかな、こんなところで油を売っていて。君たちの眷属の魔神、ザールフェテスがほとんど倒しちゃったみたいだけど」
『!』
「実に好都合。これこそ、僕の狙いだからね」
ジクラータはクックッと喉を鳴らす。
『まさか、貴様ッ。我々をここにおびき出したということか』
「今更気付いても遅いさ、ヴィーリェン。魔神――世界の守護者たち。君たちという存在はずっと邪魔だったんだ。君たちのその粘つく力のせいで、この世界が壊れきらないから」
だから――。
ジクラータが目を見開いた。その眼球は暗黒色に染め抜かれていた。




