11-2. 詭弁でいいのさ、生き方なんて
思い出すよね――ナーヤはガレンの隣に腰を下ろして、呟いた。女王、ザラは同じテントで、ウルは焚火のそばで鎧を脱いで眠っていた。そんなウルには聞こえない程度の音量で、ナーヤは言う。
「あんたが出現したときは、正直あたしも怖かった」
「お前が?」
「あたしだって怖がりもするよ。敵認定されたら即死だったんだから」
「お前ならあの時の俺くらいどうにでもなったんじゃないか」
「どうだろうね」
ナーヤはその赤毛を手癖のようにかき回してから、ふっと空を見た。雲一つない夜空には、まだ夜明けは遠い。ナーヤの群青の瞳が宇宙を映している。
「異界の騎士。教皇の予言通りだった。選ばれし騎士、選ばれし人間。世界の運命を握る者――救世主」
「救世主ってことはないだろ」
「ご謙遜を。今まさに世界を救おうとしてるじゃん」
「どうなんだろう」
ガレンは炎から目を離さない。ぱちぱちと枝の爆ぜる音が、煙の臭いが、ガレンの意識を覚醒させている。
「俺が教皇に従ったら、この世界は終わる。だが、この世界は円環世界がもとになって生まれた世界だろ? ってことは、そっちを蘇らせるのが本当は正しいんじゃないかとかさ」
「難しいこと考えるねぇ」
ナーヤは笑う。
「あんたとザラは間違いなくあっちの世界に蘇ると思うよ。でも、あたしたちはどうなるかわからない。あたしたちにはあっちの記憶なんてないしね」
炎の輝きが、ナーヤの影を深くする。
「だから、この世界が終わったら、少なくとも今のあたしは死んじゃう。あたしたちはみんな……消えてしまうんだよ」
「でも、この世界、メビウスだって、もう限界だって言うじゃないか」
「わかんないよ」
ナーヤは首を振る。
「そんなの、それこそ教皇が都合のいい適当言ってるだけかもしれないよ。わかんないじゃん?」
「それもそうだな」
ガレンは首を振った。
「なぜ頭から信じていたんだろう」
「教皇の魔力から逃れられるなんて、天才魔導師のあたしくらいしかいないよ。女王陛下をお守りしているのもあたし」
「ウルは?」
「ウルは自分の信念曲げないから。彼の正しいと信じる軸を、あたしは信じてるから」
ウルは図体に似合わず、控えめな寝息を立てて眠っていた。
「つまり、世界中が教皇の魔法にかかっているってことか?」
「そういうこと」
ナーヤは断定した。ガレンは「信じられん」と呟いたが、ナーヤは小さく笑う。
「教皇は信じられないくらい強いよ。最強の存在である魔竜アングラーフを簡単に殺してしまったし。でも、それでも」
「俺は……」
ガレンは何とはなしに火に木の枝をくべた。
「教皇を敵と認識した」
「わかりやすくていいね」
ナーヤは微笑む。
ガレンは苦笑する。金色の瞳がキラキラと輝いている。
「きれいな目だよね、ガレンの」
「派手なだけだ」
「円環の世界では、何色の目をしていたんだろうねぇ」
ナーヤは遠い目をした。そしてすっかり焼け落ちたジェリングスの山に視線を移す。
「……ま、そんな話はもう、いいかな」
ナーヤは立ち上がる。
「夜明けまでちょっと寝かせてもらっていいかな」
「もちろんだ。しっかり休め」
「あんがと。おやすみ」
そしてテントへと消えていく。
「話は終わったかい」
ウルが片目を開けていた。
「なんだよ、起きてたのか」
「俺、眠りが浅いのさ」
ウルはそう言うとのそりと起き上がり、炎を挟んで向かい合った。ウルは小さくなりつつある焚火を眺めながら、遠くに聞こえる遠吠えに耳を澄ます。
「ベレクは遠くない」
「ラガンドーラの中にあるんだよな」
「ああ。地図によれば、ここからかかっても一日だ」
ウルの緑灰色の瞳がじっとガレンを見つめていた。
「最後の夜かもしれないな」
「否定はしない」
ガレンが苦笑する。
「だが、俺は終わらせるつもりはないさ」
「なんていうかさ。あこがれるよ」
「あこがれる? ウルが? 俺に?」
「ああ。ガレンみたいな生き方って、昔の俺の夢見た姿なんだよ」
「ただの人殺しだ」
「そうとも言える」
ウルは頭を描いた。灰色の髪が揺れる。
「だが、守るための剣だ、お前の剣は間違いなく」
「言いようだな」
「詭弁でいいのさ、生き方なんて」
ウルは年長者らしく落ち着いた声でそう言った。
「詭弁でいい、か」
「ああ。答えなんてない。生き方の是非を問える奴なんていない。だから自分で言い訳つけて、自分で理由つけて、やってくしかないんだ」
「ウルも?」
「俺は派手な活躍ができるような人間じゃない。だが、女王陛下を守り抜くと誓った。それこそが自分の存在意義だと信じて生きてきた」
ガレンは息を吐いて水を一口飲んだ。
「立派だと思うよ」
「俺もお前みたいにわかりやすい活躍をしたかったよ」
「過去形にするにはちょっと早いんじゃないか?」
「そうか?」
「最後まで女王を守り抜く。それができるのはお前しかいない。違うか?」
ガレンが言う。ウルも水を飲んだ。風向きがころころと変わって、二人は順に燻されていく。
「剣には剣の、盾には盾の役割があるってか」
「そういうことだ、ウル。お前が守ってくれるから、俺は全力で戦えるんだ」
ガレンが言うと、ウルは立ち上がってガレンの肩を叩いた。
「ベタな励ましだが、お前らしくていい」
「どういたしまして、だ」
ガレンはそう言って、テントに向かうウルを見送った。
さてと。
ガレンは立ち上がると大きく伸びをした。
そして魔剣ヒューレバルドを抜き放つ。ザラの魔剣シルヴィータ、ネフェスの聖剣ザーヴェンガンド。そしてナーヤとウルの能力。どれも欠くことのできない力だった。
静かな夜が過ぎ、東の空がうっすらと白み始めた頃、ネフェスが起きてきた。
「見張りご苦労」
「早いですね、女王陛下」
ネフェスは伸びをしてから、固まった筋肉をほぐすように全身を動かした。ガレンも座っているわけにはいかなかったから、立ち上がって何とはなしに手首や足首を回した。
「そろそろ出立の頃だろう。私もジクラータには一泡吹かせてやりたくてうずうずしている」
「万が一があっては困りますが」
ガレンは肩を竦める。とはいえ、言っても聞かないのがネフェスという人物だ。
「私にはウルがいる。心配するな」
「信頼してるんですね、やはり」
「当然だ」
ネフェスは右の口角を上げて笑う。
「ウルは私の一つ年上でな。幼少期から遊び相手としてあてがわれていた。当然私たちは女と男。十代に入ったころからは、互いに意識し合う間柄になったわけだ」
楽しそうな表情で思い出話を始めるネフェス。
「ある時、そのことを悟った大人連中が、私たちを引き離したんだ。私にはもっと相応しい相手がいる、とな」
「しかし、陛下は未だ独身では」
「無論だ。縁談の類はすべて蹴った。もっとも私には兄が四人もいたから、そのことについては別に責められはしなかった」
「初耳です、兄が四人とは」
「皆、死んだよ。いろいろあってね」
すさんだ声で、ネフェスは言った。
「そして今から六年前に、私は女王になったわけだ。その頃には騎士団に入ったウルは戦功をあげ続けて、千人隊長にまでなっていた。そこを私が拾い上げたというわけだ」
「それでどうして未だに恋人同士になっていないのかがわからないのですが」
「お前にそういう感情があることに驚いた」
ネフェスは大袈裟に目を丸くした。そして何かに合点したように手を打つと、目を細めつつ訊いた。
「ああ、ザラか。お前、あの子とはあっちの世界でも特別な関係だった、のだろう?」
「俺の記憶が本当なら、あっちの世界でザラは、教皇に……ラザロに殺されていたんです」
「……そうだったのか」
「だから、俺の敵なんです、教皇は」
なるほどな、と、ネフェスは顎に手をやった。
「夜が明けるな」
たちまちのうちに世界が色付き始める。この上なく美しい夜明けだと、ガレンとネフェスは並んでその空を眺めた。
「さぁ、寝ぼすけどもを起こしに行くぞ、ガレン」
ネフェスはそう言うと、女性陣のテントの方へと戻っていった。
ガレンは西の空――ベレク神聖王国の方角を見る。
「……あれは」
さっきまで星々の残滓が踊っていたはずの西の空が、暗雲に包まれていた。




