7-1. 後悔と許しの間に
ニーレド王国に戻るべく馬を進めていたガレンたちは、ナーヤの指令によって再びラガンドーラ帝国の中央部向かっていた。
「とりあえず帝都に向かえとか、無茶苦茶だ」
ガレンはぶつぶつ言いながら、前を行くザラとレイザの背中を見る。あの夜から三日が経つが、二人の間には険悪ともいえる空気があった。
「ところでザラ」
「なんでしょう」
幾分刺々しい反応が返ってくる。
「本当にこっちなのか? 街道からけっこう外れてるぞ?」
「近道なんです」
「……ん-」
ザラが方向音痴なことは明らかだ。いくら何でも帝都への道は間違えないだろうと期待していたガレンだったが、どうやらその認識は誤っていたかもしれない。
「レイザは帝都への道は?」
「知らない。一度しか行ったことがないもん」
これはダメなやつかもしれない。
ガレンは首を振ると、街道に戻ることを提案する。このまま直進すると、遠くに見える森らしきものに突入してしまう。
時刻はまもなく夕刻に差し掛かる。土地勘のない森の中での野宿は避けたいところだった。
「方角があっていれば必ず帝都には着きます」
「いや、その方角さえ怪しいだろう、ザラは」
「……失礼な!」
なぜか怒り出すザラ。
方向音痴の自覚があるのに、なぜそこまで自信満々で言い切れるのか、ガレンには謎だった。
「それに街道ってのは、最も効率よく都市間をつなげるために整備されたものだ。街道沿いに行かない理由がない」
「帝国兵士も通ります」
しかし、このままでは補給もままならずに行き倒れとなる未来が見えてしまっている。
「さっきのナーヤの話だと、俺は帝国内部で目立った動きをする必要がある。将軍たちの目を俺に引き寄せるんだってことだが。だったら街道でいいじゃないか」
「私の道案内が信用なりませんか」
「どうやって信じろって言うんだ」
ガレンが言うと、ザラは口をひん曲げて黙り込んでしまった。レイザがガレンに馬を寄せてくる。
「よくあれで将軍が務まっていたよね」
「部下が大勢いるからな、方向音痴は考えなくてよかったんだろう」
「なるほどね。冷静だね、ガレンさん」
「ガレンでいい」
「了解、ガレン」
三日目にして、レイザはようやくガレンに話しかけてくるようになっていた。姉との冷え切った空気に耐えられなくなり、また退屈も限界だったのだろう。
「帝国の騎士にもいろんな奴がいるんだな」
「ランサーラお姉さまは私にとって最高の人だったんだよ」
レイザは三日前と同じように言った。
「みんな死ぬ気で努力して成り上がったんだ。むしろ、悪い人なんてそんなにいない。あなたが殺してきた将軍たちも、人々や部下に慕われていたんだよ」
「だろうな」
「でも、《《異界の騎士》》の方が強かった。それだけ」
レイザは冷めた目でガレンを見る。ガレンもその目を見つめ返す。まだ幼さの抜けきらぬ少女だったが、レイザの目には確固たる力があった。
「レイザ、剣は使えるのか」
「ランサーラお姉さまが教えてくれたわ」
結局、街道とも何ともつかない場所を行く三人。ガレンは街道を視界に収められるギリギリのところを行くように、巧妙にザラを誘導していた。これなら最悪でも迷子にはならない。
「まもなく日が暮れる。野宿の準備だ」
下馬して、適当なスペースを見つけて野営の準備をするガレン。ザラもレイザもぎこちなくはあったが、だいぶ慣れてきた。
「というか、俺のこの知識はどこからきたんだろうな」
第四次統合戦争の時にこの世界に現れたガレンだが、その前の記憶は夢のように断片的なものしか思い出せない。だが、この世界で暮らすには、何不自由ない知識を持たされていた。
火打石と火打ち金で火花を起こし、乾燥したツリガネタケの束に着火する。そして集めておいた枯れ木に放り込む。
その手慣れた技を、レイザは関心しながら見ている。
「私が魔法でも使えれば、こんな面倒なことしなくてよかったのにね」
「別に苦痛じゃないからな」
「ふうん」
レイザは控えめな焚火をひとしきり眺めてから、革袋の水を飲んだ。
「ザラ姉さまも飲む?」
「自分のがありますから」
ザラはまだどこか苛立っているようだった。焚火を挟んで正三角形の頂点に位置する三人は、それぞれどこか所在なげに焚火や星空や、すぐそばにまで迫った森の影を見つめている。
「なぁ、ザラ」
「なんですか?」
「そんなに自分を責めるな」
「……責めてません」
ザラは首を振る。銀の髪がさらさらと揺れた。
「ただ――」
「ただ?」
「ただ、悔しいのです」
ザラは豪快に干し肉を噛みちぎった。そして沈黙のうちにゆっくりと咀嚼する。美女らしからぬ食事風景に、ガレンはこっそり苦笑する。
「私はランサーラを誤解していました。そうであると知っていたら、彼女に助けを求めていたかもしれない。なのに、私は」
「もしもを言っても仕方ないだろう、今となっては」
「《《後悔》》という言葉が生まれたのは、誰もがもしもを言っても仕方ないと気付いたからなのです。でも、そう思わずにいられない、過去を悔いずにはいられない。だからこそ、誰もが《《後悔》》と言う言葉を知り、実感し、使うのです」
ザラは膝を抱えて下を向いた。
「私は結果として、大切な妹の……あなたの、大切な人を奪ってしまいました。許してとは言えない。ごめんねとも言えない」
その言葉に、レイザは沈黙で応える。
「私、間違いだらけです」
ザラは星空を仰ぐ。透き通った黒に、輝く星々。名も知らぬ星座たちが思い思いに物語を奏でている。
「死んでしまいたい」
「ザラ姉さま」
レイザがザラの隣に移動した。並んで座った二人は、まるで精巧にして美しい人形のようだった。
焚火の金色の明かりに照らされながら、レイザは言う。
「ザラ姉さまがいなかったら、私はとっくにこの世にいなかった。姉さまが必死に私を生かしてくれたのは、本当に感謝してる」
「レイザ……」
「でも、私にとってはそれと同じくらいランサーラお姉さまが大切だった。憧れだった。そして、幸せだった。そう、物心ついてから初めて、私はここにいていいんだ、ここにいれば安全なんだ。そう思ったの」
レイザの言葉は柔らかかった。ガレンは焚火に細い枝を放り込んだ。それはパチンと鋭い音を立てて爆ぜた。
「私には、あなたを幸せにすることはできませんでした」
ごめんなさい――ザラはまた膝の間に顔を埋めた。
「でもね、この三日間考えたんだ、ザラ姉さま」
「……?」
「ザラ姉さまが必死に私を生かしてくれていなかったら、ランサーラお姉さまとも出会えなかった。幸せな日は永遠に来なかった。そんなことをね」
レイザの声はわずかに震えていた。感情を理性が押さえ込んでいるときの反応だと、ガレンは分析した。
「ランサーラお姉さまのことを割り切るにはまだまだ時間はかかると思う」
レイザはザラの左手に触れた。ザラはそこに自らの右手を重ねる。
「だけど、ザラ姉さまのこともちゃんとわかったつもり。理解しているつもり」
「レイザ」
ザラは焚火から視線を外さずに言った。
「あなたのその強さは、ランサーラのおかげなのですね」
「うん」
レイザはまっすぐに頷いた。
「ちゃんと生きていかなかったら、ランサーラお姉さまに合わせる顔がないわ」
「本当に、強くなりましたね、レイザ」
そう言って、ザラは嗚咽する。涙がぽたぽたと流れ落ちる。炎に揺れる影が、その雫たちを煌めかせた。
バルグレットの魔の手から引き剝がすために、ランサーラはレイザをバルグレットから奪い取った――蓋を開ければそれだけの話だった。そこには多少の打算はあったものの、ほとんど純粋な正義しかなかったのだ。
それはその後のレイザに対するランサーラの対応を見ても明らかだった。教育を施し、何不自由のない生活を与え、安全地帯を作った。
自分はそれを壊してしまったのだ。
ザラはその自己嫌悪から逃れられない。レイザに何と言われようと、今はまだ逃げることはできなさそうだった。
「……なんだ?」
ガレンは剣を持って立ち上がる。
目を凝らすと、夜空に何かいた。星の輝きをちらちらと遮っている何かが。
それは森の方へ向かって移動しているようだった。
「あれは……」
ザラが立ち上がって目を細める。
「魔竜の欠片……!」
「魔竜だって?」
ガレンの表情に緊張が走る。ザラは頷いた。
「私も本で見ただけですが、夜塞の森の中央部に、魔竜ガーグドレイクの石碑があるとか」
ザラは森を指さしながら告げる。
「しかし、魔竜は、二十年前にバルグレットをはじめとする討伐隊によって封印されたはず」
「封印が解けたのか、解いたのか」
ガレンたちはまだ、帝国の切り札たる魔竜ジェルケギニアが討伐されたことを知らない。ナーヤの報告から抜けていたからだ。
「だとしたら、帝国に利用されかねないな」
「それにほっといたら帝国の人々だってひどい目にあうよ、ガレン」
レイザが言う。ガレンは頷いた。
「ザラ、様子を見に行こう」
「無論です」
ザラは頷くと、剣を持って立ち上がった。




