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神殺しの叛逆譚  作者: 一式鍵
6. 女王と皇帝

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6-1. 救いと滅びの境界線

 南部戦線の本陣である巨大なテントの中で大杯の水面を眺めていた聖騎士ナーヤは、視線を上げて目を細めた。微笑んだのだ。真昼の太陽がテントの布を突き破って大杯の水を輝かせていた。


 ナーヤは立ち上がると、テントの入口へと急ぎ、勢いよく入り口の布を跳ね上げた。


「よっ、ウルさん、お勤めご苦労!」

「相変わらず軽いな、お前」


 姿を見せた重甲冑の同僚がそう言って、続いてやってきた人物に向き直る。


「女王陛下、どうぞ」

「うむ。ご苦労だった、ウル。ナーヤも戦線維持、大義だ」


 褐色の肌の女性、ネフェス女王はナーヤが座っていた椅子に腰を下ろした。ナーヤはネフェスの右隣に立ち、ウルは大杯を挟んでネフェスに正対するようにして立った。


「わざわざ最前線までご足労いただいてしまって」

「気にするな、ナーヤ。戦線視察の()()()だ」


 ネフェスはそう言うと、「始めるか」と指を鳴らした。ナーヤは頷く。


「カレンファレン!」

『……聞こえている』


 低い女の声と共に、大杯の水面が揺れる。ナーヤがいつもの彼女らしくない、殺気立った声を発する。


「乾度良好。こちらは準備ができている」

『こちらもだ』

「魔道路を通じて魔物を送り込もうだなんて考えたら、あたしはあなたを挽肉(ひきにく)にするよ」

『お互い様だ』


 カレンファレン――ラガンドーラの十将の一人にして、ナーヤと並ぶともいわれる稀代の大魔導師だ。


「それでは」


 ネフェスが凛とした声を放った。場の空気が引き締まる。


「話でもしようではないか、なぁ、ザールフェテス皇帝よ」


 大杯の水面が波打ったかと思うと、そこに一人の男の姿が現れた。ザールフェテス皇帝である。水でできた像ではあったが、その表情は仔細に読み取ることができるほどの精度だ。それはナーヤとカレンファレンの能力があってこそ実現できることである。


『降伏宣言というのなら、喜んで受け入れよう』

「笑止」


 ネフェスは頬杖をついて薄く笑う。豪奢な金髪が本陣に吹き込む風で揺れる。


「皇帝よ、いつまであの教皇とつるんでいるつもりだ」

『そのつもりはない。猊下はこの世界を全き世界に、理想郷にしようとされておられる』

「皇帝が猊下か。落ちたものだ」

『言うものだな』


 怒った風もなく、ザールフェテスは呟く。


『真の救いのためには、この大陸をベレク大聖教で染め上げねばならんのだ』

「冗談ではない」


 ネフェスは瞬間的に切って捨てた。


「教皇の望みは世界の支配。いや、それどころではない」

『どころではない、というと?』

「ナーヤ」

「はい」


 ナーヤは前に進み出て、ザールフェテスの姿を凝視した。


「教皇の望みは、この世界の()()

()()である』

「いいえ」


 ナーヤは慎重に言葉を選ぶ。


「陛下は敬虔なベレク教徒と聞きます。ゆえに、この世界を無限世界(メビウス)と呼ぶことはご存じですね」

『無論だ』

「この世界はメビウスの輪のように無限に歪みながら存在を続けるのだと。しかし実態は違う。世界が終わり、また始まるたびに、メビウスは細くなり、そしてやがて、終わった世界の重さに耐えかねて切れてしまう。その前に我々は、このメビウスの源、世界の雫をこぼした円環……いえ、完全世界ツァラトゥストラに還らなければならない。教皇の望みは、そこで救われる者の()()です」

『初耳だが』

「そうでしょうね」


 ナーヤは微笑する。


「これはあたしの創作ですもの。しかしながら、皇帝陛下。真実というのは得てして創作の形で語られるものだと、あたしは――」

『貴様――!』

「実に面白い創作だ」


 ネフェスがザールフェテスの怒声を(さえぎ)った。


「確かにベレク大聖教の経典には、この世界をメビウスとし、神なる世界をツァラトゥストラと呼ぶ一節がある。それをして完全世界であるという解釈をしたのは、真にお前の創作なのか、ナーヤ」

「状況証拠を積み上げた結果です、女王陛下」

「ほう?」


 ネフェスは目を細め、鋭くザールフェテスの姿を見た。ナーヤは続ける。


「ガレン・エリアル。天の騎士、あるいは、異界の騎士。あの者の存在がその証拠です」


 ナーヤの群青色の目がギラリと輝く。


「あの者がツァラトゥストラに至るためのゲートを開く小鍵であるというのなら、あたしの解釈はおそらく当たらずとも遠からず、でしょう」

「しかし、あの教皇にその力があるとは思えぬが」

()()とも思えません、女王陛下。あの男は百年もの間、あの姿のまま生きているのです。あたしなんかよりはるかに強力な魔導師であるか、あるいは、()()()()()()()であるか、です」


 ナーヤの言葉に、しかし、ザールフェテスは(ひる)まなかった。


『猊下は神の祝福を一身に受けておられる。なんの不思議もあるまい』

「神の祝福か」


 ネフェスは興味深げにつぶやく。


「なればなぜ、この世界は教皇の思うがままにいかんのだろうな」

『その理想を、その救いを実現するために、我々は存在するのだ、ネフェス女王』


 そこでナーヤはずっと仁王立ちをして黙り込んでいた同僚、ウルに近付いた。そして少し背伸びをして囁く。


「頼むよ」

「任せろ」


 ウルはナーヤを見下ろして短く応じる。二人は察知している。魔道路の向こうにいる巨大な殺気、禍々しい気配を。無駄な犠牲を避けるために、本陣には兵士の一人もいない。


『ネフェス女王、そろそろ本題に入らぬか』

「構わんが?」

『ニーレドは即刻我々に(くだ)り、ガレン・エリアルを差し出せ』

「断る」

『さもなくばお前の国は滅ぶ』

「滅びはせん。それどころか、危ういのはむしろお前の首ではないか、ザールフェテス」


 ネフェスの鋭い舌鋒に、ザールフェテスは沈黙する。


「この数か月でヘルミナル、ジャマルカ、バルグレット、そしてランサーラ。イジュヌも行方不明であると聞いている。ザラ将軍はこちらに寝返った。今や将軍はわずか五人。それで我々とどう戦うというのか」

『我が国に、優れた人材などいくらでもいる』

「私の聖騎士たち以上であればいいがな?」

『……我々は平和を望んでいるのだ、女王。戦による損耗は互いに望んではおらぬだろう』

「お前の言う平和は、我々の言う平和とは違う」

『なぜだ。人類は等しく救われるのだ。それがベレクの教えだ』

「ばかばかしい!」


 ネフェスは強い語気で吐き捨てた。


「近隣諸国をいくつも滅ぼし、敵も味方も大勢死なせておいて、言うに事欠いて今さら()()を語るか!」

『それも救いだとなぜわからん! 我らベレクを唯一神としてたたえる我々は、救いの日のために命の選別を行っているに過ぎない』

「それが傲慢だと言っている!」

『教皇猊下の慈悲がわからぬのか』

俎上(そじょう)にも乗らぬ」

『我々が手を結べば、大陸統一とて難しくはない』

「そのあとで背中から斬られるとわかっている相手と握手をしたりなどせぬ」

『そうか』


 ザールフェテスはゆっくり二度、頷いた。


 瞬間、ウルがネフェスの前に移動し、ナーヤは三人を守る魔法結界を生じさせた。


「ナーヤ、何が出るんだ」

「魔道路の許容量いっぱいの何か」

「マジか」


 ウルはそう言ったが、その表情に危機感はない。いつも通りの生真面目な顔だった。


「陛下、後退を」

「それには及ばぬよ、ウル」

「しかし」

「我が聖騎士たちは無敵だ。私がそれを証明しよう」


 ネフェスは凄絶(せいぜつ)な微笑を見せる。


「働いてみせよ、ウル、ナーヤ」

「はっ!」


 二人は同時に応じた。


 大杯がまっぷたつに割れた。こぼれた水が闇と化す。卓が暗黒に飲まれ、空間に穴が開く。幼児ほどの大きさだった穴は、見る間に巨大になり、やがて人の五倍ほどまで拡大する。


 激しい放電が起こり、本陣のテントが消し飛んだ。


「……っ!」


 ナーヤの結界が揺らぐほどの魔力が、穴から吹き付けてくる。


「この魔力波……魔竜です!」

「ほう?」


 ナーヤの報告に、しかし、ネフェスはなおも怯む様子がない。


『聞こえるか、ナーヤ』


 カレンファレンの声が反響しながら聞こえてくる。


「残念ながら感度良好だよ」

『それはいい。その減らず口ももう聞けぬと思うと残念だよ』

「あら、あたしの同期なら、もっと気の利いたセリフを言えるはずだよ?」


 ナーヤは口角を上げる。明らかに危機的な状況にあっても、そのスタンスは変わらない。


『さしものお前でも、ジェルケギニアは倒せまいよ!』

「魔竜ジェルケギニア……!」


 一瞬だが、ナーヤの表情が尖った。


 魔竜ジェルケギニア。大陸南部に()むとされる()()()()()()()。前回、人類の歴史に現れたのは、三百年も昔のことだ。


『ああ、そうだ。わかったら女王もろとも、魔竜の(あぎと)(ほふ)られるがいい!』

「あんたの始末は……この後でつけてあげる、カレンファレン」

『さらばだ。せめて世界を汚さずに死ね』


 刹那。すさまじい熱量を伴った闇が、本陣を包み込む。そして、()ぜた。本陣の周囲にいた多くの兵士たちは、一瞬にして蒸発した。


 闇が過ぎ去った後、本陣があった場所は、半球状に大きく削り取られていた。


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