5-3. 魔剣と記憶
ランサーラの斬撃は止まらない。ガレンは攻撃を織り交ぜながらも防御に重点を置く。ランサーラの一撃は異常に重く、ガレンにも一切の油断は許されなかった。
「やるな、《《異界の騎士》》!」
ランサーラの左手に火炎が生じた。すっかり暗くなった階段広場が金色に照らされる。
ガレンは後ろに跳ぶと、そのまま方向転換して階段を駆け上がる。ガレンを追うようにして、焼け焦げた風が階段を駆け上がってくる。炎の弾丸が次々と石の階段を砕く。ガレンの顔のすぐそばを掠めるものもあった。
踊り場に到着するや否や、ガレンは壁まで駆け寄って思い切り蹴りつけ、後ろに跳んだ。そしてランサーラの背後に着地する。人間離れしたその動きに、ランサーラは一瞬虚を突かれた。
「ッ!」
ランサーラは全身から炎を噴出させる。それは強烈な衝撃波を伴っていた。オイルランプの、そのすべてが粉砕される。階段広場はたちまちのうちに暗黒に沈む。
ランサーラは右の脇腹に激痛を覚える。ガレンの剣が鎧を砕いていた。ガレンの刃が深く肋骨を抉っていた。
だが、その傷は見る間に塞がっていく。
「なるほど、さすがは魔剣」
ランサーラは、ガレンがそう呟いたのを《《隙》》と見た。五発、六発と火球を打ち込み、それを追うようにしてランサーラの剣が襲い掛かる。
「ランサーラ……!」
ザラが震えながら身体を起こし、声を絞り出す。
「お姉さま!?」
ランサーラとガレンが交錯した。ランサーラの生み出した炎の帯が、破れに破れた絨毯を焼いていく。
「なぜだ、ヒューレバルド……」
ランサーラは左手で左の脇腹を押さえていた。おびただしい量の血液が流れ落ちていた。
ガラン、と、魔剣ヒューレバルドが床を転がり、ランサーラは傷を押さえながら立ち尽くした。
「肉を斬らせたところまではよかったが」
ガレンは自分の折れた剣を捨てた。その刃はランサーラの脇腹に深々と食い込んでいた。
「魔剣に見捨てられたな、ランサーラ将軍」
「……なるほど。私はただの媒介者に過ぎなかったということか」
ランサーラはザラとレイザの助けを借りて、焦げた床に座った。その血液が海となっている。
「魔剣は最初からお前を選んでいたということなのかも、しれんな……」
ランサーラは禍々しい輝きを放つ長剣を指さした。ガレンは頷いてそれを拾い上げた。
――その時だ。ガレンの中に何かの記憶が流れ込んできた。
「ここは……」
巨大な白い鎧のようなものが目の前にあった。巨大――ガレンの十倍はあるだろうか。とにかく見上げなければならないほどの巨大さだ。
「プロミシャス……」
呟いたガレン自身がまず驚いた。これは人の能力を増幅させ、殺戮を生む戦闘兵器だ――瞬間的にそう《《思い出した》》。
プロミシャス……という名前のその機兵が動き出し、ガレンをその胸部内部へといざなった。乗り込んだガレンは、まったく記憶にないその空間が《《操縦席》》だと理解した。プロミシャスを制御するのが、ガレンなのだと。
そして時間が飛ぶ。
「今度は空の上か」
夢にしては大掛かりだと思った。おそらくまだプロミシャスの中にいるのだろう。ガレンは空を自由に飛んでいた。
そして同時に、《《強い殺意》》を抱いていた。
『敵……敵を、殺す』
ガレンの意思とは無関係に、ガレンがそう言った。
その途端、ガレンの頭の中を鋭い痛みが奔り抜けた。
無数の光が四方八方から襲ってくる。
『ザラを、返せ!』
ガレンは光を躱し、突き進む。
目の前に、暗黒色に紫の文様が描かれた不気味な機兵が姿を見せる。それが、それこそが《《敵》》なのだと、ガレンにはわかった。
『貴様が!』
貴様がザラを!
ガレンの胸が熱くなる。痛くなるほど目を見開き、吼える。もはや《《どちらの》》ガレンが怒っているのかわからなかった。
「貴様が、俺の敵だ!」
――ガレン!
その呼び声で、ガレンの《《夢》》は終わる。ザラの声だった。
「あ、ああ。魔剣にあてられたみたいだ」
「だ、ろう、な……」
ランサーラが鞘を外してガレンに差し出した。
「ランサーラ、今ならまだ助かる。剣を持て」
「魔剣はもう、私に手を貸したりはせんよ」
「お姉さま!」
レイザがランサーラの血を止めようと、自らの衣服を破って包帯を作っていた。ようやく駆け付けた警備兵たちは慌てふためいていて戦力にならない。しばらくたってからだが、その中の一人が勇気を出してランタンを持って近付いてきた。その揺れる明かりは、ランサーラの柔らかな表情を鮮明に照らし出す。
「レイザ、もういいよ」
「だめです、お姉さまは死んでいい人じゃない!」
レイザはランサーラの脇腹を押さえつけ、何度も首を振った。
「レイザ、あなた……」
「ザラ姉さま、なぜランサーラお姉さまが殺されなくちゃならないの!」
「あなたを、助ける――」
「必要ない!」
レイザは激しく嗚咽する。
「ザラ姉さまが戦いやすくなるから、私を奪いに来たんでしょう!?」
「あなたは私の大切な妹なのよ!?」
「じゃぁ、私から奪わないで!」
「レイザ……」
ザラは呆然とその名を呼ぶ。レイザは頭を撫でようとしたランサーラの手を取った。ふたりとも、血塗れだった。
「レイザよ。ザラのお前への献身の思いに、嘘なんてない」
「ランサーラお姉さま……でも!」
「ままならぬなぁ」
ランサーラは目を閉じて苦笑する。警備兵の持つランタンの輝きが、ランサーラのすっかり青白くなってしまった顔を照らしている。
「私はお前たちにとって、悪人のままでいたかった」
「悪人なんかじゃないわ、お姉さまは!」
「私の甘さが、今、お前を泣かせている。すまない」
ザラは耐え難いほど痛む身体を堪えて、ランサーラのそばに片膝をついた。
「レイザのこと、ありがとうございました」
「お前のためにしたわけ、ではない、さ」
ランサーラは薄く目を開ける。
「あなたのことを卑劣な将軍だと、私は、本気で」
「そのままに、しておいてくれ」
「いいえ」
ザラは首を振った。その頬を涙が伝う。
「あなたは」
ザラは言うことを聞かない喉を叱咤して、言葉を紡ぐ。
「あなたは、妹の恩人です。本当に、ごめんなさい」
「ははは……」
ランサーラは力なく笑う。血液のほとんどが流れ出てしまったのではないかと言うほどの出血量だった。
「レイザ」
「はい」
「幸せに、なれ」
ランサーラの右手が、レイザの手のひらの間から滑り落ちた。
「お、お姉さま!」
レイザはその頬に触れ、何度もランサーラを呼んだ。
「ううっ……」
滂沱の涙を流し、レイザは泣き叫んだ。
「あなたが! あなたは、私の!」
「敵、なのかもな」
ガレンは魔剣を鞘に収めながら静かに言った。
「敵だけど、恨まないわ。ザラ姉さまを恨むわけにはいかないから、あなたのことも恨まない!」
「そうか」
ガレンはザラに肩を貸す。警備兵たちはおろおろと顔を見合わせている。武器に手をかける者もいたが、誰一人抜くことはできなかった。
「ランサーラ将軍を丁重に葬れ。無駄死には褒められたものじゃない」
ガレンはそう言って大勢の警備兵を押しのける。警備兵たちは誰も抵抗しなかった――できなかった。手にした、あるいは腰に下げたランタンが、ゆらゆらとガレンたちを照らしていた。
「ぶ、分隊長どの……」
警備兵の一人が別の一人に声をかける。
「今はランサーラ将軍が先だ」
その一人、分隊長は沈鬱な声でそう答えた。それを聞いて、ザラが帝国式の敬礼をする。
「感謝致します、みなさん」
ガレンはランサーラを見下ろして立ち尽くしているレイザに「行くぞ」と声をかけた。
「……わかってるわ」
そして三人は、そのまま城を脱出し、馬を調達し、要塞都市ゲシュタイルを出た。驚くほどスムーズに事態は進んだ。
そしてその頃には、東の空がうっすらと白み始めていた。
その空の色を目にして、レイザは声を上げて泣いた。
「ランサーラお姉さまは……私にとって最高の人だったの」
先頭を行くガレンの背中を見ながら、隣に並ぶザラに言うレイザ。
「最高の、人?」
「私、絶対ランサーラお姉さまみたいな人になるの」
レイザは涙を拭いて胸を張る。
「お姉さまは何があっても泣かなかったわ。兵や身分の低い人に声を荒らげたこともない。私みたいな人間を本当に大事にしてくれた」
「……私はもっと違うことを聞かされていました」
「私が虐待されているとか、そういう?」
「……」
ザラは沈黙して答えとした。しばらく馬を進めてから、ぽつりと言った。
「無力な姉で、ごめんなさい」
ガレンはその涙声を背中で聞いた。
ザラ――か。
あの世界。おそらくは円環の世界――ツァラトゥストラの幻影。そこで俺は、ザラを失っていた。あの黒と紫の悪趣味な機兵が、おそらくは俺の敵、真の敵なのだろう。
あの世界で俺はどうなったのか。何かを為せたのか。
――わからない。
《《異界の騎士》》――そう呼ばれるのにももう慣れた。
「ガレン」
「ん?」
「これからどうしますか。このまま帝都に?」
「いや」
ガレンは首を振る。
「レイザを連れては戦えない」
「私だって剣技は学んだわ!」
「それでも、だ」
ガレンは譲らなかった。ややしばらく睨み合った末に、レイザは肩をすくめて、おおげさに息を吐いた。
「今度はニーレドの人質になれって?」
「誰もお前を拘束したりはしない」
「いいけど」
レイザは首を振りながら言った。
「いい子にしてたら、今度はいいことがあるかもね」
「レイザ……」
ザラは鼻声で呼びかける。
「《《氷血の女狐》》らしくないよ、ザラ姉さま」
そして三人は夜明けの方向へと向かって馬を進めていった。




