1-2. 女王との謁見と、聖騎士たち
にわかに総司令官を失った軍ほど脆いものはない。広く展開していた前線はたちまち混乱し、退くも攻めるもままならぬままにその数を減らしていく。聖騎士ナーヤは捕虜は要らぬと部下に命じ、ニーレド王国の兵士たちは狂ったように戦功を求めて戦った。
「さてと、異界の騎士さん」
「……!」
あれほどの戦いを経てきてなお、息切れ一つしていないその返り血の騎士は、殺気立った視線をナーヤに向けてくる。
「どうどうどう、あたしはあんたの敵じゃない」
ナーヤは馬から降りると両手を上げた。
「敵ではない……?」
騎士は値踏みするようにナーヤを見て、そしてようやく冷静に周囲を見回した。首のない巨躯、そして無数の兵士たちの亡骸があたりを埋め尽くしていた。
「……あんたが望まない限りはね、あたしは敵じゃない」
「俺は……」
「あんた、名前は? あっちの世界ではなんて?」
「あっちの世界……?」
騎士は剣を杖にして、左手で頭を抱えるようなしぐさを見せた。
「どういうことだ。ここは、ここはどこなんだ」
「こっちの世界だよ、騎士さん」
ナーヤは肩をすくめ、遠くを見て目を細めた。
「自棄になって突撃をかけてくる部隊がある」
騎兵が四十。歩兵が約二百。先行して数百の矢が降ってくる。ナーヤは右手を広げて空に向けた。
「聖騎士相手に無茶をする」
呪・矢返し――。
「……っ!?」
騎士は驚いたように空を見た。飛来してきた矢がことごとく向きを変えて敵の突撃部隊に突き刺さったからだ。
「呪・灼熱の大地」
続けて放たれたのは攻撃魔法だった。騎士はそのようなものを見たことはなかったが、それが魔法と呼ばれるものであることはすぐに理解できた。
突撃部隊の足元が赤熱した。それは周囲の岩をも溶かすほどのものだった。当然騎兵や歩兵が無事でいられるはずもなく、彼らは瞬く間に焼け焦げた骨格標本と化した。
「お前は、味方なのか」
「あんたがそうありたいというならね。あたしの主があんたを連れ帰れって言うから、ぜひそうあってほしいものだけど」
「……敵対する理由はないか」
「それにあんたは功労者だ。あんたが倒した将軍、エディオはあたしの魔法を無効化するんだ。魔導師殺しっていう能力でね。ちょっと攻めあぐねていたんだよね」
騎士はようやく剣を鞘に収め、ナーヤに向き直った。勝敗はすでに決していた。ナーヤたちのところに敵は訪れまい。
「俺は……そうだ、ガレンだ。ガレン・エリアル……だった気がする」
「うぃ、ガレン。了解」
ナーヤはそう言って右手を差し出してニッと笑った。騎士――ガレンはその手を軽く握る。ナーヤの側近たちの表情が一瞬こわばった。
「あたしはナーヤ・フェレール。紅蓮の魔女とも呼ばれてる。ニーレド王国最強の魔法使いってことになってる」
「俺は、何も覚えていない。気付いたらここにいた。そして戦っていた。それだけだ」
「それだけで十分さぁ。不思議不可思議の塊じゃん」
ナーヤは目を細めて感情の読めない微笑を見せる。
「さ、本陣引き払ったら王都に帰るよ。我が主、ネフェス女王陛下がお待ちかねだ。その前に殲滅戦をちょいと手伝って欲しいけどね」
――それが一か月前の話である。
円卓の置かれた部屋には、四人の人間がいた。一人はガレンであり、その右隣はナーヤ。ガレンの左隣には完全甲冑を身に着けた灰色の髪と鷹のように鋭い光を放つ緑灰色の目をした大柄な男が座っていた。
そして正面には褐色の肌の女性だ。この女性は豪奢な金髪と黄昏色の――橙とも金色ともつかない瞳を持っていた。
この豪奢な金髪の女性こそがニーレド王国の女王、ネフェスである。十八歳にして王位を継ぎ、抵抗勢力たる貴族たちをことごとく討ち果たし、分裂状態に近かった王国を瞬く間に掌握した辣腕の持ち主である。
それから八年、ニーレド王国はラガンドーラ帝国の間接的支配をも排除した。それゆえに発生したのが、第三次統合戦争である。ガレンの活躍で方面軍司令官エディオ・ガーラ将軍を倒したものの、戦争は未だ継続中だ。
「ガレン・エリアル。エディオ・ガーラとその部隊の殲滅に協力してもらったことについては礼を言う」
そう言ったネフェスが、銀のカップを口に運ぶ。促され、ガレンもそれに口をつける。銀の冷たい感触が唇に伝わる。
「スパイスと蜂蜜入りのワインか」
「お前の世界にはなかったか?」
「わからない」
しかし、知らない味だった。ナーヤとの帰路の旅で様々なものを口にしたが、どれもよくわからなかった。
「この地方は暑いからな。ワインも腐敗する。その対策として生まれたのがこのスパイスワインだよ」
ネフェスは値踏みするようにガレンを見た。
「私はお前の戦功を非常に高く評価している。そして同時に脅威であるとも認識している。そこのナーヤやウルですら、お前と戦っては無事ではいられまい」
「女王陛下、俺なら」
ウルと呼ばれた完全甲冑の騎士が不満げな声を上げる。
「お前の守護の能力とて無敵ではなかろう。それにお前の攻撃がこの男に通用するとは思えぬ」
ぴしゃりと言われ、ウルはガレンを横目で睨んだ。
「とはいえ、適材適所。一概に優劣を決められるものではない。こと、殺人の能力に於いてはな。それになにより、お前は私の幼馴染ではないか。お前ほど信頼している人間はほかにいない」
「あたしのことは? ねぇ、女王陛下」
「お前がいなければ、私は何もできんさ。もっとも、そのおかげでこんな早くにこの戦争が起きたわけだが」
「働きすぎちゃってごめんなさいねぇ」
ナーヤは未だ十代半ばだ。まったく物怖じしないのは、自身の能力への信頼ゆえか。
ガレンは自分の年齢を覚えていなかったが、ナーヤの見立てでは二十代半ばということだったので、そう思うことにしていた。
「それでだ、ガレン・エリアル。あと攻略しておきたい戦線が二つある。その任務を果たした後、私はお前を聖騎士としたいと思う」
「お待ちください、女王陛下」
ウルが腰を浮かせた。
「こんな得体のしれない男を聖騎士にするのですか」
「聖なる双璧が三聖騎士に代わる。それだけだろう?」
「ナーヤ、お前も何か言えよ」
「あたしは女王陛下のワンちゃんだから賛成だよ」
「お前な……」
三人の会話の様子を、ガレンはスパイスワインを味わいながら聞いている。決して旨い飲み物ではなかったが、乾いた身体にはやたらと染み渡った。
「それで、返事はどうだ」
「断ったら?」
「殺す」
ネフェス女王の答えは明快だった。ガレンは目を細める。
「できると?」
「試すリスクのほうが大きいと思うが? それにお前の記憶、現れた目的。我々と手を組めば、存外早く判明するかもしれんが?」
ネフェスは堂々と腕と足を組んだ。それは二十代とは思えない貫禄だった。百戦錬磨、数々の修羅場を潜り抜けた覇者だけが纏うことを許される風格があった。
「……なるほど」
ガレンはウルを見て、ナーヤを見た。二人はさして関心なさそうに、スパイスワインを飲んだり、爪を眺めたりしていた。
「わかった。確かに、単独でどうにかできる事態ではなさそうだ。だが、一つ訊いても?」
「かまわんよ」
「俺から武器を取り上げなかった理由は? 今ここで抜けば、一人は死ぬぞ」
「我々の誠意と覚悟を見せただけだよ、ガレン」
ネフェスは銀のカップを掲げる。ガレンもそれに倣った。ネフェスは口角を上げて目を細めた。
「交渉成立、ということでよいな?」
「ああ」
ガレンは頷き、残ったスパイスワインを一息に呷った。
「それで、お前の敵の話だが――」
ネフェスはその豪奢な金髪に軽く手をやり、顎を上げて目を細めた。