4-2. 青き模倣者、ジェルム・フィレガ
魔神ジェルム・フィレガは、青く光る立方体の群れだ。ナーヤがそう言っていた。ナーヤはかつて一度、ジェルム・フィレガと交戦したことがあるとも言っていた。それで生還しているのだからすさまじい能力の持ち主であるが、逆に言えばあのナーヤの力をもってしても殲滅するに至らなかったということでもある。
そして目の前にいるのは十中八九、ジェルム・フィレガだ。今や人二人分ほどの高さまで立方体が積みあがっており、その上部がゆらゆらと揺れている。どんな攻撃が来るか全く予測できない。
物理攻撃であってくれればいいのだが。
ガレンがそう思ったと同時に、ガレンの姿は消えていた。突如足元に青い立方体が出現し、周囲を溶解させたのだ。
「本体だけ見ていたら危なかったな」
そうこうしている間に、ガレンたちはすっかり周囲を、大小さまざまな青い立方体に取り囲まれてしまっていた。
「この中のどれかが本体、か」
とはいえ、この辺にいるものではない。もっとも攻撃しにくい場所にいるはずだ。
ガレンは積みあがった立方体の頂上を見た。が、外見的には他と同じに見える。
「一度仕掛けてみる。ザラは防御に全力を注げ」
「はい、お気をつけて」
それを聞き届けるや否や、ガレンは地面を蹴った。現れる青い立方体が進路を邪魔する。勢いを乗せられない。空から光線が降ってきて地面を穿つ。ガレンは立方体の出現ポイントから光線の軌道を割り出し、そのすべてを躱し切る。
「す、すごい」
ザラが思わず呟いた。稲妻のようなスピードだった。
「せっ」
剣を青い柱、胴体部分に叩きつける。だが、手ごたえはまるでなかった。空気を切ったかのようだった。青い柱は一瞬分断されたが、すぐに元に戻ってしまう。
「思ってたのと違うな」
これは、全部ぶっ壊すのは難しいかもしれない。
だが、ザラも攻撃に晒されている。となれば、回避にも限界がある。ザラとて達人だ。だが、それでもガレンほどの能力はない。時間はあまりない。
「なればどうする」
ナーヤ、お前はどうやって互角に持ち込んだんだ、こいつと。
そう言っている間にも、青い立方体からは無数の火球が飛んできている。
「ちっ」
剣圧を地面に叩きつけ、衝撃波で火球を散らす。数発は命中したが、冥隕鉄の鎧の装甲がうまい具合に反射してくれた。
飛び回るいくつもの青い立方体が次々と光線を放ってくる。避け続けるも際限がない。
「だが、やってみるか」
ガレンの剣が唸りを上げる。青い立方体が次々に潰されては再生していく。立方体が鋭い三角錐に形を変える。それが群がるようにガレンに襲い掛かってくる。
「ザラ、遠くへ!」
「わかりました」
この期に及んでなお、ガレンにはザラを見る余裕があった。瞬きほどの間に十も二十も、青い物体が襲い掛かってきているにも関わらず、だ。ガレンの身体能力はそれらの攻撃速度をも超越していた。
「埒があかない」
ガレンはそれでも攻撃を仕掛け続ける。青い物体は少しずつ現実的な形に変わり始めていた。具体的には、剣の形だ。
無数の剣がガレンに向かって襲い掛かる。
「聖剣一閃!」
群がる青い剣を一撃で粉砕する。
「粉砕した?」
青い物体は溶けるように消えていく。
「なるほど、やはりそれしかないか」
ナーヤが引き分けに持ち込めたのも、きっとそれだ。のらりくらりと攻撃的防御で受け流し続けたのだろう――確証はないが、そうと思うことにする。
「ザラ、無事か!」
「大丈夫です!」
ザラはザラで、襲い掛かってくる青い剣を見事に撃破していた。やはり彼女も将軍。剣の達人だ。
ガレンとザラによって完膚なきまでに粉砕された青い物体は、やがて完全な人型をとった。
「馬鹿にしやがって」
舌打ちして、ガレンは剣を構えなおした。ザラも隣に並ぶ。
そこにいるのは、青いガレンだった。微に入り細を穿つほど正確に再現されたガレンの姿だった。
『そいつ、能力も写し取るよ』
ガレンの耳元に突如届く声。それはナーヤのものだった。
『ザラ将軍の目を借りてる。魔神ジェルム・フィレガをよくそこまで追い詰めたものだよ』
「い、いまのは?」
「ニーレドの聖騎士にして大魔法使いナーヤだ」
ガレンはそう言うと、慎重に体勢を整える。自分と戦ったことはない。勝負が決するなら一瞬だろう。
『ザラ将軍。その剣に魔力を流す。ガレンのために奴に隙を!』
「は、はい!」
ザラの手にした長剣が薄緑色に輝き始める。
「なんて軽い……!」
驚くザラに、ナーヤは言う。
『貸し一つ。これでちゃんと仕事して』
「……わかりました」
ザラは剣を構え、視線を鋭くした。その瞬間、ザラの内側を熱のようなものが駆け抜けた。全身の筋肉が熱を持ち、体が軽くなる。ガレンたちの動きが少し緩慢になったように思えた。
ガレンのために隙を作る。それができるチャンスは多くはない。
ガレンと魔神が打ち合いを始める。文字通りに目にも止まらぬ撃剣だ。ここに割って入るのは難しい。
ですが、私は将軍です。こんなところで死んでしまっては、ヴェルギアに申し訳が立たない!
ザラは両足を踏みしめ、強く地面を蹴った。
その瞬間、ザラに向けて数本の剣が飛来してきた。ザラは魔力を帯びた剣でそれらを叩き落し、ガレンまであと数歩というところまで迫る。ガレンは振り返らない。
しかし、私の動きは読んでいるはず!
ザラはそう信じて突っ込む。なおも飛来し続ける剣を弾き返し、叩き折り、進む。
ガレンの横を抜け、魔神の左側背に到達し、ザラはなおも襲ってくる剣を薙ぎ払いながら、その腰部を一閃する。
浅いかっ!?
おそらくはかすり傷。
しかしそれで十分なはずだ。
その瞬間、ザラは大きく後ろに跳んだ。魔法剣がなければできる芸当ではなかった。ナーヤの魔法は斬撃のみならず、あらゆる身体能力や認知能力を確実に向上させていた。
青い剣の飛来が唐突に止まった。ザラは肩で息をしながら、魔神ジェルム・フィレガを睨む。髪が頬に貼り付いて気持ち悪いが、今はそれどころではない。
ガレンの剣が、魔神の喉を貫いていた。
『世界の敵め……。この世界を破壊しようなど……ツァラトゥストラの、手先め……!』
そう言い残し、魔神ジェルム・フィレガが形象崩壊を起こし、空間にいくらかの染みを残して消えた。
「た、倒したの、ですか?」
「そのようだ」
青く光る染みも消えていく。ザラは剣が光を失ったのを確認してから、鞘に戻した。そして、ガレンの元に駆け寄った。
「や、やりましたね! 晦冥の七柱を、倒したんです!」
そして勢い余ってガレンに抱き着いた。抱き着いてから慌てて身体を離す。
「あ、ご、ごめんなさい」
「不愉快ではないな」
ガレンはそう言って、ザラの銀髪に触れた。ザラはその手に触れ、目を細める。ガレンはその美しい顔を見つめてから、小さく頭を振った。
「俺はお前の友の仇だ。それだけは一生消えない」
「彼女は許します。友だからこそ、私は確信しています」
むしろ恨まれるのは私自身なのだ、と、ザラは思う。
「さて、このままゲシュタイルとやらに行ければいいが」
ガレンは消えかけた焚火のところに戻ると、ゆっくりと腰を下ろした。ザラはその隣に並んで、ちょこんと座る。
「ところでザラ。ゲシュタイルにはどうやって入ればいい?」
「要人脱出用の地下通路があります。ここからそう遠くないところに入り口の一つが」
「なるほど。とりあえず潜入さえしてしまえばどうにかなるか」
とはいえ、人質がいる。無茶なことはできない。
「ところで、妹の名前は?」
「レイザ。でももう四年会っていないのです。十三歳になったところです」
それを聞いて、ガレンは複雑な表情を見せる。が、ザラは両手を振って眉尻を下げた。
「送られてくる手紙は間違いなくレイザの直筆ですから、無事なことは確かですよ。そうじゃなかったら私への抑止力にならないでしょう?」
「まぁ、それならいいんだが。問題は彼女が素直に連れ出されてくれるか、だ」
ガレンはそう言って、焚火の中に枯れ枝を放り込んだ。
ひときわ高い音を立てて、枝が爆ぜ散った。ガレンは顔を顰める。ひどく不吉なものの予兆であるかのように感じられたからだ。




