4-1. 全部ぶっ壊せばいい
十年前のことです――あの丘から半日分ほど離れた場所で、焚火を前にして、ザラはぽつりとつぶやいた。ガレンは丘の麓から回収した干し肉を炙りながら、視線を送る。
「私の故郷、聖ティラール王国がラガンドーラ帝国によって滅ぼされました。ひどいものでした。私の両親はともに騎士でしたが、ラガンドーラの騎士たちによって、私たちの目の前で殺されました。……むごたらしく」
思い出したくもない、と、ザラは首を振る。
「私と妹もラガンドーラの兵によって襲われましたが、助けてくれたのがバルグレット将軍だった。私たちはその場から逃げ、半年もの間、王都の隣の大都市、レゲンズで隠れて暮らしたのです。三歳の子どもを連れて、十歳だった私は……」
その独白に、ガレンは黙って干し肉を差し出す。ザラは泣きながらそれを口にする。
「こんな時でも、おいしいと感じるものなのですね」
「こんな時だから、さ」
ガレンは遠くを見る。金色の瞳が焚火の炎を受けて、ますます強く鋭く輝いていた。
「私は本来、男性が苦手なのです」
「わからんではない」
ガレンは自分の分の干し肉を齧る。
「ですがガレン、あなたにはそんな風に感じない」
そう言われ、ガレンは少し目を細めた。
「ザラ、お前は、何者なんだ?」
「今言ったとおりの戦災孤児ですが」
「そうじゃない」
首を振って否定されるも、ザラには何のことかわからない。
「魔神、それも晦冥の七柱、ヴィーリェンと何か関係はないのか」
「いえ、知りません。あの第三次統合戦争での遭遇が初……あれ? あ、いえ、そうじゃないかも」
ザラは違和感を覚えて眉間に手をやった。
あの時ヴィーリェンは何か言っていなかったか。深手を負った衝撃で忘れていたが、私はヴィーリェンと、あの強大な魔神と相まみえ、交戦したはずだ。部下は文字通り全員戦死したのに、なぜ私だけ助かったのか。
懐かしいな、ザラ。
部下を皆殺しにした後、ヴィーリェンはそう言った。その声に、ザラは確かに聞き覚えがあった。まだ幼子だった頃、ザラはその声を聞いたことがあった――と言われればそんな気もする。
「なぜ私はあの声を」
「ザラ。お前の両親は、本当にお前の親だったのか?」
ガレンの黒い前髪が炎を受けて輝いている。ザラの銀髪は不安げに揺れる。
「私が実の子ではない、と?」
「可能性の話だ。俺がここにいる以上、なんだって可能性としては存在するだろう」
「あなたは自分が本当に異界から来たと思っているの?」
「わからん」
ガレンは首を振る。
「だが、そうでなければ説明がつかないことの方が多いようだ。ナーヤもネフェス女王も、俺がそうであることに疑問を持っていないし」
「人を超越した強さですしね」
「そうらしいな」
曖昧な答えを受けて、ザラは膝を抱えて焚火を見る。
「レイザは私のすべてなのです。あの子がいるから私は生き延び、あの子がいるから私は戦える」
「お前は何のために戦っている? 聖ティラール王国復活のため、ではないのだろう?」
「あの子のため、です。あの子が何不自由なく暮らせるように、そのために私は帝国に尽くしてきたのです」
ザラは肺の底から息を吐いた。
「十五で従軍するまで、私の生活は地獄でした。帝国の兵士に何度この身を」
「言わんでいい」
ガレンはやんわりとその言葉を遮った。
「お前は立派な騎士だ。俺が殺してしまったお前の友人のためにも、自らを卑下するな。お前は、騎士だ」
「ガレン……」
ザラは小さくその名を呼び、横隔膜が震えるのを身を縮めて強引に押さえつけた。
「ランサーラという将軍はどんな奴なんだ。お前の妹をためらいなく殺せるような女なのか?」
「わかりません」
ザラは首を振った。
「感情的な行動をするとは思えない人物ですが、その分、利用価値があると判断すれば躊躇はしないのではないでしょうか」
「同じ将軍なのによく知らんのか」
「帝国領は広いですから……」
「ふむ」
ガレンは得心する。確かに四六時中顔を合わせるような間柄ではないのだろう。
「妹はどういう暮らしを?」
「時々来る手紙によれば、不自由はしていないようです。ランサーラにもよくしてもらっていると。一緒にハーブ園に行ったとか、剣術訓練を見に来てもらったとか」
「それは、面倒だな」
ガレンは呻く。これが囚われの姫とかであったら、まだ救出は容易かったかもしれない。レイザがランサーラに懐いていた場合、救出そのものも、救出後の話も、相当に拗れるおそれがある。
「ランサーラは、殺してもいいのか」
「私がやります。これは、私の戦いですから」
「魔剣使い、と聞いたが」
「魔剣ヒューレバルド。かつてランサーラが魔神より奪った剣です」
「……やれるのか?」
「わかりません」
その答えに、ガレンは黙る。革の水袋から水を飲み、口元を拭った。
「仮にお前がやられても、妹に人質としての価値がなくなる」
「どうあれ、私が前に出るのが正義だと考えています」
「わかった」
ガレンは短く答えた。ザラは立ち上がり、軽く腰のあたりを払う。
「ガレン、隣に行っても?」
「ああ」
ガレンはザラを目で追い、また焚火が爆ぜるさまを見つめた。ザラはガレンのすぐ左隣に腰を下ろし、ガレンの左手に触れた。
「私はあなたに感謝しています」
「友人を殺した男に?」
「彼女は、ヴェルギアは……」
「お前がもっと無責任で自己中心的な騎士であったら、もっとどうでもよいやつを最先鋒に派遣しただろうな」
「私が殺したのです、彼女を」
「違うさ」
ガレンは首を振る。
「彼女でなければ俺を呼び出すことは叶わなかっただろう」
「理解しています」
ザラは目を伏せる。白銀の睫毛が炎に揺れている。
「私は将軍失格ですね」
ザラの頬を涙が伝った。その手がガレンの手を握りしめていた。
「優しい将軍がいてもいい」
「あなたこそ、優しいのですね、ガレン」
俺は優しいのだろうか?
ガレンは少し疑問に思う。
「あなたは強いから、打算なく他人と接することができるのです。きっと」
「お前は、俺を怖いとは思わないのか?」
「こ、怖い?」
意外だと言わんばかりに口籠るザラ。が、少し笑うと、左手と首を振った。
「怖くはありません。あなたは敵ではないから」
「敵、か」
敵――。
ガレンは久しく忘れていた感覚を思い出しつつあった。
「ザラ。教皇というのはどういう?」
「どこまで知っていますか?」
「年を取らないこと、くらいか」
「それなら、ベレク大聖教のことは?」
「よくわからん。ウルからある程度は聞いたはずだが、まるで思い出せないな」
「関心なかったんですね」
ザラは目を細めて笑った。美しい笑顔だなとガレンは思った。それまで緊張感に満ちていた表情が、ようやく緩んでいた。
「教皇はですね、世界を救うことを第一義と考えています。この世界を無限世界・メビウスとし、救いの世界を円環世界・ツァラトゥストラに求めているのです」
「世界が二つある、というのが正式な教義なのか。だから俺が異界の騎士などと呼ばれるというわけか。……ということは、俺はニーレドだけでなく、ラガンドーラの人々にも円環の方から来たとされているのだな」
そこでガレンは「うん?」と首を傾げた。
「イジュヌはどちらが世界を救うのに相応しいか確かめる、と言っていたよな」
「そういえば、そうですね」
「円環世界に救いがあるということは、この世界を見捨てるってことになるよな」
なんか変だと思っていたんだが、と、ガレンは前置きした。
「となると、俺がこの世界の破壊者で、魔神は守護者になるのではないか?」
「その可能性は……」
あるかも、しれない。ザラは顎に手をやった。
「そもそも晦冥の七柱というのは……」
「ザラ、噂をすれば、だ」
名状しがたい気配が周囲を包む。焚火の火勢が急に弱まった。月のない空は暗く、街道もほとんど見渡せない。夜空が紺色を通り越して暗黒に染まる。
確実に何か強大な存在が現れる――。
ガレンは立ち上がると長剣を抜き放った。
ガレンの見ている先が鮮やかに青く染まり始める。
「ザラ、戦えるな?」
「私は、将軍です」
「元、な」
その青は次第に立方体となり、ぶちぶちと分裂し始めた。
「――矜持は捨てていません」
「頼りにしている」
ガレンは青く輝く立方体が無数に組み合わさった異形の前に、立ちはだかった。かろうじて人型に見えなくもない。
「こいつはなんだ?」
「晦冥の七柱だとすれば、ジェルム・フィレガ」
ジェルム・フィレガ。
ガレンはナーヤから得ているはずの情報を必死に検索する。
「本体は一つか。あの立方体の中に一つだけ正解があると」
「どうするの」
「……全部ぶっ壊せばいい」
ガレンは半ば自棄になってそう言い放った。




